ひかりの輪のウェブサイトにも掲載され教団の宣伝に貢献する大田俊寛氏
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関連する発言は、すでに削除されたものも含めてtogetter「宗教学者・大田俊寛氏、「反カルト運動」に宣戦布告」にまとめられている。
■突然のジャーナリスト批判
発端は、3月30日に東京新聞朝刊に掲載された記事「オウムとは何だったのか」。映画監督・森達也氏、フォトジャーナリスト・藤田庄市氏、宗教学者・大田俊寛氏、3者へのインタビューで構成されている。1日遅れで中日新聞のウェブサイトにも掲載された。
このうち大田氏は、観察処分外しを目指すひかりの輪に協力し、同教団が設置した「ひかりの輪外部監査委員会」に対して2014年と2017年の2度にわたって、観察処分外しを支持する内容の「意見書」を提出している人物。その大田氏が、記事が掲載された東京新聞の発売日に突如、Twitter上で以下のように藤田氏を非難し始めた。
少し余談。私の隣にフォトジャーナリストの藤田庄市氏の談話が掲載されており、冒頭から「宗教の根幹とは何か。それは神秘体験です」と記されている。しかし、こういった偏向した宗教観こそが、オウムの発生に繋がった根本的な原因ではないのか。くれぐれも鵜呑みにしないように、と警告しておきたい。— 大田俊寛 (@t_ota) 2018年3月30日
中日新聞サイトに掲載された記事を読めば、藤田氏の「宗教の根幹は神秘体験」発言は、オウム事件の死刑囚たちに犯行と神秘体験との関わりを語らせ解き明かすべきとの文脈であることは明らかだ。大田発言に対して、本紙の容疑者兼総裁である藤倉善郎容疑者(43)氏が反論した。
カルトも含め宗教を信仰との「有機的なつながり」(by藤田氏)の中で捉えようとすれば、「神秘体験」をその根幹として位置づけるのは別に何もおかしくない。逆に大田俊寛氏は、中日新聞のインタビューでもオウムを「思想史的」に語るだけで、生身の人間や集団としての実態を捉えようとしていない。— 藤倉善郎容疑者(43) (@daily_cult) 2018年4月2日
とっても簡単な理屈です。「思想史」はサリンを撒きません。サリンを撒いたのは生身の人間の集団です。個人でも集団でも、思想や歴史だけに基づいて行動したりはしません。利害、利己性、信念、信念を身につける背景となる経験、そう仕向ける集団の論理や仕掛け。必ずそういう要素が絡み合う。— 藤倉善郎容疑者(43) (@daily_cult) 2018年4月2日
ひかりの輪の脱会者で、通称「インコの会」(ひかりの輪脱会者友の会)の中山尚代表も参戦。
その通り。大田が語れるのはオウムの教義的なものくらいだけで、事件は語れないし、全く理解も出来てないだろう。そして、ひかりの輪の観察処分は「事件」を起こしたオウムの後継団体だからかかってる。その観点からは残念だが大田の意見は全くの的外れ。 https://t.co/p9FRBSIS0A— ディオゲネスの樽 (中山尚) (@nakayamahisashi) 2018年4月2日
すると大田氏は、こうした批判には一切答えず、さらに藤田庄市氏への非難を続けた。
2)藤田氏に対する私の評価が厳しい理由を一言で言えば、「宗教学・柳川派の流れに位置し、事実上、オウムの発展を後押しした人物」であるから。藤田氏が未だに「宗教の根幹は神秘体験にある」という発言を繰り返すのは、直接的には柳川派の宗教学から影響を受け続けていることが大きいと思われる。— 大田俊寛 (@t_ota) 2018年4月3日
4)柳川派の主な人物を挙げるとすれば、島薗進・井上順孝・中沢新一・島田裕巳・植島啓司・渡邊直樹らとなろうか。私自身は、宗教の根幹を「法と共同体」にあると捉えているが、柳川派は全般的に言えば、「神秘体験」「イニシエーション」「スピリチュアルなもの」と捉える傾向にある。— 大田俊寛 (@t_ota) 2018年4月3日
5)彼らは、学生運動が盛んであった「団塊の世代」に当たる。もとは左翼系の反体制運動にコミットしていたケースが多いと思われるが、そうした人々が宗教学に入り込み、「潜り込み調査」「ゲリラ宗教学」という名目で、新宗教系の霊性革命を側面支援する活動を展開していたというのが、大まかな流れ。— 大田俊寛 (@t_ota) 2018年4月3日
