2014年9月22日月曜日

「統一教会は巨大詐欺集団」霊感商法対策弁連の全国集会が東京で開催、セウォル号沈没事故・被害拡大の原因はカルトの教義?

19日、東京都内で全国霊感商法対策弁護士連絡会(全国弁連)の全国集会が開かれた。日本各地から弁護士・研究者・宗教団体関係者ら約200名が参加し、統一教会を始めとする人権侵害・消費者被害を引き起こす各種カルト団体についての報告などが行なわれた。

基調報告を行なった全国弁連東京事務局長の渡辺博弁護士は「文鮮明教祖の死後、統一教会は内部の争いが絶えず、資金源となっている日本からの献金集めに躍起になり、日本人中高年女性信者のお金を狙う巨大な詐欺集団になっている」と語った。

統一教会の“聖地”清平での欺瞞的現実を目の当たりにして脱会した統一教会元信者女性の告白証言や、家族を統一教会から救い出した母親が家族の立場からその経緯や心の葛藤などについて発表した。

また、日本在住の韓国人牧師が最新の韓国発“異端カルト”宗教団体について詳細を発表、若手社会心理学者によるカルト入信問題に直面した家族の心理的プロセスについての講演も行なわれた。
立正大学大学院の中西彩之氏は『“カルト”入信問題に直面した家族の心理的プロセスの研究』 と題した講演で、心理学研究者から見たカルト問題解決の糸口を示した。

舎人キリスト教会の牧師で日本キリスト教異端相談所の張清益氏は『最新 韓国のカルト情報』と題した講演を行なった。
張牧師は、今年4月16日に韓国珍島沖で沈没した大型客船・世越(セウォル)号の沈没事故被害の背景として、乗組員の90%が韓国の宗教団体クオンパ(救援派)の信者であったことを挙げた。「『人を助けず、先に逃げる』といった乗組員の行動にはクオンパ(救援派)の教義の問題があった」と語る張牧師、カルトの教義自体に沈没事故の被害を拡大させた要因があったことを示した。

また、恵泉大学の川島堅二学長は大学関係者からの相談が最も多いと云うヨハン早稲田キリスト教会に関し、最新の報告を行なった。
ヨハン教会は、教祖の金圭東(キム・ギュドン)による女性信者へのセクハラや暴力が暴露され金や教団幹部、そして金の“浮気”発覚後数年前から教団の実権を握っていた金の妻が辞職しており、川島氏は今後の動きに関し「金らは億単位の退職金を手にしており、また新しい教会を始めるのでは」と分析した。

14 コメント:

匿名 さんのコメント...

全部、韓国の宗教ですな。

匿名 さんのコメント...

「人を助けず、先に逃げる」ようになる宗教の教義ってどんなだろう?
宗教というかある種の集団形成にすら矛盾するような気もするが…
ケンチャナヨ精神ってやつなのかしらん

児斗玉文章 さんのコメント...

これはまた呆れた教義があったものです。
しかし、そんな教義なら宗教に入信するまでもなく、好き勝手に生きていればいいだけという気がします。

匿名 さんのコメント...

ポルポトは古タイヤと一緒に燃やされるというふさわしい末路を辿ったわけだが
食口はいつになったら淫売ゲス野郎韓鶴子の生首でサッカーをして正義をしめすのかね?
そのときは俺がPKやってやってもいいぞ

P.S.食口が曲解している部分もあるので説明します
私はただ、統一教会信者に、せめてクメールルージュと並ぶ程度のモラルを持ってほしいだけなんです
クメールルージュはポルポトに私刑する事で、形だけとはいえ贖罪をしました
なぜ、統一信者はその程度のことさえ出来ないのでしょう?私はそれが悲しい
今のままでは食口はみんな元ポルポト派以下となってしまいます
それで良いのでしょうか?騙されただけなのに

↑補足 さんのコメント...

食口ら(カルト語で統一教会信者の事)の真のお父様()文鮮明のことね

匿名 さんのコメント...

>乗組員の90%が韓国の宗教団体クオンパ(救援派)の信者であった<

これって事件にかこつけて、ライバル教団の悪口を並べただけなんじゃないの?

