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2025年5月27日火曜日

天台宗性加害問題で住職側が記者会見、宗派ぐるみの人権問題が改めて露呈

「大阪市内」で会見する元住職(左)と代理人
 四国にある天台宗の寺の住職が尼僧の叡敦(えいちょう)氏を14年間にわたり「心理的監禁」状態に置き性暴力を繰り返したとされる問題で、天台宗から罷免処分とされた元住職が5月21日、大阪市内で初めて記者会見を行った。叡敦さんと住職の性的関係を認めつつも、性加害については「事実無根」とした。

 叡敦さんは昨年、天台宗に対して、元住職の寺に叡敦さんを紹介し性被害について隠蔽などに関わったとして、滋賀県の寺の大僧正(大阿闍梨)とあわせ2人の僧籍剥奪を申し立てていた。今年4月16日、天台宗は住職を罷免としたが、元住職らによると、性加害を認定せず「僧侶でありながら既婚者と夫婦同然の同居生活をしていた」ことを処分理由とした。大僧正については「懲戒事由に該当せず(処分なし)」とした。


元住職の顔、氏名、会見場所まで伏せる


 出席者は、元住職、元住職の代理人である田渕学弁護士、大僧正の代理人である森美穂弁護士の3人。会見は天台宗や宗教団体とは無関係の民間施設で行われたが、「一方の当事者の立場に立っていると誤解されたくない」とする施設側からの要請であるとして、田渕弁護士が報道陣に、施設の外観の写真や映像と施設名を報じないよう求めた。また、住職の顔、住職と大僧正の氏名も伏せるよう要請した。

 約2時間に及んだ会見では、元住職と大僧正の側が性加害について「事実無根」と全否定し、大僧正による隠蔽も否定。叡敦さんが望んで元住職と関係を持ち、元住職が「裏切られた」とする主張を展開した。元住職は「天台宗に迷惑をかけたことについては反省している」と語り、「次の住職が決まるまで寺で働き、以降は次の住職の指示を仰ぐ」として、現在もこれまでの寺に済んでいることを明かした。天台宗からの罷免処分は、住職の地位を罷免するもので、僧籍は維持される。将来的に再び住職に就くことも可能。


報道陣が総ツッコミ


 集まった報道陣からは、元住職側の主張を疑問視する質問が相次いだ。

 昨年、元住職に直接取材したメディアの記者からは、「その際、元住職は性加害だけでなく性行為自体を〝僧侶としてありえない〟と否定したので、紙面の記事でもそのように書いた。しかし今日の会見では性行為は認めている。話が違っている」。

 元住職は田渕弁護士に耳打ちし、自身では答えず。田渕弁護士が「性行為自体がなかったと言った覚えはない。誤解があったとすれば、〝強姦はない〟と言ったと理解している。行き違いがあるのかも」と答えた。

 元住職側は、叡敦さんに生活費援助として毎月数十万円の定期的な支払いも含め総額数千万円の金銭を渡しており、そのために寺が困窮して「電気を止められろうそくの灯りで過ごしたこともあった」などと語った。報道陣からは「(寺の財産をそういうことに支出したなら)宗派から私的流用だと指摘されなかったのか?」とツッコまれる場面も。田渕弁護士は、宗派からそういう指摘はなく「お寺を一緒に支えていってくれていると相手のためにできる限りのことをしてあげたいということで出した」として、私的流用ではないとの認識を示した。

 叡敦さんが天台宗に提出した証拠の中には、元住職が叡敦さんに対して「仏さんがエッチはしてくれんから。でもエッチで悩んでる人がおったら、代わりにお前がエッチしてやらないかんと言われるんや」本紙動画レポート参照)などと叱責する声を収めた録音データがある。これについて田渕弁護士は、元住職本人の声であることを認め、「叡敦氏側は〝信者と性行為をするのが僧侶の務め〟とするものと主張しているが、元住職はそういうつもりで言ったものではない。2人の共通の話題を前提としてなされた会話を、一般的な話として(叡敦氏側に)利用された」とした。

 叡敦さんは14年間の「心理的監禁」状態だった期間の途中で、いちど寺を離れ元住職を刑事告訴している(不起訴)。その後、元住職は叡敦さんに対して、暴力や性加害を認め謝罪する念書にサインと押印をして、叡敦さんに手渡している。

 これについて田渕弁護士は、「暴力や恫喝はなかったが、彼女(叡敦さん)が得度を受けて同じ僧侶として仏像に専念するというそういう今後の心を落ち着けて修行に励むということであれば、と考えて署名した」と説明した。

 報道陣からは「元住職の主張通りなら、(叡敦さんが)異常な虚言癖ということになるが、(そういう相手から元住職が)刑事告訴もされたのに、(事実に反する)念書を書くというのがわからない」とのツッコミもあった。

 会見は終始温和な雰囲気だったが、報道陣からは他にも厳しい質問が相次いだ。

「いつ何をもって反省になるのか。叡敦さん側の訴えがあって明るみに出たわけだが、もし一連の流れがなかったら大丈夫だと思っていたのか」

「反省は当然だと思うが、今後、人々の前に立って説法をする自信はあるか。僧侶にあるまじき行為をした人が、どんな法話をするのか」

 元住職側は、今回の会見で語った内容は全て、天台宗審理曲における審判での弁明書などで提出したという。しかし審判の過程で、叡敦さん側は元住職らの弁明の内容を知らされず、再反論の機会も与えられないまま、元住職らの処分が確定した。

【解説】元住職らの会見で天台宗の不公正さが浮き彫りに


 今回の会見では、証拠や資料の提示はなかった。元住職と大僧正の側の言い分が記された文書が配布されただけ。反論になっていない内容や真偽不明の内容も目立った。

 元住職側は、叡敦さんから無心され生活援助として金銭を渡していたということを繰り返し強調した。しかし現金の手渡しだったとして、金額を示す記録や、支払い名目に関する叡敦さんとの合意や取り決めの内容(寺での仕事に対する給与のようなものなのか、愛人契約のようなものなのかなど)を示す証拠や資料も提示されていない。

 叡敦さんは元住職の寺や、元住職が用意したマンションに住み込んで寺の仕事をしていた。当然生活費はかかる。14年間の給与にあたるものと捉えれば、総額で何千万円かの規模になっても何ら不自然ではない。元住職側は「寺を支えてくれる人への援助」であり「私的流用ではない」としているのだから、叡敦さんが不当あるいは過剰なカネを要求していたかのように強調するのは自己矛盾だ。そして前述の通り、カネを支払った経緯、名目、金額全て、元住職側の言う通りなのかどうか確認できない。

 何より、仮に生活の援助としてカネを渡していたとしても、性加害がなかったことの証明にならない。元住職の主張通りなら、叡敦さんが被害を訴える前に支払ったものであり、元住職側が「被害は金銭で解決済み」と主張しているわけでもない。「人を1人、長年にわたって心理的監禁状態において加害を継続するために、経費がかかっただけのこと」という解釈も可能で、その可能性を打ち消す根拠は元住職の会見にはなかった。

 会見では具体的な金額や経緯も語られはしたが、それを報じたメディアは見当たらない。この部分に限らず、元住職側の主張を詳細に報じたメディアが、そもそもない。そのまま垂れ流すのは問題があると判断したメディアが大半だったということだろう。

 元住職側は会見で、叡敦さんが得度(僧侶になること)を望んでおり、得度した際にも嬉しそうで、寺の活動にも喜んで取り組んでいた、という類いの話も強調した。明言はしなかったが、「本当に被害を受けていたならなぜ喜んで寺の活動をしていたのか?」と言いたげだ。

 しかし、叡敦さんが寺の活動や信仰に積極的だったことは、もともと叡敦さん側も記者会見などで明らかにしていた。むしろ、そうした叡敦さんの信仰心に元住職がつけ込んで被害を継続させたというのが、叡敦さん側の主張だ。元住職側の会見では、こうした「宗教虐待」の観点での反論や釈明は全くなかった。

 また今回の会見は、天台宗の審判の不公正さも浮き彫りにした。

 天台宗は懲戒審判の結果を、被害を訴えている叡敦さん側には伝えたが、判断の理由などの詳細は伝えず、判決文にあたるような文書も開示していない。しかし今回の記者会見から、天台宗が元住職と大僧正には、少なくとも審判結果の詳細を伝えていたことがわかる。

 天台宗の審理局に審判を請求するのは懲戒を申し立てた叡敦さんではなく宗務総長で、一般的な裁判の検察にあたる。審判の当事者は、懲戒申立を受けた僧侶2名と宗務総長。制度上、叡敦さんは審判の「当事者」ではなく、元住職らと同じく天台宗の僧呂でありながら、不服申立すらできない立場にあった。審判結果の詳細が叡敦さんに伝えられなかったことも含め、「被害者不在」にしてしまう天台宗の制度の問題だ。さらに厳しい見方をすれば、天台宗が「そういう制度であるのをいいことに、被害者を排除し加害者を守った」とも言える。

 また天台宗は審判の過程で、叡敦さん側に元住職と大僧正の反論を伝えることもしておらず、叡敦さんに再反論の機会を与えなかった。今回の元住職・大僧正側の記者会見から、重要な事実関係についてすら叡敦さん側の主張と真っ向から対立していることがわかる。双方の主張をすり合わせる検証が、よりいっそう不可欠だったが、天台宗はそれをしなかった。これは天台宗の制度上も十分可能だったことで、検証を避けたのは審理局の判断だ。

 天台宗から守ってもらった2人の僧侶側の記者会見によって、天台宗の不公正さが改めて露呈したことは皮肉としか言いようがない。個々の僧侶の問題ではなく天台宗ぐるみの人権問題であることが念押しされた形だ。

 「カルト」の最も基本的な定義は「人権侵害をする集団」である。

59 件のコメント:

  1. なんかもう、この国の宗教にはロクなものが無い気がするので、宗教法人格というもの自体を廃止して、普通法人としてきっちり課税してやりゃいいのに、と思います。そして消費税減税の代替財源の一部に充てればいいかと。

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  2. 天台宗より日蓮聖人を信じ南無妙法蓮華経と唱えた方がいいのですよ

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    1. 婦人部が強そうですもんね

      創価学会がひた隠す「不倫トラブルただいま続発中」--エリート美人職員「殺人未遂事件」の裏で

      週刊ポスト

      TENGAはこの天台宗僧侶をCMに起用してみてはどうでしょう?

