![]() |
【産経ニュース 2010年07月02日】「宗教介入だ」仏教界困った イオンの葬儀サービスが「お布施」に目安
(略)
イオンのコーポレート・コミュニケーション部では「『布施の価格が分からずに困った』『寺に聞いても、はっきりと教えてくれない』といった声が多くあり、それに応えることにした」と説明。「疑問と不安のない明瞭(めいりよう)な価格を提示するのは当社の理念。8宗派、全国約600の寺院の協力も得られることになっている」と話す。
この事業に困惑しているのが、全国の伝統仏教宗派で組織する全日本仏教会。理事会などで「営利企業が、目安と言いながらも、布施の料金体系化をはかっていいのか」などといった声が出されたという。
全日本仏教会の戸松義晴事務総長は「布施をどう考えていいか分からないという声があるのは承知している」としながらも、「布施は言われて出すものではなく、出す人が額などを決めるもので極めて宗教的な行為。価格を決めて商品のように扱うのはいかがなものか」と指摘する。
全日本仏教会では現在、各宗派にイオンの事業に対する見解を寄せるように通知している。それらをとりまとめた上で、状況によってはイオンに申し入れなどをするという。
寺院のコンサル事業を手がける日本テンプルヴァン株式会社の井上文夫社長の話「布施や戒名料は、寺と檀家(だんか)の長い付き合いの中で決まっていくもので、営利企業が扱う筋合いのものではない。目安とはいっても、大企業が発表すればそれが『定価』として一人歩きしてしまう恐れがある」
葬儀に関する著書などがある第一生命経済研究所の小谷みどり主任研究員の話「最近、事前に見積もり費用を明朗提示する葬儀社が多い。僧侶の読経も、遺族が信仰のない場合にはサービス財にすぎない。消費者の立場からすれば、布施価格の明示はありがたいのではないか」
■営利企業に依存しておきながら金額表示を嫌う(一部)仏教者
問題とされている「イオンのお葬式」内の「寺院をご紹介します」では、「あくまでも目安です」「お布施は本来「喜捨」であり、「標準」や「統一」すべきものではありません」といった但し書きをした上で、葬儀の際の読経一式と戒名料について、戒名のグレードに応じて25万円から55万円という「目安」を掲載しています。
![]() |
「お布施の額をどうするかというのは僧侶にとって非常に悩ましい問題。檀家が僧侶に対してお布施の額についての相談してくることがありますが、お布施である以上、僧侶から金額を言うことはしない。でも檀家と寺との間で“だいたいこんなもん”という慣習があるので、檀家から尋ねられた時は『総代に聞いてください』と答える。また、もともとは檀家同士のコミュニケーションが密だったから、『いくら包んだの?』なんてやりとりが檀家同士で行われていて、何かしらの方法で檀家はお布施の相場を知ることができた」
こうした檀家と寺の関係は都市部では崩壊しているようですが、葬儀の際の“お布施の相場”は古くから存在していました。しかもそれは企業が決めたことではなく、お寺と檀家の「長い付き合いの中で」でのことです。
もともと仏教界では、葬儀について営利企業に依存している側面もあります。全日本仏教会内で批判が出ているイオンの寺院紹介サービスでさえ、イオン側は「8宗派、全国約600の寺院の協力も得られることになっている」としています。言ってみれば、仏教側が葬儀の「顧客獲得」のために営利企業と持ちつ持たれつしておきながら、全日本仏教会内で「イオンにカネの話はさせるな」という議論が起こっているという構図です。
■寺の“お客”は信者なのか消費者なのか
上記記事では、第一生命経済研究所・小谷みどり主任研究員の「僧侶の読経も、遺族が信仰のない場合にはサービス財にすぎない」というコメントが紹介されています。実際問題として葬儀は、遺族の信仰心とほとんど関係なく「慣習としてやるべきもの」になっています。特に都市部では、こうした消費活動を支える営利企業に寺院や僧侶が依存する形で葬儀が成り立っており、消費者にとっては事実上、僧侶に支払う布施も「葬儀費用」の一部であり「代金」です。
