2010年8月20日金曜日

社会が宗教に譲歩すべき場面もある=イスラム墓地不足問題

 読売新聞が、日本に住むムスリム(イスラム教徒)のお墓不足問題のルポを掲載しています。カルト問題と直接関係はなさそうですが、宗教的価値観と社会のルールとの兼ね合いについて考えさせられるので、ご紹介します。


【YOMIURI ONLINE 2010年08月14日】イスラム教徒お墓不足、土葬可能な場所少なく

 日本では、お墓に入れない――。

 国内に数多く暮らすイスラム教徒(ムスリム)が、墓不足に悩んでいる。教義で定められた土葬を禁止する条例や地域の反対で、新たな墓地の確保が難しいからだ。永眠の地をめぐるムスリムの悩みは深い。

(略)

 国内のキリスト教徒は日本の風習に沿って火葬が一般的なのに対し、ムスリムは教義に厳格で、長年過ごした土地に土葬して弔う。協会やムスリムの互助組織「イスラミックセンタージャパン」(東京都世田谷区)が全国各地で埋葬先を探したが、条例に阻まれたり、墓地の管理者らから「土葬はイメージが良くない」などと拒まれたりした。

(略)

 イスラミックセンタージャパンの宣教理事で中央大講師のサリーム・ラフマーン・ハーンさん(54)は「在日ムスリムは推定10万人で、今後も増えるだろう。日本国籍を持つムスリムには行き場さえない」と訴える。

◇土葬=遺体を焼かず、土中に埋葬すること。墓地埋葬法は国民の宗教的感情に適合するよう墓地や埋葬などについて規定しているが、土葬を禁じていない。しかし、東京都や大阪府、名古屋市などは衛生面などを理由に土葬を禁じる条例や規則を定めている。

 都市部で「鳥葬をやりたい」とか言われれば、そりゃ無理だろと言いたくなりますが、土葬くらいなら条件付き例外を認める柔軟性があっていいのではないかと思います。衛生上の問題なら、衛生上の問題がない方法を指定して許可すればいいわけですし、それは不可能ではなさそうに思います。全ての墓地で土葬を導入する必要まではないわけですし。

 本紙・藤倉は、宗教と世俗の価値観との対立や摩擦を語るとき、世俗の価値観を尊重しない宗教側を批判する論法を取ることが多いです。しかし上記のような問題では、やり方次第で、社会にとってデメリットのない形で宗教の価値観を許容できると思います。こういう場合であれば、社会の側が譲歩して、信仰を制限せずに済む方向を模索すべきではないでしょうか。

 ムスリムの土葬に関しては、都市部の条例の問題だけではなく、墓地の管理者や周辺住民の反発もあるようです。これはもはや感情の問題ですし、「宗教と社会」というより「外国人と日本社会」の習慣の違いという側面の方が強いかもしれません。

 最近の日本社会は、アジアの特定の国、その国の人に対してのみ、ずいぶん下手に出てベタベタしたがってるように見えて、非常に不快です。そういう不自然で不健全なノリではなく、どの国の人に対しても平等に、そしてごく当たり前のように、「習慣が違うんだから、日本での生活に必要以上の不便がないようになんか考えましょう」と言ってあげられる社会になればいいのに、と思います。ましてや「死」という重要なテーマについては、よりいっそう、他国・他宗教の人の尊厳に配慮する必要があると思います。

19 コメント:

匿名 さんのコメント...

少しお墓の話とずれてしまうかもしれません。

ムスリムを一括して扱う、ということは不適切だとは思うのですが、
http://ja.wikipedia.org/wiki/悪魔の詩訳者殺人事件
のように、他国の人間に対して宗教上の理由から死刑を宣言する団体に対して、『習慣が違うんだから、日本での生活に必要以上の不便がないようになんか考えましょう』と言ってよいのかどうか、考えてしまいます。もちろん、この殺人事件がイスラム教徒によって行われた犯行であるとの確証は得られていませんが。

どんな宗教であっても、それを信仰していない人間から見ると滑稽な部分があって、その滑稽な部分を社会がどのように受け入れるのかという点が、共生を考える上で重要なポイントなんでしょう。イスラム教徒の方々にとって、土葬のイメージが悪い、と拒否されることは非常に滑稽なことなんでしょうが、その土葬のイメージは、日本社会が今現在までに積み上げてイメージであるわけで。その積み上げてきたものを簡単に変える必要があるのかどうか疑問に思う部分があります。もちろん、譲歩したい人はすればいいのだし、譲歩する人が増えれば土葬に対するイメージも変わるでしょう。

