不二阿祖山太神宮を参拝する安倍昭恵氏。隣は同神宮の代表者・渡邉政男大宮司(安倍昭恵氏のFacebookより) |
不二阿祖山太神宮は、トンデモ偽書「宮下文書」に基いて古代富士王朝の中心であった「不二阿祖山太神宮」の再建を目指す宗教団体。この宗教団体の背景や「宮下文書」について情報収集にのめり込みすぎた本紙・藤倉善郎総裁は、あまりの面白さに疲労困ぱい。「おかげで異様に長い記事になってしまった。読むのが面倒くさい人は、記事末尾の国会議員一覧だけ見てみてほしい。今日から始まった衆院選の立候補予定者もたっぷり混じってますよ」などと語っています。
■独自の歴史観に基づく宗教イベント
FUJISAN地球フェスタWA2017 |
【日刊ゲンダイ】雲隠れの昭恵夫人 今度はカルトイベントの名誉顧問に就任
実行委員長の渡邉政男氏は、「FUJISAN地球フェスタWA2017」のウェブサイト上では「NPO法人 地球と共に生きる会 理事長」「みんなの富士山学会 会長」と記載されていますが、宗教法人「不二阿祖山太神宮」の大宮司を名乗る人物でもあります。
不二阿祖山太神宮 |
200~300万年前と言えば、現在の人類は誕生しておらず、まだアウストラロピテクス的な猿人がうろうろしていた時代。とても天皇を頂点とする王朝があったとは思えません。
「FUJISAN地球フェスタWA」は2014年からスタートし、2014、2015年には八幡書店社主・武田崇元氏、学研『ムー』編集長・三上丈晴氏とともに不二阿祖山太神宮や周辺の神社や史跡をめぐるなどする「富士高天原ツアー」、2016年には同じく武田氏、三上氏による講演会「富士王朝と高尾山古墳の謎」を開催。また、「FUJISAN地球フェスタWA」の関連イベントとして例年、稲やマコモ収穫祭なども行っていますが、これは不二阿祖山太神宮が「神農法」と称して稲やマコモを栽培している富士吉田市内の田で行われています。
明らかに、「不二阿祖山太神宮」の教義と関わりが深いイベントです。
■トンデモ偽書「宮下文書
『神皇紀』(国会図書館) |
「宮下文書」は「富士古文献」とも呼ばれ、神代文字で書かれていた文書群を、日本に渡来していた中国・秦朝の学者・徐福が紀元前3世紀に翻訳し、富士山噴火や時の権力からの弾圧をくぐり抜けて写本が明治16年(1883年)に発見されたとされています。ところが、『古事記』や『日本書紀』が基本的に漢文で書かれているのに対して、それより古いはずの「宮下文書」が日本語文法で書かれているという矛盾や、「人民」「海軍」「元帥」「大本営」といった近代に入って使われ始めた言葉が登場することなどから、江戸時代以降に作られた偽書とされています(神奈川徐福研究会定例会資料)。
偽史研究家の原田実氏は『偽史と奇書が描くトンデモ日本史』(じっぴコンパクト新書)などの中で、そもそも徐福が渡来したということ自体が史実ではないとして、「宮下文書」を偽書と断定しています。
『偽史と奇書が描くトンデモ日本史』
(宮下文書に登場する)木花咲耶姫(このはなさくやひめ)が富士の火口に飛び込んで富士山の不護身となる、という印象的なエピソードについても、木花咲耶姫が富士山の神とみなされるようになったのは江戸時代初期からであり、このことからも、(宮下)文書は近世以降に成立したものであるという見方が強い。
しかし一部には宮下文書を信奉する人々や宗教団体があり、かつてオウム真理教の教祖・麻原彰晃(松本智津夫死刑囚)が富士山麓に教団本部を構えることを決めたのも、月刊誌『ムー』に掲載された宮下文書特集の影響であるとも言われています。
■設立8年の宗教団体と「生き神様」
不二阿祖山太神宮の代表者である渡邉政男氏は大宮司を名乗り、伝統的な神道のようにも思える装いですが、近世に入ってから作られたと考えられる偽書を根拠とした神社である時点で、新興宗教(新宗教)であることは明らかです。しかも本紙が不二阿祖山太神宮の登記情報を確認したところ、法人設立は平成21年(2009年)。やや日刊カルト新聞社と同じ年の設立で、その歴史はたった8年しかありません。
不二阿祖山太神宮の登記情報(平成24年3月閉鎖=現在の場所に移転のため) |
「天住の会」と名乗っていた時期に、信者から勧誘を受けたAさんに話を聞くことができました。
「私が勧誘されたのは2010年のこと。知人が天住の会の信者で、会のおかげで自分にいろんな奇跡が起こったと言って、何度も熱心に誘われたんです。その知人から、教祖様は宇宙を創ったすべての大元の神様からご神示を受けてこの会を作った、生き神様だと言われました。教祖様は会では“聖主(せいす)様”と呼ばれていて、私も実際にお会いしました。知人からは“宗教ではない”と言われて誘われたのですが……」
天住の会は2010年にはすでに宗教法人として活動していました。信者が「宗教ではない」と言って勧誘していたのが事実であれば、統一教会などのカルト宗教に見られるのと同じ、偽装勧誘である可能性もあります。
Aさんに、不二阿祖山太神宮の代表者である渡邉政男大宮司の写真を見てもらったところ、同じ人物だとのこと。
「怪しいと思って、それ以上は関わりませんでした。もう金額は覚えていませんが、様々な名目でお金を取る宗教だったことは覚えています。たとえば、天住の会にはお守りがあって、これを持つ者は“神の子”として認められ、神の子として認められないものはお守りを持つことができず救われないというんです。そして、このお守りを持つ人は、月々、使用料を払う。変わったシステムだなと思いました。ほかにも、ヒーリングを覚える勉強会や試験があって、その都度、費用がかかる。ヒーリングには1度に1人を癒せるパワー、10人、100人を癒せるパワー、1000人力パワーといった調子でいろんな種類があり、それぞれに勉強会や試験があるんです。ヒーリングができるようになると、薬の副作用や食品添加物の毒性を消せると言って、私を勧誘して来た知人は、薬やスナック菓子にせっせとヒーリングをしてました」
神職でもない一般信者がヒーリングパワーを授かるためにいくつもの勉強会や試験を受けるというあたり、伝統的な神道とはかなり違う教義をもつ宗教のようです。
天住の会では、「奇跡の水」なるものもあったそうです。
「当時、会の本部とは別の場所に不二阿祖山太神宮があって(※これが現在の本部のようです)、そこで汲んだ水を“奇跡の水”だと言って、信者は自慢げに水筒に入れて持ち歩いていました。これはお金はかからないようで、自分で汲みに行っていたようです。難病が治ったり開運したりするすごい水だそうです」
現在、不二阿祖山太神宮は、この水をペットボトルに入れて500円で販売しています。
■不二阿祖山太神宮に聞いてみた
不二阿祖山太神宮に電話をかけて、現在の宗教法人「不二阿祖山太神宮」の成り立ちを聞いてみました。
「渡邉政男・大宮司は、東京の生まれですが富士山の裾野に養子に来て、その後40年間、宮下文書の研究をされてきました。そのことから、不二阿祖山太神宮の再建に着手されたのです。はじめは任意団体“地球と共に生きる会”として数人のメンバーでスタートし、2002年にNPO法人格を取りました。この頃から不二阿祖山太神宮の再建は始めていましたが、神様事を手がけるには宗教法人が必要だということになり、2009年に宗教法人になりました。山梨県は、かつてオウム真理教があった地でもあるので、宗教法人を取得するのにかなり時間がかかりました」(担当者)
渡邉氏は、もともと不二阿祖山太神宮の宮司の後継者一族でも神道の神職でもないようです。