この点について本紙が藤田氏に確認したところ、こんな返答が返ってきた。
「大田氏が挙げている各宗教研究者は、正確には柳川啓一が指導教員ではなかった人もいるが柳川に教わった人たちであることは確か。しかし、たとえばある研究者は島田裕巳氏を院生時代から相手にしていないし、中沢新一氏もそのどちらとも全く別の方面を歩いている。これを一括りに批判する大田氏の論法は、問題構造を自分で勝手に作り上げてそれを非難するというものにすぎない」
■1991年の麻原インタビュー
一方の大田氏は、さらにこんな藤田氏批判も。
7)『SPA!』には、麻原彰晃と中沢新一の対談「狂気がなければ宗教じゃない」を始め、「オウム擁護」「カルト寄り」と見なされても仕方がない記事が多く掲載されていた。それをリードしていたのがおそらくは渡邊氏で、また藤田氏も協力し、「神秘体験」の現場を報告するという連載を行っていた。— 大田俊寛 (@t_ota) 2018年4月3日
8)『SPA!』とオウムの関係は、中沢氏が編集した『オウム真理教の深層』に渡邊氏が手記を寄せており、私も大枠は理解しているつもりだった。しかし、You Tubeに上げられた1992年のインタビュー動画を目にして、これは中立的な取材とは言えないものなのではないか、と疑問を持った。— 大田俊寛 (@t_ota) 2018年4月3日
大田氏は、SPA!の記事のために藤田氏らが麻原彰晃にインタビューした1991年撮影の映像も紹介している。
これがさらに、藤倉善郎容疑者(43)氏から批判を浴びる。
藤田氏は、90年代初頭の自身のオウムの取り上げ方について反省を示していて、おそらくそのスタンスには変化があります。そして現在、神秘体験をカルト問題の一要素として批判的に捉えており、中日新聞のインタビューもオウム事件の要因として神秘体験との関係を究明すべきという文脈になっています。— 藤倉善郎容疑者(43) (@daily_cult) 2018年4月3日
大田氏は、中日新聞の記事について藤田批判をするなら中日新聞の記事を根拠にすべき。もしそれ以外を含めて批判するなら、90年代初頭の藤田スタンスだけを抜き出すのは恣意的な偏向。大田氏による藤田氏批判は、この点を混同しすり替えた、非常に卑劣な内容です。— 藤倉善郎容疑者(43) (@daily_cult) 2018年4月3日
しかもオウム事件についてすら「思想史で語る」ことしかしない大田氏が、藤田氏を批判するにあたっては90年代以降の問題意識の変化を無視して92年時点一点だけで規定しています。なぜ藤田氏の「思想史」は語らないのか。大田氏の方法論そのものが自己主張のための恣意的な道具に過ぎないということ。— 藤倉善郎容疑者(43) (@daily_cult) 2018年4月3日
前出の中山氏も、大田批判を重ねた。
大田くんの反論が出てきたようだ。— ディオゲネスの樽 (中山尚) (@nakayamahisashi) 2018年4月3日
新實よりも上祐に加担する方がよっぽど罪深いってことをわかってないようだな。
上祐を現役のオウムと認識していないところが、一番の問題。
より危険なのは、獄中の死刑囚よりも、なんの反省も出来てない現役だろうて。
藤田さんの著作を読んでオウムに関心を持った人がいるとしても、否定もしないが、現場にいた人間として言うなら、藤田さんの著作を読んでオウムに関心を持った人は皆無である。— ディオゲネスの樽 (中山尚) (@nakayamahisashi) 2018年4月3日
現実問題として、大田の意見はオウムに宣伝利用されている現実をどう見るのか。
その回答なしには大田は信用できない。
確かに「神秘体験」を重要視しすぎるのは良くない。しかし、今なお、ひかりの輪ではクンダリニーヨーガを取り入れ、功徳によってエネルギーを高めて神秘体験させ解脱しようとしている実態を知ってるのかな?— ディオゲネスの樽 (中山尚) (@nakayamahisashi) 2018年4月3日
上祐や広末相手に聞いても実態はわからない。細川や田渕、大野に聞け。絶対にボロは出る。 https://t.co/QT3A6coHjW