「死」というテーマは重要なテーマです。そして他国、他宗教の人間の尊厳に配慮すべきことなのでしょう。だからこそ、自国民の土葬に対するイメージに対してもより配慮すべきではないでしょうか。ましてや、宗教上の理由から人を殺す、しかも他国の人間に対して危害を加える可能性のある宗教と向き合う場合には、より注意が必要なのではないでしょうか。

オーム真理教という教団の構成員が、宗教上の理由から人を殺し、社会はそれを批判しました。その批判を受けて、その後教団は(少なくとも建前上は)それら殺人事件の被害者に対しての謝罪を行っています。イスラム教徒の方々は、宗教上の理由によって日本人が国内で殺害された場合、それに対してどのように思うのか興味を持ちます。もしも宗教上の理由による殺人を拍手喝采、被害者の死を当たり前だと思う人々であるならば、そもそも共生する必要があるのかどうか、という議論から始めるべきだと私は思うのです。

他国、あるいは他の文化と平等な関係を構築するためには、まず自分の立場を自分自身で主張する必要があるのだと思います。私はイスラム教に限らず、宗教上の理由で殺人を正当化する集団に対して違和感を持ちますし、土葬に対するイメージもよくありません(衛生面に問題があると思うので)。

今回の土葬の話に戻ると、もし土葬に対する寛容を示すべき、という主張をなさりたいのであれば、是非、土葬の安全性についてもっと詳しく記述して欲しいと思いました。それが分からなければ、譲歩する理由が見当たらないと思うので。

藤倉善郎 さんのコメント...

 この記事では「社会にとってデメリットのない形で宗教の価値観を許容できる」部分についての話として、「習慣が違うんだから、日本での生活に必要以上の不便がないようになんか考えましょう」と書いているに過ぎません。

> 他国の人間に対して宗教上の理由から死刑を宣言する団体に対して、
> 『習慣が違うんだから、日本での生活に必要以上の不便がないように
> なんか考えましょう』と言ってよいのかどうか、考えてしまいます。

 社会にデメリットをもたらす価値観の実現に、社会の側が手を貸してやる必要なんかないと思います。

 土葬に関しては、衛生面は対処不可能なものではないでしょうし、異様にでかくてド派手な墓を立てさせろちう話でもなく、出来上がるお墓自体の体裁は外見上、火葬のものと大差ないわけですから、「イメージ」という漠然とした感情問題以外には、たいした実害はなさそうな気がします。

> その土葬のイメージは、日本社会が今現在までに積み上げて
> イメージであるわけで。その積み上げてきたものを簡単に変
> える必要があるのかどうか疑問に思う部分があります。もち
> ろん、譲歩したい人はすればいいのだし、譲歩する人が増え
> れば土葬に対するイメージも変わるでしょう。

 イメージを変える必要なんかないと思います。ムスリムの土葬を認めることは、ただ単に「実害ない範囲で、どうぞご自由に」と言えばすむだけのことです。記事で紹介されているムスリムの事情というのは、「墓地がない」という悩みにすぎません。別に、日本社会側の死生観を変えろなんて主張は出てこないし、「ムスリムの墓に日本人もお参りしろ」とか言っているわけでもありません。

 「違う他者の存在を認めること」というのは、「自分の価値観を曲げること」ではないんです。

 そもそも「墓地」について言うなら、日本人社会だって、火葬は火葬でも、お骨を空からまいちゃったり海に流しちゃったり、従来の日本文化とずいぶん違うように見えることでもやりたい放題じゃないですか。バルーン宇宙葬(http://www.balloon-sou.com/)なんてものまである。こんなヘンなことまでできるのに、ムスリムの土葬はダメって、ぼくにはものすごくバランスを欠いた社会に見えますけどね。


> イスラム教徒の方々は、宗教上の理由によって日本人が国内で殺害された場合、
> それに対してどのように思うのか興味を持ちます。もしも宗教上の理由による
> 殺人を拍手喝采、被害者の死を当たり前だと思う人々であるならば、そもそも
> 共生する必要があるのかどうか、という議論から始めるべきだと私は思うのです。

