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2013年1月30日水曜日

本紙主筆ら、元オウム・上祐史浩氏をいじる

藤倉主筆(左)、上祐氏(中)、瓜生記者(右)
1月22日、東京・新宿のライブハウス「ロフトプラスワン」で〈上祐史浩・著「オウム事件 17年目の告白」出版報告トークライブ!〉が開催されました。上祐氏自身が司会を務め、鈴木邦男氏、有田芳生氏、野田成人氏が比較的穏やかに対談。一方で、本紙の藤倉善郎主筆と瓜生崇記者は「テロ組織の元幹部が残党(ひかりの輪)を率いて宗教とか思想とかって、どの面下げて」「(今回の上祐氏の著書は)自分の内面については随分キレイにまとめちゃったなという印象」などとツッコミを入れまくりました。


■滑り出しは友好的な対談

『オウム事件 17年目の告白』(扶桑社)は、昨年12月17日に発刊された上祐氏の手記です。イベントの第1部では、一水会名誉顧問・鈴木邦男氏、元アレフ代表・野田成人氏が登壇。上祐氏と対談しました。

鈴木氏「(上祐氏の新刊は)すごい本だなあと思いました。最近読んだ本の中で一番感動した。オウムの人たちだけではなくて社会が、あの宗教を称賛したところが大きい。いろんな宗教学者や大学教授や。東大や京大でも麻原の講演会をやって、ダライ・ラマさんがお墨付きを与えた。あんな世界の聖人すらも騙せたというのは、麻原というのはすごい存在なんだなあと思った」

野田氏「書籍にはお父さん・お母さんのことを書かれていて、今教団では(信者の)家族のことを考えているというところに関心がありまして。上祐さん自身の体験て、あまり問題ないように読めてしまったんですけど、それがかなり影響があったんですかね」

上祐氏「やはり父親が浮気して別居してましたから、父親不在ですよね。父親への尊敬の気持ちがなくて、代わりに強い指導者(麻原)を求めたというのはあったんでしょうね。自分では恨みも何もないつもりでも、どこかで大きな影響はあったのかなと」

ひかりの輪では、親や知人への感謝の気持ちを作るために「内観」を実践しているといいます。ちなみに上祐氏、出版の少し前に自身の母親と再会したのだそうです。

■残党、残党と繰り替えす主筆

第1部は上祐氏に対してかなり友好的な空気で終了しました。第2部の冒頭では、上祐氏の書籍の中で対談を行い前書きを書いた参議院議員・有田芳生氏が登壇し、上祐氏とともに警察批判や「オウム事件は北朝鮮の陰謀」説への批判を展開。こちらも穏やかな対談でした。

有田氏が去った後、本紙・藤倉善郎主筆と瓜生崇記者(真宗大谷派僧侶)が登壇し、第2部がスタート。しょっぱなから藤倉主筆が飛ばします。

藤倉主筆「(今回の上祐氏の)本はとても興味深かった。ただ、完全に利害から離れた人の告白本ではなく、ひかりの輪を維持しなければならない立場の人の本であるという点を差っ引いて読むべき。この本を読んでいると、(上祐氏が)麻原の指示に疑問を感じたり麻原に苦言を呈する場面が描かれていますが、実は、“組織を守る”という動機に対しては常に忠実だった。組織を守るという動機はいまも持っている。そういう人が書いた本として読んで欲しい」

藤倉主筆「ひかりの輪は解散した方がいい。あれだけの事件を起こした団体の幹部が残党を率いて新しい宗教だとか思想だとか言ってるのって、失礼かもしれないですが“どの面下げて”という感覚の人は多いと思う。上祐さんが残党を率いて団体を続けていると、そこに所属している人たちにとって、オウム事件は永久に終わらないのではないか。宗教や思想というものを基準に考える集団から離れて日常を送る努力に導く責任が、上祐さんにはある。なのに、その努力の跡があまり見えない」

これに対して上祐氏は、こう語りました。

上祐氏「麻原の信仰、社会を悪、教団を善とする思想から、自分なりの新しい思想で抜けた。オウム真理教のような事件を繰り返さないためには、それを乗り越える思想・宗教を創造する必要があるのではないか」

