■時代錯誤な最高裁を非難します
2010年3月15日に最高裁判所は、ラーメンチェーン店「花月」などを運営する株式会社グロービートジャパンと右翼カルト集団「日本平和神軍」との関係を掲載していたウェブサイト「平和神軍観察会 逝き逝きて平和神軍」運営者の橋爪研吾氏に対して、名誉棄損罪による罰金30万円の有罪判決を命じた東京高裁判決を支持し、橋爪氏の上告を棄却する判決を言い渡しました。
これにより最高裁は、プロのジャーナリストでもなければ新聞社のように湯水のごとくカネを使った取材活動などできるはずもない、一般市民のウェブサイトに対して、報道機関と同等の調査能力を要求しています。個人発信の情報でもネット上で公表されている以上、新聞やテレビと同等の影響力を持つから、その責任も同等であるという考え方はあり得ますが、メディアの影響力というのは、購読者の多さや範囲の広さだけではなく「信頼性」との総合判断から生まれます。いくら膨大な公称発行部数をほこる朝日新聞や読売新聞だって、いまやかなり信頼を失っていますから、そこに載る記事を無批判に信じ込む人は「リテラシー不足」と言えます。
つまり、この裁判における「市民としてできうる調査はしていた」という橋爪氏側の主張は、決して、「ネットなんか誰も信用しないから、何を書いてもいい」などという乱暴な議論ではありません(もちろん、こうした議論は、個別の事情に応じて、かなり判断が分かれると思います)。報道機関との違いが明確である以上、影響力には明らかに違いがあるのだから、当然、そこで求められる責任も変わってくるという、ごく当たり前の主張です。ましてや橋爪氏は、無意味な内容によって愉快犯的にグロービートジャパン社の名誉を傷つけたわけではなく、全国展開のラーメンチェーンとして多くの一般市民と接点を持つ企業とカルト団体との関係を指摘するという、報道的な目的で活動していました。
さらに橋爪氏は、自らが評論の根拠としている資料を相当数、「平和神軍観察会」に掲載していました。記事の根拠を読者自身が確認して、その主張の妥当性を検証できる状態になっているサイトでした。言ってみれば、従来の報道機関と同等の調査能力を持たない個人が、従来の報道機関がほとんど扱ってこなかった重要な問題を、個人レベルで可能な範囲の情報収集によって提起しており、その調査内容についてもある程度開示していたわけです。
当時は「ネットジャーナリズム」や「ブログジャーナリズム」といった言葉も一般的ではありませんでした。しかしいまは、ブログブームも「市民メディア」ブームすらもすでにひと段落している時代です。しかし最高裁でこのような判決が出てしまうと、すでにインターネット上で報道目的による表現活動を行っている一般市民はみな、問題ある企業や宗教団体などからのいやがらせ目的による訴訟の前に屈するしかなくなります。
インターネットにおける個人の報道活動の意義と実状を全く無視した、あまりに時代錯誤な最高裁の判決を、本紙は強く非難します。
■大手新聞に対しては非難しません
橋爪氏の一連の裁判の報道において、大手マスコミは一貫して橋爪氏の行為を「中傷「」呼ばわりしてきました。おかしな話ですが、一審判決で橋爪氏が無罪を勝ち取ったときですら、新聞は「ネット上で誹謗中傷したのに無罪になった」かのような見出しで報じました。橋爪氏は、本紙の取材に対して、こう語っています。
「(日本平和神軍総督の)黒須英治氏は、2002年当時、グロービートジャパンの株式の51%を保有しており、黒須氏はグロービートジャパンから年間数千万円もの報酬を受け取っていたことが、裁判を通じて明らかになっています。裁判では、グロービートジャパンと平和神軍が『法人としては別』だという理由で両者の一体性は否定されましたが、両者に一定の関係があることは真実だと認められています。なのに自分の文章が(マスコミに)『誹謗中傷』で片付けられるのは納得できない」
これまでの報道の中で最悪だったのは、橋爪氏を無罪とする一審判決直後の毎日新聞でした。夕刊題字下の「近事片々」で、<インターネットへの書き込みで他人を中傷した男性に無罪判決。(略)「ネット情報は信頼性が低いから」がその理由。でも中傷される方はたまらない。ネット無法地帯と化す?>と、判決の内容すら把握できていない記事を掲載しました。無罪(当時)の橋爪氏を悪人扱いです。
いまさら驚きはしません。少なくとも「平和神軍観察会」裁判に関しては、大手新聞は報道としての役割を放棄しています。今回の裁判に関してだけ言っても、新聞の無能さは一審判決の時点ですでに明らかでした。いまさら何も期待しないので、改めて非難する気も起きません。最高裁と同様に時代錯誤な存在として、どうぞ世間から取り残されていってください。
■大手新聞の劣化コピー「J-CASTニュース」をちょっと非難します
今回残念だったのは、ネットメディアである「J-CASTニュース」までもが、ネット上での個人の表現活動を左右しかねない今回の判決に対して全く無批判だったことです。ただ無批判であるだけではなく、もっと恥ずかしいことをしています。
