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2015年8月31日月曜日

「父の過剰な性衝動で何人かの女性が妊娠」文鮮明教祖の隠し子サム・朴氏のICSA発表の日本語訳を全文掲載

ICSAで発表するサム朴氏
本紙が昨夏報じたICSA年次会議での統一教会の故・文鮮明の隠し子の特別セッション、その日本語訳を公開する。

昨年7月米ワシントンD.C.で開催されたICSA(国際カルト学会)の年次カンファレンスに於いて文鮮明教祖の隠し子による特別セッションが行なわれたことは昨年のICSAレポートで伝えた。

昨年のレポートでは諸事情により公開できなかったセッションの内容を今回公表する。

セッションの映像自体は今年7月末にインターネット上で公開されていたが、今回本紙はその日本語訳を入手した。

文鮮明教祖が愛人に生ませ、米在住幹部の朴ホーヒの息子として育てられた男性による激白だ。(数字、年数などは当時のもの)
【サム朴氏 2014年7月】ICSAワシントンDCでの発表



私は、億万長者で統一教会の創始者であり、人類のメシアであると宣言した文鮮明牧師の隠し子(または、最近の記事で描かれたような「愛の子(不倫の子)」です。私の母は、スン.W.チョイ (Soon W. Choi 催淳華) で、アイコニック (象徴的な) 63階建てのゴールドのヘッドコーターととして知られている、今でも世界で一番大きな金で覆われた建物で、韓国で2番目に大きな保険会社、韓国生命保険の前オーナー、権威ある百万長者の貴族、チョイ家の子孫です。
私は、巨万の富と狂信、偽善の世界に生まれました。私の人生は、お金、セックス、権力、陰謀に満ち溢れた韓国ソープオペラのドラマのように読むことができま す。私は、権力がどのように腐敗し壊れるか、そして絶対的な権力が絶対性を壊すのを直接目撃しました。私は人が、善なる意図といっても、最後にはその手段を常に正当化してしまうという狂信的な正義感でもって捩じ曲げられ、地獄への道がどのようにして敷かれていくのかを見てきました。最近になって、私を日陰で生きるという人生―私の人生の大半―へと運命づけた、私の誕生を取り巻く環境による拒絶や秘密の心理状態が理解できるようになりました。
私は、ジョージワシントン大学で、副専攻科目、哲学と心理学の歴史の学士を持ち、同じ大学の財政学の経営学修士を修めています。この10年間、私の父と統一教会運動との、1999守秘の約束から元を発していることで、あの形、この形と、法廷で争っています。

私の母と同じように、かつて私は私の父、サンミョン文鮮明牧師は人類のメシアであると信じるように条件付けられていました。私の母と違って、私の母は彼女の母(私の祖母)によって統一教会に導かれましたが、私はそこに生まれてきたのです。私は、「改宗の経験」や家族との関係を絶つとか、それ以前の生活をあきらめるといったことを経験していません。教会が私の人生でしたが、自分について何かが違うと感じていました。その違いは私が12才の時、自然に現れてきま した、私の生理的両親は、実際、サンミョン文鮮明牧師とスン.W.チョイ (催淳華)イだということです。私が私の両親や兄弟だと(ボーヒ.パク (朴普熙) とその妻、キス..ヨン (尹基淑)、 そしてその子供達)思っていた人々は、私の父に、私の誕生から私を育てること、そして私の本当の両親のアイデンティティーを秘密にしておくことを命令されていました。それは、強制的な詐欺であり、そして数多くの父から母に成された未成就の約束事、それが、統一教会運動との私たちの法廷で争う核心なのです。
 

私の母の文鮮明牧師との関わり合いは17才の時、父が強制的に母の処女を奪った、1953年に始まりました。その時、父は母が彼の永遠の花嫁、又は、統一教会用語で「真の母」になるよう運命付けられているので、すみません。私はこれから、統一教会の特殊用語を使いたいと思います。あなた方のうちの何人かもし教会に従うならば、知っていると思います。しかし、あなた方の多くは知りません。もしかたら、これを見る可能性がある統一教会員たちがたくさんありますので、彼らのために役立ちます。私の父は私の母にこう言った ー彼は基本的に彼女をレイプしたー 天使長ルシファーがエバにしたことを元返しするために、母と性的関係を持てなければなりませんでした。父は、聖書でのエバは、17才の時に天使長ルシファー によって誘惑されて、それが聖書で記述されている人間の堕落の本当の原因だと教えたのです。統一教会員たちは、人間の堕落についてこのように考えていま す。
ま ず最初に父の霊的運動の初期の頃の発端から、私の母の家族(チョイ家)の中心的役割を意識せずして、私たちの、私の父と統一教会運動との関わり合う内容を 理解することはできません。ムーニーやムーニーでない人たちのどちらにも同様に、チョイ家族の「隠れた歴史」の意味は抗し難く、意味の深いものです。
1953年に私の父が私の祖母に会った時、祖母の名前から、祖母が父にとってとても重要な人物になることを知っていました。祖母の名前はダクサムリーで (李得三)、 文字通り「3を達成する」と訳します、それは韓国に標準でもかなり奇妙な名前でした。しかし、どのムーニーにとっても意味の深い名前で、なぜなら、原理の 中心的命令(統一教会の信仰的システム)、創世紀1:28、産めよ、増やせよ、創造物を主管せよという3大祝福を表していたからです。これは、「子を生ん で、多くなり,地に満ちて,それを従わせよ。そして,海の魚と天の飛ぶ生き物と地の上を動くあらゆる生き物を服従させよ」。
 