 イスラム教=殺人容認集団ではないし、いま墓地不足で悩んでいるムスリムがテロリストだという話でもありませんよ。

 なのに、土葬を認めるかどうか議論する際に、彼らの思想チェックが必要なんですね。火葬は好きにしていいが、土葬は思想チェックを要するというのが「日本の文化」なんですか。あ、じゃあ、アメリカ人が土葬したいって言ったら、「お前は原爆投下についてどう考えているんだ」とか、いちいち確かめなきゃいかんのですね。

 ぼくもそれなりに長く日本人をやっていますが、こんな文化は初めて聞きました。



> 今回の土葬の話に戻ると、もし土葬に対する寛容を示すべき、という主張をなさり
> たいのであれば、是非、土葬の安全性についてもっと詳しく記述して欲しいと思い
> ました。それが分からなければ、譲歩する理由が見当たらないと思うので。

 読売新聞の記事でも、土葬の安全性を保証する具体的情報はありませんが、ムスリムの埋葬を受け入れ「イスラーム霊園」を開設している山梨県甲州市の曹洞宗寺院・文殊院の例が紹介されています。ここで何か衛生問題が起こっているというなら別ですが、こうした運用実績があるわけですから、衛生問題はクリアすることが可能だということではないでしょうか。

 衛生問題については、土葬対応墓地を実際に増やしていく際には、具体的な議論や予定地での調査が必要な気はします。ですがムスリムに対する偏見や、埋葬方法を議論するのに思想チェックが必要だ見たいな話をされてしまうと、もはや衛生問題を議論する以前の問題ではないでしょうか。



 ちなみに「オーム真理教」ではありません。「オウム真理教」です。いまだに新聞・テレビで報道されることもある殺人教団の名前すらよく知らないなら、一般ムスリムとテロリストを区別できないのも無理はないのかもしれません。民主主義国家においては、こういうレベルの人の理解も得なければ、「社会として多様性を認める」ことができないわけですから、ことの困難さを改めて実感させられるご意見でした。

匿名 さんのコメント...

>民主主義国家においては、こういうレベルの人の理解も
>得なければ、「社会として多様性を認める」ことができ
>ないわけですから、ことの困難さを改めて実感させられ
>るご意見でした。

その通りです。私のようにレベルの低い人間にも理解できるように、がんばってください。応援しています。

藤倉善郎 さんのコメント...

 一般ムスリムとテロリストの違いなんて、社会常識レベルの話です。

 申し訳ありませんが、「やや日刊カルト新聞」は、社会常識がない方に合わせた記事を掲載するつもりはありません。なにせ「専門紙」ですから。一般常識は、読者の自己責任で培っていただければと思います。

被害者?! さんのコメント...

藤倉さんのような社会的常識をお持ちの方であれば、同じ考えの病理的な人達が集まる『随想 吉祥寺の森から』も、まともに議論や対話が出来ると思うのですが。

匿名 さんのコメント...

なるほど、
>民主主義国家においては、こういうレベルの人の理解も得なければ
とあったので、少し期待したのですが、残念です。こうしたレベルの人間に理解できるような記事を書かかれるおつもりかとも思ったので。

> 土葬に関しては、衛生面は対処不可能なものでは
>ないでしょうし、異様にでかくてド派手な墓を立て
>させろちう話でもなく、出来上がるお墓自体の体裁
>は外見上、火葬のものと大差ないわけですから、
>「イメージ」という漠然とした感情問題以外には、
>たいした実害はなさそうな気がします。

と藤倉さんは書かれていますが、そのイメージがこの問題において結構大きなウェイトをしめているいるのではないでしょうか?住民の反対運動は衛生面の問題に対する不安と、そして、イスラム教徒に対するイメージに由来する不信感から生まれているのではないか、と。そして漠然とした感情問題ほど、論理的ではない分、問題の根を深くするのではないでしょうか。

一番始めのコメントは、9.11のテロが起こる以前、そして友人がイスラム教徒と結婚するために、イスラム教へ帰依(もともと、私と同様、それ程特定の宗教への信仰を持っていなかった人なので、改宗とはいいずらい)するまで私個人が漠然と持っていた、イスラム教への偏見です。ですので、イスラム教徒=テロリスト、というイメージで書いたものではなかったりします。イスラム教徒=テロリストというイメージは9.11以降に一般的になったものではないでしょうか?少なくとも私は本文中、一度もテロリストという言葉を書いていないのですが、それを藤倉さんが想起したということは、やはり、社会においてはイスラム教徒=テロリスト、という見方をする人が多いのかもしれません。