【J-CASTニュース 2010年03月17日】HPでラーメン店を中傷した会社員が有罪
自分のホームページでラーメン店運営会社を「カルト集団」などと中傷したとして、東京都大田区の会社員橋爪研吾被告(38)が名誉棄損罪に問われていた件で、最高裁第1小法廷は被告の上告を棄却する決定を2010年3月15日付で下した。2審で名誉棄損罪にあたるとし罰金30万円を言い渡されていた。1審では無罪だった。最高裁は、個人がネット上で表現したものであっても受け取る側が信じる場合があり、ネットで他人の評価を低下させる情報を出す場合、新聞報道などと同様に確実な根拠が必要だ、という判断を示した。
思考停止的に橋爪氏の行為を「中傷」で片付けている表現手法も、情報内容も、大手新聞と全く同じ。何の独自性も問題意識も感じられない記事です。Googleニュースでの配信時間で比べると、新聞の中で最も配信が遅かった読売新聞(社説は除く)よりも、J-CASTニュースはさらに3時間遅い配信でした。内容、タイミングから考えて、単に新聞報道をパクっただけのやっつけ仕事にしか見えません。
J-CASTニュースというメディアは、今回の記事に限らず、もともとこうした仕事ぶりが目立つメディアです。テレビが放送した内容を、独自の情報や評論もほとんど加えないまま書き起こしているだけの記事も多く掲載されています。
J-CASTニュースより「平和神軍観察会」の橋爪氏の姿勢の方が、よっぽど報道者的です。つまりは、個人サイトの存在意義が、企業の運営するネットメディアよりも上であるケースがあるという好例です。逆説的とはいえ個人サイトの意義を示してくれた分を差し引いて、J-CASTニュースを非難するのはちょっとだけにしておこうと思います。今後も、こうした報道と呼べないネットメディアがはびこればはびこるほど、個人によるネット上の報道・評論活動は重要になっていくでしょう。
素晴らしい社説に完服いたしました。
返信削除問題のあるカルト団体に警鐘を鳴らすツールとして、インターネットが効果を奏していることは明らかです。公益性をかんがみれば、インターネットで様々な情報を提供する環境を保護しなければならないのに。
今回の最高裁の判断は、苦しみの渦中にある人や、カルトの危険性を訴える人にとって、失望せざるを得ないものです。
そのことを、ネットメディアのみならず、既存のメディアも十分に考えた上での報道を期待しています。
当人が認めている刑事事件よりも、
返信削除こういう、いろいろな視点が必要な事件にこそ
裁判員が必要なんじゃないでしょうかね?
本当に酷い判決ですね。
返信削除しかも橋爪氏、掲示板とかで適当に酷い中傷書いてるような人とは立場が全然違うことは明らかでしょうに、メディアは意図的にそういう報道やってるんですね。
落合弁護士のブログです。
返信削除http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20100317#1268787899
>中傷書き込み、逆転有罪=ネットで名誉棄損-東京高裁
>
>http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20090130#1233302688
>
>とコメントしましたが、1審判決が示した問題意識、基準は理解できるものの、
>表現媒体により名誉毀損の成立要件を変えてしまうと、
>逆に、緩和した成立要件を適用すべき媒体は何かということが問題になり、
>その区別は極めて困難で、実務的には採り得ない基準であった
>と言わざるを得ないと思います。
>
>ただ、ネット上での表現行為が萎縮してしまうことを防ぐために、
>そういった行為についての検察権の行使は慎重に行われるべきである
>と思います。例えば、東京地検
>特捜部は、週刊誌等による名誉毀損案件の告訴を受けても、
>片っ端から不起訴にしていますが、そういう中で、
>なぜ、上記の事件が敢えて起訴されたのか、
>私は今でもよくわかりません。
>
>また、民事上の紛争解決においても、表現行為の後、表現者が指摘を受け
>誤りを認め迅速に削除等の措置を適切に講じた場合は損害賠償を
>免除する制度を設ける、裁判外の紛争解決方法(ADR)を整備するなど、
>今後とも改善が必要ではないかと思います。
あたしの意見は、最高裁まで行ったのに最高裁は後ろしか見ていないとか、いたところが過去だった、という印象ですね。
被告本人には、申し訳ないけど、法曹界全体として得がたいチャンスだったわけですよ。
最高裁への付託は、今後のネット情報の扱いについて、の道筋を示すことだったはずで、それを意図的に問題が拡大しないよう縮めておいて、「変えるところはない」では、規制派・反規制派も「最高裁のバーロー!」ですよ。
喜んでいるのは既存マスコミの「本当ネットなんて無ければ良い」という立場の人たちだけでしょう。
これでは、現実離れの判決という意味しかない。