2010年に勧誘された人が渡邉氏のことを「生き神様」と聞かされたり、「宗教ではない」と言われて勧誘されたりしたという証言については、担当者はこう説明します。
「大宮司は、自分から神様を名乗ったりはしていません。しかしその人柄に触れて、大宮司を生き神様だという人はいます。“宗教じゃない”という話については、それを口にした方がどのようなつもりでおっしゃったのかはわかりませんが、明治時代以前の伝統的な日本人の生き方を追求するという部分が、多くの方がイメージする“宗教”とは違うというニュアンスで言ったのではないでしょうか。ヒーリングというのはやっていませんが、富士神仙道の奥義をやっているので、それを今風にヒーリングとおっしゃっているんでしょうか。それはいまも、希望する方にはお教えしています」(担当者)
「FUJISAN地球フェスタWA」について担当者は、稲刈り体験などを「神示」として行っていることは認めましたが、「布教ではない」としています。
不二阿祖山太神宮のウェブサイトに掲載されている古地図 |
不二阿祖山太神宮の存在そのものも再建の場所も、全てが宮下文書に依拠しています。宮下文書は偽書であるというのが定説ですが、その点について尋ねると、こんな答え。
「それは歴史ロマンということで、いいんじゃないでしょうか。学術的には偽書とされていますが、その内容には必ずしもウソではない部分もあるのではないでしょうか」(担当者)
ですよね。歴史ロマンですよね。
■スタートは日本会議などの保守系人脈か
宗教に科学や史実を要求するのは無粋だとしても、政治家や行政がこれを支援するというのは、また別の問題です。「FUJISAN地球フェスタWA」に、政界関係者などがどのように関わってきたのかを整理してみます。
「FUJISAN地球フェスタWA」は2014年に第1回が山梨県内で行われ、その後の2015年1月、同フェスタの事務局が〈「FUJISAN 地球フェスタWA2015 実行委員会」設立発起人(世話人)承諾のお願い〉なる文書を作成しています。差出人は、当時すでに発起人代表を名乗っていた、愛知和男氏(元衆議院議員=自民党)、渡邉政男氏(NPO法人地球と共に生きる会理事長で不二阿祖山太神宮大宮司)、長崎幸太郎氏(衆議院議員=無所属)、小島一郎氏(厚木市議会議員)の4名の連名。
後述するように、「FUJISAN地球フェスタWA」に安倍昭恵氏や大量の国会議員の名が顧問などとして並び、中央官庁や地方自治体の後援が一気に増えたのは、この2015年からです。
この文書では事務局の所在地は「東京都台東区浅草橋4丁目11番4号Icon Lab 秋葉原1階」となっています。これは、2014年と15年に「FUJISAN地球フェスタWA」の後援団体となっていた「NPO法人 頭脳スポーツ財団」の事務局所在地と同じ。そして頭脳スポーツ財団の役員には、2015年以降、「FUJISAN地球フェスタWA」の代表発起人で特別顧問の上田勇氏(衆議院議員=公明党)の名もあります。
頭脳スポーツ財団は、「社会貢献事業グループ」というグループの構成団体で、事務局の住所は同グループの事務所の所在地でもあります。また同じく社会貢献事業グループの構成団体に「国連NGO日本チャリティ基金支援機構」があります。「国連NGO」を名乗っているものの国際連合広報センターの「日本に本部を置く国連NGOには記載がないという、よくわからない団体ですが、この団体のウェブサイトにも2014年10月11日付けで〈国際フェスタ開催について・・・FUJISANN地球フェスタ活動〉との記載があります。社会貢献事業グループの複数の構成団体が「FUJISAN地球フェスタWA」に関わっていたことがうかがえます。
社会貢献事業グループの初代会長とされる中條高徳氏(故人)は、アサヒビールの元社長で日本会議の代表委員でもあった人物。2014年の「FUJISAN地球フェスタWA」では、日本会議も後援団体になっていました(Web Archive)。
「FUJISAN地球フェスタWA」は、こうした保守系社会運動の人脈とも絡み合いながらスタートしたイベントのようです。
もともと宮下文書をめぐっては、保守系政治家の影が見え隠れします。宮下文書のダイジェスト版『神皇紀』は、前述の通り大正時代に出版されました。これが1981年に『神皇紀:天皇家七千年の歴史』(日本国書刊行会)から復刻されています(日本図書刊行会ではありません。日本国書刊行会です)。原田実氏『日本トンデモ人物伝』によると、日本国書刊行会の会長には中山正暉・衆議院議員(自民党=当時)、推薦文に斎藤滋与史・建設大臣(当時)が名を連ね、出版パーティーでは中山議員がこんなスピーチをしたとか。
「ユダヤ人が希望の丘と言っておりますシオンの丘、このシオンというのが日本の祇園」
「日本に新しい愛国心を盛り上げることができれば、私にとってこれほどうれしいことはない」
このエピソードは不二阿祖山太神宮と直接の関係はありませんが、もともとトンデモ歴史書というものは、ちょっと変わったナショナリズムと結びつきやすいようです。
■大量の国会議員と行政機関の参画
2014年に開催された第1回の「FUJISAN地球フェスタWA」の当時のウェブサイト(WebArchive)には、政界関係者は「名誉会長 愛知和男」(元衆議院議員=自民党)と「顧問 岩國哲人」(元衆議院議員=民主党)の2名しか記載されておらず、安倍昭恵氏の名はありません。しかし2015年の第2回開催に向けて主催者がクラウドファンディングで資金集めをした際には、〈安倍昭恵さん(安倍内閣総理大臣夫人。FUJISAN地球フェスタWA名誉顧問)より、「未来の子ども達のために、FUJISAN地球フェスタを応援します」との応援メッセージをいただきました〉として、その名が登場します(子ども達のために「FUJISAN地球フェスタWA2015」を開催したい!)。
2017年の役員名簿の一部(Web Archive) |
この2015年から、役員に大量の政界関係者が名を連ねるようになります。2014年開催時には前述の愛知氏、岩國氏の2名でだけで、ともに当時は「元」国会議員。それが2015年になると、名誉顧問に石破茂氏(衆議院議員=自民党)、谷垣禎一氏(衆議院議員=自民党)、特別顧問に小林常良氏(厚木市市長)、上田勇氏(衆議院議員=公明党)、武田良太氏(衆議院議員=自民党)といった現役の国会議員や市長が加わり、いずれも「代表発起人」も兼ねています。この年、顧問も含めると計71人の現役国会議員(当時)が名を連ねました。議員ではありませんが、2015年には田母神俊雄氏(元航空幕僚長)の名もあります。
2016、2017年は、現役国会議員はそれぞれ67人、66人。いずれの年も7割以上が自民党議員。次いで多いのが公明党議員で、各年とも10%前後。少数ながら、維新の党や民主党(民進党)もいます。今日から始まった衆院選で希望の党の公認で立候補を予定している議員もいます(本記事末尾に一覧を掲載)。
「FUJISAN地球フェスタWA2014」は行政機関の後援も少なく、外務省、御殿場市、富士宮市、南アルプス市、裾野市、沼津市の7つのみ(Web Archive)。これが2015年になると、中央官庁9、自治体20、教育委員会7の計36にまで膨れ上がります。この年からテレビ山梨、静岡新聞社・静岡放送、山梨日日新聞社、毎日新聞社といったメディアが7社も後援につきます。
後援団体の内訳(本紙まとめ) |
特定の宗教の教義と深い関わりを持つイベントに、これだけの行政機関が権威づけを与えるというのは、過去に例を見ない規模の政教一致問題なのではないでしょうか。