で、そういったイメージが原因で住民が反対運動を起こした場合、「習慣が違うんだから、日本での生活に必要以上の不便がないようになんか考えましょう」という言葉で当事者達は納得するのでしょうか?引用先の記事にも不満があるのですが、お墓がない、という問題点については良く分かるのですが、反対"運動"(←記事からはどんな形で反対が表明されているのか分からない)の具体的な内容と、受け入れたケースにおける経緯が全くありません。曹洞宗寺院・文殊院のケースをもう少し掘り下げて欲しかったと思うのです。お寺でイスラム教徒のお墓を管理するのだから、特殊なケースなわけで。

>ここで何か衛生問題が起こっているというなら別ですが、
>こうした運用実績があるわけですから、衛生問題はクリア
>することが可能だということではないでしょうか。

と藤倉さんは主張されていますが、

引用先記事>文殊院住職の古屋和彦さん(44)は「数年後は飽和状態。
引用先記事>住民に『土葬は怖い』と反対する声もあり、新たな墓地の
引用先記事>造成は難しい」と話す。

という部分。なぜ問題がないのであれば、新たな造成が不可能なのでしょうか?この文脈からは土地が足りないというよりも、住民の声の方が大きいように読めました。それは『土葬は怖い』という理由だけなのでしょうか?せっかく個別の事例があるのだから、是非このあたりを検証することから、イスラム教徒や土葬への理解が深まるのではないかと思うのです。

貴誌のような専門誌ならば、このケースについてよく調べ、その結論としてこの記事のエントリを書かれたものだと思っていました。その点、少し残念です。



そもそも論として、『国内のキリスト教徒は日本の風習に沿って火葬が一般的なのに対し、ムスリムは教義に厳格で、長年過ごした土地に土葬して弔う』と引用先の記事にはありますが、長年過ごした土地、ってどの程度の範囲を表すんでしょうね?東京で長年過ごしたイスラム教徒を北海道に埋葬するケースと、火葬して東京の納骨堂に収めるケース、どちらも教義に厳格じゃないじゃないか、と思ったりします。十二イマーム派をがちがちに信仰する人々ならばともかく、スンニ派なんかは結構現実的な判断を下すわけで。
http://www.tkfd.or.jp/blog/sasaki/2010/08/no_843.html
そういった見解を日本のイスラム団体が出す方向は望めないのでしょうか?そもそも日本人のお墓だって足りないのですから。



皮肉とかではなく、貴誌の活動を楽しみにしています。脱会者ではない視点からカルトを扱うメディアは重要だと思うので。

匿名 さんのコメント...

typo

誌→紙

(他の誤字についても含め)失礼しました。

藤倉善郎 さんのコメント...

> >民主主義国家においては、こういうレベルの人の理解も得なければ
> とあったので、少し期待したのですが、残念です。こうしたレベルの人間に理解できるような記事を書かかれるおつもりかとも思ったので。

 ご期待に添えず申し訳ありません。

 ぼくは、<「習慣が違うんだから、日本での生活に必要以上の不便がないようになんか考えましょう」と言ってあげられる社会になればいいのに、と思います>という感想を書きたかっただけで、ぼく自身がムスリム墓地開設運動をやっているわけではありません。読売新聞の記事で紹介された事実を評論するだけの記事で、一般常識のない人にいちいち一般常識を教えてあげる努力まではちょっとできません。そのような文章を書いても、一般常識がある読者にとってはムダの多い冗長な記事なるだけです。

> と藤倉さんは書かれていますが、そのイメージがこの問題において結構大きなウェイトをしめているいるのではないでしょうか?

