2010年8月19日木曜日

イスラム教とキリスト教が同じ聖堂で祈りを捧げる試み

現在も度々のいざこざが絶えないイスラム教とキリスト教。つい最近もタリバンがキリスト教系NGOの所属員を10人射殺したという事件があったばかりですが、そんな中、スペインでは興味深い運動が起きています。
【CNN 2010年8月18日】イスラム教とキリスト教、同じ聖堂で祈りを スペイン
イスラム教信者にとって同聖堂は、イスラム黄金時代の象徴として今でも重要な場所。イスラム教の神聖な祈りの場である「ミフラーブ」も敷地内の別の場所に現存し、大勢の観光客が訪れる。かつてここがモスクだったころは、1つ屋根の下でキリスト教とイスラム教の信者が祈りを捧げていたという。

イスラム教信者たちはこの伝統を取り戻す運動を展開し、4月には100人以上の信者が敷地内で祈りを捧げるデモ活動を実施した。これを排除しようとする警備員ともみ合いになって2人が逮捕された。

そもそもイスラム教もキリスト教も、そしてユダヤ教も元を正せば一つの系譜に連なるものでアブラハムの宗教などと呼ばれています。唯一同じ神を信仰しているのに、あるいはだからこその近親憎悪なのか、争いが絶えず現代に至ります。
実際、仏教とキリスト教で戦争にまでなった事例は殆ど知られていないわけですから、アブラハムの宗教がそれぞれの間で、どのように折り合いをつけていくかは紛争解決上も極めて重要な課題といえるでしょう。

そうした中でかつては『1つ屋根の下でキリスト教とイスラム教の信者が祈りを捧げていた』という事例があったのは興味深いことです。以下は今回の運動のリーダーのコメントですが、この試みは宗教にまつわる紛争の解決の一歩になるかもしれません。
「異なる宗教の人たちが共に生きるのは、イスラム教徒にとってでなく、人類にとって重要なことだと思う」
ちなみに米国人の10%はオバマ大統領がイスラム教徒であると思っているようです。

4 コメント:

匿名 さんのコメント...

「異なる宗教の人たちが共に生きるのは、イスラム教徒にとってでなく、人類にとって重要なことだと思う」
まさにその通りだと思います。
本来なら、信仰を持つ人達を平安や幸せに導く事が目的なハズです。こうした運動が世界中に広まる事を祈ります!

匿名 さんのコメント...

「異なる宗教の人たちが共に生きるのが、世界平和の道程だ。我が協会はそれを目指す。
成就すれば、世界に宗教などいらなくなる。」
と以前はアベルから良く聞かされました。勿論その通りだと信じました。その教えを広め
ようと真面目に活動しました。アブラハムの時代より、ずっと願われ、再臨のメシアを信じ
ました。また、オバマ大統領は祝福を受けられたと信じ込んでいました。

仏教、儒教、カトリック、プロテスタント、様々な聖職者がメシアを認め信仰していました。

何故宗教紛争は起こるのか、魔が勝利者だと証明するメシアを認め、世界が血縁転換をして
真の家庭を築き真の家族になれば世界は平和になる筈でした。
 私も信仰が不安を解消し、本当の安らぎを与え、格差の無い幸せをもたらすものであって
欲しいと願います。

みかえりを求めず、無償の愛のなかで、互いの信仰を認め合い、宗教上の神は様々な中で
真の神は結局のところ、ひとつですべての信仰の神を見守っていると広い心で受け止められ
る世界になればと思いました。

残念ながら私の出会った神は、世界平和というよりは世界征服といった表現が似合い、不安
をしつこく創り出しては、メシアの名においた献金の上で、不安要素を紛らわす活動をして
いました。

清平の池の中から迷える先祖を救い出し、白い水のような絶対善霊に変えてくださった
テモ二ム(大母)は言いました。
「伝道をして、皆さんでお金持ちになりましょう!」

宗教が世界を救う、本当にそうした活動が起こる時を感じてみたいです。

以前より、主筆様より匿名ではコメントした方の個人の判断が難しいので、適当な名前
を入れて欲しいとの事でしたが、その勇気が無いことをお詫びいたします。

Lang さんのコメント...

お互いの違いを認め合い、尊重し合える事は理想ですよね。
かつてのモスクが取り壊されずにキリスト教の教会として維持されてきて、かつての事例が復活すれば、それはとても意義深く素晴らしい事になると思います。
そろそろ全ての人が、地球という一つ屋根の下(?)に暮らす住民である事を認識しないといけない時代になっている事を思い起こさせてくれる運動にも思えます。

わくたま さんのコメント...

2010年8月19日20:57
> 本来なら、信仰を持つ人達を平安や幸せに導く事が目的なハズです。

私は唯物論者ですから宗教を一種のサービス業として認識しています。しかしその認識においても『人達を平安や幸せに導く事が目的』という目的の認識に違いはありません。
つまりは、目的が真摯に『人達を平安や幸せに導く事』であれば、私のような信仰のない人間、もしくは他宗教にも、活動は理解される可能性があるということだと思っています。


2010年8月19日22:50
> 主筆様より匿名ではコメントした方の個人の判断が難しいので、適当な名前を入れて欲しいとの事でしたが、その勇気が無いことをお詫びいたします。

単に利便性の問題ですから、極端な話『AAA』でも『BBB』でもいいですよ。(コメントの一意性が確認できればいい)むしろ、センシティブな問題を扱うことが多い弊紙ですから、実際の個人が特定されないように名前の入力にもご注意頂いた方がいいかもしれないというくらいです。
いろいろ意見はあろうと思いますが、ネットでは『犯罪を犯さない』『良識に従う』限りは、匿名で発言する権利と自由があると思います。


2010年8月20日0:01
> お互いの違いを認め合い、尊重し合える事は理想ですよね。

本当にそれが理想ではあると思います。ただ現実にはなかなか難しいのが困りものですよね。
これは宗教に限らない話ですが・・・。人の性格は一体感やチームワーク、共通の価値観を重視する保守主義傾向の強い人と、それに対して画一性を軽蔑し、個性や独自の価値観を重視する自由主義的な人に大まかに分けることが出来ます。
例えば、レッドアメリカとブルーアメリカの対立ですね。
これはどちらの思想が優れているということはなくて、研究によるとどちらの主義に偏っても、組織の消失を招くと言うことが分かっています。
結局、何事においてもバランスよく折り合いをつけていくしかないんでしょうね。その観点からは「お互いの違いを認め合い、尊重し合える事」を達成するためには、画一的な思想を理想的と考える人とも、折り合いをつけていかなければいけないという事になります。これは信仰などの対立よりも解消が難しい問題かもしれません。何しろ人の本質に根ざしていますから。