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  3. いのうえせつこ「新興宗教ブームと女性」

    ワールドメイト教祖の深見東州の連続婦女暴行事件を詳述しているため、ほとんど出回わらなくなった書。
    買い占めの標的になっているのか、公共図書館でしか読めない現状。(amazonレビューより)

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  4. 救霊室で、深見教祖が急に「頭が痛い。君の想念が重いんだ、二人にしてくれ」といい出し、
    「君は三年前に失恋したね、一度、悦びを知ってしまったら寂しいだろう。こっちへ来なさい。僕が慰めてあげよう」と嫌がるC子さんの胸などを触ったという。

    サンデー毎日93年4月18日号 湯浅啓/広野伊佐美

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  5. 週刊新潮93年3月18日号
    コスモメイト特集
    深見青山教祖女性信者4人とセクハラ

    神様をダシにして信者の女性に迫るのだから、この教祖様、
    バチ当りもいいところではないか。

    教祖の深見青山氏が一躍脚光を浴びるようになったのは、その著作による。
    全国紙に大広告を打ち、『神界からの神通力』を皮切りに、
    『強運』『神霊界』『愛の守護霊』などといった単行本を次々に出して、これが十万部を超えるベストセラーになった。

    二人きりの密室になったところで「君の御霊が傷ついている」
    というお決まりのセリフに始まって、過去の男性経験を根掘り
    葉掘り聞き出そうとするパターンは、先の川井さんのケースと全く同じ。

    寝そべって話を聞いていた教祖様は、やおら布団をめくって手招きをする。
    固辞する中山さんの態度にシビレを切らした深見氏は、無理やり彼女の腕を引っ張って、布団に倒れ込んだのだ。

    「私が先生の上にかぶさる形で抱きかかえられて、
    先生は私の背中を摩(さす)りながら
    “僕がこうして慰めてあげれば大丈夫だ”と言うんです。
    先生の力はものすごく強くて、抵抗したんですが駄目でした。

    それに先生に抵抗すると“キツネが憑(つ)いている”といわれて地方に左遷されてしまうんです。

    コスモメイトにいられなくなる。
    キツネ憑きにされると思うと、抵抗できなくて・・・・・。

    「両手で顔を挟まれてキスされ、舌を入れてきました。
    ここまでされては許せないと思い、顔をそむけて逃げようとしましたが、口が塞がれてしまう。
    そのうち服の上から胸を触られて、その日、私はブラウスを着て膝まで
    隠れるタイトスカートだったのですが、襟元から手を入れられて直接胸を触られました。
    さらに足を開かされて、スカートの上から腰を押しつけてきたんです。

    そんな最中に、“彼氏とはこんなふうにしていたのか?”と言いながら、腰を何度も動かしてきました。
    私は絶句してしまって何もできません。固くなっているのがわかりました」

    「セクハラ」を告発した四人の女性信者は、次々に『コスモメイト』を脱会した。
    彼女ら以外にも、辞めていく女性が後を絶たない。
    とんでもない教祖がいたものである。

    深見青山氏は、本名を半田晴久といい、兵庫県西宮市に生まれた。

    大本教の信者だった父親の影響を受け、同志社大学を卒業後、職業を転々としながら宗教活動にのめり込んでいった。

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  6. たちばな出版の母体は「ワールドメイト」という団体。

    これまでに「コスモメイト」「パワフルコスモメイト」「コスモワールド」と名称を幾度となく変え、宗教行事をかたった詐欺的な商法で問題になったことがある集団。

    93年3月には強制猥褻行為を受けたとして、元社員が深見氏を本名の半田晴久で横浜地裁に提訴。
    氏はすぐさま和解金を支払い和解したが、セクハラはこれだけではないとの指摘もある。

    (サイゾー2000年5月号掲載)

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  7. ワールドメイト(旧コスモメイト)はわいせつ裁判の関係者の間でも有名な団体です。

    「幹部の陰妻になることを勧めながらBさんをソファに押し倒して、更に力づくで
    ブラジャーに手をかけ、Bさんの乳首に血がにじむ程かみつき、下腹部にもさわろうとした。」
    「あまりの痛さにBさんが教祖を蹴って抵抗。」
    「神業と呼ばれる宗教活動中、みせしめ的に深見教祖は多勢の社員の目の前でBさんを連続20回も殴った。」

    これは1993年11月17日
    横浜地裁で行われた「コスモメイト セクハラ裁判」を報じたDVシェルター機関
    「みずら」のセクハラ裁判報道文から。

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  8. 「半田晴久セクハラ・損害賠償請求・民事法廷」横浜地裁にて

    1993年(H5)3月17日 提訴。
    1993年(H5)5月28日 (コスモメイト側、欠席)
    1993年(H5)7月16日 第2回公判(代理人弁護士2名出席、答弁書)
    1993年(H5)9月13日 第3回公判(裁判官から和解が提案される)
    1993年(H5)11月17日 和解。 内容。セクハラに対する損害賠償金
    額他計550万円の支払(1人につき)
    *詳しくは横浜地裁でごらんになって下さい。また宗教情報センターにも置いて
    あるそうです*

    この裁判は、民事裁判です。目的は、被害者の女性2名が
    深見教祖のセクハラによって受けた、経済的(そのことを拒んでから深見氏の露骨な嫌がらせにより退社に至る)・精神的に被った損害賠償をまどい、謝罪せよという内容だったのです。

    彼女たちが受けた心の傷は、セクハラという憎むべき行為のみではありません。
    セクハラを拒み、その内容をワープロのフロッピーに保存してるのが深見氏に
    ばれた時、深見氏は徹底的に彼女達に嫌がらせをしたのです。

    それは当時、写真週刊誌「フライデー」にも、掲載され深見氏本人のコメント付きで話題になりました。

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  9. 毎日新聞1993年12月4日付朝刊

    神道系の新興宗教団体「コスモメイト」(本部・東京都杉並区)の元女性会員二人が「教祖にわいせつな行為を受けたうえ中傷され、精神的損害を被った」として、

    教祖の深見青山氏(四二)=本名・半田晴久=を相手に計一千万円の慰謝料と新聞への謝罪広告掲載を求めていた訴訟が、三日までに横浜地裁で和解した。

    関係者によると、深見氏が計千二百万円の和解金を支払い、二人が謝罪広告掲載の請求を取り下げることで合意したという。

    訴状によると、深見氏は昨年十月、同区西荻窪のマンションで、同区に住む女性(二八)にマッサージをさせていた時、いきなり抱き締め、わいせつな行為をした。

    また、横浜市の女性(三一)も深見氏にわいせつな行為をされた。

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  10. 某ワール○メイトの深×東☆先生の心温まるお話

    深×先生のセクハラ等の日頃の行いについて、お付きの秘書達は、こっそりとフロッピー
    ディスクに書き留めていた。しかし、そのフロッピーディスクの存在が深×先生にばれてしまった。

    すると、深×先生、深夜に、秘書室に斧を持ってきて、机をかち割るなど大暴れ!ひとしきり暴れて、
    立ち去る時一言
    「今度は昼間来て、みんなかち割ってやるからな!」

    さすがは深×先生です。

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    1. 深見教祖には加えて、昨年暮れに秘書室にナタやオノを持って現われ、机を壊して回ったという暴力事件が囁かれ、20人以上もの男性スタッフを「不当に解雇した」件で訴訟も起こされている。

      「秘書室で私が暴れたのは事実です。あれは机を交換する必要があったので、打った芝居です。辞めていったスタッフたちが不当解雇で提訴しましたが、あれは組織運営を妨害したわけですから正当です」

      おっしゃることはリッパでも、内部抗争から聞こえてくるのは低次元なものばかり。
      週刊誌FRIDAY93年5月7・14日

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  11. 週刊誌FRIDAY93年5月7・14日

    3月27日、女性信者4人から「セクハラ行為」で訴えられ、およそ宗教人らしからぬ話題をふりまいているのが、宗教団体「コスモメイト」の深見青山(ふかみせいざん)教祖(42・写真左)である。

    「神界からの神通力」などの著作で信者を集め、その会員数は現在2万4千人にのぼるという。
    「神託で45歳までマスコミに出ない」と公言し、一切沈黙を守ってきた深見教祖だが、本誌の直撃取材に初めて口を開いた。

    セクハラ疑惑については、「いずれ裁判でハッキリすることですが、私は15歳のときから“生涯不犯(しょうがいふぼん)”の誓いを立て独身を通しています。
    被害者と称する女性の証言が具体的で本気にする人もいるようですが、事実無根です」とキッパリ否定。
    https://talk.jp/boards/psy/1745747335

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    1. カルト新聞をご覧のみなさま、深見氏のひどい言い訳を聞きましたか

      しかし、実際にセクハラ裁判はちゃんとした団体のバックアップのもとで行われており、和解金が1100万円も支払われています。

      深見氏および支持者は、いまだに反省していないのです。
      怒りが込み上げてきます。

      こんな人間は、あらゆる場に晒されない限り改心せんでしょう。
      心あるかたは、あらゆる場所にコピペしましょう。

      そして、ほかにもたくさんいるであろうワールドメイトの被害者たちを救いましょう。

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    2. 毎日新聞93年3月18日付朝刊

      神道系の新興宗教団体「コスモメイト」(本部・東京都杉並区)の女性元会員二人が「教祖にわいせつな行為を受けたうえ中傷され、精神的損害を被った」として十七日、
      教祖の深見青山氏(四一)=本名・半田晴久=を相手にそれぞれ五百万円の慰謝料と新聞への謝罪広告の掲載を求める訴訟を横浜地裁に起こした。

      訴えによると、東京都杉並区の女性(二八)は深見氏の元秘書で、昨年十月十七日深夜、本部で深見氏のマッサージをしていたところ、強引に体を触られた。
      横浜市の女性(三一)は昨年七月十五日早朝、同本部で退会を告げようとしたところ突然押し倒され、わいせつな行為を受けた、としている。

      コスモメイト側は「全くの事実無根。訴状を見てから対策を考えたい」と話している。

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  12. 平成10年六月四日「週刊文春」より抜粋

    宗教団体幹部が信仰心に付け込んでカネとカラダをほしいままにするという、とんでもない事件がおきた。

    伊豆山元気支部長だった芸名相原ひろし(33)。支部における集会等に際し神事が降りたとの理由で他の会員に神社祈願をさせ、その間、特定の女性のみ支部に残し、右女性に対し支部内において猥褻行為を行った。

    伊豆山神社に近い支部内で夜ごとの酒盛りの後に、相原がいう。「00さんxxさん、伊豆山神社が呼んでるから行ってきて」。部屋に残すのは若い女性信者ひとり.相原は囁く。

    「パワーを上げる.陰と陽で円になり、魔がはいらなくなる」。
    そしてレイプに及ぶのだ.
    「女性信者を両側に、川の字に雑魚寝して、御神業だ」と言いながら、両側へ手を伸ばしてくることもありました。(被害にあった女性)。

    被害者は、十人に上る。精神に変調を来たし、今も通院中の女性もいるという。
    俳優”幹部がセクハラとは言語道断ではないか。

    この事件にも拘わらず、深見氏は何食わぬ顔で相原と「鞍馬天狗」と「やたがらすブラザーズ結成コンサート」を上演、しかも「深見東州芸術・音楽活動の歴史」2001年版に堂々と載せてるとは、開いた口もふさがらない。
    あんたは一体何者だ。

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  13. 宝島30/1993年6月号

    女性たちの訴訟が、新聞、雑誌などで報道されると、深見はコスモメイトの社員や会員(信者)に、
    当初は「これは神仕組(かみしぐみ)、神様が僕に(猥褻行為を)やらせたのだ」と神のせいにし、
    その後は「事実無根。やったのは俺ではない」と一転して否定し、
    最近では動揺する社員に、「一休禅師は弟子たちの前で尼さんを犯して見せたが、それでも弟子たちは不動の精神で辞めなかったぞ」と珍説を説いている。

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  14. 創価学会のいやがらせ 
    https://girlschannel.net/topics/5644643/9/
    >407. 匿名 2025/04/23(水) 17:15:51

    >>54
    気に入らない場合はありもしない悪評立てられて住みづらくなる嫌がらせをする
    人の噂や陰口悪口大好きなんだって

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  15. 誠実な宗教なら批判も真摯に受けとめて反省し、改善していこうとするはずですが、
    いやがらせとは悪質ですね。

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  16. 教祖は
    「君は三年前に失恋したね、一度、悦(よろこ)びを知ってしまったら寂しいだろう。こっちへ来なさい。僕が慰めてあげよう」と嫌がるC子さんの胸などを触ったという。

    D子さんは昨年七月十五日深夜、同じマンションで教団を辞める相談をした際、深見教祖は「君の体調が悪いのは更年期障害のためだ。もっと男性と付き合ったほうがいい」などと言い、「僕が抱擁してあげよう」とD子さんに飛びつくと、強引にディープキス。
    さらに、ワンピースを首までまくり、下着に手をかけたというのだ。

    「絶対に許せない。私たちのほかにも被害者はいますが、名乗り出ることができずに泣き寝入りしているんです。神さまに仕える宗教者があんなマネをするなんて、ひどすぎます!」

    とD子さん、担当の弁護団事務局長も、こう言いきる。

    「セクシュアル・ハラスメント」といっても、この被害者二人の場合、もはや『いたずら』のレベルでなく『強制わいせつ』に近い悪質な行為です」

    これら被害女性は、深見教祖自身から「神さまからお告げがあった」とスタッフとしてスカウトされており、
    「生活や将来のため退職できない弱い立場の人間ばかり狙われたのです」(同・事務局長)

    しかも、二人の被害者は今年に入って、コスモメイト側から退職を迫られ、やむなく辞めている、というからひど過ぎるではないか。

    サンデー毎日93年4月18日号

    徹底追及!心をカネで買う時代【第一弾】
    激震スクープ!!セクハラ、暴力、霊視商法…
    丸秘フロッピーに封印されていた摩訶不思議教団コスモメイト深見青山教祖の〝行状〟
    https://talk.jp/boards/psy/1745747335