大田氏が「ひかりの輪」の実態も知らないまま協力してしまっている点を、ひかりの輪の元「中の人」から指摘された形だ。
『SPA!』のインタビュー映像について、藤田氏は本紙の取材に対してこう解説する。
『SPA!』(1991年12月18日号)より |
つまり大田氏は、教団が都合よく編集したインタビュー映像を鵜呑みにして、藤田批判の根拠にしたということになる。しかも大田氏は、この動画を『SPA!』が作成したものと勘違いしているようで、〈今度は「ミラレパ正大師、オウムでの神秘体験を語られる」という動画を作ろうとでも言うのだろうか。冗談にもならない提案〉などと藤田氏をなじっている。
このインタビューを含めた藤田氏のオウム取材は『SPA!』(91年12月18日号)連載「霊能の秘儀 人はいかに救われるのか」の第27回として掲載された。記事には、ことさらに称賛する内容も批判する内容も含まれていない。むしろ、アンダーグラウンド・サマディという修行で修行者の呼吸が停止することを証明しようとした教団の実験に立ち会った際のことを、以下のように記している。
【週刊SPA! 1991年12月18日】霊能の秘儀 人はいかに救われるのか第27回 オウム真理教 シャクティーパット
サマディ中は呼吸停止していたと教団は主張する。「気づくと呼吸をしていなかった」とマイトレーヤ(現・ひかりの輪代表の上祐史浩氏=本紙注)も語る。とはいえ、第三者機関の厳正な調査結果でない限り、その主張は一笑に付されるであろう。
■太田氏の矛先は反カルト運動、そしてカルト脱会者へ
大田氏は、その後も自らに対する批判を無視。今度は「反カルト運動」や運動に関わるカルト脱会者を非難し始めた。
1)なかなか終われないが、もう一言だけ付言。私もオウム問題に足を踏み入れてつくづく実感したのだが、実は「カルト」問題に向き合うということは、当該団体を相手にするだけではなく、同時に、「歪んだ反カルト」や「奇妙な脱カルト」を相手にするということでもある。— 大田俊寛 (@t_ota) 2018年4月4日
2)後者に属する人たちの言説を丁寧に追ってみると、一つの「社会病理」としてのカルト問題に向き合おうとしている点では確かに正しいし、敬意を払えるのだが、論理展開や結論が微妙におかしいケースや、それ自体が非合法となり得るような異様な攻撃性に満たされているケースがしばしば見受けられる。— 大田俊寛 (@t_ota) 2018年4月4日
3)「この人はどういう理由で、ここまでカルト問題に情熱を燃やすのだろうか?」と、その人の個人史を一通り調べてみると、実は批判を向けているカルトの元信者であったり、似たような思想運動を支援していた過去があったり、という事実が明らかになることが多い。— 大田俊寛 (@t_ota) 2018年4月4日
4)そのような人は、自分が何を経験したのか、また、どうして判断を誤ってしまったのかを冷静に論じてくれれば、それだけでカルト問題に対する貴重な貢献になるのだが、過去の事実に十分向き合わず、本来は本人が背負うべき責任までカルトに転嫁しようとし始めると、徐々に話がおかしくなってくる。— 大田俊寛 (@t_ota) 2018年4月4日
5)私も、そういう状態に陥ってしまった人々とどう接すれば良いのか、正直分からないが、一つの策としては、「あなたも元々はカルトの信者や支援者だったのでは? そんなに偉そうなことも言えないはずでしょう?」と穏やかに話しかけてみれば、少しはクールダウンすることもあるのかもしれない。/終— 大田俊寛 (@t_ota) 2018年4月4日
反カルト運動を「非合法となり得るような異様な攻撃性に満たされているケースがしばしば」とし、運動に関わる脱会者について「お前らもこないだまでカルト側だったくせに偉そうなこと言うな」と言わんばかりの暴言に、藤倉善郎容疑者(43)氏がさらに噛み付く。
大田俊寛氏、とうとうカルト脱会者に向かって「お前らもこないだまでカルト側だったくせに偉そうなこと言うんじゃねえよ」的なことまで口走り始めています。昨日から続いている、自分への批判をスルーして別の他者を非難しまくることでお茶を濁す作戦が、さらにエスカレート中。 https://t.co/8Y3XIKi1qZ— 藤倉善郎容疑者(43) (@daily_cult) 2018年4月4日