上祐氏「精神的・宗教的理由でテロを防止するというのもありますが、現実問題として、ひかりの輪になる前にアレフの時代に被害者賠償契約を結ばせていただいた。(当時)破産管財人から、“賠償契約を結ぶなら合法的な限り宗教活動を認める”“解散を求める声も強いが信教の自由もあるから、まずは賠償を”と聞きました。こうして賠償に関する法的な枠組みが2000年の段階でできました。解散すれば賠償義務の存在箇所がなくなりますので、現実的な社会的な流れと自分なりの宗教的な思いの2つを合わせてやっているということです」

一見もっともらしく聞こえますが、要は「解散という形での社会的決着を目指すよりも自分は宗教をやっていたいのだ」、「もう賠償契約を結んじゃったんだから団体続けるよ」と言うに等しい説明です。

■“ひかりの輪解散”をめぐって大激論

解散論をめぐっては、さらなる応酬が。

藤倉主筆「賠償が団体存続の理由にされてはいけないと思います。本当に償う気があるなら、賠償は宗教団体でなくてもできる。集団でなくてもできるだろうし、仮に集団であるにしても、宗教や思想を掲げる団体ではなく賠償するための団体でいい」

上祐氏「それ可能だと思いますか? オウムに集まった人は宗教に関心があった。そして宗教で失敗して、それを乗り越える新しいものに脱皮していくのをまとめるのが私の限界。オウム信者が賠償だけのためにまとまれるか。彼らはみんな被害者だと思っています。(かつての)オウム信者の9割は一般の中にいて、最高幹部10人のうちの私以外もみんなそこにいる。でも彼らがどれだけ賠償しているか。賠償する能力がない。国、被害者、教団で賠償の枠組みができたのだから、私たちとしてはそれを基本としてやっていく」

藤倉主筆「それを乗り越える議論が、“国が賠償すべき”という議論です。賠償も解散も、アレフやひかりの輪だけでは無理なんです。でも、そういう枠組みを日本社会は作ることができなかった」

上祐氏「藤倉さんから見てやわいと思える対応が、良かったか悪かったかはよくわからない部分もある。たとえばハードな対応をしたロシア。(オウムの)団体を全て解散させた結果、バラバラになった信者の一部が麻原奪還テロを企てて爆弾とかを用意した。日本で起こった傷害致死事件は、アレフなどの団体の中ではなくて、辞めたケロヨングループで起こっている。当局から見ると、まとまっていた方が安全で、バラバラになるとアルカイダになるということもあったのではないか。(団体の存続を認める賠償契約は)その時点での最善の措置だったのではないか」

藤倉主筆「麻原奪還テロもケロヨンの件も、辞めた個人が一人で起こしたものではない。規模が小さいというだけで、やはりグループなんです。残党が群れて続いているという点では同じ。ぼくは、小さいグループに別れなさいと言っているのではなく、解散して個々の“元信者”になって社会復帰が果たされるべきと」

上祐氏「オウム信者が脱会したとき、社会がそれを許容できるか、オウム信者同士で集まるか。オウム信者同士が集まるケースが非常に多い。やはり(一般社会では)気持ちが通じない、いろんなところで受け入れられない。私は社会を批判する気はありませんが」

藤倉主筆「むしろ社会を批判して欲しいですよ。仕事に就いても、元オウムだとバレたら会社にいられなくなるという話を聞く。上祐さんは“そんなだから、オレら団体を解散できないんだよ!”って言ったっていいと思いますよ。“社会が受け入れてくれなかったら、解散してオウム事件を全て精算することができないじゃないか”と言って、全然おかしくないと思います」

上祐氏「言ったとしても、急に変わりますか?」

藤倉主筆「変わらないからやらないのであれば、宗教で世の中なんか変わらないんだから宗教なんかやらない方がいいですよ」

上祐氏「私は、それ(解散)はやりたくない。私は麻原の宗教を超える思想を創りたい立場で、それをやるつもりはありません。ただ、私がやらないから悪いわけじゃなくてみんながやらないから悪いのだとしたら、藤倉さんたちの努力はどれくらい有効なんでしょうか」

藤倉主筆「有効かどうかの問題ではなく、(上祐さんに)そういう努力をした跡が見えないところが不信感につながるという話です」

イベントの終盤、フロアから「オウム事件と関係のない新規入信者から得たお金で賠償するということについての見解を」と求められた際には、上祐氏はこうも発言しました。

上祐氏「賠償のために宗教という事業をやっているという認識でいるので、あとはどういう手段でお金を集めるかということだと考えています。実際、前はたとえばパソコン(販売)とかもあったんですけど、いまはダメになりました。あとは外部で就労している人もいますが、年齢や収入の関係から賠償金は出ません。宗教活動の方からしか賠償が出ないというが現実です」

上祐氏の言う「麻原を超える宗教」「オウムを超える宗教」とは、パソコン販売と同列にされてしまうような“事業”だと……

■上祐さんは救われたんですか?