 そうだと思います。そして匿名さん(2010年8月20日19:59)のコメントを読んだら、そのイメージは土葬へのイメージだけではなく、ムスリム=殺人容認集団という事実無根の偏見である場合も現実にあるのだということを思い知らされました。もしそういうイメージが大勢を占めるのであれば、一般常識もない人間の力でムスリムの生活が制限されてしまうのが日本社会であるということになります。

 そこまでひどい社会であれば、ぼくは日本社会に絶望するだけです。説得しようという気も起りません。ムスリムには「申し訳ないけどこの国はクソッタレだから、あなたたちにとって暮らしにくい。できることなら、こんな国に来ない方がいい」とアドバイスしてあげる方が早いと思います。



 カルト問題であれば、たとえば繁華街で手相占いなどを口実に勧誘活動をしているのはたいがい統一協会である、なんてことも一般常識だとぼくは思っています。でも、自分自身や自分の家族・友人が被害を回避できるようになるというメリットがある話だから、この一般常識を知らない人でも事実を知れば、比較的この事実を重視してくれるでしょう。

 しかし「ムスリム=テロリスト」という偏見は、「そうじゃないよ」という事実を知ったところで、偏見を持っている側にはとくだんメリットがありません。ましてや、それが偏見であるということを知らないまま特定の問題について平然と発言してしまうような人は、初めから偏見の修正を放棄しています。現に匿名さんは、ぼくの返答を読んでも、「常識のない人間にもわかる記事を書け」などと他人に責任転嫁するばかりで、自らの偏見を改める姿勢が全くありません。

 自主的思考や判断を放棄した人間に対して、その人が自主的思考をしたくなるメリットも見いだせない場面で、その人に自主的思考を促すすべをぼくは持っていません。そういう人のために努力をすることに全く情熱を持てません。


> 少なくとも私は本文中、一度もテロリストという言葉を書いていないのですが、
> それを藤倉さんが想起したということは、やはり、社会においてはイスラム教
> 徒=テロリスト、という見方をする人が多いのかもしれません。

 あなたが心のうちでどのようなイメージを持って書かれていようが、自らオウム真理教まで引き合いに出しておきながら「テロリスト」を想起するのは読み手のせいだとするのは、あまりに身勝手な責任放棄だと思います。「テロ」というのは、何も9・11のみを意味するものではないですし。実際に書かれている内容が「一般ムスリム=テロリスト」という事実無根の偏見と全く同じ内容だったわけですから、それを受けた議論が行われるのはあなたの責任です。



 読者に期待していただけるのは嬉しいことなので、今後も取材や執筆を頑張ろうと思いますが、コメント欄で匿名さん(2010年8月20日19:59)との議論や補足説明は不毛なので、もうやめたいと思います。せめて、これまでの不毛なやりとりを見た他の読者が、ムスリムに対する偏見を改めてくれたり、思考を放棄して多文化を排除する日本人(たぶんごく一部だと信じたいですが)の醜さと哀れさに気づいていただければ幸いです。

匿名 さんのコメント...

議論を中断されるとの事、それは残念です。

中断するに当たり、一応書いておきたいことがあります。

まず、私の書き方が悪かったのでしょうが、

>一番始めのコメントは、9.11のテロが起こる以前、
>そして友人がイスラム教徒と結婚するために、
>イスラム教へ帰依(もともと、私と同様、それ程
>特定の宗教への信仰を持っていなかった人なので、
>改宗とはいいずらい)するまで私個人が漠然と持っ
>ていた、イスラム教への偏見です。

と書いたように、私は今現在、イスラム教に対して(知らないことが理由の)偏見を持っていません。もちろん、知識の足りない部分もありますが。そしてオウム真理教の話題を引き合いにだしたのは、宗教上の理由によって殺人が行われた、ということを書きたいがゆえであります。そもそもオウム真理教の事件はテロだったのでしょうか?警備関係者の口からは「あれはテロだった」という言葉が出てきますが、そもそもテロとは政治上の要求を非合法な形で突きつけるために行うものだと私は思っていたので、いつも違和感を感じるのです。ですので、イスラム教徒=テロリスト、という意味合いははじめのコメントにはありません。そもそも、オウム信者をテロリストと表現するケースは社会において一般的なのでしょうか?もしそうならば、私の書き方は不適切だったのでしょう。

で、なんで宗教上の殺人の話をお墓の話でしなければならないか、というと、前回のエントリで、

>十二イマーム派をがちがちに信仰する人々ならば
>ともかく、スンニ派なんかは結構現実的な判断を
>下すわけで。
>http://www.tkfd.or.jp/blog/sasaki/2010/08/no_843.html
>そういった見解を日本のイスラム団体が出す方向は
>望めないのでしょうか?そもそも日本人のお墓だって
>足りないのですから。