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    1. 韓国の教祖でズラ疑惑の人がいました。
      髪のボリュームがありすぎで噂があったそうで、写真を見るとまあそうかもね、と。
      まさか頭髪が空中浮遊するUFOだなんて教祖は。。。日本にはいませんよ、ね。

      削除
  17. 審理局はともかく、天台宗は何回も調査してますよ。ところどころ誤字も多いですし、見直す点が多いように思いました。

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  25. 深見東州氏に対する、虚偽のセクハラ情報をそのまま裏付けなしに書いた誤報記事を一生懸命貼り付けている人はご苦労様です。残念ながら、それらの記事はメディアにとって黒歴史ですので、メディアが嫌がるだけですよ

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    質問者:noname#37093
    質問日時:2007/06/23 13:59
    「禁欲(性欲)とは何のためにするんですか?」
    宗教をやってる人で、禁欲をする人は、どのような理由からそのようなことをするんですか?
    宗教をやっていない人の場合でも構いません。
    肉体的、精神的に何らかのメリットがあるからやっていると思うのですが、理由が分かりません。
    分かる方がいましたら、ご回答、お願いします。

    ベストアンサー
    回答者: sky_skya 回答日時:2007/06/24 08:20
    宗教論で、良いのでしたら。
    本来、性欲というものは、否定されているのです。
    特に仏教の出家修行者(例、チベット仏教など)にとっては。
    だから、宗教で禁欲(性欲)はあたりまえなのです。
    またヨーガ的(クンダリーニ・ヨーガ)に考えると。
    生命エネルギーを昇華(消化ではない)させ、高次元の意識状態へ到達しようとします。したがって、禁欲するのは当たり前なのです。
    ちなみに、ここで、もし性欲を使い、エネルギーをロスすると、場合によっては低次元の意識状態と同化するので、よくないと言われます。
    もう少しだけ、詳しくいうと、クンダリーニ(神秘的なエネルギー)の源は性エネルギーです。そして、それを高次元のチャクラ(霊的なセンサー)に到達、又は貫き、高い世界の経験します。これが、それを漏らすことで、低次元の世界しか経験できなくなるので、よくないのです。
    >肉体的、精神的に何らかのメリット・・
    肉体的にはエネルギーに満ちあふれているので、活動的な人生を遅れる。又、性エネルギー=功徳といわれているので、願望成就が、可能。
    精神的には、上記のとうりです。以上

    回答者: uu_oo 回答日時:2007/06/23 15:52
    他宗教はわかりませんが、キリスト教ことパウロが説いた禁欲は宗教的な情熱のたまものであって、何かを達せんがために
    欲断ちをしたのではありません。
    手段目的としての禁欲ではなく、宣教に打ち込む余り、性欲へのこだわりがなくなってしまったといいましょうか。
    しかし傍目には、禁欲してるにしか見えないのでそれのまねごと(欲断ち)しても結果が出ないばかりかその欲求にはまって脱落してしまいました。
    凡人にはまねできませんが欲求を意識してとおざければ遠ざけるほどまとわりついてきます。
    そんなことにとらわれるよりは何か別の習慣に置きかえるなりして、したいことやりたいことに打ち込む方が、精神衛生にいいと思います。
    回答者: bagus3 回答日時:2007/06/23 14:14
    性欲に限らず、欲望を押さえることで
    執着心をなくし自分をコントロールする力を養い、魂を清浄にしようとするんです。
    つまり自分を神や仏に近づけるのです。
    この回答への補足
    宗教によっては秘儀的な意味合いもあるんですかね?
    補足日時:2007/06/23 15:35
    通報する

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  30. https://blog.goo.ne.jp/zen9you/e/b0eaa1aa50c81677b19816d41511a262
    住職のひとりごと 様
    「明治の傑僧 釋雲照律師の十善戒略解総論要旨」
    十善戒略解総論 要旨 明治十九年一月 釋雲照著述 長木栄治郎出版



    十善戒法は、一切世間出世間の善法の本源であり、積善の家に餘慶ありと言われるように、吉凶殃慶一つとして因なくして果はない。いまこの身が壮健で長寿であるのは前世で不殺生戒を護った餘慶であり、衣食住俸禄あって安楽なのは不偸盗戒の餘慶であり、男女仲良く子孫あり家門繁栄するのは不邪淫戒の餘慶である。

    教養や慣習が家に備わるのは不妄語戒の餘慶、穏やかに控えめな徳により周りに重んぜられるは不綺語戒の餘慶、家族仲良く老いて子孫に孝心あるのは不悪口戒の餘慶、家族親族近隣と仲睦まじきは不両舌戒の餘慶である。家に財あり山海の実りあり融通するは不貪欲戒の餘慶、身体健全で顔端正にして周りから侮られず慕われるのは不瞋恚戒の餘慶、神々の守護あり心に憂いなきは不邪見戒の餘慶である。

    逆に、殺生する者は、寿命短く、恐怖多く、恨まれ仇多く、死後悪趣(地獄・餓鬼・畜生の世界)に逝く、人に生まれても短命多病となる。偸盗する者は、財産を失い、法により裁かれ、心に常に恐怖あり、死後悪趣に逝く、人に生まれても他に使役され貧しく衣食に困窮する。邪淫する者は、家に和みなく、法に裁かれ、自分を欺き人を畏れる、死後悪趣に逝く、人に生まれても意に随う伴侶は得られず、針の筵に置かれる。

    妄語、綺語、悪口、両舌する者は、怨み憎まれること多く、自分を欺き信用なく、しばしば禍に遭い、死後悪趣に生まれる、人に生まれても言葉不自由となる。このように一度なされたの行いは、その業消えることなく、その報い必ずあることを知り、一切の苦楽はみな自分の心から生じるものであるので、善人君子の楽しむべきなのはこの応報の原理なのである。

    このような善き戒が身にあるときは、自ずから悪事が遠ざかることは、人に元気が充満しているときには病いに侵されないようなものである。不殺生戒が身にあるときは、たとえ怨みもち生き物を殺害する悪賊や毒虫に遇っても、慈悲心をもってこれに対峙するので自然に遠ざかっていく。不偸盗戒が身にあるときは、金銀財宝を前にしても不要な欲を起こすことなく、放火や盗賊、暴漢が自然に遠ざかっていく。不邪淫戒が身にあるときは、余所の男女に愛着を生ずることなく、隙をうかがったり示しあわせるなどの毒害は寄りつかない。
    不妄語戒が身にあるときは、欺いたり心乱れ偽証したり贋の書類を作ったりという悪心は寄りつかない。不綺語戒が身にあるときは、言葉飾ることなく、軽口を言ったり、戯れを言うような迷い患いが寄りつかない。不悪口戒が身にあるときは、言葉柔らかに、罵詈雑言を吐くような悪心が寄りつかない。不両舌戒が身にあるときは、言葉に誠実さが表れ、他者と仲違いをしたり関係を悪くしたり他者を悪く言ったりお世辞を言ったりという悪心が遠ざかる。

    不貪欲戒が身にあるときは、足ることを知るがために、欲張り貪り他の盛んなるを羨んだり名利を求めるような悪心が寄りつかない。不瞋恚戒が身にあるときは、身が慈悲そのものとなるので、眉をひそめたり眉間に皺を作ることもなく、憂い悩み嫉妬を起こす悪心が遠ざかる。不邪見戒が身にあるときは、人を見ても自然を見ても因果応報の姿を知るので、邪なものに心惑うことなく、聖なる者を軽蔑し賢者をそしり神を侮り仏菩薩を誹謗するような悪心は決して起こらない。
    ときに、この世で戒に則った生活は難しいことであって、通常の人のなせることではないと言う人がある。これに答えるに、例えば殺生をしようとするには、自分の手足を使って、道具を揃え相手の隙をうかがい策を施さねばならず、難義を窮めることであり、不殺生戒を護ることの方がよっぽどなしやすいことであり、実は十悪こそなしがたいものなのである。

    また、現世の苦楽は既に前世の善悪業によって決まっているのに、この世で善をなしても利益無しと言う者があるとか。これに答えるに、前世の善悪業に二種、決定業と不定業とがある。善悪の業に強弱重軽があり、その強く重い業はその報いを受ける時には、苦楽の軽重長短が厳然と決定されているとされる。これに対し、不定業はそれが未だ定まらない業のことで、この世で善を行うときには善き縁を催して前世の善業により善き結果をもたらす。また悪をなせるときには、悪縁が増上して前世の悪業が悪い結果をもたらす。これは前世までに蓄えた善悪業が弱く現世の善悪の助縁に引かれてもたらされるものなので、悪をなさず善を行う事によって、悪縁を避け善縁を常に生じ善業が報い結果するように生きるべきなのである。
    また、仏法は世間の実情に合わず奇怪で役に立たない荒唐無稽のものだと言う人あり。これに答えるに、きれいな鏡がその姿をそのままに映し出すように、この善悪業をもたらす善悪の行為も一度なすならば、その行いと心のなした軽重によって、必ずこの世でか、来世ないし未来世にてその報いを受けるものであって、僅かでも道徳心ある者は、この因果応報の理を常に忘れることなく、重んじるべきである。誰もが、眼前の小利に惑うことなく、十善戒を守護して善なる大利益に浴すべきである。

    返信削除
  31. https://oshiete.goo.ne.jp/qa/13163609.html
    仏教の教え】「死んであの世に持って行ける冥土の土産は人に上げたものだけだ」という仏教
    解決済気になる0件
    質問者:redminote10pro質問日時:2022/09/27 21:38回答数:1件
    【仏教の教え】「死んであの世に持って行ける冥土の土産は人に上げたものだけだ」という仏教の教えは誰の言葉ですか?
    サンスクリット語の詩の一節ですか?

    回答者: atoiti 回答日時:2022/09/28 07:42
    釈迦の言葉です
    これは、仏教の万般に流れる「慈悲」と言う基本を他人を自分の身に引き当てて考える。あるいは他人の身になって考える、という事なのです。法句経とか初期仏教とか原始仏典とかいわれている経典にも同じ意味の言葉が沢山あります。
    人に対して行った善い行い(善業)だけでなく悪い行い(悪業)も持っていきます
    善業の顕在化は慈悲や知恵として働き「楽」の境涯をもたらす「善因楽果」
    悪業は、三毒(貪欲・瞋恚・愚痴)などの煩悩となって「苦」の境涯を引き起こします「悪因苦果」となると、九識(くしき)論に、具体的に説かれています。
    それを因果応報、自業自得とも言います
    あの世と言うのは、来世のことですよ
    せいぜい善い行い(善業)を積み、平和な国に生まれたいものです。
    仏教は、あの世や来世よりも、現世安穏、を解きます

