本紙・藤倉は、チベット問題の取材中、ダライ・ラマ14世が住み亡命チベット人による「チベット中央政府」が置かれるダラムサラで、小川氏と知り合いました。厚生労働省の動きのことを彼に伝えて意見を聞かせてもらおうとしたところ、「それには賛成できない」との答えが返ってきました。その小川氏に、統合医療推進をうたう鳩山首相宛の書簡という形で寄稿していただきました。
拝啓 鳩山首相殿
首相、突然ですが、チベット医学に秘められた奇跡の薬草「イチェ」を紹介させていただきます。これさえあれば現代の医療問題を軒並み解決できるかもしれない貴重な情報ですから、どうかくれぐれも国家機密並みの扱いをお願いします。なにしろ私が10年もの間、ヒマラヤの街ダラムサラに潜入してようやく発見した薬草なのです。もしかしたら数年後にノーベル医学賞を受賞するかもしれません。ただ、その前に問題がありまして、チベット医学が統合医療の名の下に制度化されてしまうと、残念ながらその夢のような可能性は潰えてしまうのです。絶対に損はさせません。日本の国益に繋がる話ですから、少し私の話に耳を傾けていただけないでしょうか。
その奇跡の薬草はヒマラヤの奥深い山中に隠されていました。私たちチベット医学生には毎年、ヒマラヤ山中にベースキャンプを張り一ヶ月間に渡って薬草を採取し続けるという厳しい実習が課せられています。断崖絶壁をよじ登り、急流を渡り、何十キロという薬草を担いでひたすら歩き続けるその姿はまるで修験者のごときです。私も何度も生死の危険に直面したものです。そんな薬草実習の三年目のとき、ふと、ある薬草に気がつきました。そして五年目の実習中に、これこそが今の日本を救う薬草だと確信を持つに至ったのです。私はその薬草「イチェ」を大事に摘んでヒマラヤから持ち帰りました。
さらに「イチェ」の効能をチベット医学教典・四部医典の中に発見し更なる確証を得るに至ったのです。八世紀にチベット医学を創始されたユトク様は四部医典にダヴィンチコードのごとき巧妙な仕掛けを施されました。この四部のうち三部を一字一句間違わずに、しかも5時間以内に暗誦できたときにはじめて、教典の秘密が理解できるように編集したのです。その分量は八万語、実に円周率のギネス記録に匹敵し、しかも80名近い学生、職員に四方を囲まれた中での暗誦を行わなくてはなりません。この難関を突破できるのは一部の学生に限られ、途中で息絶えてしまう挑戦者もいます。私は無謀といわれるのを覚悟で2007年11月16日に挑戦し、なんとか4時間半をかけてすべてを暗誦することができました。そして、こうして難関を乗り越えたことで、ようやくチベット医学の秘宝「イチェ」の効能を理解することができたのです。
そして、その秘宝を日本に持ち帰ることを先生方や学友たちは快く許してくれました。私たち医学生は5年間、全寮制で僧院のごとき厳しい規則の下で生活しなくてはなりません。朝5時に起床し7時から読経が始まります。夜の門限は7時で深夜まで学習が続きます。粗末な四人部屋での共同生活は今こうして振り返るといい思い出ですが、当時は逃げ出したくなることも度々でした。でも、もし仮に私が外にアパートを借りて通学していたら、決して私のことをチベット医とは認めなかったでしょう。彼らとともに暮らすことで真の信頼を勝ち得ることができたのです。
もうお気づきでしょうか。「イチェ」、日本名を「信頼」といいます。医師自らが山に入って命がけで薬草を採取し、全員に囲まれた衆人環視の真っ只中で教典を完璧に暗誦し、学友とともに朝から晩まで生活を共にする。これらの厳しい課題を乗り越えて初めて民衆からの信頼が得られるシステムをチベット医学は築き上げたのです。チベット医学とは決して眼に見えない神秘の世界ではありません。まず眼に見える世界の中で最大限の努力をすることにより社会からの信頼、つまり眼に見えないものを生みだしていることをどうかご理解ください。薬の神秘的な効力は配合の妙や理論にあるのではありません。処方だけを取り出して日本の医療に適用したところで何の意味もないどころか思わぬ副作用が生じるかもしれません。チベット文化・風習、民衆の信頼の上に成り立つ薬こそがチベット薬として定義されるのです。
もしかしたら、この古くて新しい薬「シンライ」こそが、病と薬とのイタチゴッコに終止符を打ち、近い将来ノーベル医学賞を受賞するかもしれません。そうなのです。チベット医学とは社会の相互性、文化の多面性の中で成立し存在しているノーベル賞級の無形文化財。伝統医療の本質とは形のない風のようなもの。だから社会と文化が存在している限り、決して廃れることなく脈々と受け継がれていくのです。