本紙・瓜生崇記者は、上祐氏の内面についてツッコミを入れました。

瓜生記者「私自身も浄土真宗親鸞会というカルト団体を辞めて、拠り所がない状態に陥って、浄土真宗の教えに戻ることができたわけです。これ(上祐氏の新刊を)読んで思ったのは、自分の信仰が崩れて、それがどこに帰っていったのかが、すごくあっさりしていて、もっと苦悩とか喪失があったんじゃないかと思うんですが、そこがよく見えてこなかった。そして弥勒菩薩のところで非常に不思議な体験をしたというところで丸く綺麗に収まってしまっている。でも、本当にそんなもんだったんですかね。もっと書き足りないことがあったのでは」

この点については野田氏も同じ見解を示しました。

野田氏「ターザン山本さんに会ったとき、上祐さんとイベントで共演したというから“上祐さんどうでした?”って聞いたら、“あれは偽善者だね”と(笑い)。まあ偽善者って定義はあれですけど、(上祐さんの)話聞いているとキレイですよね。宗教ってのはキレイ事じゃないと人が集まらないとは思うんですけどね。なんか、そのあたりの綺麗な部分もあるけど隠してる部分もあるという、瓜生さんが言うような苦悩とかドロドロしたところもある。そういう部分が見えてこなくて、ホントかよ、みたいな」

上祐氏「宗教的な部分は、なかなかその本には書けなかった部分もあって、また機会があれば書きたいと思っています。脱会するまで10年かかっているので、そこはダイジェスト版にはなっています」

藤倉主筆「やっぱあれですよ、ドロドロした部分とか立場上言えない部分は、利害を離れるか大川隆法さんに霊を降ろしてもらわないと、見えてこないですよ。しょうがないですよ。ぼくらは、そこを差っ引いて評価するしかない。いつか上祐さんがひかりの輪を解散して、ただの上祐史浩です、ってなったら、また違う本が出てくるんじゃないかと。早くそうなるといいなと思ってます」

瓜生記者「上祐さんは先生はいるんですか? 師匠というのは」

上祐「私はオウムで特定の人を絶対視するというのをやって、それはすべきじゃないなと。その過程の中で、自分が重要なことを学んだという人は複数いますが、帰依するということはしない。究極的に言うと、全ての人が師という考え方が好きで、このトークショーの中では私に批判的な藤倉さんが私の教師だと思います。全ての人が帰依の対象で教師」

瓜生記者「みんなが師匠というのは、師匠は誰もいないというのとあんまり変わんないんじゃないかと私は思うんですが。たとえば弥勒菩薩のとこで神秘的な体験をされたと、この本に書かれていますが、先生がいなければそういった体験を相対化できないんじゃないかと思うんですけども。それはちょっと違うんじゃないかと言ってくれる人は、ひかりの輪の組織の中にいるんですか」

上祐氏「藤倉さんにも言ってもらいますし、ひかりの輪は衆生監視ですから。そういう人をみんな教師にして、研鑽していくかなと」

瓜生記者「そう言う割には、何かを言うても全部、“それはこうなんです、ああなんです”って返ってくるんですよね。“ああそうですね。その通りですね。それは何とかしなきゃ。私間違ってました”というニュアンスの言葉を上祐さんから聞いたことがなかったので、それは本当に師と言えるのか。“みんなが師”と言う割には、本当はそんなことは全然思ってないんじゃないの?と私は思うんですけども」

上祐氏「そういう風に感じられるところがあったら、また自分の中で内省させていただきますが、今日のこの(イベントの)中でそういうのがなかったと? たとえば“解散させていただきます”と言わないとダメということではない?」

瓜生記者「そんなことはないですが」

上祐氏「わかりました。では具体的にはどんなことかというのを瓜生さんに考えていただければ助かります」

瓜生記者「上祐さんは救われたんですか?」

上祐さん「救われたというのは具体的にどういう意味でしょうか」

瓜生記者「たとえばオウムに入って、私の生きる意味だとか、私がなぜここにいるのかとか、そういうことを麻原から教えてもらったという人がいっぱい出てきたわけですよね。そこから離れて新たなところにいま立っておられる。そこで、私はなぜここに立っているのかとか生きる意味は何かとか、その答えを得ることはできましたか」