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  32. https://blog.goo.ne.jp:443/yamansi-satoyama/e/270a9ca837a990c5bec29f1d0c317420
    後藤和弘のブログ
    この記事をお読み頂く前に、まず上の写真にある樹木の悠々としたたたずまいをご覧下さい。そうしてお気持を広くして、のんびりと下の文章をお読み下さい。
    私はカトリックの信者です。しかしお寺にある先祖や親類、恩人のお墓参りをかなり丁寧にします。カトリック墓地にも行って、お世話になった神父さんのお墓にもお参りします。家内と一緒に行きます。
    神社やお寺の仏像の前では手を合わせ、頭を下げます。
    それが正しいキリスト教徒というものだろうと思っているからです。
    イエス様は「隣人を愛せ」と教えました。私の隣人の大部分は無宗教だったり、仏教徒です。その方々を愛することは簡単なことです。自分の親類、友人、知人など全ての人々を大切に思えば良いのです。全ての人々を尊敬すれば良いのです。
    隣人が厭がることをしないことが原則です。もし神社や仏像の前でソッポを向いていたら、それを見た隣人は厭な気分になります。傷つくでしょう。
    私はイエス様の教えを信仰の対象としています。しかしお釈迦様を尊敬しています。偉大な哲学者として尊敬しています。インドへ仏典を求めて17年も滞在した唐の玄奘三蔵法師を尊敬しています。同行二人の弘法大師も大好きです。
    上の写真にある樹木のようにおおらかな気持ちになると「汝の隣人を愛せ」という意味が広がります。その言葉が人生をより豊かにします。
    日本にはキリスト教のいろいろな宗派が運営している学校が沢山あります。
    日本へキリスト教をはじめて伝えたザビエルの創ったイエズス会の大学は上智大学です。英国の聖公会の大学は立教大学です。プロテスタントの大学に青山学院、東京女子大などがあります。
    しかしそれらの学校の卒業生の極く少数しか洗礼を受けていません。
    洗礼を受けると親類付き合いが出来なくなる。先祖の墓参りも出来なくなる。会社に就職するといろいろな目に見えないいじわるや迫害を受けて出世出来ない。
    こんな雰囲気が少しでもあれば、無理してまで洗礼を受けないのは当たり前ではないでしょうか?
    しかしこのような考え方は根本的に間違っています。親類付き合いをしないのはあなたの心が狭いからなのです。出世出来ないのは会社の求めている才能をあなたが持っていないからなのです。誰もいじわるや迫害をしていないのに、それを受けていると考えるのはあなたの考え方が排他的だからなのです。
    そのような人々は真のキリスト教徒でしょうか?「迫害」は自分の心が作る場合が多いものです。
    キリスト教の宗派には排他的で、他の宗教へ対して非常に攻撃的な宗派もあります。一時有名だったオウム教ほど犯罪的ではありませんが世の顰蹙を買うような宗派が存在するのも事実です。
    それと普通のキリスト教を一緒にしないで、自分の心で感じ、考えて見れはもっと広い心で楽しく人生を過ごせます。
    今日はクリスマスの前夜です。キリスト教徒も、仏教徒も神道の人も、そして無宗教の人々も心を豊かにしてクリスマスの夕食やケーキを楽しみましょう。
    私はそのようになるようにと祈っています。
    今日は特に、この世に対立より融和を、争いより愛が広まり、一層平和で楽しいクリスマスになるようにお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

    返信削除
  33. https://blog.goo.ne.jp/fukushimacafe/e/0247c1c4a4813d3b059132cd2db500b9
    てつがくカフェふくしま
    第39回報告 「公共性とは何か」
    9月24日(土)に39回目の定例てつがくカフェが、「イヴのもり」にて開催されました。
    参加者は23名。
    「〈公共性〉とは何か?」という、おカタいテーマであるにもかかわらず、23名の参加者に恵まれました。
    今回は、4月に行われた議論の継続であることを踏まえましたが、そこに参加されていない方もいらっしゃるため、その継続にとらわれずに話し合うことを確認しました。
    とはいえ、遠隔地で今回の議論に参加できない方のコメントを紹介しつつ、それを話のとっかかりとして始めることにいたしました。
    そのコメントとは、これです。

    「多様性といえば、公共性には必須の条件だと思っています。
    多様性がない状態は公共ではないとも思っています。
    公共は、社会集団とか色々と定義はあると思いますが、個人が組み合ってる状態、みんなのことですかね。
    公共が皆のことなら、個人が窒息しては皆と組み合おうとは思わないと考えます。
    目的がはっきりしている小集団、例えば会社は、目的が同じ個人が集っています、目的を達成するために個人は何をするのかに帰結していくと思います。
    そういった状態では、個人間に差をもうけて、例えば待遇とか、目的達成を推進します。
    僕の中では、これは公共ではありません。
    少し分かりにくいかもしれませんが、皆のことを考える場面が公共で実行するのは公共ではないという整理です。
    公共性とは個人が公平であり、尊重された上で、公共の話しが可能なことだと思います。抑圧されることがなく、公平にものが言える、存在できる事と言い換えられます。
    このようなことが約束されていることは、公共性の大事な要だと思います。否定があると力関係が発生しますし、力関係が前提となればものが言えなくなることにも繋がります。
    言いたいことが言えない、存在が認められない、窒息します。窒息すると公共のことなんて考えなくなります。
    公共性のためには、公平であることを追及する必要はあると思います。
    誰でも生理的に受け入れられない主張はあると思いますが、主張を封じ込めては公共性は成り立たないと考えます。
    居心地が悪いかも知れませんね、公共は・・修行の場ですね、一体になることはないんでしょうからね。
    雑多であるし、画一化されていない。僕が考える公共性とはこんな感じです。」

    ちなみに、この方も4月の哲カフェには参加されていません。
    これをもとにしてまずは、公共性を「公園」のような場であることからとらえる次の意見が出されました。
    「多様性が公共であると出ていたが、主婦で子育てをしてきて、ポスターの公園を見て、公共ってこういうことかなあ。公園には多様性がある。サッカーで遊んでいる子が広がってくると、ちょっとこっちまでは来ないでくれると言いたいことを言って、それぞれを尊重できる場。身近な公共を感じられる多様性を尊重できる場であった。」

    これに対して「公共のためには公平性を追求しなくてはならないとあったが、公平ではなく平等ではないか」としながら、「必要な人と必要でない人が折り合いをつけながら、お互いに別の目的をもつ人たちが対話をして公共性を追求していく」イメージを上げる意見も挙げられます。

    さらに「みんなに開かれていることが公共性なんだろう」という意見が出されます。ただし、ここで「みんな」と言っても、税金を使って作るもののように、「みんな」のお金を使ってやることは「みんなのもの」でなければならないということを「みんなが了解をしている」ことが必要であるといいます。
    その了解が広がっているいれば、「公共性」の高い社会といえるのではないか。
    逆に、その了解がないと、閉じられると集団だけになってしまうのだろうということです。

    議論は「公園」から、一気に「社会」のレベルにまで引き上げられたため、いったん「社会」のレベルと「公園」のレベルの公共性とを区別した上で議論することがファシリテーターより指摘されました。。
    そのうえで、「公共性」に共通するものが「みんなに開かれている」という点で一致していることが確認されました。

    すると、「ひとりで生活していれば公共性を考えなくていいけれど、公共性を考えなくちゃならないのは利害の対立があるからではないか」という意見が挙げられます。
    逆に、利害対立のないような状態においては、「みんなのもの」なんて考える必要もないわけです。
    そのように考えれば、「公共性は創り上げていくもの」にほかならず、しかも、それはいろいろな集団や文化のなかで公共性は創られていくものである以上、一言で「公共性」と括れることはできないのではないかとの指摘がなされました。

    返信削除
  34. https://www.jomo-news.co.jp/articles/-/842796
    上毛新聞「【詳報】群馬・甘楽町の竹林火災、鎮圧 数百メートルの範囲を焼失か」
    2026/1/1 13:00
    31日午後2時55分ごろ、群馬県甘楽町国峰の竹林で火災が発生していると、目撃者の男性から119番通報があった。富岡甘楽広域消防本部などが消火活動にあたり、午後7時58分に鎮圧、同8時に当日の活動を終了した。1日朝から消火活動を再開する。人的被害は確認されていない。

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  35. https://www.47news.jp/13768112.html
    2026年01月24日 12時45
    24日午前0時55分ごろ、福山市大門町の県道交差点で、笠岡市拓海町、自営業 富 岡 和 之さん(43)の軽貨物車と同市、男性会社員(53)の乗用車が衝突。富岡さんが全身を強く打ち死亡した。

    返信削除
  36. https://blog.goo.ne.jp/fukujukai/e/9559e6e95379e7e8c4d4baf3b40c6973/
    福聚講様 2020年10月24日
    「もし五戒を持すれば万事をして吉祥ならしむ」
    秘 密 曼 荼 羅 十 住 心 論
    ・・・もし五戒を持すればすなわち二十五の善神ありて恒に人身を衛護して人の左右にあり。宮宅門戸の上に於いて万事をして吉祥ならしむ。
    (もし五戒(在家信者が守るべき不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不飲酒の五戒)を保てばすなわち二十五の善神が常にその人を守り、左右におり、家屋・門戸の上にあって万事を好転させる。
    (二十五善神は灌頂経によれば・蔡芻毘愈他尼(人身守護邪悪排除)・輸多利輸陀尼(六情完具)・毘樓遮耶波(五臓平調)・阿陀龍摩坻(血脈通暢)・波羅桓尼和尼(爪指保護)・坻摩阿毘婆馱(出入行来安寧)・阿修輪婆羅陀(飲食甘香)・婆羅摩亶雄雌(安眠安起)・婆羅門地鞞哆(不被虫毒)・那摩吁多耶舍(不被害霧露悪毒)・佛馱仙陀樓多(不行闘争口舌)・鞞闍耶藪多娑(不憑温虐鬼)・涅坻醯馱多耶(不被県官迫害)・阿邏多頼都耶(家四方に凶殃なし)・波羅那佛曇(舎宅平定)・阿提梵者珊耶(墓を鬼から守る)・因臺羅因臺羅(門戸を守り邪悪を劈除)・三摩毘羅尸陀(四大安穏無病)・阿伽嵐施婆多(外気鬼神の害を除く)・佛曇彌摩多哆(災火を近つ゛けず)・多頼叉三密陀(偸盗より守る)・阿摩羅斯兜嘻(虎狼の害を防ぐ)・那羅門闍兜帝(傷亡を防ぐ)・薩鞞尼乾那波(鳥鳴狐鳴を防ぐ)・荼鞞闍毘舍羅(犬鼠変恠を除く)・加摩毘那闍尼佉(凶注にひかれざらしむ))の神神です。)

    返信削除
  37. https://blog.goo.ne.jp:443/odeige/e/0c5da793b1e463c7b4cbee1219923a74
    我は無量劫(の先)に於いて、(衆生の)為に大施主とならん(と願へり)。斯(こ)の願い(もし)満足せずんば、誓って正覚を成さじ。 
    大無量寿経「重誓偈」より

    わたし(=法蔵菩薩)は計り知れぬ昔に、苦海に沈む衆生を救済する為の大施主(=救済主体者)となろうと願いを起こしました。もしもこの願いが満たされないで、衆生が苦海に沈んだままであれば、わたしは正覚を取って仏と成ることは致しません。
    と、法蔵菩薩は世自在王如来に誓いを建てられました。そしてその誓いが成立したので、阿弥陀如来となられました。苦海の衆生が救済されたからです。

    だからわたしたちは救済された存在、ということになります。苦海の娑婆世界を脱出してすでに仏国土にいます。此処は仏の世界なのです。そうは思わない、そうは思えないけれども、それは見間違いの判断ミスです。
    迷妄の闇を出て、正覚すれば、阿弥陀如来の言い分が正しいということが分かることになっています。実態把握すれば、阿弥陀如来のお誓いがその通りに実現されているということが自明になるはずです。

    救済されているわたしが、見えて来るはずです。

    救済されて深い安堵の呼吸をしているわたしが、此処にいるはずです。

    返信削除
  38. https://blog.goo.ne.jp:443/umekou_2004/e/465b37f59f87a15dd6089bf2ae17b105
    宮地神仙道 様 
    「釈迦牟尼仏の加持を受ける」
    2024年2月25日
    上座部仏教式で  釈迦牟尼仏を拝して加持を受けます。
    「アンギラサッサ・ナマットゥ・サキャプッタッサ・シリマト
    ヨ・イマム・ダムママデセシ・サッバドゥッカー・パヌーダナム。」
    以下ネットに投稿されていた体験談のコピペです。
    ++++++++++
    父の話ですが
    事故で崖から落ちた人をたまたま通りかかった父が助けた事があり
    30年後くらいの今度は父が事故に遭ったとき
    その助けた人の家族に助けられた。
    ***
    私の容姿を醜く罵った人は
    震災で文無し&身体障害持ちになりました
    ***
    障害者の子をいじめてた同級生の子供が障害者として生まれ、
    まだ小さいのに亡くなったらしい
    そのいじめっ子私も嫌いだったけど、
    子供に報いがくるのは気の毒で
    なんかあんまり因果応報って思いたくなかった
    ***
    毎年地元の猟友会に動物愛護訴の迷惑電話をかけていた老婆(最近越してきた余所者)が
    今年の秋に「熊が納屋に入ってきた!助けて!」と猟友会に泣きついていたこと。
    当然地元民は白けた目で見ていた。
    ようやく熊にとって人間がただのオモチャであることを理解したみたい。
    ***
    飲食店で働いていたとき、ちょっと仲良くなったお客に
    ある宗教に勧誘されて断ったら、他のお客さんたちの前で大声で死ねと罵倒された
    半年後、その客が交通事故を起こして(単独)
    亡くなったと客の仲間から聞いた
    ***
    数ヶ月前、地元の祭りに行ったら、
    中学生の時に私を虐めた男子がお店を出店してて、
    見るも無惨に変わり果ててた。
    中学生当時は資産家のお坊ちゃんだったし偏差値高い高校や有名大学卒業してるし、
    優雅な生活してるかと思ってたら、ハゲて貧相な感じで昔の面影が全然無かった。
    私に鉛筆を刺して虐めたバチが当たったのよ。
    自分のした事が回り回って自分に突き刺さったのよ。