 
チョ イ家の豊かな富を所有していたので、私の祖母は50年代、60年代を通して何百万ドルを寄付することで、初期の統一教会の主要な財政後援者でした。実際、 初期の頃の教会では、祖母によって助けてもらわなかった魂はおそらく一人もいなかったくらいで、それが祖母が統一教会で、そのような愛すべき人物だったと いう理由です。50年代初期に百万ドルする館を売るのに付け加えて、教会に収入を寄付し、祖母は1,973年に亡くなるまで何十年も膨大な金額を寄付し続けました。
私の祖父、スン..チョイ (崔聖模) は、 その時代の本当の実業家でした。祖父は26才で自力で億万長者になり、(当時の百万ドルは本当に意味のある金額です)、そして、3度も財産を作ったり失ったりしたにもかかわらず、祖母が統一教会に入った1950年初期には、10億ドル企業に成長する可能性を秘め、そしてそのように成長した、シン・ドン・ア・グループ(チョイ家の所有する複合企業体)の基礎を固く築き上げました。祖父のビジネスが拡張するにつれて、祖父の影響は、韓国、ソウルの権力への道へ と繋がっていきました。多くの機会に、パクチョンヒー時代、当時の大統領パクチョンヒー (朴正熙) の個人的なリクエストで、ワシントンDCにアメリカとの貿易交渉をリードする為に使わされました。祖父は、パクチョンヒー時代の間、ブルーハウスのダイレクトホットラインを持ち、アメリカでの経済アドバイザーの評議会に似た組織の長、経済のポリシーについて大統領にすぐ近くでアドバイスしていました。
私の祖父は、エリートビジネスグループを作り、祖父の個人的に近い友人であるサムソン(三星) グループの創始者であるピョンチョルリー (李秉喆) の 次に、韓国で2番目(税金の支払額で判断すると)のお金持ちになりました。皮肉ですが、しかし彼らが、韓国で最も裕福な二人が会って食事をすると、たいて い最後にはビジネスではなく、家族とか子供のことについて話すことになってしまいました。このことから、彼はどのようなタイプの人だったのか、理解できま す。祖父の成功や権力にもかかわらず、祖父にとって最も何が大事かというと、子供達や従業員の幸福でした。心底、祖父は謙遜で崇高な人物であり、その世代 では最も道徳的な実業家と思われていました。私と母はそのことが最も誇りに思っています。特に、その時代は、韓国で多く汚職がありました。そして、基本的 には今でも、そのような汚職が続いています。
こ の家族の地位を与えられることで、私の父がチョイ家の支援を得るのに釘付けにされたのが容易に分かります。私の祖父の支援で、権力への道(ブルーハウ ス)、そして財源が、父の初期の運動に大きく開かれたかもしれないのです。ちゃんとした後ろ盾によって、どのくらい高く昇れたか測りしれません。私の父に とって、チョイ家は、父のメシアとしての夢を成就する為の冠の宝石だったのです。ムーニーではない人にとっては、次のことは馬鹿げたことですが、勘弁して 下さい、私の父は繰り返し母に、神はチョイ家を通して人類歴史全てを成就し ようとしていると言っていました。父は、私の祖父が歴史的大天使の立場に立っており、私の二人の叔父(私のは母の弟達)は歴史的カインとアベルの立場にあ り、そして私の母と姉は(二人とも、祖母が1953年に教会に入った後、その後すぐ入りました)、歴史的なレアとラケルの立場に立っていると信じていまし た。
私の父は、血のつながった姉妹と結婚して、彼女達とそしてその僕達との間に、12人の息子をもうけて、聖書のヤコブの人生をモデルとしなくてはならないと信じていました。ヤコブのように、父は最初、年上の姉(私のおば)と1960年に結婚し、7年後に離婚して、その後もっと気に入っている妹、私の母と結婚することを計画していました。1960年に至る間に、教会のほとんどの者は、父の私のおばと母の二人との結婚の計画を知っており、私の母が統一教会の本来の 「真の母」であることを認めていました。父によると、もし父が父のミッションを正しく遂行するとしたら、ヤコブがやったことをモデルとして、チョイ家の家 族の中でのこのような重大な関係をきちんと行う必要がありました。
 
 
不幸なことに、父の過剰な性衝動のせいで、何人かの他の女性との意図しない妊娠を引き起こすことになり、おばの父への信仰は地に落ち、ついには、1959年 末の公式な約婚のすぐ後に統一教会を去ることになりました。このような全てのものは、ほとんど誰にも分かりません。これは隠された歴史であります。都合のいいのために彼らは静かにして、隠しました。それは破門だ、そして彼らが1960年 から人々を教えていてきたことに対して矛盾しています。私のおばが婚約を破棄した後、父は急降下していきました。7年に及び育んできた父のミッションにとって中心的な関係は、単純に蒸発してしまいました。自分自身の責任を認めるよりもむしろ、父は私の叔母さんとチョイ家が彼を失敗させたと責めました。これは、文鮮明の典型的な手口です。自分以外を責めるよりも責任転換をして、すべて他の人を責めます。しかしながら、父にはジレンマがありました、「天のスケジュール」を守り、40才の時の60年の春には結婚しなくてはならなかったのです。ムーニーは、40という数字は、宇宙的重要な意味を持っていると信じ ており、ほぼ4ヶ月という期間の間に、早急に花嫁を見つける必要があったのです。
リバウンドした状態について話しましょう。父がハン.ジャ.ハ ク(韓鶴子)、現在のムーン夫人、を妻として選んだ時に、何が起こったかというと、基本的にこういうことです。私のおば達の裏切りを、父の権威と願いに対する個人的な反抗と信じた為に、チョイ家族から拒絶されたと感じることで、韓鶴子、現在のムーン夫人を選ぶことになったのです。唯一新しい花嫁を見つける 基準は、彼女は、「無名」であり、両親の許可のいらない娘であるということでした。10代の娘として、韓鶴子は、賢くて働き者で、可愛い娘でしたが、彼女にとって不幸なことに、無知で冷酷な母がいたことです。多くの点で、韓鶴子は、彼女のシングルマザーと既婚の男性との、この男性と彼女は女中として台所で働くことになった統一教会に入る前に、同性セックスのカルトに参加していました、その間の情事の不法の産物だったという状況の犠牲者でした。韓鶴子が、生理的な父が自分の子として主張しなかったので、両親の許可は問題ではありませんでした。
 
 