2014年のチラシ。後援団体に「日本会議」とある。 |
2016年には17、2017年には13の大学や教育委員会も後援に名を連ねています。前述のように、不二阿祖山太神宮も「FUJISAN地球フェスタWA」も、偽書とみなされている「宮下文書」に基づき「古代富士王朝」が実在するかのように主張しています。これを文科省ばかりか大学や教育委員会までもが後援するというのは、いかがなものでしょうか。
やつれはてた本紙・藤倉善郎総裁のコメントです。
「紀元前3世紀に書かれたと称する宮下文書に“元帥”とか“大本営”なんて単語が出てくるし、アウストラロピテクスの時代に天皇家や神社があったみたいな話になってるし、神社とか大宮司とか言ってるのが新興宗教の“生き神様”だし、宗教がらみのイベントを政治家や官公庁や教育委員会までもが支援してるし。見どころが多すぎて記事が異様に長くなってしまった。疲れた」
◇「FUJISAN地球フェスタWA」の役員を務めた国会議員一覧
※赤字は今日公示の衆院選立候補予定者
※敬称略
石破茂(衆=自民)/名誉顧問、代表発起人(2015、2016、2017年)
谷垣禎一(衆=自民)/名誉顧問、代表発起人(2015、2016、2017年)
上田勇(衆=公明)/特別顧問、代表発起人(2015、2016、2017年)
武田良太(衆=自民)/特別顧問、代表発起人(2015、2016、2017年)
宮川典子(衆=自民)/顧問、特別顧問、代表発起人(2015、2016、2017年)
義家弘介(衆=自民)/顧問、代表発起人(2015、2016、2017年)
逢沢一郎(衆=自民)/顧問(2015、2016、2017年)
井上義行(参=無所属)/顧問(2015、2016、2017年)
井上信治(衆=自民)/顧問(2015、2016、2017年)
園田博之(衆=自民)/顧問(2015、2016、2017年)
丸山和也(参=自民)/顧問(2015、2016、2017年)
宮内秀樹(衆=自民)/顧問(2015、2016、2017年)
宮澤博行(衆=自民)/顧問(2015、2016、2017年)
金子恭之(衆=自民)/顧問(2015、2016、2017年)
原田義昭(衆=自民)/顧問(2015、2016、2017年)
古屋範子(衆=公明)/顧問(2015、2016、2017年)
御法川信英(衆=自民)/顧問(2015、2016、2017年)
江田康幸(衆=公明)/顧問(2015、2016、2017年)
高木宏寿(衆=自民)/顧問(2015、2016、2017年)
高木美智代(衆=公明)/顧問(2015、2016、2017年)
坂本哲士(衆=自民)/顧問(2015、2016、2017年)
三ッ林裕巳(衆=自民)/顧問(2015、2016、2017年)
三原順子(参=自民)/顧問(2015、2016、2017年)
三原朝彦(衆=自民)/顧問(2015、2016、2017年)
山口泰明(衆=自民)/顧問(2015、2016、2017年)
山口和之(参=無所属)/顧問(2015、2016、2017年)
山本幸三(衆=自民)/顧問(2015、2016、2017年)
山本拓(衆=自民)/顧問(2015、2016、2017年)
若宮健嗣(衆=自民)/顧問(2015、2016、2017年)
秋元司(衆=自民)/顧問(2015、2016、2017年)
秋葉賢也(衆=自民)/顧問(2015、2016、2017年)
小熊慎司(衆=希望)/顧問(2015、2016、2017年)
小倉將信(衆=自民)/顧問(2015、2016、2017年)
小沢鋭仁(衆=希望)/顧問(2015、2016、2017年)
小林鷹之(衆=自民)/顧問(2015、2016、2017年)
松村祥史(参=自民)/顧問(2015、2016、2017年)
松本文明(衆=自民)/顧問(2015、2016、2017年)
上野賢一郎(衆=自民)/顧問(2015、2016、2017年)
城内実(衆=自民)/顧問(2015、2016、2017年)
西村康稔(衆=自民)/顧問(2015、2016、2017年)
青山周平(衆=自民)/顧問(2015、2016、2017年)
斉藤鉄夫(衆=公明)/顧問(2015、2016、2017年)
前原誠司(衆=無所属)/顧問(2015、2016、2017年)
前田一男(衆=自民)/顧問(2015、2016、2017年)
足立康史(衆=維新)/顧問(2015、2016、2017年)
大口善徳(衆=公明)/顧問(2015、2016、2017年)
大野敬太郎(衆=自民)/顧問(2015、2016、2017年)
大野泰正(参=自民)/顧問(2015、2016、2017年)
棚橋泰文(衆=自民)/顧問(2015、2016、2017年)
谷川とむ(衆=自民)/顧問(2015、2016、2017年)
竹本直一(衆=自民)/顧問(2015、2016、2017年)
中川雅治(参=自民)/顧問(2015、2016、2017年)
中谷真一(衆=自民)/顧問(2015、2016、2017年)
辻清人(衆=自民)/顧問(2015、2016、2017年)
田村憲久(衆=自民)/顧問(2015、2016、2017年)
渡海紀三朗(衆=自民)/顧問(2015、2016、2017年)
土屋品子(衆=自民)/顧問(2015、2016、2017年)
東徹(参=維新)/顧問(2015、2016、2017年)
藤井基之(参=自民)/顧問(2015、2016、2017年)
馬場成志(参=自民)/顧問(2015、2016、2017年)
武井俊輔(衆=自民)/顧問(2015、2016、2017年)
牧義夫(衆=希望)/顧問(2015、2016、2017年)
牧原秀樹(衆=自民)/顧問(2015、2016、2017年)
木原稔(衆=自民)/顧問(2015、2016、2017年)
野田毅(衆=自民)/顧問(2015、2016、2017年)
神山洋介(衆=希望)/顧問(2015、2016、2017年)
矢倉克夫(参=公明)/顧問(2015、2016年)
森屋宏(参=自民)/顧問(2015年)
星野剛士(衆=自民)/顧問(2015年)
浜田和幸(参=次世代)/顧問(2015年)
前田武志(参=民主)/顧問(2015年)
35 コメント:
変な新興宗教がいつのまにか誕生していたんですね。政治家のリストの中に石破さんの名がありましたが、石破家はクリスチャンホームなのに。。。
石破さんの曽祖父は新島襄の弟子の一人でしたが、新島の弟子なのに非常におかしな人だったそうです。
組合教会の牧師になったところまではよかったのですが、そのあと組合教会を棄教したらしく、ホーリネスという明治の後半に入ってきたアメリカ生まれの新興宗教に宗旨替えしてしまったそうです。(ホーリネスは病気になったら祈って治せという創価学会そっくりの新興宗教)
娘が病気になったとき、もちろん病院にも連れて行かずに、学会員のように祈って治そうとしたのでしょう。娘はあわれなことに亡くなってしまいました。
娘の死をきっかけに、ホーリネスも棄教してしまい、そのあとは山奥で仙人のような暮らしをしたとか・・・
石破さんの中には、組合教会→新興宗教→仙人の曽祖父の血が入っていますので、時々血のせいか迷いまくってとんちきなことをしてしまうのかもしれません。
力作とは思うが、最初から最後まで「FIJI」とローマ字の綴りを間違えたままなのも相当気持ち悪くて記事の中身に集中できなかった。
顧問になってお布施をして票をもらうのか
献金or顧問料をもらって便宜供与するのか
単なる名義貸しなのか
日刊カルト教も顧問のお願いしたらいかがです?