    返信削除
  39. https://blog.goo.ne.jp/odeige/e/830dc77e0c1f1a803512bbfd6f82f722
    〈おでいげ〉においでおいで 様
    「オシマイ」はまっさらで清々しい
    25/09/16 13:58


    仏法者は、第一の矢を受けるも、第二の矢を受けず。


    第一の矢を抜いて終わりにすることができるからである。


    第一の因果を終わりにすることができれば、新しい第二の因果を受けることはない。


    因果の果ての、苦しみを受け終わって、そこで帳消しになるからである。


    結果があるのは原因を作ったからである。己がはじめに原因を作ったからである。


    悪因悪果。善因善果。善果を受けようとするには善因を起こさねばならない。


    今日はその日だ。今日で悪果を受け終わって、今日で善因を起こす。


    恨みを捨てて、真新しくなる。恨みをジャブジャブ洗う。被害妄想を洗い落とす。生涯、その稽古に明け暮れる。


    他者利益を思い立って、善因とする。その稽古に明け暮れる。他者が善果を受けられるようにする。大乗仏教がこれを教えている。

    10
    泣き寝入りのように思えるかもしれないが、悪因悪果を己に受け入れてオシマイにする。オシマイはまっさらさで清々しい。

    返信削除
  40. https://blog.goo.ne.jp/odeige/e/37e32096416d383bdc11f1db02971421
    『命終わる時が来れば、(阿弥陀経を読む)』
    25/09/20 17:22


    命終わる時が来れば、多くの聖者たちにとりかこまれた阿弥陀仏がその人の前に姿を取って現れて、その人の即得往生の任務に就かれるだろう。その人は、このために、死の恐れでこころを顛倒させずに、阿弥陀仏の仏国土の極楽国土に往生することになるだろう。



    仏説阿弥陀経にこう書いてあります。



    原文ではこうなっています。

    其人臨命終時 阿弥陀仏与諸聖衆 現在其前 是人終時 心不顛倒 即得往生 阿弥陀仏極楽国土



    其の人命終わる時に臨んで、阿弥陀仏は、諸々の聖なる衆とともに、其の人の前に現れて、在(い)まし、是の人は命終わる時に心顛倒せずして、即時に、阿弥陀仏の極楽国土に往きて生まれるだろう。



    ああよかったなあと思います。胸を撫で下ろします。わたしのできることではないからです。そうしようと思ってそうできることではないからです。死後のすべてを、阿弥陀仏の大きなおはからいに委ねていればいいのでした。

    返信削除
  41. https://oshiete.goo.ne.jp/qa/831216.html
    質問者:yoshinobu_09質問日時:2004/04/14 18:58回答数:2件
    人間が死んだら星になるという話は和洋限らず、物語や映画でよくありますが、この起源はなにでしょうか?
    宗教書や文献にかかれているのでしょうか?
    それとも自然発生的な発想にすぎないのでしょうか?日本で文献に書かれた最初のものはなにでしょうか?
    よろしくおねがいします。

    回答者: Pt-Au-Ag-Cu 回答日時:2004/04/15 00:25
    「人間が死んだら星になる」という思想は
    (1)星が恒久のものだから→いつも、いつまでもある不変のもの
    (2)空という未知なるものへの憧れ
    (3)たくさん存在している
    (4)見かけが美しい(夜空で輝いている姿は美しいですよね)
    というような理由から、死んだあとの姿として納得しやすかったので生まれた思想なのではないでしょうか。
    身近で大切な存在の消失が信じられなく、星になっていつも((1))上空から((2))見守ってくれているんだ・・・と信じることで心強くなれる・・・そんな願いや希望が生み出した思想だと思います。
    そしてご存知のように星は幾百幾千あるので((3))、その中の一つを特定するには漠然としすぎて、適度な匿名性を持ち、今まで亡くなった人々の魂の変化した姿だと考えやすかったのでしょう。
    これが太陽や月のように一つだったら匿名性が失われ、「あれが○○の姿だよ。今は星になって見守ってくれているんだよ。」とは言えなくなってしまいます。
    そして最後に、星は暗闇の中に光り輝く美しい見かけなので((4))人々の浪漫をかきたてるのでしょう。もし星が美しくなかったら、死後星になると言う思想も生まれなかったかもしれません。

    なので私は自然発生的な思想だと思います。
    星々については世界各地の神話でも取り上げられていますが、特定の星を神格化する事が多いようです。古代、中東辺りでは金星を女神に例えたり、中国では昴を6人の天女に見立てたりしていたようです。
    インドやエジプト・北欧・中南米の文化等もそれぞれ太陽や月を神格化しています。ただ、身近な人が死後星になるということは伝わってはいませんが、太陽神や月の神を死を司る神としても信仰していた地域もあるようです。紀元前2000くらいでしょうか。
    こういった形の無い思想のようなものは、はっきり いつからいつまで信仰された、とはいえないので大まかな目安ですが。
    また、キリスト教の聖書のように一つの宗教書や文献に書かれていて、そこから伝わったと言う類のものではないと思います。
    ギリシャ神話の星座は、羊飼いが夜に羊の番をしながら星空を見上げて、色々思いを馳せて生まれた物語が始まりのようですが、それも一人が言い出したからと言ってすぐに浸透するものではありませんよね。聞く方にも納得する下地がなければ、説得力がありません。
    なので、やはり皆が同じように思う要素((1)(2)(3)(4))があっての自然発生的なものだと思います。
    遠いギリシャと日本で全く国交がなかった時代、そっくりな内容の神話が生まれています。(それも死後の世界に関わる話ですが・・・)
    他にも世界各地に似たような言い伝えが存在している例も多々あるので、自然発生的な思想と言うものはそう珍しくないもののようです。

    この回答へのお礼
    詳細な解説ありがとうございます。
    羊飼いのように星をみて想像をたくましくするのと、死者のことを思いやることとが融合したのでしょうね。
    先祖信仰などとも関係があるような気がしてきました。
    >一つの宗教書や文献に書かれていて、そこから伝わったと言う類のものではないと思います。 これは意外です。きっとどこかの本(神話)にあるのだと思っていました。
    2004/04/15 01:01

    回答者: hironyan777 回答日時:2004/04/14 21:08
    これは、私の推論ですが、人間が死んだら星になるという考え方は”星座(ギリシャ神話)”に由来しているのではないかと思うのです。
    星座は星座占いなどに用いられる12星座を含め、全部で88あります。
    そして、その88星座にはそれぞれ”ギリシャ神話”に基づいたストーリーがあります。
    例えば、”射手座”のストーリーはこんなものです。
    「半人半馬の一族(ケンタウルス族)怪人ケイローンの姿であり、弓に矢をつがえ西隣のサソリの心臓を、狙っている姿です。ケイローンは頭が良く武勇にも秀でていたので,アポロン,アルテミスの両神は,音楽,医学,予言,狩りなどの力を彼に授けました。
    その後,ケイローンは先生となり,ヘルクレスやアスクレピオスなど,たくさんの英雄を教え育てたと言われます。ところがある日ヘルクレスとケンタウルス族の間に間に争いが起り、ヘルクレスの放った毒矢がケイローンの足に突き刺さりました。ケイローンは永遠の生命を持った身体です。苦しんでも死ぬことは出来ません。この様子を見た大神ゼウスが星座にあげたと言われます。」という感じです。
    ちなみに、このような神話が出来上がったのは、紀元前1200年頃らしいですよ。
    参考URL:http://www.levy5net.com/space/home7.html#蟹%20座

     この回答へのお礼
    ありがとうございます。
    ギリシャ神話は紀元前1200年も前の成立ですか。とても古いですね。いわれてれば星座で神や人間をあらわしているものがありますね。
    通報する
    お礼日時:2004/04/14 22:41

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  42. https://blog.goo.ne.jp:443/fukujukai/e/f4464e46d19fd8aa54dfc6a46b9e6d43/
    Q,三生得道とは 22/10/23
    A,三生得道とは、ふとした縁を仏さまと結ぶだけでも三度生まれ変わった後には仏道に入り悟ることができる、という因縁の話です。
    「大智度論巻第十三」に
    「比丘尼曰く、我れ自らもとの宿命を憶念するに、時に戯女と作る、種々の衣服を
    著けて旧語を説く。或時比丘尼衣を著して以て戯笑と為す。是の因縁を以ての
    故に、迦葉佛の時に比丘尼と作りき。時に自ら貴姓端正なるを恃み、心に矯慢を生じて禁戒を破る。禁戒を破る罪の故に地獄に堕ちて種々の罪を受く。罪を受け畢竟りて釈迦牟尼佛に値ひたてまつりて出家し、六神通、阿羅漢道を得たり。
    是の故に知りぬ、出家受戒せば復破戒すと雖も戒の因縁を以ての故に、阿羅漢道
    を得るということを。若し但だ作悪のみして戒の因縁無くば得道せざらんなり。」とあります。~~「大智度論巻第十三」

    これは蓮華色比丘尼(ウッパラゲ比丘尼)の過去世の話です。蓮華色比丘尼は淫女たりしとき袈裟を戯れに掛けたがその因縁で迦葉佛の時に比丘尼にとなることができました。しかし破戒して地獄に落ちました。だがその罪の償いが終わると次の世ではお釈迦様のもとで出家して六神通、阿羅漢道を得ることができたということです。つまり前々世において、ふざけてではあるが、袈裟を纏った因縁により、三生ののちにさとりを開くことができたということです。

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  43. https://blog.goo.ne.jp:443/fukujukai/e/d3a1733304a60467930c0cc8b16f6392
    「ロシア中國北朝鮮は敗北の道を着々と進んでいることは六韜でわかる」24/06/02
    ・「六韜・三疑編」
    「強を攻むるには、必ずこれを養いて強からしめ、これを益して張らしむるなり。はなはだ強ければ必ず折れ、はなはだ張れば必ず欠く、強を攻むるには強を以てするなり。」(自分より強いものに対抗するには、必ずそいつをさらに強くすることだ。はなはだ強いものは必ず折れ、ふくらんだものは必ず欠ける。強いものを攻撃するには相手の「強さ」を逆に利用する。)
    ・「六韜・守國編」「進んで争うことなく、退いて遜ることなし。」
    ・「六韜・立将編」「軍中のことは君命を聞かず、皆将より出ず」(ならず者国家はトップが自ら軍に命令しています。このことのみでも中・ロ・北は必敗です。)