私は、寺側が布施の金額を示さないことについては、とりあえず異論はありません。寺自身が布施の金額を明示してしまえば、「布施である」とする宗教者自身のスタンスと自己矛盾をきたすからです。しかし、もし全日本仏教会が部外者であるイオンに対して、布施の目安を示さないように指図することがあれば、それは問題だと思います。「企業に対して、消費者が必要とする情報を掲示させないことによって、自らの宗教性を実現する」という、独善的で反社会的な行為だからです。
冒頭の記事で井上文夫・日本テンプルヴァン株式会社社長が「布施や戒名料は、寺と檀家(だんか)の長い付き合いの中で決まっていくもの」としています。もし現実がそうなのであれば、イオンが「目安」を掲示したからといって深刻な影響を受けるはずがありません。企業が示す「目安」だけを頼りに布施の金額を決める人がいるなら、その人にとって、寺との関係や信仰心がその程度のものであるということであり、それはイオンではなく仏教者の責任です。
どの程度の信仰をもつも、葬儀を単なる消費サービス財と捉えるかどうかも、お布施の額も、その人の「信教の自由」や寺との「長い付き合い」の中で決まっていくものであり、仏教界の社会的情報統制によってコントロールされるべきものではありません。
■仏教者全体の意見ではなさそう
葬儀が信仰ではなくサービス財になったと考える人がいるのは、人々の信仰心やお寺・僧侶への尊敬の気持ちが薄れているからでしょう。かつて全日本仏教会は、「今日の戒名(法名)批判には、葬儀の商業化という現代社会の経済至上主義が背景にある」などとして、「今後、「戒名(法名)料」という表現・呼称は用いない」とする『「戒名(法名)」に関する報告書』(1999年)を作成したことがあります。この報告書では、「布教・伝道を通して、社会の苦悩を解消するための努力を充分に果たしていないことへの批判が、戒名(法名)問題の根底にある。仏教界全体として反省すべきだ」との反省も記されていました。しかし葬儀の際の布施目安をめぐる冒頭の記事では、これに類する声は掲載されていません。
これが産経新聞の記事のせいなのか、産経新聞にコメントした全日本仏教会事務総長の問題意識がおかしいからなのか、私にはわかりません。しかしいずれにせよ、全日本仏教会がイオンに何らかの干渉をするのは間違っているように思います。
幸いなことに、私の知人の僧侶(前出)によると、イオンについては全日本仏教会の中でがたがた言っている人がいるという程度のもので、個々の僧侶の間ではさほど問題視されていないのが現状のようです。
「たぶん全日仏としては、お布施の額について営利企業に云々されるのがムカついたんでしょう。しかし私は何とも思わない。イオンが示した目安は、ごく平均的な金額だから、別に問題はない。うちの寺では慣習として、イオンが示した目安の半額くらいになっている。(イオンのサイトを見たら)むしろ檀家は喜ぶかも(笑)。全日仏内で異論が出たということでニュースになって、私の周囲の僧侶たちの間でもtwitter上で話題になったが、イオンに対してけしからんというような意見は皆無だったと思います」(僧侶)
私は今回のニュースから、全日本仏教会と一般社会との溝を感じてしまいましたが、この僧侶の話が事実だとすると、全日本仏教会と個々の僧侶の間にもまた溝があるということでしょうか。
3 コメント:
日仏会としては、「何も知らない檀家からは、とことんむしり取りたいから、目安なんて余計だ!」ってのがホンネじゃないの?
そもそも、あの世での境遇が金で買えるなんてえげつない教えだよ。
同じ宗派でも、通夜や葬儀のやり方は地方によって違います。アジア系の人も多く住み、日本文化の貧弱な千葉に拠点を置くイオンらしい発想です。
そもそも1円の価値は人によって違います。
檀家全体で寺を支えている構図がある限り、お布施は一律にはなりえません。色んなケースがあることをしるべきです。
イオンは、むしろアジアの仏教を知っているから、
日本仏教界を、「宗教でなく、葬儀産業」だと見切ったのではないでしょうか。
タイ、カンボジア、大乗のベトナムにしても、お寺や僧侶は、戒律を守っています。
肉食妻帯をせず、孤児をそだて、貧しい人に施しをするのが、アジアの仏教の姿。
日本では少子高齢化で地方の寺、都会でも零細な寺はどんどん消滅していきます。
一部の本当に信仰を持った僧侶は、当然宗教者として尊敬されると思う。
しかし、それ以外の僧侶や寺は、実態に即した「葬儀産業」として
サービスに努めるのが本筋でしょう。
コメントを投稿