ファーザームーンと呼ばれる姿を見てみたい
昭惠夫人は何を目指しているんでしょうかね。
スピリチュアルとか新興宗教系に傾倒しやすいんですかね。カトリックの学校出ても何も学んでこなかったということですかね。いっそのこと昭惠教の教祖様として活動したらいいと思う。
それにしても政治家と宗教は関係が深すぎて闇を感じます。
安倍さん、大麻は楽しい?
でもマリファナは立派な麻薬ですから、残念
げっ、これは本当にやばいと思う・・・。昭恵さんもどうかしていると思う・・・。旧民進系の人まで・・・。近代になってから登場する言葉が入っている文書が「偽書」も当たり前のものかと・・・。
偽伝統とキチガイ創造の精神で世界から尊敬される「道義大国」を目指すwwwwww
ひぃぃーーー!!
政治活動をしているにもかかわらずなぜ正体を隠そうとするんでしょうか?
そして役員名簿って割とすぐに削除されてしまうんですよね。
かつての「論破プロジェクト」然り、「日本教育再生機構」然り。
役員名簿はさっさとコピーしたほうがいいというのがこれらからの教訓ですね。
富士山が現在の形(単独峰)になったのが約3000年前と言われているのに。200万年前って。
ちょっとした縄文人でも違うかたちの富士山をみてたってことなのにねぇ。
ちなみにアキエ夫人は「水からの伝言」も大好きな人です。
ま、典型的な「アレ」な女性ですね。
立場が違えば、○ムウェイとかにもハマってそうだなぁ。
そのうち、自民党とか日本会議の奴等は幸福の科学の後援もしそうですね。
アべとエル・バカターレとアンドーが仲良く手をつないだりして。
不二阿祖山太神宮というのは確かに史実によれば実際に存在していた神社、調べてみれば国とは深いかかわりを持った神社なわけで、言うならばこの神社は国の持ち物でしょう。それを宗教法人として国が認めていて、まして国が支援しているということは過去からの神社ということを認めたということなんでしょうかね。
いずれにしても、戦前から遡れば明治維新以前からあるこの神社の存在を今の体制になってから、国がどのように対応するのかはとても興味があります。神社と云っても神社本庁には所属出来ないでしょうし、ホントにこの神社の存在自体が歴史ロマンだと思います。これからの動きもどうなるかとても興味があるテーマですよねコレ。国の出方、神社側の対応、世論の動きなど是非今後も積極的に取り上げていただきたい記事です。
富士王朝といえばザインを思い出します。
こちらの顧問はどのような人でしょうか。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%82%A4%E3%83%B3_(%E5%9B%A3%E4%BD%93)
>また、思想・性質の特異性や商品販売の手法の問題(借金強制、強引な売掛金回収、女性会員への風俗店勤務強要[3]等)からマスコミに取り上げられることもしばしばで、
実態は資金集めをしている悪質マルチ商法と一緒みたいですね。
コメント消えてる・・・
私もああなりたい~!
福倉さんも一緒になりましょう!
ホメオパシーでもそうですが、偽科学系にはまるのはコンプレックスの強い人によくある傾向だと思います。
安倍首相夫人は初等科から聖心で名家の出なのに、お勉強の方は全然ダメで聖心女子大に入れず、保育専門学校卒という学歴コンプレックスがあるからではないでしょうか。
同一住所な法人
大都機電株式会社 東京都台東区浅草橋4丁目11番4号
一般財団法人日本認知症総合対策推進機構 東京都台東区浅草橋4丁目11番4号
有限会社曜曜堂 東京都台東区浅草橋4丁目11番4号
住所同一な団体
〒111-0053 東京都台東区浅草橋4丁目11番4号
Icon Lab 秋葉原 1階
国際動物愛護救済支援機構 (MOMOCA財団)
全日本スペラ連盟(国際スペラ協会 日本支部)
頭脳スポーツ競技連盟
ザインとの関連はあるのでしょうか
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%82%A4%E3%83%B3_(%E5%9B%A3%E4%BD%93)
>ザインとは独特の政治思想、超自然思想を持った団体。カルト的右翼的な主張をしているので政治団体・宗教団体扱いされることもある。
>「世界帝国富士皇朝」「富士皇朝」
曹洞宗では、仏の悟りを「月」に、経典を「月を差す指」に譬え、仏の悟り(月)を得た後は、経典(月を指す指)は必要ないとし、その教義は達磨の「教外別伝・不立文字」「直指人心・見性成仏」に代表されます。「教外別伝・不立文字」とは、釈尊の教えの真意は文字などで表現できるものではなく、以心伝心といって、経典とは別に心より心へと伝えられるというものです。直指人心・見性成仏とは、教経を用いずに坐禅の修行によって自分の心を見つめ、自己の本性が仏そのものであると知ることをいいます。
曹洞宗では「教外別伝・不立文字」と主張しているにもかかわらず、本尊と所依の経典を定めています。本尊は、釈迦牟尼仏・大日如来・薬師如来・観世音菩薩を中心として、宗派によってそれぞれ異なったものを立て、一定していません。また、所依の経典も『金剛般若経』『楞厳呪』『観音経』等で、宗派によって様々であります。
曹洞宗では、釈尊の一代聖教には真実を顕さず、真実の法は釈尊が迦葉一人に、一代の教えのほかに別に伝えたといいます。しかし、釈尊の涅槃のときには、迦葉はその場にいなかったのであります。ゆえに、釈尊が華を拈んで迦葉尊者一人が笑みを浮かべたという事実はなく、禅宗でよく言う「拈華微笑」とは、まったく根拠のない作り話であります。
また「教外別伝・不立文字」と説き、仏の真意は文字を立てず心から心へ伝わるというが、「教外別伝・不立文字」と仏が説いたこと自体が教えであり、言葉であり、文字として残っているではないでしょうか。不立文字とは文字を立てないことでありますから、当然、経典等は用いないことになりますのに、その根拠を『大梵天王問仏決疑経』の経文に依るとは自語相違でありましょう。
しかも依経としている『大梵天王問仏決疑経』は、大蔵経の古録である『貞元釈教録』『開元釈教録』にもその存在はなく、古来より偽経として扱われているのであります。
また、達磨は『楞伽経』を註釈した書物を作り、第二祖慧可に禅の法を伝えたとしていますが、これもまた「不立文字・以心伝心」の禅宗の教えに自語相違しています。
一代聖教を誹謗し、経典を捨て去り、教外別伝・不立文字を立てる禅宗は、『涅槃経』の、「若し仏の所説に随わざる者あらば、是れ魔の眷属なり」と説かれるように天魔の所業といわざるをえません。