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  44. https://blog.goo.ne.jp/fukujukai/e/b187cde2647ec42d8df6880195f60d8f
    福聚講 様 15/04/29
    「九横死」
    1、悲惨な事件事故が続き、非業の死を遂げる方が多くなっています。
    薬師如来本願功徳経には9種の横死があると云います。Ⅰ医療を受けられぬ死、Ⅱ刑罰による死、Ⅲ遊獵・放逸・婬醉により鬼が魂を奪う死、Ⅳ焼死、Ⅴ水死、Ⅵ惡獸による死、Ⅶ飢死、Ⅷ毒薬による死、Ⅸ転落死です。(参考・・薬師如来本願功徳経「爾時慧命阿難問救脱菩薩言。善男子。云何已盡之命而可更延。救脱菩薩言。阿難。汝豈不聞如來所説九横死耶。是故教以呪藥方便。或有衆生。得病非重。然無醫藥及看病人。或復醫人療治失所非時而死。是爲初横。第二横者。王法所殺。第三横者。遊獵放逸婬醉無度。爲諸害其魂魄。第四横者。爲火所燒。第五横者。爲水所溺。第六横者。入獅子虎豹諸惡獸中。第七横者。飢渇所困不得飮食因此致死。第八横者。厭
    祷毒藥起屍鬼等之所損害。第九横者。投巖取死。是名如來略説大横有此九種。」)
    2、こうした横死を遂げた方々を成仏させる法が密教に在ります。それは「土砂加持」です。
    これは、土砂を洗い清め,それを本尊の前に置き、光明真言を誦して行う加持です。その砂を病者に授ければ病が治り,死体の上にまけば罪障を消して柔軟になり,墓にまけば罪過が消えるというものです。高野山等でも毎年修されています。 「土砂加持の功徳,なほ無間の苦を免るといへり。(源平盛衰記)」と昔は日本人の常識でした。
    (参考・・秘書問答「儀軌云。若有衆生
    隨處得聞此大灌頂光明眞言二三七反。
    經耳根者即得除滅一切罪障。殺衆生具
    造十惡五逆四重諸罪。猶如微塵滿斯世
    界。身壞命終墮諸惡道。以是眞言加持土
    砂一百八反。尸陀林中散亡者尸骸上。或
    散墓上。遍皆散之。彼亡者若地獄中若餓鬼
    中若修羅中若傍生中。以一切不空如來不
    空毘盧舍那如來眞1言本願大灌頂光明眞
    言神通威力加持土砂之力。應時即光明身
    及除諸罪報。捨所苦身往於西方極樂國
    土。蓮花化生乃至菩薩更不墮落 」)

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  45. https://blog.goo.ne.jp/fukujukai/e/922a63e2597efdc3f637811ead7df7b7
    「偉人、成功者の母の信仰」

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  46. https://blog.goo.ne.jp/fukujukai/e/e0e9c759ce0f1144febb6be3ed759ad5/
    福聚講様 20/11/05 2025年10月3日閲覧
    「経法のあるところは諸仏護念し、諸天守衛す」
    秘蔵宝鑰
    「一佛の名号を称して無量の重罪を消し、一字の真言を讃して無辺の功徳を得る。・・経法のあるところは諸仏護念し、諸天守衛す、かくのごとくの利益あげて計うべからず
    ((条件の整っている者は)一体の仏の名をおとなえしても重罪が消え、数あるご真言の一句でもとなえれば無辺の功徳を得る。・・仏の教えを大切にしているところは諸仏が守り諸天が護衛して下さる。密教ではこのような霊験は数えきれない。)

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  47. https://blog.goo.ne.jp/fukujukai/e/81476b43216dbe18c76a83a3c6313a53
    仏教を楽しむ 仏教ライフを考える西原祐治のブログです様
    2011/08/29

    25日(23.8)に銚子のH寺へ伺ったおり、住職から次のようなことをお聴きしました。市内にキリスト教の方が中心となって行っている勉強会があり、その勉強会で先般、自死問題に取り組んでいる本願寺派の僧侶をゲストに招いた。その講義の内容から、浄土真宗(仏教)は、自殺に対して「自殺はダメ」という強い考えがないように思ったが、浄土真宗の自殺に対する考え方を聴かせてくれとお願いされたとのことでした。
    丁度、その日、福井県勝山の友人から、自死問題に取り組む勉強会を行ったと、その資料が届きました。
    私も、ぼんやりと、浄土真宗では自殺を肯定もしないが否定もしないという理解がありました。それは阿弥陀如来の四十八願の中に、第15願に「眷属長寿の願」というものがあり、浄土の有情の寿命 には限りが無く、願に随って長短自在であることが説かれているからです。この願いは、阿弥陀如来の働きは、短いたとえば自死の姿の上にも味わうことができると、ぼんやりとですが、そう思っていました。たとえば、自死の子どもを通して、親が阿弥陀如来の信心を開発していく縁となるといった場合です。
    それに反し、安楽死に対しての私の意見は、安楽死反対の立場です。反対の理由は、凡夫の知性は、死を選べるほど確かでない。それと安楽死には命は自分のものといった理解があることです。この理解は、明らかに長短自在の願いとは矛盾します。そして両者の矛盾を考えたこともありませんでした。
    そして勉強会の資料(瀧川組仏教講習会資料)です。
    その資料には、細かい説明は省きますが“律においては基本的に『自死既遂者』に罰則を適用しない。中国・日本仏教における律解釈(律宗)においても同様の見解。ただし、『自死の容認』ではないことに注意”という仏教学の戒律の上からの理解が示されていました。
    そして 【病苦を理由に自殺を考える二人の比丘への対応】の仏説が示され、自ら命の終わりを願う仏弟子に対して、自死した個人を否定する要素はなく、自死しようとする者に対し、自死を否定するのではなく、教えを説くことが説かれていました。

    ①ヴァッカリ比丘への対応
    仏弟子のヴァッカリは重い病に罹って苦しみ、自死を考えていた。お見舞いに訪れた釈尊は、ヴァッカリに対し無常の教えを説き、いくつかの質問を通して、ヴァッカリの教えの理解を確認した。その後ヴァッカリは自死したが、釈尊は周囲の弟子達に対して、ヴァッカリが般涅槃したことを伝えた。(『雑阿含経』)
     資料から読み取れることは、仏教は命は大切といった命への執着ではなく、常に教えによって無明から解放されることに関心をもつということです。
    その理解から、私の安楽死の意見を会通すると次のようになります。
    安楽死でいえば、安楽死の否定・肯定よりも、知性へのおごりや、自分の命といった命への執着が明らかになる、それが仏教の関心事であるというものです。まだまだ未消化ですが、もう少し探って行きます。

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  48. https://blog.goo.ne.jp/nishihara2480/e/ef7ea2d70def0eabd9137baebe59bbc3
    西原様
    「1日幸せになりたいなら」
    2016年7月12日

    お説教で、次のような話を聞きます。

    一日だけ幸せでいたいならば、床屋に行け。
    一週間だけ幸せでいたいなら、車を買え。
    一ヶ月だけ幸せでいたいなら、結婚をしろ。
    一年だけ幸せでいたいなら、家を買え。
    一生幸せでいたいなら、正直でいることだ。

    これはイギリスのことわざでそうです。
    If you would be happy for a day, get drunk;
    For two days, get a pig;
    For a month, get married;
    And for life, plant a garden.

    英語で書いてあると、さも本当らしく聞こえます。真偽のほどは分かりませんが、面白いのは、他の国にのことわざもあることです。
    中国のことわざとして・・・・
    一日幸せになりたければ酒を飲みなさい
    三日幸せになりたければ結婚しなさい
    七日幸せになりたければ豚を殺して食べなさい
    一生幸せになりたければ釣りをおぼえなさい
    とあります。フランスでは…
    一日幸せでいたければ美味しいものを食べなさい。
    とあるという。また
    1日幸せになりたいなら髪を切りなさい
    1週間幸せになりたいなら旅行に行きなさい
    1か月幸せになりたいなら車を買いなさい
    1年幸せになりたいなら結婚しなさい
    1生幸せになりたいなら素直になりなさい
    などもあります。
    では日本では
    1日幸せになりたいなら温泉につかりんばさい
    といったところでしょうか。

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  49. https://blog.goo.ne.jp:443/fukujukai/e/b2cca5aed0cf3ea78c1a1e2be732ca7b
    福聚講 様
    「秘密曼荼羅十住心論に説く十悪の果報、5((両舌の果報))」
    2020年6月25日


    秘密曼荼羅十住心論に説く十悪の果報、5((両舌の果報))
    又其の妄語によりて兩舌をいたさしむ。今身には言に慈愛なく、讒謗毀辱惡口雜亂せば死して即ち當に拔舌烊銅犂耕地獄(ばつぜつようどうれいこうじごく)に堕して、遐劫中において諸苦惱を受く。受苦既に畢りて畜生中に堕し糞穢を噉食す。鵜鶘鳥(ていこちょう・ぺりかん)の如く舌根有ることなし。此之中に在りて無量に生死す。本因縁を以て若し微善に遇ふて劣たまたま人身に復せば、舌根不具・口氣臭惡・瘖瘂謇澁(おんあけんしゅう・口がよく回らない)齒不齊白・滋歴疎少なり。もし善言あれども人信用せず。當に知るべし讒亂は皆な兩舌によりて生ずる也。故に地持論云(ここでも華厳経のこと)「兩舌之罪は亦た衆生をして三惡道に堕せしむ。若し人中に生じても二種の果報を得る。一は弊惡の眷屬を得る。二は不和の眷屬を得る」と。何が故に兩舌は地獄に堕すや。其の兩舌は人の親愛を離れしむるによる。別離の苦の故に地獄の苦を受く。何が故に兩舌は出て畜生と為るや。其の兩舌は鬪亂する事、野干に同じきによりて畜生身を受く。何が故に兩舌は復た餓鬼と為るや。其の兩舌は亦た慳疾によるを以てなり。慳疾の罪の故に復た餓鬼と為る。何が故に兩舌は人となりて弊惡の眷屬を得るや。兩舌を以て人の朋儔をして皆惡を生ぜしむるが故なり。何が故に兩舌は不和の眷屬を得るや。兩舌を以て人の親好を離けて不和合ならしむるが故なり。
    當に知るべし兩舌は五大苦也。

    カテゴリ:お大師さまのお言葉

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  50. https://blog.goo.ne.jp/fukujukai/e/81476b43216dbe18c76a83a3c6313a53
    「秘密曼荼羅十住心論に説く十悪の果報3、((邪婬の果報))」


    秘密曼荼羅十住心論に説く十悪の果報3、((邪婬の果報))
    又盜を以ての故に心不貞正なるによりて恣情にして婬妷す。今身に婬妷すれば現世には
    凶危にして常に自ら驚恐す。或は夫主・邊人のために知る所となり、時に臨みて
    殃を得る。刀杖加刑され手足分離せられて乃至失命す。死して地獄に入りぬれば之を鐵床に臥せしめ或は銅柱を抱かしめて、獄鬼火を燃して以って其身を焼く。地獄の罪畢りて當に畜生を受く。雞鴨鳬雀犬豕飛蛾なり。如是に無量に生死して、遐劫(かごう・生々)中に於いて諸苦惱を受く。受苦既に畢りて本因縁を以て若し微善に遇ふて劣(たまた)ま人身に復すれば、閨門婬亂妻妾不貞なり。若し寵愛あらば人の為に奪はる。常に恐怖を懐きて危きこと多く安きこと少なし。當し知るべし、危苦は皆な邪婬によりて生ずる也。
    故に地持論(華厳経のこと)云。「邪婬之罪は亦た衆生をして三惡道に堕せしむ。若し人中に生ずれば二種の果報を得る。一には婦貞潔ならず。二は隨意なる眷屬を得ず」。と邪婬は何が故に地獄に堕するや。其の邪婬は非分を干犯し、物を侵して苦を為すを以てなり。所
    以に命終して地獄の苦を受く。何が故に邪婬は出でて畜生と為るや。其の邪婬は人理に順ぜざるを以ってなり。所以に出獄して畜生身を受く。何が故に邪婬は復た餓鬼と為るや。其の婬妷は皆な同じく慳愛なるを以てなり。慳愛の罪の故に復た餓鬼と為る。何が故にか邪婬は婦貞潔ならざるや。他妻を犯すが故に所得の婦は常に貞正ならず。何故に邪婬は隨意の眷屬を得ざるや。其の邪婬は人の所寵を奪ふが故に其の眷屬は隨意ならざるなり。所以に復た人の為に奪はる。當に知るべし、邪婬の三大苦也。雜寶藏經に説くが如し。「昔、一の鬼あり、目連に白して言く『我物を以て自ら頭蒙篭(もうろう・朦朧)せり。亦た常に畏る、人來りて我を殺さんことを。心常に怖懼すること堪忍すべからず。何の因縁の故に爾るや』。答言。『汝前世時に、外色を婬犯して常に人の見ることを畏れ、或は其の夫主の捉縛打殺を畏れ、或は官法之を都市に戮せんことを畏れて常に恐怖を懷く。恐怖相續くが故に此の如くの罪を受く。此は是れ惡行の華報なり。後に方に地獄の苦果を受くべし』」と。