上祐氏「私、私という我へのとらわれが苦しみを生んでいるんじゃないかと。私というものに固執しないことによって解放される面がある。私が救われたのかどうかという考え、迷い、これは私にとらわれるからではないかという考えがあるのではないかと思います。救われたのか救われてないのかという発想を越えていくのも、ひとつの仏教的な解釈としてあるのではないかと。そういう意味では、私は我執を越えていくのがひとつの道かなという感じで、仏教を解釈しています」

我執を超えると語る一方で、藤倉主筆との議論で「団体を解散させるということはしたくない」「宗教をやりたい」という我執を見せていたのは、ほかならぬ上祐氏自身だったりします。

野田氏「ぼくは脱会者個人ですけど、オウムを辞めた人は精神状態を崩している人が多い。安定している人は、サイババとかチベット仏教とか、何かしら宗教を始めている。麻原という精神的支柱がなくなると、何か別のものがないと無理なのかなと」

上祐氏「いろんな意味でひどい依存というのはある。タバコとか酒とかゲームとか」

藤倉主筆「ぼくはカルトいじりに依存しています」

上祐氏「ほどほどにお願いします」

■主筆、上祐氏にサインをもらう

このイベントでは、休憩時間やイベント終了後に上祐氏のサイン会が行われ、観客たちが書籍を手にサインを求めました。この点について批判的な質問も出ました。

観客「今日、会場の方がサインをしているのは、どういう気持でやってるんでしょうか。サインというのは一般に、芸能人とか作家とか、やましいことがない人が書くのが自然なので、それをやっているのが正直わからなかったんです。会場の人も、どういう気持でサインを受け取っていたんでしょうか」

上祐氏「署名することで販売を促進して、被害者への賠償になればという気持ちでやっていますが、そういった印象を抱かれる方もいらっしゃると思いますので、今後、やり方、その他考えながらやっていきたいと思います」

藤倉主筆もイベント中、上祐氏への扱い方について、エラソーにこう苦言を呈していました。

「上祐さんはテロ組織の元幹部で、いまも団体の代表者。文化人や知識人ではない。上祐さんを文化人扱いする社会の側にも問題があるし、上祐さんにも文化人然とした態度をとってほしくない」(藤倉主筆)

ところがその藤倉主筆がイベント終了後、上祐氏にサインをねだっている姿を目撃されています。目撃者の証言です。

「観客はみな上祐氏の著書にサインをしてもらっていたのですが、藤倉氏は、わざわざ色紙を用意していました。しかも、ただのサインでは満足できなかったらしく、“(サインの脇に)文化人って書いてくださいよ”と頼み込んでいました。断られると、藤倉氏は“ひかりの輪がカルト化しないためにはシャレを理解する必要がある”などと上祐氏に難クセをつけていました」

結局、「文化人」という言葉は入れてもらえず、ごくふつーのサインをゲットしたようです。

藤倉主筆のコメント:

「サインは大事にしますよ。上祐さんのサイン色紙でフリップ投げゴッコなんて、とんでもない! 絶対にしません。絶対に!」


40 件のコメント:

  1. 藤倉さんご苦労様でした
    テロ集団の残党は、社会に放置してはいけないのは当然のことです
    被害者がいまだに救済されずに苦しんでいるのですからね

    ところで上裕と握手した後、手を洗ったの?

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  2. 藤倉さんご苦労さまです。
    現在の日本でオウムに匹敵するテロ組織は、もはや統一協会しか残っていません

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  3. トークイベント行きました。最初、藤倉さん話しなげーよと思いましたが後半は楽しかったです。特に興味を持った話は大川総裁再婚でハルマゲドンが遠のいたところでしょうか(笑)いや、幸福の科学とオウムの類似点に興味を持ちました。サイン会も同じくこれどうかなと同じ感想を持ちました。あと、村井幹部刺殺犯が出所して、そのことについて会って話がしたいと言う所も興味持ちました。

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  4. 冷静に読んでみると上祐の言い分も一理ありますね。

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  5. > 冷静に読んでみると上祐の言い分も一理ありますね。
    どこが。統一教会並の詭弁じゃん