さらに「直指人心・見性成仏」といい、教経を用いず、坐禅によって見る自己の本性が仏性であり、仏そのものとします。たしかに衆生はすべて仏ともいえますが、それは単なる理論上の仏であって実際の仏ではありません。三毒強盛の凡夫の心は所詮、迷いの心であって、その心をいかに見つめても仏心を観ずることはできません。だからこそ釈尊は『涅槃経』に、「願って心の師と作るとも心を師とせざれ」と説かれ、人の心は迷いの心であって、その心を師匠とすべきでない、と誡められているのであります。完全無欠の仏を蔑ろにし、「是心即仏・即身是仏」などと凡夫の愚癡無慚の心をもって、「我が心を観じることによって仏となる」という曹洞宗の教えは、随分と傲慢な教えと言えましょう
洗心教団、人間禅、臨済宗建長寺派、黄檗宗も禅宗で曹洞宗と似たように自語相違な内容を教えていることになります
【阿含宗教義の概要】
開祖は観音慈恵会以来、たびたび本尊を変更しているが、現在、教団が総本尊と称して祀っているのは「真正仏舎利」である。靖雄が過去に仕立てた本尊には、
一、「大白身如来最勝金剛仏母準胝観世音」…観音慈恵会時代
二、「大白身如来最勝金剛仏母準胝観世音大菩薩」…昭和53年の立宗時
三、「大日如来・釈迦如来・準胝如来の三身即一の如来」…昭和54年2月の「大柴燈護摩供」(阿含の星まつり)で、火焔の中に姿を現したとしている
四、「真正仏舎利」…昭和61年にスリランカから贈られた釈尊の遺骨
などがあり、大日如来・釈迦如来・準胝如来の三身即一の如来は現在でも、一応本尊としている。
信者は、各家庭に〝御宝塔〟と称する金属製の仏舎利塔を祀る。この舎利塔は、靖雄が「真正仏舎利」の前で7日間「舎利法」を修し、真正仏舎利と同等の功徳力が備わるという石を納めたものである。
教団の所依の経典は、立宗以前は『準胝観音経』や『般若心経』としていたが、立宗後は『阿含経』としている。
阿含宗では、人間自身には各自が前世から担ってきた「ヨコの因縁」と、祖先から受け継ぐ「タテの因縁」とがあり、そのタテとヨコの因縁が交わるところにカルマ(業)があると説明している。
そして、人間が不幸になる悪因縁は、執着や執念のために成仏できない「不成仏霊」と、不成仏霊のなかでも特に怨念の強い「霊障のホトケ」との2つによって引き起こされるとし、教団発行の『修行者座右宝鑑』には家庭衰退の因縁・二重人格の因縁・色情の因縁など、霊障によって形成される37種の悪因縁を挙げている。
教団では、これらの霊障を取り除き、さまざまな悪因縁から解放され(因縁解脱)、自由自在の境地になるための実践法として「成仏法」「如意宝珠法」「求聞持聡明法」の三つを教えている。
「成仏法」とは、『阿含経』に説かれる「七科三十七道品」である。七科三十七道品とは、四念住・四正断・四神足・五根・五力・七覚支・八正道等の修行方法のことであり、靖雄はこれを「7つのシステムと37のカリキュラム」と称し、生者、死者の業を断ち、因縁解脱をして仏になるための実践法としている。 「如意宝珠法」とは、「真正仏舎利」(釈尊の遺骨)の力によって、願うままに福徳宝生が与えられ、因縁解脱成就へと導く法であるという。
「求聞持聡明法」とは、人の記憶力を数倍にも高め超能力を与え、凡夫を天才にすると同時に、仏陀の悟りに至らしめる法であるとしている。これらの修行法は、阿含経の教説に基づくとしながら、実践においては密教様式を採りいれたものである。
また、教団における行法は、観音慈恵会時代と立宗当時は、1日3、40分の行を欠かさず1,000日間続ける「準胝尊・因縁解脱千座行」が中心であった。この行は、自己の悪因縁を断ち切る(因縁切り)ことを目的に行われた。しかし、立宗から八年後の昭和61年にスリランカから贈られた仏舎利を本尊に変更してからは、1日10分間程度の「仏舎利宝珠尊・解脱宝生行」と称する礼拝供養を行うだけで、因縁切りと福徳宝生の功徳が備わるとしている。
信者は、「不成仏霊」を供養する「冥徳供養法」と「霊障のホトケ」を供養する「解脱供養法」を行う。冥徳供養法は、管長・靖雄が供養した塔婆を自宅の舎利塔に置き、真言を称える。そして、その塔婆を教団に返納し、毎月管長が供養を続けることにより「守護霊」を持つことが出来るとする。「解脱供養法」は、管長が「霊障のホトケ」を探り出し、戒名・法名をつけ、そのホトケを完全解脱させるという。
その他に同教団には、教団運営のための奉仕活動や布教を行う「梵行」がある。自身の欠点や短所を消滅させる「戒行」、徳を積み福を伸ばすための「課行」との実践修行がある。さらに、教団は、土地や家の霊障を取り払う目的で「土地浄霊法」「地鎮屋敷浄霊法」を行っている。
阿含宗は、立宗時に本尊・修行が決まっていなかった、という奇妙な教団である。
靖雄は、本尊について「教団を立てるとしたら、本尊の仏をきめなければならないが、それは、生身の釈迦とされる仏舎利以外あり得ない」(オウム真理教と阿含宗147)」と述べながら準胝観音を本尊とした。教義・修行についても「立宗時に、ある程度の教義が樹立されていたが、それが完成し、修行法までできあがるのには『熟成』の期間が必要である」(同前・趣意)と述べている。
実際に、昭和53年4月の立宗以後、八年もたってから本尊を準胝観音から真正仏舎利に、修行は「準胝尊・因縁解脱千座行」から「仏舎利宝珠尊・解脱宝生行」に変更している。
阿含宗はまさに、靖雄のご都合主義による教団である。
(靖雄は阿含宗の開祖です。)
靖雄は、真正仏舎利を「これこそが真実の仏であり、仏教徒の総本尊」と高言している。ところが、この真正仏舎利なるものはたまたま入手できたに過ぎない。靖雄自身が、舎利を入手した経緯を「日本の某教団が舎利を受けることになり、その分骨式をスリランカの国家的行事として行ったが、相手の不都合により贈与が中止となった。しかし国家的に分骨式を行った手前、従来仏舎利を蔵していた寺院にもどすことはできず、急遽、阿含宗に贈与されることになった」(オウム真理教と阿含宗・取意)と説明をしている。
阿含宗として立宗してから、偶然手に入れた舎利をもって教団の本尊に即座にしてしまういい加減な教団である。
靖雄は「自分の持つすべての悪い因縁(条件)をすべて無くしてしまった人を『仏』という」と述べ、すべての悪を断じ、苦の因をなくさなければ仏になることができないなどという成仏論を主張している。
靖雄がいかに現世の成仏を強調しても、所依の経典である『阿含経』には、即身成仏の法門はまったく示されておらず、その主張は机上の空論にすぎない。
中山身語正宗は日々の勤行式の『ご宝前の行』においては、「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 さても さても かたじけない」と阿弥陀仏を礼讚し、108反の念仏を称えることが記されているが、なぜに不動尊に向かって「南無阿弥陀仏」と唱えるのか。矛盾も甚だしいといわざるを得ない。
中山身語正宗では、信徒に「心に根本大悲の親(仏)を信じていれば、たとえ阿弥陀仏でも、釈迦仏でも、先祖の位牌でも、何を拝んでも構わない」といい、その根本大悲の親である仏は「目には見えない仏」といい、しかも「いずれの経典にも説かれていない仏」であると説明している。