1964年に早送りすると、物事は、私の父と世界を制覇するという父の壮大な計画にとってうまくいきませんでした。1960年のメシアと完全な花嫁、韓鶴子との聖 なる結婚の4年後、世界はほとんど気づくことはありませんでした。1960年のメンバーの一般的な信仰を理解しなくてはなりません。ムーニーは実際、私の 父と韓鶴子が結婚するなり、天が開き、世界がかしづき、父をメシアとして、そしてその妻を全人類の真の母として認めると考えていましたが、これは、カルト にありがちなマジカルな考え方の兆候です。現実は、しかしながら、大きな落胆でした。エイジン、彼らの長子、は「天の王子」として最初に宣言されるはずで したが、結果として女の子でした。ハエジン、3番めの子は、産まれてすぐ亡くなりました。メンバーはなかなか増えず、経済的にも未だ困難でした。これは、 この期間、富と影響力を広げ繁栄していった私の祖父との明白な相違でした。父は韓鶴子と結婚したことは間違っていたという結論に達し、軌道修正をして、 チョイ家との本来のプラン(チョイ家の摂理)に戻る必要がありました。
1964年の春の、私の母のジョージタウン大学で学士論文を続ける為にアメリカへいく決意は、即座に父に父の計画を実行に移させることになりました。基本的に母は、ソウルの父からは慣れて、いくらかでも韓鶴子に息がつける余裕をあげたかったのです。1960年 に韓鶴子が父と結婚してからというもの、韓鶴子と母はとても居心地が悪く、というのも教会の全ての人が韓鶴子は、彼女には決して予定されていなかった立場 を占領していたのを知っていたということを、分かって下さい。これが、韓鶴子のお母さんが、彼女に父との息子を出来るだけ多く産むように勧めた理由です。 なぜなら、それぞれの付加される息子によって、父に対してのコントロールを強めることができるからです。
 
 

それにもかかわらず、父は決意を固め、計画を確実にするために、そして母を失わないよう、韓国、ソウルのチョンピョンの宿所で内密の統一教会公認のセレモニーをして、1964年 に母と結婚しました。父にとって、何が重大な局面だったのかわかるでしょう。もし母がアメリカに旅立てば、母を失い、そしてそれによって、チョイ家の富に アクセスする可能性を失うことを恐れたのです。そして又、母を失うということは、私の祖父の報酬から父と教会を守る唯一の事柄は、私の母の父と教会への忠 誠心と献身だったので、実在の危機に父が直面することになるのです。そして最も重要なことは、ムーニーによると、私の母と結婚し、母をして子供を持つとい うことで、父はヤコブの人生やその路程をモデルとすること、統一原理によれば父にとって最も重要な命令、に成功することになったのです。それ以来、何か他 のものに変更されました。今の原理講論は、以前にあったものとはかなり異なっています。彼らは、彼(文鮮明)が現在と結婚したムン夫人(韓鶴子)後に起 こった事実に合わせてそれを調整し、微調整しなければなりませんでした。
母がアメリカに着くやいなや、母を妊娠させるというたった一つの目的のために、全てを危険にさらして (これは私の父自身のことばです)、1965年すぐに父は母を追ってアメリカに行きました。父が唯一母の側を離れたのは、母が妊娠したという確認をした後で、私は次の年の1966年1月に生まれました、そして後は知っての通りです。問題の真実は、私が生まれた時に、父がはっきりと、父の意図をチョイ家の摂理に戻ることを明確にさせた ので、ムーン夫人が私の母のために、父の妻や「真の母」としての彼女の立場を退いて、空ける準備をしたことを、私の祖母に伝えたことです。ですが、韓鶴子 を退けて統一教会でいう「真の母」の正しい立場に母をつけるという計画を、父から全うするのを妨げたのは母の同情だったのです。母は、韓鶴子の可能性を信 じたかったし、また女性として、韓鶴子や彼女の4人の子供達にとって代わる心をもっていませんでした。
その理由は、彼女は私が生まれた後、私をあきらめなければならなかったです。彼女はそれを理解しました。今思えば、もし母が今知っていることをその時に知っ ていたら、もっと大きく違ったアプローチをしていたことでしょう。私が生まれた後、父は母ともっと子供を持ちたがったのですが、母は拒否しました、なぜな ら、私の祖父や世界から秘密として隠されておく為に、その後生まれてくる子供達が母から取り上げられ、他の家族に育てられることに心を痛め、耐えられな かったからです。
 

今 説明したことは、統一教会の本当の隠された歴史です。歴史的記録を正すためにこの壇上に立つのに、長くかかりましたが、ついにこの日がきて、この秘密から の重荷をおろすことができたことに、ほっとしています。統一教会や統一教会の「真の母」としてのムーン夫人や、「真の子女」としての彼女の子供達の同法制 や統一原理による合法的後継者とのかかわり合いを出すと、なぜ統一教会運動がこの情報を覆って隠しておきたがったのか、又なぜ、秘密を維持し、秘密として おこうとして異常な法的な長さになったのか、簡単にわかります。母が統一教会の正しい「真の母」であることを証すのは、そんなに難しくありません、という のはムーン夫人は、19661967の 時間わくの間に、私の母に彼女の位置を空ける準備をしていた時、すでにそうしていたからです。しかし、莫大な富と特権や絶対的権力のへつらいの世界に包ま れた時間の経過の中で、韓鶴子がどのように若い頃の意識からずれていったのか容易にわかります。それに加えて、彼女自身の母親によって育てられた悲しい現 実、そして、今日だいたいが彼女を非難する彼女自身の子供達をちゃんと育てる技術を全く発達させられなかったのが、簡単にみてとれます。統一教会運動に対 しての全うな相続人であることの私の主張の真価を示すのは、私の誕生のタイミングと状況を見てもらえばとても簡単です。
も し、韓鶴子が統一教会運動の真の母として運命づけられていたなら、なぜ私の父が、「神性で聖なる」結婚から抜け出して、私を作ったのでしょうか?そしてな ぜ、その時、父は私の母に、そうすることは「全てを危険にさらす」と言ったのでしょうか。ところで私の本では、それは、統一教会の感覚でいうと、私はかな り重要な宇宙的なやつとなって、それが何人かの私の義理の兄弟が私を嫌うか冷淡な理由のひとつです。ムーン家のサイクルを濫用し、自己陶酔型人格ディス オーダーに傾いた性癖、これは親から子へと受け継がれていく、そして思い違いの絶対的考え方の(彼らは特別で、それゆえにメンバーを虐待してもいい)せい なのですから、それは私としては大丈夫です。このダイプの考え方や態度というのは、私が彼らと分かち合えないものです。
 
