2022年2月16日水曜日

集英社が“宗教2世”の体験談マンガ連載を全削除 きっかけは幸福の科学2世の体験談

マンガが削除され謝罪文が掲載されている「よみタイ」
 集英社は2月1日、ウェブサイト「よみタイ」で連載中だった菊池真理子氏のマンガ『「神様」のいる家で育ちました ~宗教2世な私たち~』の第5話の公開を停止。2月10日には過去の全話も「公開終了」し、第5話について「特定の宗教や団体の信者やその信仰心を傷つけるものになっていた」などとする謝罪文を掲載した。

 第5話に登場するのが幸福の科学と思われることから、ネット上では幸福の科学による圧力を疑う声とともに、作品の再掲載や連載継続を求める声もあがっている。集英社は、公開停止が幸福の科学からの抗議等を受けてのものかどうかについて明らかにしていない。

■社会の側の差別問題もうかがわせる作品

 『「神様」のいる家で育ちました ~宗教2世な私たち~』は、宗教の信者を親に持つ「2世」の体験談を毎回1人ずつ取り上げる連載マンガ。昨年9月に集英社のウェブサイト「よみタイ」でスタートした。作者の菊池真理子氏自身、創価学会の2世(脱会済み)であることを公言している。

 このうち第5話『母の期待に応えたい……宗教高校一期生として過ごした女性の告白』は、教団名こそ出していないものの、幸福の科学2世で幸福の科学学園(高校)卒業生である女性の体験談を描いた全16ページ。

〈24歳 死ぬことにしました 私は本当に運が悪かったんです こんな家に生まれて ‘94年に生まれて あんな宗教学園の一期生なんかにされちゃって〉

 自殺未遂をうかがわせる描写で始まり、主人公が、幼少から親に教義を教えられ宗教活動にも参加しながら育ち幸福の科学学園に入学した過去を回想する。派手なスカーフのようなものを肩にかけたスーツで七三のおっさんの姿も。制限の多い学園での生活、悩みがあっても助けになってくれない親や教団関係者。やがて母親が自分の名義で多額の借金をしていたことを知る。親との関係を絶ち生活保護を経て、現在は資格の勉強をしながら自立しているという。

〈なのに今も時々 全部終わりにしたくなるんですよ〉

〈私が努力しても あの教団にいたって言ったら ずっと変な目で見られるんでしょう? 私が選んだんじゃないのに──〉

 「年上の人たち」から、若いのだから人生も社会もいくらでも変えていけると言われると語り、〈本当なのかな 本当… ですか?〉と主人公が問いかけ、作品は終わる。

 自分の責任ではない過去への後ろめたさや、教団への恨みの言葉かもしれない。しかし差別という社会の側の問題も意識させられるラストだ。

謝罪文掲載、教団からの抗議の有無は公表せず

 この第5話は1月26日に掲載されたが、2月1日に突如、削除。「当記事は公開終了しました。」とする一言だけがページ上に残された。ネット上では、幸福の科学による抗議が原因である可能性を指摘する声があがっている。

 2月10日には、第5話が掲載されていたページに下記の謝罪文が掲載された。
【よみタイ 2022年02月10日】『「神様」のいる家で育ちました~宗教2世な私たち~』第5話(2022.1.26 公開)に関するお詫びとお知らせ

本サイトにて連載しておりました『「神様」のいる家で育ちました~宗教2世な私たち~』第5話について、社内検討の結果、公開終了とすることにいたしました。
本作品は、「宗教2世」が「親との関係」において抱える苦悩について問題提起することを目的としていましたが、第5話についてはあたかも教団・教義の反社会性が主人公の苦悩の元凶であるかのような描き方をしている箇所がありました。
紹介したエピソードはいずれも「宗教2世」への取材をもとに構成したものでしたが、結果として特定の宗教や団体の信者やその信仰心を傷つけるものになっていたことは否めません。
このことを重く受け止め、お詫びいたしますとともに、今後はこのようなことのないよう、執筆時の取材および構成の検討を入念に行い、より良い作品作りをしていけるよう努めてまいります。

2022年2月10日 「よみタイ」編集部
 12日頃から連載全削除の報がTwitter上で広まり、現在は「#菊池真理子先生の宗教2世漫画を読ませて下さい」「#集英社は菊池真理子先生のマンガを消さないで」などのハッシュタグで、連載再開や過去作品の再掲載を求める声が多数あがっている。集英社の対応を批判する声や、幸福の科学に対する反感や恐怖の声もある。

 集英社の広報担当者は本紙の取材に対して、抗議の有無についての回答を避けた。

「(第5話への抗議の有無について)特定の宗教団体に関することについて回答は控えさせていただきます。1~4話については、内容の再検討のため公開停止としました。再掲載や連載継続等、今後については未定です」