この出所不明の仏に関する言葉自体、教祖が思いつきの素人法門を振り回し、信者を誑かす教団であることの証拠である。
卍教団は、真木応瑞が既存の仏教教団を解体し、寺院の自由自治、教師の自主独立を提唱して創設した真言宗系の教団である。
教団創設者応瑞は、法華宗の成仏は唱題による「口業一密」であると決めつけ、合掌による成仏(身業一密)を説くのは卍教団だけであるなどと主張している。合掌が大切であると説くのは何も卍教団だけに限った教えではない。『法華経』には「実相印」「合掌以敬心」「即起合掌」「合掌向仏」等々、合掌に関する御文が数多く説き示されているのである。
成仏とは、合掌(身業)だけで成就するものではなく、口業・意業の働きも大切なのであり、口や心を離れた身の成仏はないと知るべきである。身口意の三業にわたる仏道修行こそ仏法の基本であるにも関わらず、「身業」のみで成仏すると説く卍教団の教えは仏法破壊の邪論であり、人々を誑惑する魔説である。
辯天宗は、真言宗の僧侶を夫に持つ大森智辯が、辯才天から天啓を受けたとして創設した教団である。奈良や和歌山にある智辯学園はこの教団が経営している。
教団では「水」を宇宙の根本原理とし、水の特性に合わせた生き方によってのみ人間は幸福になることができると主張する。しかし、仏教で説く根本真理とは、仏のみが悟った因果の理法を指すのであり、仏は水や水の働きを宇宙の根本原理であるなどとは説いていない。
教団が主張するような水の特性に合わせた生き方をしたとしても、それで幸福な境界を得ることはできるはずもない。かえって仏法の道理に背く結果となり、不幸を招くことになるのである。
辯天宗では、病気封じの秘儀として「きゅうり加持」なる祈祷を行っている。しかし、このような祈祷などで病気が治るはずもなく、迷信・邪信の域を出るものでない。
辯天宗では、堕胎した水子は生者を恨んだり、供養を求めたりして、その家族に強く霊障があらわれ不幸の原因となると教え、盛んに水子供養を勧めている。
しかし、仏教では自身が積み重ねた過去の十悪・五逆・誹謗正法等の悪因によって、現在及び未来の悪果報を招くと説くのであり、水子による霊障が不幸の原因となるなどとはどこにも説いていない。無論、安易に堕胎や中絶を行うことは、生命軽視として大きな悪因となることはいうまでもないが、それと霊障とはまったく関係はない。さまざまな理由から子供を失った親の悲しみや罪悪感に付け入り、水子の祟りと称して恐怖心を煽るこの教団は、仏法利用の悪質極まりない教団といわざるを得ない。
PL教団では、宇宙の根本神を大元霊(みおやおおかみ)としているが、この神の実体や所在、教祖との優劣については明らかにされていない。
礼拝の対象物が極めて曖昧なのに対し、「教祖によって世の人々は真の救いを得ることができるようになった」(PL30年史23・趣意)というように、教祖(おしえおや)の絶対性だけが強調されている。しかしその教祖自体、普遍的な指針を打ち出すこともなく、無節操にも時代状況に合わせて教義や教団名称、活動方針などが頻繁に変えられている。
徳近は、近年になって日章マークを礼拝対象物にしたが、その根拠ははっきりしない。徳近は、「私は自分で造形した神を自分で決定した礼拝様式で私自身が拝みます………これは我ながら見事なものだと思っています」(心を燃やす46頁)といっているように、何から何まで教祖の思いつきがそのまま教義になっている。
礼拝物について教団のある幹部は、「端的にいっちゃえばですね、礼拝をするには、何か対象がなければ格好がつきませんでしょう。それで、この形を創ったので………だから何であってもよかったわけで、古ゾウリでもよし、ちびたゲタでもよかったんです」(新宗教の世界96)などといっている。PL教団では、信仰のうえで最も大切であるはずの礼拝対象物(御神体)ですら、このようにいい加減なものなのである。
PL教団では、「身代り」の神事によって、信者たちの病気や惨事をすべて教祖(おしえおや)が自身に振り替えて解決するという。しかし、この「身代り」はPL教団独自のものではなく、すでにひとのみちや徳光教で「お振替(ふりかえ)」と称して行っていたものであり、教団では当初「転象(てんしょう)」と呼んでいた。ひとのみち教団発行の『信仰の本道』には、「をしえおやは悩みを一身に引受けることによって、毎月20日頃から身体が役に立たないやうになってくる。人の苦しみを現実に自分の肉体に引取られるから、細胞組織の完全な身体ではなくなってくるのであります」(255)とまことしやかに述べているが、これは現在の医学ではまったく通用しないでまかせである。仮に教祖にそのような身代りができるとするならば、今日、100万人を超すといわれる信者たちの病気や罪業を背負って、教祖は常に病弱で苦悩の多い境遇でなければならず、生きていることすら不思議である。教団では、「もちろん、おしえおやはあくまで人間であって神ではありません」(PL30年史23)といっているが、生身の人間には常識的に考えて、このような身代りなどできるはずがないのである。
また、「お振替」によって金田に喘息を治してもらったという徳一でさえも、終生他人に隠れて喘息の薬を飲み続けていたとの証言もある。
徳近自身、「科学的根拠の無いような宗教は其れ自体虚偽」(日訓241信)といっているが、まさに「身代り」を信者に強要し布教の中心に据えるPL教団こそ、虚偽そのものといわなければならない
教団で教義の中心に置いているのは『PL処世訓』であり、その根本は「人生は芸術である」との条目である。教団では、「自我を離れ、自己を顕現していくところに人生の真義がある」(宗教総覧184)としているが、煩悩の多い人間は、生命の浄化こそ大事であって、「自我を離れること」などは人間性を無視した教条であり、さらに「自己を顕現する」だけで真実の人生の幸福が得られるわけがない。したがって、教団でいうこれらの言葉は極めて抽象的なもので、またその他の条目についても、ありきたりの言葉を羅列したものに過ぎない。教祖の悟りと称するものがこの程度であるところに、教団の教義の低俗さといい加減さがみえる。
ヤマギシでは「無所有・共用、一体生活」を主張し、「豊富な物資と健康と親愛の情に充つる安定した、かつ快適な社会を人類にもたらす」と述べている。この「無所有・共用」「一体生活」の意味は、宗教ジャーナリスト米本和宏氏の取材に応じた、村人の女性が語った、「すべて誰のものでもないから、誰が使ってもいい。食堂だってお風呂だって、みんなが使う。一体なのよ。誰のものでもないっていうのは物だけでなく私の子どもだって私のものではない。だから、この村にいる子どもは誰のものでもない。私の身体だって、私のものではないの。世界中のすべてのものは誰のものでもない、すべては一体なのよ」という言葉に端的に表れている。
「無所有・共用、一体生活」を謳うヤマギシズムは、まさに社会的通念や人間の生活規範を破壊する暴論・邪説である。