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  51. https://blog.goo.ne.jp:443/tenjin95/e/5fe80176c138a5d7175ed346f4df8e3b
    つらつら日暮らし様 24/11/09 06:43
    『「住持三宝」の真意とは?』
    以下の一節については、【「安居」のシステム論的考察】という記事で、別の文脈の中にて用いたこともあったのだが、とりあえず、今回は「住持三宝」という観点から改めて考えてみたい。
    もし不安居は、仏及菩薩にあらず。仏祖の児孫なるもの、安居せざるはなし、安居せんは、仏祖の児孫としるべし。安居するは、仏祖の身心なり、仏祖の眼睛なり、仏祖の命根なり。安居せざらんは、仏祖の児孫にあらず、仏祖にあらざるなり。いま泥木・素金・七宝の仏菩薩、みなともに安居三月の夏坐おこなはるべし。これすなはち、住持仏法僧宝の故実なり、仏訓なり。おほよそ仏祖の屋裏人、さだめて坐夏安居三月つとむべし。
        『正法眼蔵』「安居」巻

    これまで、「住持三宝」というと、『正法眼蔵』「帰依仏法僧宝」巻や、『仏祖正伝菩薩戒作法教授戒文』などを用いて考察される場合がほとんどであったが、以上の文脈も重大である。なお、これまで一般的に用いられていた解釈は以下の通りである。

    住持三宝 形像・塔廟は仏宝なり。黄紙・朱軸は所伝の法宝なり。剃髪・染衣・戒法・儀相は僧宝なり。
        「帰依仏法僧宝」巻

    ここでは、「住持三宝」について、「仏宝」は仏像や仏塔でも良く、「法宝」は経巻(経本)で良く、剃髪し御袈裟を着け、戒法を護る姿が僧侶であるとされている。

    天上を化し人間を化し、或いは虚空に現じ或いは塵中に現ず、乃ち仏宝なり。或いは海蔵を転じ或いは貝葉に現ず、物を化し生を化す、法宝なり。一切の苦を度し、三界の宅を脱す、乃ち僧宝なり。是れ住持三宝なり。
        『教授戒文』
    こちらは、先に引いた『正法眼蔵』本文よりも、やや理念的ではある。とはいえ、『教授戒文』自体が、高い宗乗眼から悟りの世界の戒文解釈を説くものだと拙僧は理解しているから、この程度の理念性は余り問題にはならない。
    そこで、「安居」巻に於ける「住持三宝」である。こちらはそもそも、「九旬安居」を行じる存在が、仏であり菩薩であり、仏祖の児孫であるとしているのである。更には、その「安居」の行に於いて、仏祖の身心・眼睛・命根が現成するのである。これらはシステム論を用いれば、行為に即して二重作動的に現成されている諸事象という記述になるであろう。
    然るに、問題は、「いま泥木・素金・七宝の仏菩薩、みなともに安居三月の夏坐おこなはるべし。これすなはち、住持仏法僧宝の故実なり、仏訓なり」としていることである。確かに、「安居」が行じられている叢林には、諸仏像が安置されているが、道元禅師はそれらの仏像もまた、「安居三月の夏坐」を行っており、それこそが「住持仏法僧宝の故実」であるとしたのである。
    仏像はただ安置されているのではなくて、ともに修行をしているのである。
    ここまで見ると、或る故事を思い出す。北陸にある厳しい修行道場(大本山永平寺ではない、別の僧堂)で、或る修行期間中に、誰も真実を会得しなかったときがあった。その時、当該僧堂の堂頭老師は、僧堂に安置されている聖僧に対して苦言を呈し、役割を果たさなかったと言って擯出させたという。有り体にいえば、聖僧を廃棄したのであった。
    この一事について、以前は不思議な話だと思っていたが、なるほど、この「安居」巻の記述に従って行われたものであったかと合点した。やはり、師家の御老師からの御慈慮はただただありがたいものだと思う。
    そもそも、道元禅師は仏像であっても「仏宝」になることは、『正法眼蔵随聞記』でも仰っていることである。今更に驚くまでもない。我々はもう少し、広い心と視点で、仏道を学ぶべきなのである。そして、仏像もまた、ともに安居しているのだから、手を合わせ、御供養申し上げるのは当然である。曹洞宗で仏像もちゃんと重んじるのは、それが住持三宝だからである。

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  52. https://blog.goo.ne.jp/marinmaron1533/e/7ea8a5fa21d39ab47c4220a8fa54e6bf
    君が送る風 様 
    「好きなもの断ち」 2023-01-15 08:25:00


    「好きなもの断ち」というおまじないがあります。
    一般的には「断ち物」と呼ばれる民間信仰なのですが、私は学生時代にこのおまじないの話を聞いて、以来ずっとこれを「好きなもの断ち」と呼んでいます。

    おまじないなので科学的根拠は何もありませんが、私はこのおまじないを実践して、2回の大きな試験に合格したことがあります。


    1回目は、大学入試のとき。
    高校生時代に横溝正史にどハマりしていたので、試験期間中から合格発表があるまでの間、横溝正史断ちを決行しました。

    本を読まない、映像作品を見ない、口に出すのも駄目…大好きで中毒になるぐらい読みふけっていた横溝正史の世界を一切断ちました。

    試験期間中なので勉強以外の本を読むこと自体あまり良くないのかなとは思いますが、先程も書いた通り中毒になるぐらい毎日のように読んでいたものを断つというのは、けっこう苦しくて修行のようだなと感じていました。
    2回目は、就職試験のとき。
    それまでの私は氷をガリガリ噛んで食べるのが習慣になっていました。
    喫茶店ではコップの水を飲み干したあと必ず氷をボリボリ食べ、家では製氷器から氷を出してオヤツのように毎日ボリボリと食べていました。

    当時私はデパートの学生服売り場で短期のアルバイトをしていたのですが、ある日学校まで出張販売に行った帰りに、スタッフ皆で喫茶店に寄ってお茶をしたことがありました。

    そこで事件は起きたのです…。
    好きなもの断ちのため氷を食べるのを我慢していたのに、コップの水と一緒に氷が口の中に入ってきてしまったのです。

    あぁせっかくのおまじないが…!
    でも口の中の氷を皆の前で出すなんて、そんな事はできませんでした。泣く泣く飲み込んだのです。もう駄目だ、と思いました。

    ところがどんより落ち込んだ気持ちで家に帰ると、試験の合否判定が封書で届いていたのです。
    恐る恐る開けると…
    合格!これはきっと、もう氷を食べても良いよという神の思し召しだったんだなと思いました。

    でもそれ以来、不思議と氷を食べる習慣はなくなったんですよね。小さい頃から貧血気味でそれは大人になった今も変わらないのですが…。


    そんなわけで、この「好きなもの断ち」というおまじない、かなり強力なのでここぞという時にしか使わないようにしています。
    試験の時期になると思い出すことの一つでした。

    コメント一覧
    marinmaron1533
    2023年1月15日
    小豆ママさん こんばんは。
    コメントありがとうございます✨
    共感していただけるなんて、とても嬉しいです。小豆ママさんにも同じ経験がありましたか!甘いものを断つとはすごい決心でしたね。私には到底できそうもありません…💦
    そして3ヵ月で5キロ減も…きっと試験期間中の色々なストレスや緊張が重なったこともあったんじゃないかと思いますが、もちろん勉強も頑張った結果ですよね、努力が実って本当に良かったなと思います☺️

    otomeneko1(乙女猫・小豆ママ)
    2023年1月15日
    「好きなもの絶ち」のエピソード
    うん..うん..と共感して拝見しました
    就職試験のとき 氷を飲み込むことになってしまったとき
    ダメだ.. と思った気持ちを思うと切なくなりました
    直後の合格通知 嬉しかったですね
    神さまはちゃんと認めてくださったのですね..
    私も高校受験のとき お正月から試験結果発表までの約3か月
    大好きなお菓子を断ちました
    もちろん ジュースなどの甘いものも..
    無事に合格しことも嬉しかったのですが なんと5キロも体重が減ったという嬉しいおまけが付きました 笑

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  53. https://blog.goo.ne.jp/fukujukai/e/88faa28fe16da09d38ad4348e70d631e
    佛説彌勒大成佛經 (全巻書き下し)
    佛説彌勒大成佛經 (全巻書き下し)
    彌勒大成佛經は弥勒経(上生経・下生経・成仏経)の中でもっとも整備されたもので最も長いものであるから「大」の字がついている。
    お釈迦様が舎利弗に弥勒菩薩の出世の時代・国土を説くもの。海水が三千由旬を減じ人寿八万四千歳の時、弥勒菩薩が出世して法を説き、耆闍崛山(霊鷲山)に入定している大迦葉を尋ね、大迦葉はお釈迦様の僧伽梨(大衣)を弥勒に授与し伝法の形式が整う。弥勒の弟子は迦葉の身長が短いのを軽視したが大迦葉は大身を虚空に満たすなどの十八の神変をあらわし最後に身上火をおこし般涅槃に入った。弥勒は塔を立て迦葉の舎利を収めた。最後に釈尊は正法に精進して弥勒の世にあうことを勧める。

    佛説彌勒大成佛經 姚秦龜茲國三藏鳩摩羅什譯 
    如是我聞。一時、佛、摩伽陀國波沙山(孤絶山也)過去諸佛常降魔處に住す。夏安居中、舍利弗とともに山頂を經行す。而して偈を説いて言はく、
    一心に善く諦聽せよ 光明大三昧
    無比功徳人 正爾當に出世すべし
    彼人妙法を説き 悉く皆な充足するを得ること
    渇して甘露を飲むが如くにして 疾く解脱道に至る
    時に四部衆は道路を平治し、灑掃燒香し皆悉く來集し、諸供具を持て如來及比丘僧を供養す。如来を諦觀すること喩へば孝子の慈父を視るがごとく、渇して飮を思うがごとし。法父を愛念することも亦復如是。各各同心して法王に正法輪を転ぜんと請はんと欲し、諸根不動にして心心相い次いで流注し仏に向ふ。是時、比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷・天・龍・鬼神・乾闥婆・阿修羅・迦樓羅・緊那羅・摩睺羅伽・人・等は各の坐より起ちて世尊を右遶す。五體投地して佛に向かって泣涙す。爾時、大智舍利弗は衣服を齊整して、偏袒右肩、法王心を知って善能く隨順し、佛法王に学んで正法輪を転ず。是の佛の輔臣・持法大將は衆生を憐愍するが故に、苦縛を脱せしめんと欲し、佛に白して言さく、「世尊よ。如來は向に山頂上において偈を説き、第一智人(弥勒菩薩)を讃歎したまへり。前後經中の所に未だ説きたまはざるところなり。此諸大衆、心に皆な渇仰して涙は盛雨の如し。如來の未來佛の甘露道を開き、彌勒の名字・功徳・神力・國土莊嚴を説くを聞んと欲す。何の善根・何の戒・何の施・何の定・何の慧・何等の智力を以てか彌勒を見ることを得るや。何の心中において八正路(八正道)を修するや。」
    舍利弗、此の問を発せし時、百千の天子・無數の梵王は合掌恭敬して異口同音に共に是問を發し、佛に白して言さく、「世尊よ、願はくは我等をして未來世において人中の最大果報・三界の眼目光明たる彌勒の普く衆生のために大慈悲を説くを見ることを得せしめよ。」
    并びに、八部衆亦皆如此に恭敬叉手して如来を勸請す。爾時、梵王と諸梵衆は異口同音に合掌讃歎して頌を説ひて曰はく、
    南無したてまつる 滿月・具足十力・大精進將・勇猛無畏・一切智の人。三有を超出し 三達智(三菩提)を成す。四魔を降伏し 身を法器となす。
    心は虚空の如く 靜然不動。 有・非有において  無・非無に於いて 空法を達解し 世の讃歎するところなり。
    我等同心 一時に歸依す。 轉法輪を願ふ。
    爾時世尊、舍利弗に告げたまはく、「當に汝等のために廣く分別して説くべし。諦聽諦聽、善く之を思念せよ。汝等、今は妙善心を以て如來無上道業・摩訶般若を問はんと欲す。如來明見すること掌中の菴摩勒果(あまろくか・マンゴー)を見るが如し。」