「第一乗組員の90%が信者」って、有り得なくない?その会社がクオンパの会社ってことなのかな?

まあ、嘘である方に200点を賭けるよ。

匿名 さんのコメント...

南無妙法蓮華経と唱えてください

匿名 さんのコメント...

この記事を読んでいる信者の方へ
下の文章を読みましょう。

今日、社会問題化している宗教団体、統一協会、摂理、などに共通の問題点、すなわち、特定の宗教団体への勧誘であることを隠した勧誘による自己決定権の侵害という問題がヨハン教会にも認められる。このことは金氏の以下の言葉によって裏付けられる。

「キャンパスで積極的に活動するため、学校公認の正式なサークルを持たなければならない。しかし、学校は聖書的な内容や宗教的な臭いがする団体にはサークルの登録の許可を出してくれなかった。そこで知恵を絞って名称を考え出したのが『ヘブライ文化研究会』だった。内実はクリスチャン・サークルだったが、名称だけを見ると既存の『中東問題研究会』に似ていたので正式なサークルとして許可がおりた。しかし、徐々にクリスチャン・サークルとして知られると学校側から抗議を受けることもあり、翌年には他の名前で登録するなど苦労もあった。私たちは『韓日留学生交流会』、『聖書と文学』など、一年ごとに名前を変えて登録したりした。[…]私たちは現在東京圏で50個余りの大学にサークルを設けている」(150-151)

「今、私たちの教会では約40箇所程度の大学にサークルの登録を済ませて合法的に活動している」(287)

このように述べて金氏はキャンパスでの活動の合法性を強調するが、そのサークルがヨハン教会への勧誘を主な目的としていることを隠している限り合法とは言い難い。

 こうしたダミーサークルを用いた活動は、金氏によって「私たちのキャンパスの教職者たちはキャンパスを5箇所以上担当している。」(266)「担当のキャンパスに(教職者が)出勤したら」(267)と書かれたように、ヨハン教会の教職者の正規の仕事として位置づけられている。彼らは毎週仕事として「ヘブライ文化研究会」「韓日留学生交流会」「聖書と文学」等々の名で大学キャンパスにて活動しているサークルに外部指導者としてでかけ、ヨハン教会への勧誘を行ったのだ。

 また、こうしたサークルを拠点として年に2回大々的なコンサートが催される。それも表向きはコンサート活動だが、金氏も著作で明言しているとおり「福音伝道が目的であり、音楽会が目的ではない」(251)。しかし、そうした本来の目的は勧誘段階では隠されている。学生たちは、純粋にゴスペルを楽しめるコンサートだと思って来場する。このことは、以下の金牧師の言葉からも裏付けられる。

「私たちは毎年春と晩秋の二週間ずつ各キャンパスを回りながらコンサートを開く。春にはゴスペル・コンサートを、晩秋にはクリスマス・コンサートを開く。[…]単に歌ったり踊ったりするコンサートだと思いながら来た学生たちは讃美を聴くうちに心に変化が起こり、短いメッセージを通してイエス様が誰なのかと関心を持つようになる」(152)

「いつまでも音楽ばかりで彼らの調子に合わせてあげるわけではない。ある程度音楽で会場が盛り上がると、私は彼らの前に進み、福音の核心的な部分に関して短く話しをする」(153)

 以上のような本来の目的を隠した勧誘行為に対し、ヨハン教会の信徒からも憂慮する投稿が複数寄せられている。

「教会は勧誘を隠して表向きゴスペルコンサートとして多くの人を誘っていました。プロのゴスペルシンガーによるコンサートを聞きに来ただけにも関わらず、そこでは約一時間にも及ぶ「メッセージ」と称した説教が組み込まれています。それを全く知らされずにコンサートに訪れた人が不愉快に思っていることに常々胸を痛めておりました」

「キャンパスのコンサートにおいても、ゴスペルの合間に説教の時間が設けられています。それはゴスペルとは何か?という話題から入るものですが、コンサートの三分の一を占める長さです。出入りは自由だし、完璧に閉鎖されているわけではありません。しかし、お昼休みに行なわれるにしても、続きのゴスペルを待っている人はそれだけで約二十分は拘束されます。私は、それは少しおかしくないだろうか?と思いました。教室をコンサート目的として借りているのに、伝道が行なわれているからです。[…]キャンパスコンサートに関してもっと詳しく申し上げたいのですが、先生や筍長に私の正体が分かってしまうので、怖くて言えません。そう申し上げることが一つのメッセージであります」

 以上のような、特定の宗教団体への勧誘という本来の目的を隠した活動は、被勧誘者の自己決定権の侵害という違法性の高いものであることは明らかである

匿名 さんのコメント...