 
さ てどうか考え違いをしないで下さい。私は、次のメシアやそのたぐいの何かになろうと運動をしているのではありません、というのは率直に、関心がないだけで なくて、他の人の費用で人より優れているとか、特別だと感じなくてはならない必要性に苦しんでいるわけではないからです。」
ドナ (Donna):「彼は、そう言っているですが、本当はそれを望んでいます。」

サム (Sam):「本当ですか?! … 私はなさけなくも、自分の限界を知っていますし、神に近づくために誰もが私が必要などと考えることがないほど、賢いです。自分が『特別』だとか、神が何を望んでいるを知る本当の洞察力があるとか、を主張したり信じたりすることは、全くのエゴ証明へのすべりやすい坂道です。
私の母と私は、ほとんどの人にはとても理解することがむずかしい、ユニークな人生を送ってきました。私たちにとっては、私たちだけが知り得る唯一の人生です ので、他と比較することはできませんが、外から見ると、今はその目新しさに感謝します。しかしながら、私たちの回復への道は、このへやの多くの人と同じよ うに、長くてつらい闘いでした、愛する人たちと、理解を超えた慈悲と愛の宇宙の存在のサポートなしでは、私たちはやってこれませんでした。私たちは普通の 人のように見え、聞こえるかもしれませんが、私たち自身に永遠に刻み込まれた傷跡があるのです。私の好きな引用文は、カリル・ギブランの言葉で、彼はこう言っています:『哀しみがよりあなたの本質に深く刻み込まれる程に、喜びを満たすことができる』」
 
 
私たちは恵まれていると思います。なぜなら、私たちは多くのことを乗り越えました。私たちはずっと耐えてきたので、今はより多くを共有することができます。したがって、この全体的な経験から、祝福されきました。そして、ICSAに来ることはだけで驚くべきこととなっています。ここには、多くの, SGA(二世の大人)、学者そして、俗人がいます。それは今後の私にとって非常に強力と勇気を与える経験となっています。人たちが自分の経験から立ち上がると癒すために希望と方法があります。ありがとうございます。みなさんにありがとうございます。
母は17才 の年に、父からの性的搾取に耐え、この同じ人の為に権威者によって逮捕され、尋問され、この同じ人を擁護して10億ドルの相続を見捨て、同じ人のために秘 密裏に息子を身ごもり、そしてその息子を差し出すように強いられ、そして今や他の多くのムーニーの人生と同じように、父と統一教会運動のおかげで、私たち がこうむった強制的な支払いのための5年に渡る法廷での争いのために、抵当流れと破産に瀕しています。私、私の場合は、自らの自己陶酔のために情的に頼ることのできない人からの承認を、長い年月をかけて求めてきました。私自身の息子をもって、息子を見捨てて、息子のいない人生を生きることは、とうてい 想像することができないので、どんなに父の人生の選択が、悲惨なものであったかが、今わかります。私の父は、本当に悲しく悲惨な人間です。父についての最低線は、これです:全人類の真の父としてのメシアであると主張することのできない者であり、そして、自分の息子の父親でもない。それは、究極の偽善です。
私 が述べたように、この5年以上に渡って、母と私は、父と統一教会運動におかげをこうむった法廷闘争に巻き込まれています。わかるでしょうか、2千万ドル (私たちの法的クレームの価値)は誰の基準でも大金ですが、日本で、霊的恐喝によって強制的に集められた資金をとり戻す、または再請求する為に訴訟した人 たちと同じように、私たちは、原理的に、1953年 から始まって20年以上にもわたって、私の祖母とチョイ家が献金した何百万ドルに関して、していると信じています、もう一度繰り返しますが、今日のドルに すると実際2千万ドルの価値に相当してあまりあるものなので、統一教会運動はかなりのディスカウントをされているのです。もう一度、最低限はこうです:私 の祖母や母は、統一教会運動がこのようになったことには、署名しませんでした。二人とも、個人崇拝や、特に日本での多くの者が貧窮にさせられた、メンバー に対する霊的、経済的奴隷制に署名しませんでしたし、ムーン一家が住んでいるへつらいで作られたまゆを維持し強化する、韓国人を中心としたエリート支配層 の創造の為に署名しませんでした。もし統一教会が少しでも実行可能で法的な組織になろうと望むのなら、その名前どうりに、統一に 立ち戻る必要があります。メンバーの大多数が何もない一方、なぜムーン一家が、莫大な何十億という海外の預金をもっているのかは、欲と腐敗いがいのなにも のでもありません。ことわざでは、慈善は家庭で始まるといわれ、統一教会運動が一つの世界家族を作るという創立の要求に生きる時であり、ただのリップサー ビスだけになってはならないのです。私たちが、表に出てきた私たちの望みは、今が、統一教会運動がこうなったといううそに参加することを止めて、自分達の 力を取り戻す勇気をもつようインスパイヤーさせるためです。
そして、熱心に私の話を聞いて下さったことに対して感謝しています。