このシンライという薬草を育てるためにも、医療教育の中にチベット医学、もしくは伝統医療というツールが必要となってきます。生きた医療人類学として医学部や薬学部のカリキュラムの中に取り入れていきたいのです。もちろん私自身がチベット医代表として教壇に立つ意気込みはあります。一人一人の医者の中にチベット医学の精神が根付いていく。一人一人の中で医療の輪が形成されていく。一人一人の中に大自然や自国の文化が染み込んでいる。それこそが私の理想とする統合医療なのです。これらの理想が実現されたならば医者と患者の信頼が増すことにより医療訴訟が減り、一つ一つの薬に物語が宿ることで副作用が減り、漠然とですが多くの医療問題が解決されるような気がするのです。そうして医療人類学を通してチベット医学や文化に対する理解が広まったその時こそ、チベット薬を正式に薬として認めていただきたいのです。それにはまだ何十年とかかるでしょうから、首相の在任中に実現しそうにありません。それでも焦らずに、チベット人のように来世までのスパンでのんびりと考えませんか(笑)。
現代医療が社会を形成する土ならば、伝統医療は土の上を吹き抜ける風になればいい。社会を繋ぎ信頼を育むそよ風になればいい。太古の記憶、遠く離れた異国の香りを運ぶ風になればいい。優れた医者を育てる風になればいい。なぜなら風と土、この二つがあってはじめて社会の風土が形成されるのですから。
風に証書は要りません。風に資格はありません。もしも制度の名の下に社会を壁で囲ってしまったならば、そこに風、すなわち「真の信頼」は生じません。風はいつだって気ままなものです。でもたまに、そっと頬を撫でたり、土を巻き上げたり、木の葉を揺らすことで自己満足を得ているからご安心ください。そして、ノーベル医学賞をいただける日がきたならば、そのときはストックホルムの会場内に一陣の突風をなびかせて喜びを表現することでしょう。そんな日が訪れるためにも、首相、どうか統合医療制度化の件、ご再考のほどよろしくお願い申し上げます。
敬具
2010年3月吉日。
チベット医 小川 康
チベット医学は、その名の通り、1300年にわたってチベットに伝わる伝統医学で、薬草などを原料としたさまざまな薬を用います。しかしそれだけではなく、患者との対話を重視し、チベット医に対する患者の尊敬や信頼によって成り立っている側面も強いようです。
代替医療・伝統医療は全体的に、その科学的根拠の検証が十分ではないものも多く、保険適用や資格制度化を考える際、それぞれの療法の科学的根拠が検証されなければならないことは言うまでもありません。一方で小川氏の見解は、伝統医療の価値について「科学的根拠があるかどうか」とはまた違った視点を提示しています。小川氏は本紙・藤倉に対して、こう語っています。
「チベット医学は、日本で保険適用や資格制度化を行うべきではないと思います。ただ、医師と患者との信頼関係のあり方や、医学に対する医師の姿勢にかんする思想の一つとして、日本の大学の医学部などで学生に学んでほしいとは思う」
チベット医が患者の信頼を確立している背景には、修業とも呼べるような厳しいカリキュラムで鍛えられ、治療の現場で使う薬草も医師自らが山に入って採取してくるなど、彼らの医師としての姿勢を患者も知っているからでしょう。
「チベットでお坊さんが尊敬されているのも、おそらく同じことだと思います。その厳しい修行の様子や、自分たちのために一生懸命お祈りをしてくれている様子が、全て一般の人々の目に見えるようになっているからでしょう」(小川氏)
現状の日本の医療において、ただ単に病院でチベット薬が使えるようになるとか、「チベット医」の肩書を持つ医師が増えるとか、その医療行為が健康保健の対象になるというだけで、医師は患者の信頼を得ることができるでしょうか。仮にチベット医学に科学的根拠が見出されたとしても、ただ単に現在の日本の医療制度に組み込むだけでは、小川氏が「イチェ」と呼ぶ薬草は効果を失ってしまうような気がしてなりません。
小川 康(おがわ やすし)プロフィール
富山県出身。1970年生まれ。東北大学薬学部卒。薬剤師。元長野県自然観察インストラクター。薬草会社、薬局、農場、ボランティア団体などに勤務後、99年1月よりインド・ダラムサラにてチベット語・医学の勉強に取り組む。2001年5月、メンツィカン(チベット医学暦法学大学)にチベット圏以外の外国人としては初めて合格し、2007年卒業。晴れてチベット医(アムチ)となる。「自然治癒力を高める連続講座(ほんの木出版)」 に『チベット医学童話タナトゥク』を連載。チベットの歌や踊りにも造詣が深い。 2009年7月より長野県小諸に富山の配置薬を扱う「小川アムチ薬房」を開業。「風の旅行社」で『ヒマラヤの宝探し~チベットの高山植物と薬草たち』連載中。
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