以下の文もお読みください

こうしたダミーサークルを用いた活動に加え、学外者であるヨハン教会のメンバーの無断入構、教室の無断使用という事例も複数の大学の学生部等から報告されている。また、正規の手続きを踏んだ場合でも、申し込んだ来訪者数よりもはるかに多い人数の部外者が来訪したりという問題も過去にはあった。そのような問題が発生するたびに、幾度かヨハン教会に赴き、教職者に注意を促してきたので、現在では多少の改善がされていることを願っているが、以下のような巧妙な手口も報告されている。

「私は都内の大学生で、教会でのゴスペルコンサートに勧誘するためのキャンパスコンサートを手伝ったことがあります。なぜ大学関係者ではない教会のメンバーがコンサートを行えるのかというと、メンバーが学生の場合もありますが、いわゆる信徒とはまだ呼べないような人とのつながりを利用するのです。教室を借りるために、一度教会のゴスペルコンサートに来たことがあるというような人の、学生番号や名を借りるのです。驚くことに『それさえ貸してくれれば何も手伝ってくれなくてもいい』と、言っているのを耳にしました」。

匿名 さんのコメント...

これは大学キャンパスへの無断入構、教室の無断使用である

匿名 さんのコメント...

2000年7月に現在の北新宿の建物を購入する以前、賃貸していた場所を出ざるを得なくなった理由について、金牧師は次のように書いている。「ここの生活も長くは続かなかった。月曜を除く毎日、数百名が集まって礼拝を捧げることによって起きる騒音が原因だった。夜ごと催される徹夜祈祷会の際のオープン祈祷と高らかに鳴り響く賛美の音楽に対して、住民が抗議の声を上げたのだった。とうとう建物主のもとに「教会を撤去させろ!」との抗議文が届き、やむなく、私たちに退去命令を下した」(106)。当時の金氏の切なる祈りは「神様の御前で思い切り叫びながら祈っても文句をいわれない、我々の教会を備えてください」(106)だったという。

現在の建物を購入し、晴れて入堂礼拝をささげることができた時、金氏は次のように述べたという。「お祈りの声が大きくなるのを心配して、互いに自粛し合いながら苦労した皆さん、今日からはここで思い切り賛美し、祈ってください」。「これからはいくら叫んでも、文句を言われることはない。ニンニクやキムチの臭いを漂わせても気にすることはない。夜遅くまで賛美しても嫌がる者は一人もいない」(117)。

しかしながら、JR総武線東中野駅から徒歩数分の閑静な住宅街にあるこの建物で、以上のような姿勢で教会運営がなされた時、近隣住民からの苦情は止まらなかった。以下のような投稿が、川島堅二氏のHPの掲示板になされている。

「私がいたとき、時々近所の住人が怒鳴り込んできていました。自転車駐輪や夜間の騒音(平日の活動には行ったことがないので知りませんが、土曜日の徹夜集会では午前0時をまわってもマイクで大声でお祈りしていますし、日曜日は一日中ですから私が近所の住人だとしたら我慢できません。)についてのクレームだと思います」