これ、完全に偏見だよ。個別に見れば確かにおかしな脱会者もいるけど、継続して「反カルト運動」に関わってる脱会者の多くは後悔や後ろめたさや自己責任も感じながら、これ以上を被害者を出さないためにって頑張って真面目にカルト問題に取り組んでるんだけどなあ。— 藤倉善郎容疑者(43) (@daily_cult) 2018年4月4日
そもそも、いわゆる反カルト運動は、信者の家族、それを支援する宗教者や弁護士、研究者が牽引してきた側面も強く、数的にも脱会者が多数を占めてはいない。脱会者がもたらす情報や体験談は運動を支える重要な柱だけど、運動において脱会者の発言力が強いかと言うとそうでもない。— 藤倉善郎容疑者(43) (@daily_cult) 2018年4月5日
反カルト運動=脱会者運動とはなり得ない構造の中で、運動に関わってくれる少数の脱会者、信者の家族、それを支援する様々な立場の第三者が、いかに脱会者の事情や心情を踏まえ当事者性を伴った論理や運動にしていくかに腐心しているのが反カルト運動なんだよ。— 藤倉善郎容疑者(43) (@daily_cult) 2018年4月5日
問題ある脱会者がいないとは言わないけど際立って目立つ存在ではないし、大田氏の言うような(実在不明の)脱会者の存在をもって「歪んだ反カルト」と捉えるのは偏見でしかない。カルト脱会者に対してもカルト問題に取り組む人々に対しても、大田氏は偏見に基づく誹謗中傷をしている。— 藤倉善郎容疑者(43) (@daily_cult) 2018年4月5日
大田俊寛氏は、ひかりの輪の実態を度外視して観察処分外しに加担し、反カルト運動については実態を度外視して偏見によって非難する。鈴木邦男や田原総一朗両氏ですら上祐史浩の周りに群がりこそすれ、そこまではやってないんじゃないかな。大田氏は上祐シンパの中でも抜きん出て先鋭化している。— 藤倉善郎容疑者(43) (@daily_cult) 2018年4月5日
大田氏の「あなたも元々はカルトの信者や支援者だったのでは? そんなに偉そうなことも言えないはずでしょう?」発言に至っては、もはや暴言。問題のある特定の脱会者に向けた発言であればまだしも、不特定の脱会者全般に対してこんなことを言ってしまったら、それは主張の内容ではなく「脱会者」という属性への攻撃であり、もはや差別の範疇だ。
「私に対する大田氏の批判は、あっけにとられちゃった。『何これ?』という感じ。看過できないのは、大田氏がTwitterで脱会者攻撃に走っている点と、東京新聞のインタビューにおいてマインド・コントロール論を『世界的には、疑似科学の一つと見なされ、オウムの解明にも実質的にほとんど寄与していません』などと語っている点。脱会者にきちんと話を聞けばカルトの恐ろしさがわかるのに、逆に攻撃するというのは常軌を逸している。またマインド・コントロール論については、確かに欧米の宗教社会学者などは反発しているし、実証が足りないという課題はあるかもしれない。しかし学問ベースで『疑似科学』呼ばわりする言説は記憶にない。大田氏には、科学に対する誠実さがない。苦労してカルト問題に取り組んでいる人たちを何だと思っているのか」(藤田氏)
■滝本太郎弁護士も参戦
これに、オウム問題に長らく関わってきた滝本太郎弁護士も自身のブログで言及。「大田俊寛氏―自家中毒」というタイトルで、「大田氏は、ツイッターなどで隣に書いてある藤田氏らを、ハチャメチャに批判しているとのこと」「余りに的外れで笑ってしまう」「話をずらそうずらそうとしているばかり」などとした。
滝本弁護士は、東京新聞のインタビューで藤田氏が冒頭から宗教の根幹を「神秘体験」としたことについて、「(オウム事件は)まずもってカルト問題だったんだから、宗教の問題を冒頭に出すのは、そりゃ違うだろうと思う」と指摘。一方で神秘体験が重要な要素ではあることは認め、LSDなどの薬物を使用した神秘体験にも言及してほしかったと注文をつける。その上で、大田氏の認識不足をこう指摘した。
【『生きている不思議 死んでいく不思議』-某弁護士日記 2018年04月05日】「大田俊寛氏―自家中毒」