人々は疑問に思えるので、私はドナに話しを任せる前にもう一つのポイントを伝えたいと思います。なぜもっと早く前面に出て、ナン.スク.ホン(洪蘭淑)とドーナ(Donna) をサポートしなかったのかについて、もう一点あります。単純に私はナイーブだったと、今、気づきます。父との和解に集中していました。教会ではいろいろな ことがあっても、とにかく、彼は私の生理的な父親であり、彼の息子として、私は本当に彼が私を愛していたと信じたかた。彼は本当に少しでも私のこと思って いたと信じたかた。それを手放すことは、最も困難なことでした。訴訟の価値よりも、法的費用に多くを費やすという法廷闘争のようなものを経験すると、そう いった人たちの性質がわかるというものです。このように血縁を取り扱うとか、特に、私の母の犠牲は、私を本当に大きく変化させました、しかし、いくらか後になるまでそれを経験しなかったので、遅くなりました。そして、それが私の転換が起こったときで、私が今いる所にくるのに長くかかった理由です。しかし、 少なくとも、今日ここに来れたということ、それが最も重大なことです。私は、みんなに感謝したいと思います。





私は、億万長者で統一教会の創始者であり、人類のメシアであると宣言した文鮮明牧師の隠し子(または、最近の記事で描かれたような愛の子ども)です。私の母は、スンWチョイ(崔順華)で、アイコニック63階建てのゴールドのヘッドコーターととして知られている、今でも世界で一番大きな金で覆われた建物で、韓国で2番目に大きな保険会社、韓国生命保険の前オーナー、権威ある百万長者の貴族、チョイ家の子孫です。
私は、巨万の富と狂信、偽善の世界に生まれました。私の人生は、お金、セックス、権力、陰謀に満ち溢れた韓国ソープオペラのドラマのように読むことができます。私は、権力がどのように腐敗し壊れるか、そして絶対的な権力が絶対性を壊すのを直接目撃しました。私は人が、善なる意図といっても、最後にはその手段を常に正当化してしまうという狂信的な正義感で以って捩じ曲げられ、地獄への道がどのようにしてしかれていくのかを見てきました。最近になって、私を日陰で生きるという人生―私の人生の大半―へと運命づけた私の誕生を取り巻く環境による拒絶や秘密の心理状態が理解できるようになりました。
私は、ジョージワシントン大学で、副専攻科目、哲学と心理学の歴史の学士を持ち、同じ大学の財政学の経営学修士を修めています。この10年間、私の父と統一教会運動との守秘の約束事から元を発したことで、法廷で争っています。

私の母と同じように、かつて私は私の父、サンミョンムーン(文鮮明)は人類のメシアであると信じるように条件付けられていました。私の母と違って、私の母は彼女の母(私の祖母)によって統一教会に導かれましたが、私はそこに生まれてきたのです。私は「改宗の経験」や家族との関係を絶つとか、それ以前の生活を諦めるといったことを経験していません。教会が私の人生でしたが、自分について何かが違うと感じていました。その違いは私が12才の時、自然に現れてきました、私の生理的両親は、実際、サンミョンムーンとサンWチョイだということです。私が私の両親や兄弟だと(朴ホーヒとその妻、キスクヨン、そしてその子供たち)思っていた人々は、私の父に、私の誕生から私を育てること、そして私の本当の両親のアイデンティティーを秘密にしておくことを命令されていました。それは、強制的な詐欺であり、そして数多くの父から母に成された未成就の約束事、それが、統一教会運動との私たちの法廷で争う核心なのです。
私の母のサンミョンムーン(文鮮明)との関わり合いは17才の時、父が強制的に母の処女を奪った、1953年に始まりました。その時、父は母が彼の永遠の花嫁、又は、統一教会用語で「真の母」になるよう運命付けられているので、大天使ルシファーが若いエバにしたことを元返しするために、母と性的関係を持たなくてはならないと言いました。父は、聖書でのエバは、エバが17才の時に大天使ルシファーによって誘惑されて、それが聖書で記述されている人間の堕落の本当の原因だと教えたのです。

まず最初に父の霊的運動の初期の頃の発端から、私の母の家族(チョイ家)の中心的役割を意識せずして、私たちの、私の父と統一教会運動との関わり合う内容を理解することはできません。ムーニー(統一教会信者)やムーニーでない人たちのどちらにも同様に、チョイ家族の「隠れた歴史」の意味は抗し難く、意味の深いものです。
1953年に私の父が私の祖母に会った時、祖母の名前から、祖母が父にとってとても重要な人物になることを知っていました。祖母の名前はダクサムリーで、文字通り「3を達成する」と訳します、それは韓国に標準でもかなり奇妙な名前でした。しかし、どのムーニーにとっても意味の深い名前で、なぜなら、原理の中心的命令(統一教会の信仰的システム)、創世紀1:28、産めよ、増やせよ、創造物を主管せよという3大祝福を表していたからです。

チョイ家の豊かな富を所有していたので、私の祖母は50年代、60年代を通して何百万ドルを寄付することで、初期の統一教会の主要な財政後援者でした。実際、初期の頃の教会では、祖母によって助けてもらわなかった魂はおそらく一人もいなかったくらいで、それが祖母が統一教会で、そのような愛すべき人物だったという理由です。50 年代初期に百万ドルする館を売るのに付け加えて、教会に収入を寄付し、祖母は1973年に亡くなるまで何十年も膨大な金額を寄付し続けました。

私の祖父、スンモチョイは、その時代の本当の実業家でした。祖父は26才で自力で億万長者になり、(当時の百万ドルは本当に意味のある金額です)、そして、3度も財産を作ったり失ったりしたにもかかわらず、祖母が統一教会に入った1950年初期には、10億ドル企業に成長する可能性を秘め、そしてそのように成長したシン・ドン・ア グループ(チョイ家の所有する複合企業体)の基礎を固く築き上げました。祖父のビジネスが拡張するにつれて、祖父の影響は、韓国、ソウルの権力への道へと繋がっていきました。多くの機会に、パクチョンヒー時代、当時の大統領パクチョンヒーの個人的なリクエストで、ワシントンDCにアメリカとの貿易交渉をリードする為に使わされました。祖父は、パクチョンヒー時代の間、ブルーハウスのダイレクトホットラインを持ち、アメリカでの経済アドバイザーの評議会に似た組織の長、経済のポリシーについて大統領にすぐ近くでアドバイスしていました。