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  6. じゃ、どこが詭弁なのか説明してみて。

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    1. >2013年1月30日 11:10
      ひかりの輪のような新興宗教についての記事で人を威圧していないで
      伝統ある日蓮宗の法華経と日蓮聖人を信じ南無妙法蓮華経と唱えてくださいね

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  7. まだ「ああ言えば上裕」やってるって感じね

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  8. ○○の一つ覚えだね。

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  9. 上祐見ると脊髄反射的に、「詭弁」だとか「ああ言えば上祐」って言う人多いけど、
    どこがどう詭弁なのかを具体的に説明できる人はほとんど見かけないですね。

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  10. バラバラになって過激分子ができるよりもまとまって穏やかな方が良い、というのは理解できます。
    しかし、まとまった状態で過激になるリスクも考えなければいけないのでしょうね。

    ところで誤字
    >ひかりの輪では、親や知人への会社の気持ちを作るために「内観」を実践しているといいます。

    会社でなくて、感謝でしょうか。

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  11. >宗教や思想というものを基準に考える集団から離れて日常を送る努力に導く責任が、上祐さんにはある。なのに、その努力の跡があまり見えない

    宗教を基準にして生きている人はたくさんいますし、北朝鮮ではありませんから、そのように生きる自由がこの国にはあります。


    >要は「解散という形での社会的決着を目指すよりも自分は宗教をやっていたいのだ」、「もう賠償契約を結んじゃったんだから団体続けるよ」と言うに等しい説明です。

    社会が上祐に課しているのは解散する義務ではなく賠償する義務です。

    団体を存続して賠償契約を履行するという選択肢は当然あります。

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  12. まー確かに解散すりゃいいってもんでもないわな。

    勝手にやっててくれとしか。

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  13. 師匠だれ?→みんな
    救われた?→我執を超えることこそ大切

    個人的な宗教観は晒したくないみたいだな

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  14. ネットで動画流して晒しまくってるわけだがw

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  15. あらそうなの

    ただの不誠実な回答ってことね

    ここらで偽善者よばわりされるわけか

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  16. 上祐氏のいう「麻原を超える宗教」っていうのが納得いかない。
    今上祐氏が作っている宗教が「麻原を超える」のかどうかそもそもわからないし,
    その「麻原を超える」っていう台詞は,オウムよりも正しい宗教を作っている,という趣旨で使っているようだけど,
    その宗教が麻原と違って本当に正しいのかという点について,誰にも検証できない。
    やはり詭弁でしかないと思う。
    キリスト教を基盤にして,イエスは救いに失敗した,だからそれを超える存在として文鮮明がきた,文鮮明の救いは正しい,と根拠もなくいっている統一協会とかわらない。

    さらに,麻原を超える,という言い回しを使う以上
    麻原が根本としていた流れを汲みつつ,それを超える宗教を作ったということを言っているのだろうけど,
    麻原の流れが正しいことを前提としているところが相当に疑問です。
    こんな有様では,反省しているようにはとても見えないし,
    社会にとって,また個人にとって安全な団体であるとは到底いえない。

    オウム事件を反省するということは,それを乗り越える怪しい思想,宗教を作ることではありませんよ。
    それをわかっていない時点で,事件当時オウムを擁護した幹部信者として,オウム事件について反省をもとめられていることの根本的な認識が欠如しているといわざるを得ない。

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  17. 師匠だれ?→みんな
    救われた?→我執を超えることこそ大切

    なんでこれが不誠実な回答なの?

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  18. 上祐もひか輪の会員も、何かしらオウムの教義に惹かれて入信したわけで、でも、ああいう事件が起きてしまった。
    オウムの何がいけなかったのか、そこを上祐なりに考えてるんじゃないの?
    麻原を超えるってのは大雑把に言えばそういうことじゃね?

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  19. 結局あーだこーだ言ったところで、ひかりの輪の存続は合法なんだから仕方ない。

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  20. 賠償はしようとしているのだし、上祐は上祐の思ったようにするしかないでしょう。
    解散したらしたで「賠償契約を結んでいるのに、その責任を放棄した」と言われるだけでしょう。万が一自殺したとしても、やっぱり「真実を明らかにしないまま責任を放棄した」と言われるだけ。
    脱会したらもう自分は関係ないという顔をしている元信者や、自分は麻原に騙されたと被害者のように思っている元信者もたくさんいるんじゃないですか。

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  21. 解散すべきと主張してる人はこんなところでゴチャゴチャ言ってないで、解散を求めて訴訟でも起こせば?