ヤマギシズムを植え付けるために、「物心共に他を侵さない協力社会を築くための人間教育の場」と称し、特講(特別講習研鑽会)なるものを設けている。しかし前述の米本和宏氏は、自ら体験した「特講」について、「精神を不安定にさせる環境のもとで、解答なき解答を執拗に問われ続け、そこから逃れるために防御反応が働き、諸感覚の入力スイッチが切り替わってしまった結果、記憶が喪失し、…景色が鮮明に見え、離人感、多幸感を体験し、全能感にひたることになる。一方で神秘的体験、合一融合体験を味わい、場合によって二重人格になる。そして、解離状態は特講後も続く」(洗脳の楽園229)と述べている。
特講とは、決して「人間教育の場」などではなく、危険きわまりない「洗脳システム」にほかならない。
ヤマギシでは「宗教・神仏によらないで真の幸福を得る方法」と宣伝し、宗教を頑なに嫌悪している。しかし開祖の偏狭な教えを信奉し、特講・研鑽という洗脳システムを作ったヤマギシの実態は、宗教そのものであり、一時、世間を騒がせた「統一協会」同様のカルト教団である。
解脱会は、甘茶(天茶(あまちゃ))に、霊や業障を浄化する神秘的な力があるとし、戒名などを書いた札に甘茶をかけて供養をする「天茶供養」で知られる教団である。
天神地祇太神なるものを主尊として拝んでいるが、これはどの教典にも、文献にもない解脱会の発明、独創である。仏教の流れをくんでいるのであれば、教典によって明確な根拠を示すべきである。
真言宗の教えでは、顕教を密教(真言宗のこと)より劣るものとしている。解脱会は真言宗の末流でありながら、密教より劣るとする顕教の『般若心経』を依経とするのは矛盾である。
解脱会は、開創以来、宗教統制の時代には真言宗の傘下に入り、戦時中は国粋主義を主張して、皇室を利用し、戦後は授産事業を行って世の歓心を買うなど、社会の動きをみながら、今日まできている。これでは、都合により、いつまた教えが変わるかわからない。解脱会は無節操な迎合主義の教団である。
解脱会は「超宗派」であるので、自分の属している既成宗派を尊ぶようにすすめている。しかしまた、災難を除き、幸福を得るためには、解脱会独自の「秘義三法」を修するように指導している。これは、既成の宗派を尊んでも意味がないということである。既成宗派を尊べということは、既成宗派と摩擦を起こさないということにしかすぎない。
解脱会では、各家の宗派や菩提寺を大切にするように教えている。しかし、仮にその宗派が解脱会を排除したり、批判したりする場合、また解脱会の教義と違うことを説く場合はどう対処するのか、矛盾を起こすことは必定である。
エホバの証人の教え
終末思想
ハルマゲドンが起きた時、エホバの証人の信者以外は全て神であるエホバ(ヤハウェ)に壊滅させられ消滅し、エホバの証人の信者だけがハルマゲドンを生き残り永遠の命を得ることができる
偶像崇拝の禁止
十字架や聖像画を偶像だとして崇拝を禁じている。さらには国旗敬礼・国歌斉唱まで禁止されている
宗教由来の行事の禁止
クリスマス・ハロウィン・感謝祭といったキリスト教由来の祝日から、誕生日・七夕・ひな祭りに至る行事を「反聖書的」として禁じる
結婚の制限 原則として信者以外との結婚は禁止 離婚および再婚も同様に禁止されている
体罰の肯定 「鞭を控える者はその子を憎む者である」という旧約聖書「箴言」の一節に基づいて、子供への躾としての体罰(文字どおり鞭や棒で叩く)は認められている
輸血拒否 旧約聖書にある「いかなる生物の血も、決して食べてはならない。全ての生き物の命はその血だからである」(レビ記17章14節)により、輸血により血を体内に入れることを禁止している。これに反すれば死よりも悪いものが神によってもたらされるとする。
過去に日本で1985年の小学生男児が交通事故に遭い、エホバの証人信者である両親が輸血を拒否したことによりその男児が死亡するという事件がありました。
宗教的な理由で我が子に輸血を行わず、死に至らしめたとして、メディアによるその両親とエホバの証人への批判が巻き起こりました。
近年では、エホバの証人を信仰する両親によって躾として行われる体罰が虐待にあたるのではないかと社会的問題になっています。
真如苑はヽ伊藤真乗・友司夫妻が「だれでも霊能者になれる」と主張し、設立した真言宗系の在家教団です。
教団では、信徒に対して「お救け」「歓喜」「奉仕」の「三つの歩み」を義務づけており、「お救け」とは布教・勧誘行為、「歓喜」とは金銭の寄付、「奉仕」とは教団の諸活動に労力を提供することです。
これらを行うことによって、自身の持つ「悪因縁」を断ち切ることができるとし、さらに、この三つの歩みを行う基盤となるのが、霊能者の指導により菩提心の向上を目指す「接心」と呼ばれる修行です。「接心」とは具体的には信者が、教祖の長男・次男の霊と感応した霊能者と対座して霊能者が話す「霊言」(ミーディアム境)を聞き、問題を解決したり心を浄めたり霊能を開発するというものです。
教団では、教祖・真乗の長男・智文と二男・友一は信徒の苦悩を代わりに受けて早世したものと教えており、信徒の病気が治ったり苦難から救済されるのはこの二人の働きによるものとして、「両童子様」と呼称して祀っています。この接心修行には、「向上接心」「相談接心」「特別相談接心」「鑑定接心」などがあり、「向上接心」は、白身の修行として月一回は必ず参加すべきものとされ、「相談接心」は、様々な悩みを解決するための指導を受けるもの、「特別相談接心」は、相談接心を特別に行ってもらうもの、「鑑定接心」は、事業・縁談などを易で鑑定してもらうものです。これらの接心に参加するには必ず寄付金が必要で、何百回もの接心や、霊位を向上させるための「相承会座」に参加することによって、信者は霊能を磨き、仏性を開発することができるとしています。また霊能の維持・開発のため、霊能者同士が接心するという「苑内接心」も行われています。信徒の実践行としては、朝夕に寝釈迦像の写真本尊の前で涅槃経の「名字功徳品」を読誦し、「南無真如一如と尊き御教えを念じ奉る」という「一如祈念」を行っています。
真如苑では、神がかりの霊能者から霊言を聞いたり、指導をうけることを奨励し、また、霊能者になることをすすめています。しかし、心理学からみれば、心身に強いストレスを与えれば、誰でも神がかり状態になる可能性があるといい、また、神がかりの者が発する霊言なども、深層心理が言葉にあらわれているにすぎないといいます。したがって、霊能者による接心などはまったく無意味なことであり、かえって人を悪道におとす行為であります。特に、真如苑の霊能者にはマニュアルがあって、これによって霊言を述べているといいます。これでは霊言などとはいえません。また、霊能者になるには相当の金員が必要とされており、金で買ってなれるような霊能者は、とても霊能者といえないでしよう。 また真如苑では、「霊界にいる先祖の霊魂が苦しんでいるので、その霊のたたりで現在がよくない。これを除くために、真如苑で護摩や施餓鬼の供養をするように」と進めています。しかし、仏教では死後の生命は法界にあって前世の因果を感じながら、縁にあってまた生じると説き、因果を無視した霊界や霊魂の存在を否定しています。霊界や霊魂などを利用して信徒を脅迫し、供養を強要するのは、明らかな邪義であります。