私の祖父は、エリートビジネスグループを作り、祖父の個人的に近い友人であるサムソングループの創始者であるピョンチョルリーの次に、韓国で2番目(税金の支払額で判断すると)のお金持ちになりました。皮肉ですが、しかし彼らが、韓国で最も裕福な二人が会ってランチをすると、たいてい最後にはビジネスではなく、家族とか子供のことについて話すことになってしまいました。このことは、このようなタイプの人であることを物語っています。祖父の成功や権力にもかかわらず、祖父にとって最も何が大事かというと、子供達や従業員の幸福でした。心底、祖父は謙遜で崇高な人物であり、その世代では最も道徳的な実業家であると思われており、私と母が最も尊敬する事実なのです。

この家族の地位を与えられることで、私の父がチョイ家の支援を得るのに釘付けにされたのが容易に分かります。私の祖父の支援で、権力への道(ブルーハウス)、そして財源が、父の初期の運動に大きく開かれたかもしれないのです。ちゃんとした後ろ盾によって、どのくらい高く昇れたか測りしれません。私の父にとって、チョイ家は、父のメシアとしての夢を成就する為の冠の宝石だったのです。ムーニーではない人にとっては、次のことは馬鹿げたことですが、勘弁して下さい、私の父は繰り返し母に、神はチョイ家を通して人類歴史全てを成就しようとしていると言っていました。父は、私の祖父が歴史的大天使の立場に立っており、私の二人の叔父(私のは母の弟達)は歴史的カインとアベルの立場にあり、そして私の母と姉は(二人とも、祖母が1953年に教会に入った後、その後すぐ入りました)、歴史的なレアとラケルの立場に立っていると信じていました。

私の父は、血のつながった姉妹と結婚して、彼女達とそしてその僕達との間に、12人の息子をもうけて、聖書のヤコブの人生をモデルとしなくてはならないと信じていました。ヤコブのように、父は最初、年上の姉(私のおば)と1960年に結婚し、7年後に離婚して、その後もっと気に入っている妹、私の母と結婚することを計画していました。1960年に至る間に、教会のほとんどの者は、父の私のおばと母の二人との結婚の計画を知っており、私の母が統一教会の本来の「真の母」であることを認めていました。父によると、もし父が父のミッションを正しく遂行するとしたら、ヤコブがやったことをモデルとして、チョイ家の家族の中でのこのような重大な関係をきちんと行う必要がありました。

不幸なことに、父の過剰な性衝動のせいで、何人かの他の女性との意図しない妊娠を引き起こすことになり、おばの父への信仰は地に落ち、ついには、1959年末の公式な約婚のすぐ後に統一教会を去ることになりました。私のおばが婚約を破棄した後、父は急降下していきました。7年に及び育んできた父のミッションにとって中心的な関係は、単純に蒸発してしまいました。自分自身の責任を認めるよりもむしろ、父は私のおばおチョイ家が父を失敗させたと責めました、これは、自分以外の人全てを責めるという典型的な手口、責任転嫁のサンミョンムーンです。しかしながら、父にはジレンマがありました。「天のスケジュール」を守り、40才の時の60年の春には結婚しなくてはならなかったのです。ムーニーは、40という数字は、宇宙的重要な意味を持っていると信じており、ほぼ4ヶ月という期間の間に、早急に花嫁を見つける必要があったのです。

リバウンドした状態について話しましょう。父が韓鶴子、現在のムーン夫人を妻として選んだ時に、何が起こったかというと、基本的にこういうことです。私のおば達の裏切りを、父の権威と願いに対する個人的な反抗と信じた為に、チョイ家族から拒絶されたと感じることで、韓鶴子、現在のムーン夫人を選ぶことになったのです。唯一新しい花嫁を見つける基準は、彼女は、「無名」であり、両親の許可のいらない娘であるということでした。10代の娘として、韓鶴子は、賢くて働き者で、可愛い娘でしたが、彼女にとって不幸なことに、無知で冷酷な母がいたことです。多くの点で韓鶴子は、彼女のシングルマザーと既婚の男性との(この男性と彼女は女中として台所で働くことになった統一教会に入る前に、同性セックスのカルトに参加していました)その間の情事の不法の産物だったという状況の犠牲者でした。韓鶴子は、生理的な父が自分の子として主張しなかったので、両親の許可は問題ではありませんでした。

1964年に早送りすると、物事は、私の父と世界を制覇するという父の壮大な計画にとってうまくいきませんでした。1960年のメシアと完全な花嫁、韓鶴子との聖なる結婚の4年後、世界はほとんど気付くことはありませんでした。1960年のメンバーの一般的な信仰を理解しなくてはなりません。ムーニーは実際、私の父と韓鶴子が結婚するなり、天が開き、世界が傅き(かしづき)、父をメシアとして、そしてその妻を全人類の真の母として認めると考えていましたが、これは、カルトにありがちなマジカルな考え方の兆候です。しかしながら現実は、大きな落胆でした。エイジン、彼らの長子は「天の王子」として最初に宣言されるはずでしたが、結果として女の子でした。ハエジン、3番めの子は、産まれてすぐ亡くなりました。メンバーはなかなか増えず、経済的にも未だ困難でした。これは、この期間、富と影響力を広げ繁栄していった私の祖父との明白な相違でした。父は韓鶴子と結婚したことは間違っていたという結論に達し、軌道修正をして、チョイ家との本来のプラン(チョイ家の摂理)に戻る必要がありました。