それから大田さんは、藤田さんの本を読み間違えていないかい、と思う。藤田さんは、本で、つまりは神秘体験の恐ろしさを本で書いてますよ。ひょっとして、その記述に魅惑を感じてしまうから反射的に批判したくなるのかなあ、なんて思いもしました。
(略)
大田さん、神秘体験のことは、オウム集団とオウム事件にとって、とても重要な要素ですよ。それは裁判所でも、中川死刑囚のみならず多くの供述で明らかになっています。1993.7から1995.3まで30人余りの多くは出家直前の信者さんと話し合い脱会したけれど、実に全くそのかなりの部分が神秘体験のことの解決が必要だと分かってきていたものです。「オウムをやめた私たち」とか、サイト「カナリヤの詩」とか読めば、神秘体験のことが、特に実行犯のほとんどを占めた男性信者では大切な位置づけだったとすぐわかるでしょうが。
(略)
宗教学者らが、公安審査委員会に意見書を書くな、とは言わない。氏は、観察処分の更新につきこの2回「ひかりの輪」のために意見書を書くまでした、それは驚いたがご自身の自由。まあ、埼玉大学の非常勤講師をされているとのことだが、こんな話も授業でしているのかなオウム集団に入る人が出てこないか心配とはなってきます。
だがね、その程度の研究、まして事実を見ていくという態度を取らないままで付き合えるような、オウム事件とオウム集団そして「ウソをつくのがワーク」の上祐ではないんだよ、と。
ちなみに滝本弁護士は、同じ東京新聞の記事に掲載されている森達也氏のインタビューも批判している。
■藤田庄市氏の自省
実は藤田氏は、オウム真理教が摘発されて以降、前出の『SPA!』の取材当時の自身のありようについて自省し、2001年に『新宗教新聞』でこのように書いている。坂本弁護士一家が殺され別々に埋められた3つの地をめぐるルポの一部だ。
【新宗教新聞 2001年11月25日】3つの坂本弁護士一家メモリアル
この慰霊巡礼は、自分自身の謝罪の旅でもあった。九一年秋にオウム真理教の修行や神秘体験を取材したことがある(『週刊SPA!』九一・十二・十八号。扶桑社『霊能の秘技』所収)。その折、外部に対する彼らの無機質な人間性や欺瞞性を感じたのは確かである。また、山梨県上九一色村にまだサティアン群はなかったが、オウム真理教に反対する立て看板は目にした。しかし、テーマが彼らの「宗教性」であったがために、批判者への取材はおろそかになった。
加えて、発生したばかりの宗教は逸脱しがちであるという学説とか、新宗教への歴史的偏見の根強さへの疑問、旧来の「信教の自由」論などが、いっそうオウム真理教そのものを見る自分の目を曇らせていることに気づかなかった。結果、出来上がった写真とルポは、「客観性」の皮をかぶりながら、オウム真理教信者の「霊性」や行為を深く見据えたものではなくなっていた。あの記事はオウム応援歌の機能を果たしてしまったと思う。痛恨の極みであり、恥ずかしい限りだ。そんな至らなさを、面識があったわけではないが、坂本弁護士一家にいつか謝罪せねばと、ずっと思っていた。
この十一月四日は坂本さん一家の十三回忌だった。カルトの出現をふまえ、宗教というもの、信教の自由ということを根底から捉え直さねばならないと、あらためて意を決している。
同じ文章は、2008年に藤田氏の著書『宗教事件の内側』(岩波書店)のあとがきにも収録され、藤田氏は「そうした思いを抱きながらカルトの取材を続けてきた」と綴っている。
この点について、本紙の取材に対して藤田氏はこう語る。
「私の麻原へのインタビューは、ゴマをすっているわけでも何でもなく、宗教体験を語ってもらう人への態度として、他の人物に対する場合と特に変わりないもの。『SPA!』での記事も、宗教儀礼のリポートとしてだけ見るならば客観性を欠いていたとは思わない。しかし私は取材時に上九一色村で、教団に反対する住民の立て看板も目にしていた。『SPA!』の取材の後にでもいいから、反対している住民やオウム真理教被害者の会(現・家族の会)の関係者などに話を聞くべきだった。大田氏は私の宗教観を問題視しているが、宗教観の問題ではありません。どのような宗教観を持っていようが、対立する側からの意見や情報に目を向けるという取材のイロハができていれば、当時のオウムに対する私の扱い方は変わっていたはずだ。それを怠ったことを悔やんでいます」
