富田事件が起こされた第2サティアン跡に建てられた慰霊碑。ただし由来はなく何の碑かはわからない(1999年7月、撮影・藤田庄市) |
■新実智光の言葉が始まりだった
当時、オウムは麻原のハルマゲドン=人類最終戦争の「妄想」に共振し、コアは武装化路線を突っ走っていた。麻原は陰謀論にもとづき、自分たちが毒ガス攻撃に曝され、スパイが暗躍していると説法でくり返し語った。冨田事件は94年7月上旬、松本サリン事件の十数日後に起こされた。出家信徒の冨田をスパイとして麻原の指示のもと、杉本らが「竹刀で背中や肩、腕などを殴ったり、針を体に刺したり、ガスバーナーで熱した火かき棒を体に押し当てるなどの拷問を加えた上、ロープで首を絞めて殺害した」のである。
新実智光の言葉が始まりだった。
「尊師がガンポパ(杉本)の状態が悪いと言っています」
6月に教団は“省庁制”を敷き、新実は自治省大臣、杉本はその次官だった。“自治省”の任務のひとつにスパイの摘発がある。新実の言葉を聞いた瞬間、杉本は「震え上がった」。新実自身は、杉本がワークに不熱心なのを麻原が怒っていると伝えたのだが、じつは杉本はその頃、麻原の「被害妄想」についてゆけず、「再度教団から逃亡しようかと思い悩んでいた」。それを麻原に察せられたのではないかと震え上がったのだ。落田事件にも加担し、今度逃げたらただではすまないと「大変な恐怖心」を抱いた。
■麻原は絶大かつ絶対的
事件の場は山梨県上九一色村富士ケ嶺(当時)の第二サティアン地下室。スパイであることを自白させようと、冨田を騙して椅子に縛りつけた。ただしこの時点では、杉本は冨田を』殺すことになるとは想像だにしていない。尋問を始める際、新実が言った。
「ガンポパにやらせろと尊師からいわれています」
これによって麻原の意思であることが杉本にはっきり自覚された。「麻原の存在は絶大かつ絶対的なものであり、その指示命令には無条件でしたがわなければならない」。麻原への疑念があったとはいえ、杉本の信仰構造は基本的には変わっていない。麻原の意を受けた新実にいわれるまま、拷問を加えた。杉本は及び腰だったが、新実は渾身の力をふるった。冨田はスパイであることを強く否認し、低くうめき声をあげながら、
「正悟師(新実)は心をよめるはずですから、私の心を読んでください」
と訴えた。オウムでは正悟師になれば神通力(超能力)がつくと信じられていた。被害者の冨田も同じ宗教空間の信の世界の住人だった。哀れというほかない。
■「お前がやれ、これはグルの意思だ」
途中で新実が麻原の指示を受けに場を離れた時間があった。しかし杉本は逃げなかった。なぜか。「グルに対する裏切り行為は無間地獄に落ちる」という強い「呪縛」ゆえであった。帰ってきた新実は宣言した。
「いずれにしてもポアだ」
「お前がやれ、これはグルの意思だ」
首を絞めるロープを渡された。杉本のこの後の記憶ははっきりせず、気持ちも正確に』説明することは難しいという。
「しかし、それでもこの時の私の頭の中には、「ポア」「グルの命令」「ポア」「グルの命令」という言葉が何度も何度も繰り返し鳴り響いていたように思います」
■麻原の適格な“観察力”
オウム信徒にとって輪廻から解脱しニルヴァーナにいたるには、最終解脱者の麻原をグルと仰ぎ、その指示に従う。その.指示が現世的にいかに不合理であろうと、何のためらいもなく実践する。それが弟子のとるべき道である。とくにヴァジラヤーナの実践=非合法活動を含む活動に従事していた杉本たちは、そう反応することをくり返し訓練させられてきたのだった。修行は心身にそれを刻む土台でもあった。そして殺人では、カルマと来世を見切り、高い世界へと転生させる麻原流ポアの教義が、弟子にとって「必要不可欠な大義名分でもあった」
では、麻原は冨田殺害のためになぜ杉本を選んだのであろうか。新実の供述調書には概略、つぎのようにあるという。
「杉本は私より先に出家した古い信徒であるにもかかわらず、修行が伸び悩んでおり、、、杉本の修行を進めるために(尊師が冨田さんのポアを)命じたのだと思います」
一連のオウム事件をみるならば、新実の供述はその通りだろう。前回、明らかにした杉本の葛藤を知れば麻原の観察は的確だったということになる。
■根源的な理由がわからない
事件後、杉本は母親」に「帰りたい」と電話をしたもののスムーズに話は進まなかった。杉本は振り返る。
「(電話を切った)その瞬間、私は現世で生きる(「罪を償って現世で生きる」も含む)という思いを完全に捨て、冨田さん殺害および落田さん殺害を肯定するために、麻原と麻原のその教義を無理矢理にでも受け入れて、教団で生きるということを選択してしまったのだと思います。そしてまた、この時この瞬間子祖が、私が人間として生きるということを完全に捨てた、その瞬間でもあったのです」
地下鉄サリン事件は冨田事件のおおよそ8ヶ月後。杉本はサリン散布実行犯の送迎役だった。そのとき、杉本が自分を納得させたのも、麻原の深遠な救済計画であるという教義であり、と同時に、入信時に見せられ、体験した麻原の超能力であった。
一方、杉本は懸命に考えた末にこうも記している。
「犯罪行為であるというそれなりに明確な認識がありながら、何故、私は麻原の命令にしたがってしまったのかという根源的な理由については私にもわかりません」
裁判は終結に近づいても、オウム事件は根源的にはまだ、未解明ということになる。(この項、終わり。文中カギカッコ内は杉本の表現)
(『仏教タイムス』2009年8月6・13日付紙面より・小見出しは本紙作成)
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ふじた・しょういち/1947年東京生まれ。大正大学卒(宗教学専攻)。フォトジャーナリスト、日本写真家協会会員。現代宗教、カルト、山岳信仰、民俗宗教、宗教と政治など宗教取材に従事している。著書に『行とは何か』『熊野、修験の道を往く』『宗教事件の内側』など多数。
本連載は「週刊仏教タイムス」に連載中の「まいんど マインド Mind」を、同紙と筆者の藤田庄市氏のご好意により再掲載させていただいているものです。本紙での再掲載にかんする責任はすべて本紙にあります。問合せ・意見・苦情等は、「やや日刊カルト新聞」編集部(daily.cult@gmail.com)までお寄せ下さい。
本連載は「週刊仏教タイムス」に連載中の「まいんど マインド Mind」を、同紙と筆者の藤田庄市氏のご好意により再掲載させていただいているものです。本紙での再掲載にかんする責任はすべて本紙にあります。問合せ・意見・苦情等は、「やや日刊カルト新聞」編集部(daily.cult@gmail.com)までお寄せ下さい。
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