幸福の科学学園の食堂で豚の生姜焼き定食を食べる本紙記者、が撮影した同行の教団職員たち(2010年)
 2012年に幸福の科学学園の内情を『週刊新潮』で報じ、学園側から1億円の損害賠償を求める訴訟を起こされ完全勝訴(2016年に確定)したジャーナリストの藤倉善郎氏が解説する。

「菊池氏のマンガの主人公は、幸福の科学学園の1期生。私が週刊新潮の記事のために内情を取材したのも、マンガの主人公が学園に在籍していた時期です。私は複数の生徒・保護者から証言を得て、違法な政治教育や、霊言による歴史観と史実を混同した歴史授業などについて記事を書きました。裁判では内容の全てに真実性が認められました。菊池氏のマンガに描かれていた教団や学園の実態は、私が取材で聞いたものとほぼ同じで、主要部分は私の目から見て全て事実です。しかしマンガでは、教団や教義を反社会的だとする言葉は一切登場しません。飽くまでも主人公の個人的な体験談です。それが集英社の言うように『教団・教義の反社会性が主人公の苦悩の元凶であるかのような描き方』だというなら、実際に教団・教義の反社会性が元凶なんじゃないですか? 集英社の謝罪文は、『正しいことを描いてごめんなさい』と謝っているようなものです」


■大学、議会、議員にも広がる萎縮機運

 幸福の科学をめぐっては2018年にも、大阪芸術大学の学生が制作したドキュメンタリー映画の卒業制作展での上映を大学側が中止させた問題が起こっている。これについては、幸福の科学側が訴訟をほのめかして大学や学生を恫喝していたことが、既に明らかになっている。


 また今年2月3日と11日の2回にわたって本紙が報じている通り、流山市議会ではサイエントロジーが抗議して議会の動画を一部削除させるという問題も発生したばかりだ。


 上祐史浩氏率いるオウム真理教一派「ひかりの輪」も、2019年に世田谷区議のブログに抗議して一部削除させている。


 前出の藤倉氏は、こう語る。

「これは幸福の科学に限らずカルト全般をめぐる問題の一分野。かつては言論出版妨害事件(創価学会、1969年前後)やフライデー事件(幸福の科学、1991年)もあったが、近年は大きな騒ぎに発展する前に多くの人々がカルトからのクレームに屈している。これがカルトに成功体験を与え増長させ、よりいっそう社会の側の萎縮機運を高めてきた。集英社の対応を批判して済む話ではない。社会の側が問題意識を共有し、圧力に見舞われている側を応援していかなければ、健全なパワーバランスを目指すことはできない。だから集英社がんばれ」

 今回の問題について、幸福の科学グループ広報局に取材したところ……

記者「やや日刊カルト新聞の藤倉と申します。お世話になっております。取材のお願いでお電話差し上げました」

広報「◇△×?◯&$!▽ガチャッ!」

記者「(ぷるるる……)やや日刊カルト新聞の藤倉と申します。お世話になっております。お電話が切れてしまいまして」

広報「答えませんと言ったじゃないですか!」

記者「何を言っているのか聞き取れなかったもので。答えませんと言ったんですね?」

広報「そうですガチャッ!」

解説:「2世問題」への影響

 「宗教2世問題」あるいは「カルト2世問題」は、宗教やカルト集団に加わっている親を持つ子供をめぐる、虐待も含めた人権問題を指す。子供への影響は、特異な教義や思想の直接的影響にとどまらない。教義等を用いて親が子供を支配したり、制限の多い集団の慣習等に従わせるなど、子供の尊厳を傷つけながら長年にわたって育てることで、子供の精神・情操面での発育や成人後の人生に様々な影響を及ぼす。

 具体的な事情は、団体によっても傾向が異なる。同じ団体の信者家庭でも、親のパーソナリティも含め個々の事情によって、2世を取り巻く環境は大きく変わる。親が悪いのか、宗教が悪いのか。2つの要素が複雑にからみあい相互に影響するが、その比重もまたそれぞれだ。

 昨年2月から、NHKが全く異なる3本の番組で立て続けに2世問題を特集した。うち2本の番組では、宗教団体や教義等の問題にほとんど触れることなく「親子問題」の側面だけを扱った。これについて、本紙・藤倉善郎総裁と鈴木エイト主筆が、それぞれ批判している。


 前者は主に、2世問題を親子問題に矮小化・単純化することの弊害を指摘したもの。後者は主に、2世問題を「宗教」の問題として一般化することの弊害を指摘したものだ。いずれも、カルト(宗教団体とは限らない)による人権侵害の構造から目をそらす報道のあり方を批判している。