ひかりの輪関係者の話は聞くが、ひかりの輪批判やひかりの輪に加担することへの批判には耳を傾けない大田氏。藤田氏が反省している点は、いままさに大田氏が実践できていない「取材のイロハ」のように見える。
■なおも他者をなじってお茶を濁す大田氏
大田氏に、批判に対する反論や補足の主張があればコメントをと求めたが直接的な返答はなく、代わりに大田氏はTwitterで以下のような投稿を行なった。
1)昨日のツイートに対し、いくつか批判を受けた。確かに誤った表現であったため、以下に説明したい。私が言いたいのは、カルト問題への対応というのは常に、自己への批判的視点と客観的学知に立脚すべきであり、特定の団体や人物に対する一方的な中傷・嘲笑を基調とするべきではない、ということ。— 大田俊寛 (@t_ota) 2018年4月5日
5)自分自身の被害について語るのは気が引けるが、私は藤田氏を含む人々から、かなり酷い中傷を受けたことがある。オウムやカルトの問題に本当に真摯に対応する気持ちがあるなら、こうしたイベントに出席し、下記のような放言に興じるということがありうるだろうか。https://t.co/uWIOFCG2vO— 大田俊寛 (@t_ota) 2018年4月5日
6)また「ひかりの輪」に関しては、「インコの会」という脱会者の会が作られており、私は下記に名前を連ねるメンバーからも、かなりの長期にわたって中傷を受け続けている。いわく、「上祐にマインドコントロールされた」「ひかりの輪の信者・御用学者」と。https://t.co/R1yRkBTU7u— 大田俊寛 (@t_ota) 2018年4月5日
8)とはいえ、今日になって振り返ってみると、あまりにも強引で敬意を欠いた論理であり、私も知らず知らずのうちに感情的になり、誹謗・中傷レベルの応答をしてしまっていたことに気づいた。それに関して、率直に謝罪・反省し、発言を撤回したいと考えている。申し訳ありませんでした。/終— 大田俊寛 (@t_ota) 2018年4月5日
しかし、すぐさま藤倉善郎容疑者(43)からツッコミを受けている。
# 大田俊寛さん 謝るふりをしながら、結局また他人を非難することでお茶を濁す内容になっていますよ。謝罪しますと書いていますが、ご自身の発言どの部分が誤りであったのか、どの部分を撤回するのかが全く明示されていません。撤回箇所が不明の撤回表明に何か意味あるんですか。— 藤倉善郎容疑者(43) (@daily_cult) 2018年4月5日
これを受け大田氏は4月5日、4月4日に投稿した脱会者攻撃を含む5件の投稿について〈意味内容がはっきりせず、「元信者」に該当する方々を不用意に傷つけかねないコメントでした〉として反省・謝罪・撤回を表明した。該当発言は、その直後に削除された。
なお、それ以外の自身の発言に対する批判については依然として大田氏のコメントはなく、反省も謝罪も撤回もしていない。
また「インコの会」関係者から中傷を受けているとする大田氏の発言について、同会の事務局長を務める藤倉善郎容疑者(43)氏が「事実に即していない」として撤回を要求。大田氏はこれを受け入れず、これについても反省・謝罪・撤回はしていない。
大田氏は藤田氏からも中傷されていると書いている。しかし、大田氏が根拠として挙げているトークイベントの記録には、藤田氏及びインコの会の藤倉善郎容疑者(43)氏が大田氏を批判している箇所はいくつもあるが、中傷と言えるような人格攻撃等が行われている場面はない。
撤回され削除されたものも含め、大田氏の一連の発言とそれに対する批判は、togetterの「宗教学者・大田俊寛氏、「反カルト運動」に宣戦布告」にまとめられている。
■島田裕巳氏も降臨
かねてより、オウム真理教の後継団体であるひかりの輪の観察処分外しに協力する行動や擁護発言、また、そこでの「思想史で語る」姿勢が批判されてきた大田氏。その様は、かつてオウム真理教をメディア上で好意的に捉えて宣伝に加担した宗教学者・島田裕巳氏になぞらえて批判される場面もあった。今回の一連の発言から、一部で「“遅れてきた島田裕巳”にならなければいいが」といった評価も聞かれた。
大田氏は島田裕巳氏と同学派呼ばわりして藤田氏を非難し、大田氏を批判する側は大田氏を島田氏になぞらえる。“島田裕巳"はもはや人名ではなく罵倒句なのか。