「確か土曜日の夜八時半位だったと思いますが、突然五十代くらいの男性の方が教会のロビーに怒鳴り込んで来ました。その方のおっしゃっていたのは、毎回毎回夜遅くにドラムの音やピアノでものすごく迷惑しているとの苦情でした。その現場にいたのが、苦情を言いに来られた地域住民の方、警察官、韓国宣教師です。私はその宣教師の発言に唖然としてしまったのです。『明日の準備のためにやっている事で、礼拝のためだからしょうがない』と言いました。そしたら住民の方が『近隣住民がみんな迷惑しているにもかかわらず、これがキリスト教会か』とお怒りでしたが、宣教師は『日本宣教のためだ』などと質問から逃れていたのです。その話を後日旬長の人に話したら『近隣住民のトラブルとも戦っていかなければならない、仕方のないことだ』と言ったのです。自分たちの都合のために近隣住民に迷惑かけることを仕方ないと片付けて良いかなどは常識として分かると思います。木曜の徹夜祈り会などは、凄まじい声が漏れており、大問題です」。

匿名 さんのコメント...

金牧師は、著書の中でキリスト教の「義」とは無縁の独自な「義」の概念について語っている。

「日本は和の民族である。これに対して韓国は義の民族である。和の民族は、和解が大事であるという意味のように思われるが、実は現実の利益が大事なのである。日本人がいう和は現実の利益の前ではいくらでも和解できるという意味である。しかしながら、義の民族はそのようにはならない。真理なのかそうではないか。正しいか正しくないか、これは生命である。利益は関係ない。[…]日本人は喧嘩をしないように見えるが心の中が病気にかかっている。歴史的に見る時、神様は義の民族を使うのである」(259~260)

ここから読み取れるのは韓国人である金牧師が、日本人の学生たちを「訓練」する根底にある心理、すなわち神に用いられる「義の民族」である自分が、「利」に溺れ心が「病気にかかっている」日本人を救うという使命感である。

しかしながら、キリスト教神学において「義」とは、新約聖書の『ローマの信徒への手紙』や『ガラテヤの信徒への手紙』の主題である「信仰義認」の文脈で用いられる中心概念であり、「救い」や「神の愛」との関係概念である。それに対して、ここで金氏が用いている「義」は「和」の対立概念で、しかも、この「和」の内実は「利益」のためには真理を曲げても妥協することだとされる。したがって、その対立概念として「義」は、目先の利益に妥協しない姿勢というきわめて通俗的な意味しか持っていない。「義」というキリスト教神学の中心的概念をこのような通俗的意味に転用する、これはキリスト教の真理を伝えることが本来の仕事である牧師・宣教師の口にするべきことではない。

匿名 さんのコメント...

http://dailycult.blogspot.com/2010/02/cmcm.html?m=1
韓国人宣教師がジャーナリストに恫喝した証拠

匿名 さんのコメント...

韓国人教職者に与えられる休養として金氏は次のように述べている。

「(教職者を)少なくとも1ヶ月に一度以上は完全に解放させてやろうと思っている。春になると景色のいい温泉に行って教職者のリトリートを開いている。昼飯の時間にスタッフ会議を持っている以外は完全に自由時間である。お風呂、睡眠、ビデオ、ドラマ、ドライブ、将棋、囲碁など思いっきりやらせる。日本の温泉地にはマッサージコースが当たり前だといえるほど備えてあるが、お金のことは考えずに受けるようにしている。食事もメニューを決めてあげるのではなく自分が食べたいものを食べさせる。わざと東京圏の中でも一番よさそうな食堂に連れて行ったりしている。『あなたたち、教職者は誰でもがなれるのではない。引け目を感じてはいけない』という象徴的なイベントである」(269)

教職者にこのような休みを与えることを、私は批判しない。しかし、同時にヨハン教会において韓国人教職者と同じか、時にはそれ以上に教会のために働いている日本人筍長たちの境遇を思わないではいられない。「彼ら(筍長たち)は平信徒ではあるが献身者並の働きを担う人々である。毎日1回は教会に寄り、自分の家のように手入れをしたり、筍員の世話をしたり、早天(早朝)祈り会にまで参加する」(189)と金氏も認めている。韓国人教職者たちは、高給ではないにせよ生活の糧を教会から得、さらに上記のような休養が与えられる。しかし、日本人筍長たちは、そのような教職者の手足となって教会のために従順に働き、自分の生活は教会の活動とは別に働いて自活し、その収入の1割以上を教会に献金して教会を支えている。心身ともにすり減らしながら果てしない奉仕の生活に献身しているのである。