1964年の春の、私の母のジョージタウン大学で学士論文を続ける為にアメリカへ行く決意は、即座に父に父の計画を実行に移させることになりました。基本的に母は、ソウルの父から離れて、いくらかでもムーン夫人に息がつける余裕をあげたかったのです。1960年に韓鶴子が父と結婚してからというもの、韓鶴子と母はとても居心地が悪く、というのも教会の全ての人が韓鶴子は、彼女には決して予定されていなかった立場を占領していたのを知っていたということを、分かって下さい。これが、韓鶴子のお母さんが、彼女に父との息子を出来るだけ多く産むように勧めた理由です。なぜなら、それぞれの付加される息子によって、父に対してのコントロールを強めることができるからです。
それにもかかわらず、父は決意を固め、計画を確実にするために、そして母を失わないよう、韓国、ソウルのチョンピョンの宿所で内密の統一教会公認のセレモニーをして、1964年に母と結婚しました。父にとって、何が重大な局面だったのかわかるでしょう。もし母がアメリカに旅立てば、母を失い、そしてそれによって、チョイ家の富にアクセスする可能性を失うことを恐れたのです。そして又、母を失うということは、私の祖父の報酬から父と教会を守る唯一の事柄は、私の母の父と教会への忠誠心と献身だったので、実在の危機に父が直面することになるのです。そして最も重要なことは、ムーニーによると、私の母と結婚し、母をして子供を持つということで、父はヤコブの人生やその路程をモデルとすること、統一原理によれば父にとって最も重要な命令に成功することになったのです。
母がアメリカに着くやいなや、母を妊娠させるというたった一つの目的のために、全てを危険にさらして (これは私の父自身のことばです)、1965年すぐに父は母を追ってアメリカに行きました。父が唯一母の側を離れたのは、母が妊娠したという確認をした後で、私は次の年の1966年1月に生まれました、そして後は知っての通りです。問題の真実は、私が生まれた時に父がはっきりと、父の意図をチョイ家の摂理に戻ることを明確にさせたので、ムーン夫人が私の母のために、父の妻や「真の母」としての彼女の立場を退いて、空ける準備をしたことを、私の祖母に伝えたことです。ですが、韓鶴子を退けて統一教会でいう「真の母」の正しい立場に母をつけるという計画を、父から全うするのを妨げたのは母の同情だったのです。母は、韓鶴子の可能性を信じたかったし、また女性として、韓鶴子や彼女の4人の子供たちに取って代わる心を持っていませんでした。後知恵ですが、もし母が今知っていることをその時知っていたら、もっと大きく違ったアプローチをしていたことでしょう。私が生まれた後、父は母ともっと子供を持ちたがったのですが、母は拒否しました、なぜなら、私の祖父や世界から秘密として隠されておく為に、その後生まれてくる子供達が母から取り上げられ、他の家族に育てられることに心を痛め、耐えられなかったからです。

今説明したことは、統一教会の本当の隠された歴史です。歴史的記録を正すためにこの壇上に立つのに、長く掛かりましたが、ついにこの日がきて、この秘密からの重荷を降ろすことができたことに、ほっとしています。統一教会や統一教会の「真の母」としてのムーン夫人や「真の子女」としての彼女の子供達の同朋性や統一原理による合法的後継者との関わり合いを出すと、何故統一教会運動がこの情報を覆って隠しておきたがったのか、又なぜ、秘密を維持し、秘密としておこうとして異常な法的な長さになったのか、簡単に分かります。母が統一教会の正しい「真の母」であることを証すのは、そんなに難しくありません、というのはムーン夫人は、19661967の時間枠の間に、私の母に彼女の位置を空ける準備をしていた時、すでにそうしていたからです。しかし、莫大な富と特権や絶対的権力の諂い(へつらい)の世界に包まれた時間の経過の中で、韓鶴子がどのように若い頃の意識からズレていったのか容易に分かります。それに加えて、彼女自身の母親によって育てられた悲しい現実、そして、今日大体が彼女を非難する彼女自身の子供たちをちゃんと育てる技術を全く発達させられなかったのが、簡単にみてとれます。統一教会運動に対しての全うな相続人であることの私の主張の真価を示すのは、私の誕生のタイミングと状況を見てもらえばとても簡単です。もし韓鶴子が統一教会運動の真の母として運命づけられていたなら、なぜ私の父が、「神性で聖なる」結婚から抜け出して、私を作ったのでしょうか?そしてなぜ、その時、父は私の母に、そうすることは「全てを危険にさらす」と言ったのでしょうか。ところで私の本では、それは統一教会の感覚でいうと、私はかなり重要な宇宙的な奴となって、それが何人かの私の義理の兄弟が私を嫌うか冷淡な理由のひとつです。ムーン家のサイクルを濫用し、自己陶酔型人格ディスオーダーに傾いた性癖、これは親から子へと受け継がれていく、そして思い違いの絶対的考え方の(彼らは特別で、それゆえにメンバーを虐待してもいい)せいなのですから、それは私としては大丈夫です。このダイプの考え方や態度というのは、私が彼らと分かち合えないものです。
さてどうか考え違いをしないで下さい。私は、次のメシアやその類(たぐい)の何かになろうと運動をしているのではありません、というのは率直に、関心がないだけでなくて、他の人の費用で人より優れているとか、特別だと感じなくてはならない必要性に苦しんでいるわけではないからです。私は情けなくも、自分の限界を知っていますし、神に近づくために誰もが私が必要などと考えることがないほど賢いです。自分が「特別」だとか、神が何を望んでいるを知る本当の洞察力があるとか、を主張したり信じたりすることは、全くのエゴ証明への滑りやすい坂道です。

私の母と私は、殆どの人にはとても理解することが難しいユニークな人生を送ってきました。私たちにとっては、私たちだけが知り得る唯一の人生ですので、他と比較することはできませんが、外から見ると、今はその目新しさに感謝します。しかしながら、私たちの回復への道は、この部屋の多くの人と同じように、長くてつらい闘いでした、愛する人たちと、理解を超えた慈悲と愛の宇宙の存在のサポートなしでは、私たちはやってこれませんでした。私たちは普通の人のように見え、聞こえるかもしれませんが、私たち自身に永遠に刻み込まれた傷跡があるのです。
私の好きな引用文は、カリル・ギブランからので、彼はこう言っています「哀しみがよりあなたの本質に深く刻み込まれる程に、喜びを満たすことができる」