世界救世教は、大本教の影響を強く受けた教団で、一般に"お光さま"と呼ばれています。この教団は、「浄霊」と称する「手かざし」を行うことが特徴で、自然農法の食品販売や、熱海市(静岡県)の「MOA美術館」でも知られています。
教祖・岡田茂吉は、はじめ「神から心霊を与えられた」とか「私の腹中には光の玉がある」などといい、また、ある時は「観音菩薩の力を得た」といいながら、後には「観音の衣を脱ぎ捨ててメシヤになった」など、そして最終的には、自分は釈迦・キリスト・マホメットの三大聖者を超越した神(神人合一)の立場であると称するに至っています。これは仏教や神道、さらにはメシヤを交えた御都合主義で、思いつくまま創作したものに他なりません。また教祖は、「神から力を授かった」といいながら、「神人合一」と称して、自分は三大聖者よりも上位で、神と同じであるともいっています。まさにそれらの内容は矛盾に満ち、支離滅裂・荒唐無稽であります。
現在の教団は、この真の神を大光明真神と称して祭神とし、これと一体化した教祖・茂吉こそ世界人類の救世主であり「明主」であるとし、この大光明真神とは、この世を創造した主神の働きのうち、特に人類を救済し、地上天国・真文明世界を創造するために現れた神であるといっています。このことから教団では、病・貧・争を三大災厄とし、これらをなくして、健・富・和で真・善・美を完結させた「地上天国」という理想世界の実現を目指すとしています。
教団での儀礼の実践は、「浄霊」が中心とされ、茂吉は、相手に「光」の文字を書いた紙を畳んで懐に入れさせ、それに向かって手をかざすことによって、自分の体内の光
の玉からの「光波」が供給され、救済されると説いています。
現在では、信徒の誰であっても取り次ぎ者として、教祖から与えられた文字など、「おひかり」と称するものを身につけ、病人や相談者に対して手をかざし、「光」をなぞる動作をすれば、苦悩の原因となっている霊の曇りを浄化させ、病気・不幸・争いをなくせるとしています。浄化とは、人間の体に残留する汚物が毒素となり霊の曇りとなることから、自然治癒能力によってこれを排除させようとするものであるといいます。浄霊・手かざしを行って、あらゆる苦悩の原因である霊の曇りをなくしたはずの教団で、跡目争いや内紛が続くのは、浄霊に効果がないばかりか、それを行う者たちが精神を曇らせている証しであります。また手かざしによって、大漁や豊作になったり、故障したエンジンがなおったなどと、奇跡を売り物にしていますが、このようなまやかしを信ずることが、返って不幸の原因になるのであります。
1996年、オーストリア連邦環境・青少年省は、セクトとされる200団体のリストを出版した。[1]その中の大部分は100名以下の小さな団体で、世界的な団体や大きな宗教団体としては、サイエントロジー、世界平和統一家庭連合、ファミリー・インターナショナルが入る。その後も、1999年 、2000年、2002年、2003年、2004年、2005年と報告を出している。
〔1〕
サイエントロジーは信者を洗脳するカルトです
2016年1月、曹洞宗で織田家の菩提寺である萬松寺(名古屋市中区)が宗門との包括関係の解消すると発表した。ある公益財団法人によると
2014年、萬松寺の住職が東京都内の浄土真宗系単立寺院の住職を兼務を開始。曹洞宗はその寺院を帰属させるように萬松寺に求めたが、寺側はそれを拒否し単立寺院になった。背景には納骨堂事業などの経営上の理由がある。
浄土宗は宗門と大本山の清浄華院が同院の住職の人事を巡り対立。清浄華院が浄土宗からの離脱の意向を示したが、ギリギリで回避された。
神道では神社本庁から金刀比羅宮が2020年に離脱を表明した。金刀比羅宮は本庁の不動産取引に不信感を抱いており、係争が起きていた。
神社本庁は2021年、天皇の皇位継承後の大嘗祭で当日祭を開催するよう各地の神社に依頼。金刀比羅宮も当日祭を開くが、神社本庁から配られる供物「幣帛料」が大嘗祭当日までに届いていない。本庁からの嫌がらせと考えた金刀比羅宮はこれを無礼な行いとして、本庁との関係を解消した。
宗教法人の単立化は例えると、コンビニがフランチャイズから離脱し、独立店になるのに似ている。独立でフランチャイズ加盟金を支払はなくて良くなる。細かな規約の遵守も不要だ。
宗教法人も同様で、仏教寺院だと包括法人から離脱すれば収入などに応じて決められる「賦課金」と呼ばれる上納金の支払い義務はなくなる。儀式のやり方や寺院の運営なども、宗門の伝統的な方法に従う必要はなくなる。信者も、宗旨宗派にこだわらずより広く集められる。
包括法人とのしがらみを解消し、経営環境の飛躍的改善への手段の1つとしては十分あり得る。
曹洞宗、浄土宗は金儲けしたいのか
>2017年10月13日
ザインの顧問なら各地の神社で御神酒を撒き散らしている動画がYoutubeにありますよ
阿含宗は、立宗時に本尊・修行が決まっていなかった、という奇妙な教団である。
靖雄は、本尊について「教団を立てるとしたら、本尊の仏をきめなければならないが、それは、生身の釈迦とされる仏舎利以外あり得ない」(オウム真理教と阿含宗147)」と述べながら準胝観音を本尊とした。教義・修行についても「立宗時に、ある程度の教義が樹立されていたが、それが完成し、修行法までできあがるのには『熟成』の期間が必要である」(同前・趣意)と述べている。
実際に、昭和53年4月の立宗以後、八年もたってから本尊を準胝観音から真正仏舎利に、修行は「準胝尊・因縁解脱千座行」から「仏舎利宝珠尊・解脱宝生行」に変更している。
阿含宗はまさに、靖雄のご都合主義による教団である。
阿含宗では、立宗以来「大白身如来最勝金剛仏母準胝観世音大菩薩」「大日如来(三身即一身)」「真正仏舎利」等と本尊を変更している。しかしいずれの本尊も、教団が依経とする『阿含経』には、本尊にせよ、とは説かれていない。しかも変更した本尊に関する法義的一貫性はない。靖雄の単なる思いつきによる本尊変更である。
実際、靖雄は「やたらに本尊や教義を変えるものではない」との質問に、「かれらは、『なぜそうしたか?』という理由など全然、知ろうとせず、だた、本尊や教義は変えるものではないと、一方的に攻撃するのである。私は、内心、かれらの無知を笑って一瞥もくれなかった」(オウム真理教と阿含宗162)と答えている。ここに、本尊の変更理由を正攻法に論ずることができない、靖雄の論理破綻が浮き彫りにされている。
ムー大陸が実在するなどありえないことを言ってる伊勢白山道も忘れないで
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