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    1. 舍利弗につげたまはく、「若し過去七佛の所において、佛名を聞くを得て禮拜供養せば、是の因縁を以て淨除業障す。復た彌勒大慈の根本を聞き清淨心を得ん。汝等今當に一心合掌して未來の大慈悲者に帰依すべし。我當に汝の為に廣く分別して説かむ。彌勒佛國は淨命に従って諸諂僞なし。檀波羅蜜・尸羅波羅蜜・般若波羅蜜もて不受不著を得る。微妙十願を以て大莊嚴し、一切衆生は柔軟心を起こすを得て、彌勒大慈に攝せられて彼の国土に生まれ、諸根を調伏し、佛化に隨順するを得る。舍利弗よ、四大海水の面を各の減少すること三千由旬、時に閻浮提の地は縱廣正等しく十千由旬、其地平淨にして流璃鏡の如し。大適意華・悦可意華・極大香華・優曇鉢花・大金葉華・七寶葉華・白銀葉華あり。華鬚柔軟にして状は天繒の如く、吉祥果を生じて香味具足、軟きこと天綿の如し。叢林樹華の甘果は美妙極大にして茂盛す。帝釋歡喜之園に過ぎたり。。其樹高顯高三十里。城邑次比び、雞飛相及。皆、今佛の大善根を種えて慈心を行ずる報によって彼国に倶生す。智慧・威徳・五欲を衆具して快樂安隱。亦た寒熱風火等の病なく、九惱苦なし。壽命は八萬四千歳を具足し、中夭あることなし。人身悉く長一十六丈。日日常に極妙安樂を受け、深禪定に遊んで以って樂器となす。唯三病あり。一者飮食。二者便利。三者衰老。
      女人年五百歳にして爾して乃ち行嫁す。一大城あり、翅頭末と名く。縱廣一千二百由旬。高さ七由旬。七寶もて莊嚴。自然に化生せる七寶樓閣あり。端嚴殊妙莊校清淨。窓牖間に諸寶女を列し、手中に皆眞珠の羅網を執る。雜寶莊校して以ってその上を覆ふ。に密に寶鈴を懸けて聲は天樂の如し。七寶行樹の樹間には渠泉あえい。皆七寶より成る。異色の水を流して更に相ひ暎發し、交横徐逝して相ひ妨礙せず。其岸の兩邊には純布金沙あり。街巷道陌は廣さ十二里。悉く皆な清淨にして猶ほ天園の如く掃灑清淨なり。大龍王あり、名けて多羅尸棄といふ。福徳威力皆悉く具足す。其池は城に近く龍王宮殿ありて七寶樓のごとく、外に顯現。常に夜半に人像を化作し、吉祥瓶を以て香色水を盛りて塵土に灑淹す。其地の潤澤なること譬へば油を塗ったるが如し。行人往來して塵坌あることなし。是れ時の世人の福徳の致すところなり。巷陌の處處に明珠柱あり。光は日の喩く、四方各八十由旬を照らす。純黄金色なり。其光照燿晝夜無異なり。燈燭の明は猶ほ聚墨のごとく、香風時に來って明珠柱を吹き、寶瓔珞を雨ふらす。衆人皆用ひて服する者、自然に三禪樂のごとし。處處に皆な金銀珍寶摩尼珠等ありて積て用て山をなす。寶山光を放って城内を普照あい、人民遇者皆悉く歡喜して菩提心を発す。大夜叉神あり。名けて跋陀婆羅塞迦(ぼつだばらせんさか)、秦には善教といふ。晝夜翅頭末城及び諸人民を擁護し灑掃清淨す。設ひ便利あるも地裂して之を受け受已って還合し赤蓮華を生じて以って穢氣を覆ふ。時世の人民、若し年衰老すれば自然に山林樹下に行詣し、安樂淡泊に念佛して盡を取る。命終すれば多くは大梵天上及び諸佛前に生じる。其土は安隱にして怨賊劫竊の患あることなし。城邑聚落閉門する者なし。亦た衰惱・水火・刀兵及び諸飢饉・毒害の難なし。人は常に慈心恭敬和順にして諸根を調伏すること子の父を愛するがごとく、母の子を愛するがごとし。語言謙遜なるは皆な彌勒の慈心の訓導による。不殺戒を持して肉を噉はざるがゆえに、此因縁を以て彼の國に生まるる者は諸根恬靜、面貌端正、威相具足して天童子のごとし。復た八萬四千の衆寳の小城あり、以って眷屬となす。翅頭末城は最其中に処す。男女大小、遠若しは近といえども、佛神力の故に兩つながら相見するを得て障礙するところなし。夜光摩尼・如意珠華は世界に遍滿し、七寳花を雨ふらす。鉢頭摩華・優鉢羅華・拘物頭華・分陀利華・曼陀羅華・摩訶曼陀羅花・曼殊沙花・摩訶曼殊沙華を其の地に彌布す。或復た風吹けば空中に迴旋す。時に彼の國界の城邑・聚落・園林・浴池・泉・河流・沼には自然に八功徳水あり。命命之鳥・鵝鴨・鴛鴦・孔雀・鸚
      鵡・翡翠・舍利・美音鳩・鵰羅・耆婆闍婆快見鳥等は妙音聲を出す。復た異類妙音の鳥ありて稱數すべからず。林池に遊集す。金色無垢淨光明華・無憂淨慧日光明華・鮮白七日香華・瞻蔔六色香華および百千萬種の水陸生華は青色青光、黄色黄光、赤色赤光、白色白光にして香淨きこと無比なり。晝夜常に生じて終に萎む時なし。如意果樹あり。香美にして無比、國界に充満す。香樹金光にして寶山間に生じ國界に充満し、適意の香を出して普く一切を熏ず。
      爾時、閻浮提中に常に好香あり。譬へば香山の如し。流水美好、味甘く除患す。雨澤隨時、天園に香美稻種を成熟す。天神力の故に一種に七穫あり。用功甚だ少く、收むる所甚だ多し。穀稼滋茂、草穢あることなし。衆生の福徳は本事の果報によって口に入れば銷化す。百味具足、香美無比、氣力充實。
      其國爾時に轉輪聖王あり。名けて曰く、穰佉。四種の兵を有し、威武をもってせずして四天下を治め、三十二大人相好を具す。王に千子あり。勇猛端正怨敵自伏。王に七寳あり、一に金輪寳、千輻轂輞皆悉く具足す。二に白象寳、白きこと雪山の如く七支柱を拄へ、嚴顯にして觀るべく、猶ほ山王の如し。三に紺馬寳、朱鬣髦尾にして足下に華生じ、七寶蹄甲あり。四に神珠寶。明顯にして觀るべく二肘より長し。光明にして宝を雨ふらし、衆生の願をかなふ。五に、玉女寶、顏色美妙、柔軟無骨。六に、主藏臣、口中より寶を吐き足下に寶を雨ふらし、兩手より寶を出す。七に主兵臣。身を動かす時、四兵雲の如く空より出る。千子・七寶・國界の人民、一切相視て悪意を懷かず、母の子を愛するがごとし。時に王の千子は各の珍寶を取って正殿前にて七寶臺をつくる。三十重にして高さ十三由旬、千頭千輪遊行自在なり。四大寶藏あり。一一の大藏に各の四億の小藏ありて圍繞す。伊鉢多(いはつだ)大藏は乾陀羅國にあり。般軸迦(はんじか)大藏は彌緹羅(みでいら)國にあり。賓伽羅大藏は須羅吒國にあり。穰佉(じょうきょ)大藏は婆羅㮈國古仙山處にあり。此の四大藏は自然に開發して大光明を顕し、縱廣正等にして一千由旬なり。中に珍寳を満たす。各四億小藏之に附く。四大龍あり。各自此四大藏及諸小藏を守護す。自然に踊出して形は蓮華のごとし。無央數の人、皆共に往いて觀る。是時衆寶を守護する者なきも衆人は之を見ても心不貪著なり。之を地に棄ること猶ほ瓦石草木土塊のごとし。時に人、見者は心に厭離を生じ各各相謂て而も是言を作す、「往昔の衆生、仏の説の如くんば、寶のための故に共相に殘害し、更に相偸劫・欺誑・妄語し生死の苦縁をして展轉増長せしめ。大地獄に堕す。」
      翅頭末城は衆寳羅網をその上に彌覆し、寶鈴にて莊嚴して微風吹動す。其音和雅にして鐘磬を扣くがごとし。歸依佛・歸依法・歸依僧を演説す。時に城中に大婆羅門主あり。名けて修梵摩(しゅぼんま)。婆羅門女の名は梵摩拔提(ぼんままつだい)なり。心性和弱にして彌勒は生を託して父母となす。胞胎に居ると雖も天宮に遊ぶがごとし。大光明を放って塵垢不障なり。身は紫金色にして三十二大丈夫相を具す。寶蓮華に座し、衆生之を視て厭足あることなし。光明晃耀して勝視すべからず。諸天世人の未だ曾って覩ざるところなり。身力無量。一一の節刀は一切の大力龍象に勝つ。不可思議毛孔の光明は照耀無量、障礙あることなし。日月星宿水火の珠光も皆な悉く現れざること猶し埃塵の如し。身は釋迦牟尼佛に長ずること八十肘三十二丈、脇廣二十五肘
      十丈、面長十二肘半、五丈なり。鼻高修直、面門に當る。身相具足、端正無比にして相好を成就す。一一の相は八萬四千好にして以って自ら莊嚴すること鑄金像の如し。一一の好中より光明を流出して千由旬を照らす。肉眼清徹青白分明なり。常に光は身を繞りて、百由旬に面し、日月・星宿・眞珠・摩尼・七寶行樹は皆な悉く明耀して佛光を現じ、其餘衆光は復た用をなさず。佛身は高顯にして黄金山の如し。見者は自然に三惡趣を脱す。
      爾時、彌勒、諦かに世間五欲の過患を観ずるに、衆生は苦を受け、長流に沈沒して大生死にあり。甚だ憐愍すべし。自ら如是の正念を以て苦空無常を観察して在家をたのしまず。家の迫迮を厭うこと猶し牢獄のごとし。時に穰佉王、諸の大臣・国土・人民と共に七宝臺のなかに千寶帳及び千寶軒。・千億寶鈴・千億寶幡・寶器千口・寶甕千口あるを持して弥勒に奉上す。彌勒受已りて諸婆羅門に施す。婆羅門は受已って即便ち毀壞して之を各に共分す。諸婆羅門は彌勒の能く大施を作すを觀見して大奇特心を生ず。彌勒菩薩は此の寶臺の須臾にして無常なるを見て、有爲法は皆な悉く磨滅するを知り、無常想を修して過去佛の清涼甘露無常之偈を讃ず。 「 諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅爲樂」
      此の偈を説き已って、出家學道して、金剛莊嚴道場龍花菩提樹下に坐す。枝は寶龍のごとく百寶華を吐く。一一の花葉は七寶色を作し、色色異果は衆生の意に適ふ。天上にも人間にも比あるなし。樹高五十由旬、枝葉四布して大光明を放つ。爾時、彌勒は八萬四千の婆羅門と倶に道場にいたり、彌勒即ち自ら剃髮して出家學道す。早く起きて家を出、即ち是日初夜において四種魔を降し、阿耨多羅三藐三菩提を成ず。即ち偈を説いて言く、 「久しく衆生苦を念じ 拔んと欲するも脱するに由なし。 今は菩提を証して 霍然無所礙なり。 亦た衆生空に達すれば 本性相如實にして 永く更に無憂苦なり。 慈悲亦無縁なり。 本と汝等を救んがために 國城及び頭目妻子と手足をも 人に施せること數あることなし。 今始めて解脱・無上大寂滅を得る。 當に汝等がために説く。

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