 菊池氏の連載は、こうした情勢の中で昨年9月から始まった。NHK同様「宗教2世」という言葉を使っており、カルトの人権の実態を暴くとか団体を糾弾するといったスタンスではない。各回ごとに1人の2世にスポットを当て、当事者ごとの個別の体験、事情、個性を重視している。

 それでいて、当事者の語りの中に団体や教義の問題をうかがわせる要素がある場合は、それも作品に盛り込んできた。こうして個人の体験や思いを重視する各回を積み重ねることで、連載全体を通じて問題の多様性も見えてくる。

 個人の語る事実を忠実に描くだけ。それでいて、読む人に対して、問題の要因や構造の多様性や、その具体的な内容も認識させてくれる。「批判的視点を放棄しない中立性」と言えばいいだろうか。そんなバランス感覚が、菊池氏のマンガにはあった。

 これが萎縮を余儀なくされると、どうなるか。極端な話、団体への批判をしないだけでなく、読者の批判意識を喚起する可能性がある描写や団体側の気分を害する可能性がある描写も避ける(当事者の語りからそういった要素を排除する)フィルターを出版社側が「自主的に」かけることになる。描ける要素は「親子関係」「親への批判」だけだ。

 これでは、菊池氏のマンガのバランス感覚は失われる。個々の当事者の体験も思いも、問題の構図の多様性も、十分に伝わりにくくなる。菊池氏の作品にとどまらない。2世自身が綴る手記などにも同様のことが要求されるようになる前例にもなりかねない。

 団体と正面切って対立する批判的言論が消されたのではない。悲しく物静かな当事者たちの語りが消された。

 従来の「カルトからの言論妨害やメディアの萎縮」とは異質な、そしてこれまで以上に深刻な事態だ。それが表面化したのが、今回の集英社の一件だろう。

4 コメント:

匿名 さんのコメント...

幸福の科学と藤倉さんとの攻防劇を見ていていつも思うのだが、何で教団は逃げるのだろうということ。仏陀の弟子なんだから、藤倉さんを招き入れて公開討論でもすればいいのにと思う。だって、最高の悟りを得た人が作った団体なんでしょう?絶対に藤倉さんを論破できると思うんだ。弟子で駄目だったら、大川隆法さんが出てくればいい。回りをイエスマンで固めた仏陀なんか、何か嘘くさい存在だと思う。それに、藤倉さんを取り込んだなら、アンチも幸福の科学が正しい宗教だったと考えを改めると思うので、教団にとって一石二鳥だよ。
ところで、教祖も幹部連中も、スーツの上にマフラーのようなものを掛けているけれども、何か胡散臭いんだよな。それを追加することによって、一般信者より宗教的に上だということをアピールしているのかな?傍から見ると、滑稽極まりない。まあ、それをいったら、カトリック教の教皇がなんであんな華美な服装をして、ピカピカの冠をかぶっているのだろうか?という疑問も湧いてくる。だって、服を脱いだら、その辺に生きている一般庶民と変わらないでしょう?霊的に上だなんて言っても、その信者以外には通用しないから。

匿名 さんのコメント...

他人がやれば「不倫」、自分がやれば「ロマンス」

自分の気に入らない団体が抗議したら「不当な圧力」、自分が(裁判所や日本脱カルト研究会に)抗議したら「正当な抗議」

反社会的カルトは、正当な目的(と自分が勝手に思うこと)のためならば違法行為も辞さない。

反カルトが、カルトを叩くためならば違法行為(誹謗中傷、建造物侵入)を正当化するようになれば、反カルトのカルト化

この記事に言わんとしていることはわかるよ。でもせめて証拠をゲットしないと。これだと全部憶測だよ

Ubnutu初心者 さんのコメント...

一番上の匿名氏がいう「公開討論」に関してですが、実は日蓮正宗法華講員(信徒)の樋田昌志(とよだ・まさし)氏が2回ほど幸福の科学幹部との対論(法論とも。宗教に特化した討論)を行っていて、その動画群はYouTubeで観ることが出来ます。

討論相手は教祖の大川某ではないものの、幸福の科学幹部なので、連中がどういう思考をするのかが解ると思います。

本件についてですが、かって、創価学会が起こした「言論出版弾圧事件」を思わせるものがありますな。このときは創価学会批判本と著者・ジャーナリスト達に対するものでしたが。破壊的カルト教団というのは似てくるものなのですね。

Unknown さんのコメント...

反対派への恫喝は仏の道に反している。幸福の科学は却って、この一件で危険な集団であるとのイメージを広げたのは間違いない。