    それが法治国家ってもんだ。

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  22. >解散したらしたで「賠償契約を結んでいるのに、その責任を放棄した」と言われるだけでしょう。万が一自殺したとしても、やっぱり「真実を明らかにしないまま責任を放棄した」と言われるだけ。

    100%そうなるね。

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  23. 藤倉さん、大したもんだ。

    脱帽。

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  24. オリ君は部屋の外に出ることから始めようね。

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  25. 誤字のご指摘ありがとうございます。ほかにもあったので直しておきましたが、何せ長い記事なので、まだあるかもしれません。

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  26. 久々、上祐さんの写真が見れました。
    大川は、魑魅魍魎にしか見えないけど、上祐さんは、人相が良くなっているように思いました。
    上祐さんは、今でも責任者の一人として、逃げずに、ジャーナリスト、知識人、一般人とも普通に話をされる姿は、評価できると思います。
    一方、大川は、無責任にも、自己のストレス発散のための妄想本の出しっ放しで、一般人との会話が怖くて、逃げ回ってばかりいます。ホンと、他では通用しない器の小さい情けない狂祖です。

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  27. 参加したかったです。

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  28. 上祐が、ぶっ叩かれるとわかっていながら、こうやって表に出る姿勢は評価しても良いと思うね。

    アレフの幹部なんて、滅多に出てこないだろ。

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    1. 本当に反省しているのならカルトはおろか宗教と縁を切るのでは?

      オウム関係者を持ち上げるより法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱えてください

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  29. おちゃれけて書いてるけど「ひかりの輪がカルト化しないためにはシャレを理解する必要がある」というのってわりと本音じゃない?なんかそんな気がする。

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  30. シャレにも面白いのとつまらないのがあることくらい、上祐は分かってると思うよ。

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  31. 上祐も事実上の無期限・執行猶予みたいなもんで、当局監視の元、年齢を考えると宗教で生きてゆくしかなく、そのために叩かれ続かれなければ生きてゆけないのでしょう。
    あと日本では、解散させる法律がないんでしょ。あればもう解散してるよね?

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  32. そういうことだよね。

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  33. 鈴木邦男さんって、毎回上祐氏のことを必要以上にヨイショしますよね。。

    以前のロフトのトークショーでは「上祐さんはすごい、日本の宝」とまで大絶賛でした。

    私は呆れて言葉を失いました。

    サリンの被害者が聞いておられたら…と思うと
    こんな発言はするべきではないと思う。

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  34. 「それがわたしの限界」
    素直にそうなんだと思った。

    麻原はやっぱり負のカリスマなんだったと。
    秀才もカリスマがいないと輝けないんだね。

    上祐氏は、いまひたすら虚無なんだと思う。
    何か(誰か)に帰依したいのに、生来の頭の良さから、「唯一無二の絶対的な人などいない」とわかってしまったから、もうどうしようもないんだろうな。

    でも心配すんな。
    世の人のほとんどが虚無を抱えて生きてるからさ。麻原を失った君は単に普通の人だったというだけ。

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  35. 村井氏が刺されたのは、あれはゆるせないな
    麻原がやくざを使って刺殺した事件・・麻原は仲間に対してすらひどいことをする・・

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  36. >それ可能だと思いますか?

    可能ですよ。
    そのためにカナリヤの会があります。
    家族の会もあります。
    仏教の先生たちもいます。
    上祐がまとめる必要はないし、そもそも麻原が成就認定したオウムの正大師を認めることに繋がるのであってはならないことです。

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  37. ここに限らず、ひかりの輪の方達の言い訳、攻撃的なコメントはカルト信者の典型です。生涯、嘘と言い訳、責任転嫁し自分達を美化してわがままに生きていくのは勝手ですがその為に社会を利用し、被害者遺族を踏みにじり続ける事は倫理的に許されません。

    上祐やその取り巻きに恫喝、脅迫された場合はすぐに警察に通報、生活安全課、またはカルト問題に取り組む団体や弁護士に相談する事をお薦めします。

    かれらは自己中心的に振舞う為に周囲を利用する団体で、責任から逃げ続け、関係者が死ぬのを待っています。その前に解散させ、彼等に社会的責任を取らせる事が絶対に必要だと思います。

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