2010年5月7日金曜日

オウム退去後もオウムと闘う町、千葉県松戸市

 千葉県の松戸市役所内に「本市は、オウム真理教(アレフに改称)信者の転入・転出届を受理しません」とする看板があると聞き、松戸市役所に取材に行ってきました。地方自治体によるオウム信者の転入拒否は、かつて全国で問題となりましたが、オウム側が訴訟を起こし、各自治体が次々と敗訴。その中で、なぜ松戸市はいまも拒否を貫いているのでしょうか。

 オウム信者に対する自治体の転入届不受理は2000年ごろから全国で多発し、2003年ごろまでにオウム信者らが訴訟を起こしまくり、自治体の敗訴や、転入届を受理する内容の和解で終息していきました。その後もオウム退去を求める住民運動は複数の地域で続いており、オウム後継団体のアレフとひかりの輪双方がある世田谷区では、対オウム活動を行う住民団体に補助金を出す条例を制定するなど、自治体によってはオウム対策を継続させています。

 しかし転入拒否問題の過程で、2003年に「自治体の区域内に居住実態があれば転入届の不受理は許されない」との最高裁判決も出ました。これは東京都杉並区と名古屋市中区に対する判決でした。当時、大阪府吹田市が新聞の取材に対して「自分の訴訟の最高裁判決が出ない限り、転入届を受理することはない」とのコメントを出しましたが、その翌日、今度は吹田市が最高裁に上告を棄却されました。

 転入拒否だけではなく、転入拒否の意思表示の掲示が違法とされたケースもあります。「オウム真理教(アレフに改称)信者の転入届は受理しません」という張り紙を市役所内に掲示した埼玉県川越市は、住民訴訟を起こされ、2001年にさいたま地裁で敗訴しました。

 アレフ元代表の野田成人氏は、当時をこう振り返ります。

「当時アレフは、訴訟をやっていくうちに『確実に勝てる』とわかり、途中からは積極的に訴訟を起こした。自治体相手の訴訟で得た賠償金は、合計で1200万円くらいになったと思う。全額、サリン事件被害者に対する賠償金に充てました。このほか、熊本県波野村との和解では9億2000万円を手にした。これも半分以上はサリン事件被害者に対する賠償金に充てました」

 「転入拒否騒動」のこうした結末を考えると、松戸市がいまも堂々と「転入届不受理」を掲げているのは、けっこうすごいことなのではないかと思えます。

 松戸市も、「転入拒否騒動」当時、やはり問題の渦中にありました。2000年4月、松戸市稔台地区の商店街でオウム信者が信者向けの食品工場の操業を始め、すぐに地域住民が対策委員会を設置しました。決起集会には、松戸市長、助役、県議、市議、市職員や住民など約1000人もの人が参加。この席で川井敏久市長は、「昨年9月にオウムの転入阻止を宣言しながら、それを許してしまったのは指導の欠如」と陳謝しています。

 当時、新聞の取材に対して地元長会長が「近くには地下鉄サリン事件の被害者も住んでおり、心配しないではいられない」とコメントしていました。松戸駅は、1995年の地下鉄サリン事件の際にサリンが撒かれた千代田線に乗り入れる常磐線の沿線です。日常生活でこの路線を使っていた人が多い松戸市において、「地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教」への恐怖や反感は並大抵ではなかったことが、容易に想像できます。

 松戸市の「オウム信者転入拒否」の姿勢は1999年から現在まで続いています。しかし松戸市はオウムから訴えられることはありませんでした。オウム側と住民側との16回にわたる話し合いの末、住民側が1200万円の補償金を支払いオウム側が退去するという内容の協定が結ばれたのです。補償金は住民たちの募金活動によって賄われました。

「2003年に信者が退去して以降、松戸市にオウム信者が転入したという話はありません。転入届不受理の張り紙は、訴訟を起こされれば負けることはわかっています。しかし市の姿勢を示すために掲示を続けています。全国で問題になっていた当時からの市長の方針でもあります。近隣の自治体でも同様の方針を出していましたが、全国で他自治体が敗訴したという結果を受けて、掲示などをやめたところもあるようです。松戸市では、(掲示を始めた当時には存在していなかった)ひかりの輪についても追記した方がいいのではという声は出ており、その点は検討しますが、いずれにせよ今後も掲示は続けるつもりです」(松戸市生活安全課の担当者)

 転入届だけではなく転出届も受理しないのは「自分たちの地域から出ていけばそれでよいということではない、という意思表示」(前出の担当者)とのこと。

 もちろん、こうした市の対応がいいのか悪いのか、考え出すと悩ましいところです。形式的には、違法とわかっていることを自治体が率先して行うことには問題があるでしょう。オウム信者の人権との兼ね合いの上からも問題だと思います。しかし「住民の安全・安心を守る」という市のあり方からすれば、簡単には否定できません。

 オウム真理教を描いた映画『A』『A2』の森達也監督は、2001年11月に大阪府吹田市内で開かれたシンポジウムで、「オウム排斥運動は、(地元住民の)ルサンチマン処理のお祭り」と口走っていました。松戸市を指した発言ではなく、住民運動全般についての発言です。しかし、10年以上も「住民の安全」のために違法とわかっている方針を敢えて貫いてきている松戸市の姿勢を、はたして「ルサンチマン処理祭り」で説明できるものでしょうか。

 取材に行く前は、松戸市が単に惰性で掲示を続けているのではないかとも想像していたのですが、市の職員の話から、私は問題の切実さと市側の真剣さを感じました。

3 コメント:

匿名 さんのコメント...

確かに、松戸市民の心情はわかります。

そりゃあ「信教の自由」は大事ですけど、自分の好き勝手に「信教の自由」を振り回されて傷つく人が出る事は本当に残念な現状です。

匿名 さんのコメント...

つまり市民税がサリンの賠償金になるんですね

風が吹けば桶屋。。。 これも経済か。。。

まじへん さんのコメント...

 オウムは日本社会に対して一線を画し、反人間的、反日的な面を持って意識的な断絶を指導する団体であることが分かった。
 これは今も残る組織にも引き継がれていると見ることができるから、裁判所がどう言おうと松戸市にも一面の理が潜在するわな。
 ただ、それを論理だてて討論することがなければ、民主憲法が泣くというもの