これに関連してTwitter上で〈大川隆法さんにお願いしたら「大田俊寛の過去世は島田裕巳」とか言ってくれるかな〉などと発言した藤倉善郎容疑者(43)氏に対し、島田裕巳氏本人は以下のようにコメントした。
あの、まだ生きているんですけど。 https://t.co/HoiCTi1xTC島田裕巳 (@hiromishimada) 2018年4月5日
※滝本弁護士からの指摘を受け、滝本弁護士のブログの要約説明の部分を修正し、ブログの引用部分を追加しました(2018.04.06 21:15)
22 コメント:
オウム(アレフ)の再興、法の華の復活(第3救済慈喜徳会 天声村の形を変えた復活)、幸福の科学の総裁の東京ドーム講演会復活など、時代は繰り返す・・・・ですなあ。
カルト業界のある意味象徴と化した島田裕巳。誰からも愛されないことによって逆に可愛げが出てくるってすごい。「文化人を籠絡して教団の正当化と宣伝に活用する」というオウム初期からの伝統を今に受け継ぐ、ある意味オウム正統派の上祐にいいように利用されている大田は二代目島田裕巳の名跡を継ぐ資格ありでしょ。
しかし、大田は本当に神秘体験を重視していないんだろうか。「宗教全体に一般化するな」という事なら批判としてわかるけど、ことオウムに関しては修行による神秘体験は「グルへの信」を作るために決定的に重要なんだけどね。オウムに入った理由は信者によってバラバラだし、教義を信じない状態で出家したサマナだっているぐらいだけど、彼らのほとんどが「グルへの信」を深く揺るぎないものとして確立するきっかけって修行による神秘体験でしょう。オウムの出版物や元信者の証言を読めば明らかだろう。ある元信者は「この修行をすればこの体験をする、次の段階ではこれが起こる」と説明されて実際にそのとおりの体験をするから信者(特に実証を重んじる理系の大学生)は真っ直ぐにオウムを信じていった、と語っている。「グルへの信」が強固だからこそ滝本さんが言うような「グルの手足、ロボット」として行動し、教義を無批判にただ受け取って救済活動をしてしまえる。元信者の証言を読む限りでは、全体として彼らは教学よりも修行の方を重視していて、神秘体験こそがオウムの核心だったと理解せざるをえないんだよなあ。大田は、思想史的にオウムの思想形成を理解している自分こそがオウムの本質を分かっていると言いたげだけど、オウムが頭ではなく体験によって理解されて信仰されていたこと、神秘体験が信者の思考を絡めとっていたことを、オウムの研究しててわからないものだろうか。
あっ、私の文脈につき、
「藤田氏が冒頭から宗教の根幹を「神秘体験」としたことに違和感を示している。」ではなく
「オウムとは何かといえば、まずはカルト問題なんだと指摘して欲しかったとし、神秘体験が冒頭にあることにつき違和感を示している。」が正確かと思います。
なお、私は大田氏に対して、要するにブログの最後である下記を言いたいものではあり、これをここに転載します。「だがね、その程度の研究、まして事実を見ていくという態度を取らないままで付き合えるような、オウム事件とオウム集団そして「ウソをつくのがワーク」の上祐ではないんだよ、と。」、
滝本さん
そうでしたか。申し訳ありません。文脈を読み違えてました。記事を修正します。
神秘体験は本当に恐ろしいですよね。大田さんはそこらへんを突っ込んでいないどころか無視や批判するのはおかしいと思う。
神秘体験といってもドラッグで幻視や幻聴があっただけであほくさい話です。
体験主義というのはしばしば新興宗教で強調されます。(仏教系なら創価学会、キリスト教ならホーリネス系や聖霊派系でよくあります。)
こういうのに対して「所詮はただの新興宗教と鼻で笑ってしまえる人になれ」と教育するべきです。
> 神秘体験といってもドラッグで幻視や幻聴があっただけであほくさい話です。
そうなんですよね
幻覚を見せることのできるドラッグがあったかどうか、それが伝統宗教と新興カルトを隔てる大きな違いなのにカルトの皆さんはわかってない
(もっとも伝統宗教の神秘体験もドラッグと似たような脳の働きだろという説もありますけどね)