母は17才の年に、父からの性的搾取に耐え、この同じ人の為に権威者によって逮捕され、尋問され、この同じ人を擁護して10億ドルの相続を見捨て、同じ人のために秘密裏に息子を身ごもり、そしてその息子を差し出すように強いられ、そして今や他の多くのムーニーの人生と同じように、父と統一教会運動のおかげで、私たちがこうむった強制的な支払いのための5年にわたる、法廷での争いのために、抵当流れと破産に瀕しています。私の場合は、自らの自己陶酔のために情的に頼ることのできない人からの承認を、長い年月をかけて求めてきました。私自身の息子を持って、息子を見捨てて息子のいない人生を生きることは、とうてい想像することができないので、どんなに父の人生の選択が、悲惨なものであったかが、今分かります。私の父は、本当に悲しく悲惨な人間です。父についての最低線は、これです。全人類の真の父としてのメシアであると主張することのできない者であり、そして、自分の息子の父親でもない。それは、究極の偽善です。

私が述べたように、この5年以上にわたって、母と私は、父と統一教会運動のおかげをこうむった法廷闘争に巻き込まれています。分かるでしょうか、2千万ドル(私たちの法的クレームの価値)は誰の基準でも大金ですが、日本で、霊的恐喝によって強制的に集められた資金を取り戻す、または再請求する為に訴訟した人たちと同じように、私たちは、原理的に、1953年から始まって20年以上に渡って、私の祖母とチョイ家が献金した何百万ドルに関してしていると信じています、もう一度繰り返しますが、今日のドルにすると実際2千万ドルの価値に相当して余りあるものなので、統一教会運動はかなりのディスカウントをされているのです。もう一度、最低限はこうです。私の祖母や母は、統一教会運動がこのようになったことには、署名しませんでした。二人とも、個人崇拝や、特に日本での多くの者が貧窮にさせられた、メンバーに対する霊的、経済的奴隷制に署名しませんでしたし、ムーン一家が住んでいる諂い(へつらい)で作られた繭(まゆ)を維持し強化する韓国人を中心としたエリート支配層の創造の為に署名しませんでした。もし統一教会が少しでも実行可能で法的な組織になろうと望むのなら、その名前通りに、統一に立ち戻る必要があります。メンバーの大多数が何もない一方、なぜムーン一家が、莫大な何十億という海外の預金を持っているのかは、欲と腐敗以外の何ものでもありません。ことわざでは、慈善は家庭で始まるといわれ、統一教会運動が一つの世界家族を作るという創立の要求に生きる時であり、ただのリップサービスだけになってはならないのです。私たちが、表に出てきた私たちの望みは、今が、統一教会運動がこうなったという嘘に参加することを止めて、自分達の力を取り戻す勇気を持つようインスパイヤーさせるためです。

何故もっと早く前面に出て、洪 蘭淑(ホンナンスク)をサポートしなかったのかということについて、もう一点あります。単純に私はナイーブだったと、今、気づきます。父との和解に集中していました。とにかく、彼は私の生理的な父親であり、彼の息子として、私は父が思いやってくれていると信じたかったのです。それを手放すことは、最も困難なことでした。訴訟の価値よりも、法的費用に多くを費やすという法廷闘争のようなものを経験すると、そういった人たちの性質が分かるというものです。このように血縁を取り扱うとか、特に、私の母の犠牲は、私を本当に大きく変化させました、しかし、いくらか後になるまでそれを経験しなかったので、遅くなりました。そして、それが私の転換が起こったときで、私が今いる所に来るのに長くかかった理由です。しかし、少なくとも、今日ここに来れたということ、それが最も重大なことです。

サム朴氏(左端))が育てられた朴ホーヒ(中列メガネ)一家

「過剰な性衝動」精力絶倫時代の故・文鮮明教祖とサム朴氏の母・崔順華

韓鶴子総裁とサム朴氏の母・崔順華

崔順華と幼少期のサム朴氏(以上How Well Do You Know Your Moonより

隠し子によって改めて明らかとなった色と欲と金に塗れた教祖の実態や韓鶴子総裁の生い立ちを日本の信者はどう受け止めるのであろうか。


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8 件のコメント:

  1. 流石に嘘をつけられなくなってきたか。

    ここあたりも参考にすると良いよ
    http://www.amazon.co.jp/六マリアの悲劇―真のサタンは、文鮮明だ-朴-正華/dp/4765230732/ref=sr_1_12?ie=UTF8

    文はセックスと麻薬しか頭にないあたり、足立コンクリ犯以下だな

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  2. 新興宗教の教祖なんてそんなもんです。麻原も大川も外に子供がいます。
    文鮮明以外の韓国系の新興宗教だと純福音教会のチョー教祖なんかもそうです。ついでに言えば教祖の息子も外に子供がいますので親子二代で外に子供がいることになりますねw。
    ヨハン教会連合の金教祖もあれだけのエロ教祖ということで、一人くらい外に子供がいると思います。

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  3. つまり、倫理観もないクズということ

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  4. 人類の救済のためにたどらなければならなかった蕩減の道を人は誤解しやすいでしょう。しかし、文鮮明先生によって人類が救われたという事実は誰も変えることは出来ません。文先生がメシヤとしての使命を完遂する背後で涙を流した数多くの人々もいたでしょう。神もまた多くの涙を流してこられたと思います。

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  5. メシヤの前に自称が抜けんぞ
    後文鮮明がやりたかったのは金、女、麻薬のたぐいであって理念も何もないから
    統一協会なんぞは、他の右翼系カルトで代わりの効く使い捨ての道具でしかないんでそこを忘れずに

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  6. この内容は本当でしょうか?

    親が統一教会なのですが、この話しは嘘といっていました。

    もっとちゃんとした証拠を出してほしいです。

    DNA鑑定など、ないのでしょうか?

    私の母は献金をして、破産しそうです。

    だれかちゃんとした証拠を出してくれる人いませんか

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  7. 冷静になることが必要です。
    本物かどうかが問題ではない、
    大事なものは、人間では、分からなくさせられています。
    カインとアベルの真ん中になることが、一番利口だと
    私は、思っています。

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  8. 二世信者は母親に問うてみればいい。本当の父は誰であるかを。母親は血分け儀式に参加していたろうから。母親は言うだろうね。貴方の父はメシア、文鮮明様ですと。

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