いえまあ、オウム集団では呼吸法、長時間の立位礼拝、睡眠不足、加重労働、漆黒の部屋での修行によっても、神秘体験をさせていたものであり、薬物だけではないです。人によっては、藤田さんの言うふ病体質というのか、もっと早くに体験してしまう人もいて。
そして、神秘体験は、本人自身としては真実のもの、現実のものという感覚を持ったりしています。笑うだけでは本人に脱会を考えてもらう力にはならない。
勿論、事前の知識・予防策として、笑い話にしておけるといいんですけれどね。いずれにしても、知識として知っておくべきこと。
> 滝本太郎 さん
そうだったんですか
漆黒の部屋とかはともかく睡眠不足や長時間立つのは昔からある方法っぽいですね
ホーリネス系や聖霊派系といったキリスト教系の新興宗教では、さすがにオウムのようにドラッグを礼拝時に使用することはありませんが、異言という異様なものをやります。また絶叫や断食や徹夜で祈るといったことをやって、信者を異常なまでにハイな状態におきます。
聖職者も信者ももともと電波系の人が多いですし、やくざ上がりの人も多いのが、ホーリネス系や聖霊派系の特徴です。やくざ上がりの人はやくざ時代に覚せい剤等の危険な薬物をやりまくっていたせいか、やくざをやめて堅気になってからでも、後遺症で脳みそ自体が完全にやられてしまっているので、オウム並みのおかしな体験をして、これを「神からの啓示である」と主張することもあります。
統一教会、今は家庭連合でしたっけ、あれなんかはドラッグによる疑似神秘体験を利用してますよ
ドラッグの元使用者がどうなるかってのは科学的な知見が少ないように思えます。医療従事者や研究者
はそういうのやらないからでしょうか
あっ、そういえばオカルト否定派 でとにかく体当たりでオカルトをやってみた物理学者のファインマンはLSD体験だけは本物かもしれないと言っていましたっけ
何が言いたいかって、ドラッグ体験に対しては
> (特に実証を重んじる理系の大学生)
このように実証や理系の方法論は罠にハマりやすいんじゃないかと
対策としてはドラッグに寛容な国とかで体験談を集めるとか?
>統一教会、今は家庭連合でしたっけ、あれなんかはドラッグによる疑似神秘体験を利用してますよ
証拠は?
まさか、エイトがソースじゃないだろうね。
お前統一の信者?
そうだったら消えろ
そうでないなら統一がいかにドラッグと切っても切れない関係にあるかまずは調べなさい
> 統一教会がドラッグ使ってる証拠
常識だから、じゃああかんの?
無論真面目に文献など探せば確たる証拠は出るがとりあえずね
そんなこと言ったら例えば、オウムが未だに麻原を信仰している証拠だって無いが、常識や普段の言動を見れば明らかだよな
そして統一教会がドラッグにどっぷりなことや使用をためらう理由が無い事も知ってるよな
俺が統一信者と話しててうんざりするのはだ、文鮮明が人殺しであることや
足立女子校生コンクリ犯の内3人が統一協会の身内でありあの惨劇が文鮮明の意向であることをきちんとソース付きで説明してもただ捨て台詞を吐くだけで心を入れ替える様子が無いことが本当に呆れるんだよ
統一教会の信者は結局いつもの通り逃げおった
しかし、女子校生コンクリ殺人の下手人でもあったとはつくづく見下げ果てた連中だ
> 統一教会がドラッグ使ってる証拠
大川隆法「文鮮明です(以下略)」
このひとかな。
kinjoyukimasa.okinawa
ドラッグの裏付けなど、今ある日本の主ヴ単では、1994-5年のオウム集団だけできているところです。
マインド・コントロールも破壊的カルトも、ドラッグに焦点を当てては事の本質を違えると思います。「支配と服従の関係」はドラッグなどなくても、様々な方法でつくられていきます。
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エイト氏がソースなのが問題なんですか?
そんなことより法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱えましょう
宗教に興味がお有りなら法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱えてください
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