と書きましたが、ファトワ、という形で火葬もよいというお達しがでれば、この問題は、結構な部分、解決するわけです。もちろん、個々人が火葬に対して違和感を持つケースについては解決できませんが。その解決できない問題も含めてめでたしめでたし、となるかというと、少し違和感が残るのです。それはなぜかと言うと、一番始めのコメントに挙げた http://ja.wikipedia.org/wiki/悪魔の詩訳者殺人事件 の事件。以前にも書いたように、犯人がイスラム教徒であるという確証は全くありません。けれども、他国民に対して宗教上の理由から死刑を宣言したのもファトワなわけで。

こういった(イランのそれ以後全くないレアケースですが)ファトワに対して、日本のイスラム団体にはなんらかの声名を出してほしいと思うのです。

もちろん、イスラム教は一枚岩ではありません。他の団体が出したファトワが全ての団体において有効だなんてことはまずありえないでしょう。そして他の団体に影響力をもつアズハル大学のファトワは穏健であるケースが多いようです。(例えば、 http://blog.livedoor.jp/abu_mustafa/archives/1702388.html )

けれどもイスラム教に対して理解のない人間にとってはどれも同じに見えることでしょう。

>しかし「ムスリム=テロリスト」という偏見は、
>「そうじゃないよ」という事実を知ったところで、
>偏見を持っている側にはとくだんメリットがありません。

私は、偏見とはその事象に対する無理解から生まれるのだと思います。多元化社会を目指すならば、こういった部分を含めて理解すべきだと思のです。もちろん、理解しても偏見を変えない人もいることでしょう。イスラム教徒に対してなんらかの抗議活動を行う人も現れるかもしれません。けれども私は抗議をしたいのであれば、イスラム教徒の方々に対して反論の機会を与える事を条件に、すればいいのだと思うんです。民主主義国家においては、そういった議論を踏まえながら社会や、その雰囲気を変えていくべきものだと考えているので。

森達也さんの、「放送禁止歌」という本を読んで思うのですが、今現在までひきずる問題の多くは、そういった議論にふたを閉めてしまったことに原因があるようにおもいます。『あるべき理想の社会』というものを持っているジャーナリストやライターの方は、自分とは反対の意見に対し、「バカには分からない」「醜い」といったレッテルを貼り、議論を拒否してしまう嫌いがある、あったのではないでしょうか?

アメリカを混淆という意味での多文化社会というのに対し、違和感を持ちます。が、ここでは多文化社会としておきましょう。その社会においては、イスラム教徒に批判的な団体もあれば、徹底的に権利を守るべきという団体も存在するようです。そして両者の間には議論が存在します。もし日本において多文化社会を目指すのであれば、こういった議論は必要なのではないでしょうか?そういった議論をしないままで蓋をしてしまうと、あとでより大きな問題となってしまうように思うのです。現在のフランスのイスラム教徒に対する政策のように。

ですので、私はジャーナリストの方には、異文化間の摩擦を扱う場合、きちんとその偏見の根底にある部分と、その解消するための方法、あるいはその模索の仕方、までを書いて欲しいと思っています。そしてその摩擦によって議論が生じるのならば、どんな意見であっても、「醜い」やら「哀れ」という言葉を使って欲しくない。そういった(どちらの意見をとわず)レッテル貼りを行う報道を行うことによって、かえって問題を悪化させる、あるいは悪化させてきた部分があると思うからです。

私にはイスラム教徒の友人がいます。他にも日本に住む外国人の友人がいます。そういった友人の権利を守るためにも、多文化が共生する社会を目指したいと思います。だからこそ、比較的新しい部類にはいるイスラム教について、「本当に共生できるの?」という問題から議論して欲しいと思います。アカデミックな世界には井筒俊彦を始め、数多くの学者がいますが、一般社会への浸透はまだだと思うので。



私の意見が醜い日本人のそれ、と捉えられるのならば、それは仕方のないことでしょう。ただ、異文化コミュニケーションの方法はいくつもある、ということだけは主張したいと思います。他人のコメント欄で長々と失礼しました。今回の記事は報道ではなく、藤倉さんの感想だったわけで。場違いなコメントをしてしまったこと、お詫びします。

匿名 さんのコメント...

書き込めたと思ったら、書き込めていませんでした。二重投稿になっていたらごめんなさい。


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議論を中断されるとの事、それは残念です。

中断するに当たり、一応書いておきたいことがあります。

まず、私の書き方が悪かったのでしょうが、

>一番始めのコメントは、9.11のテロが起こる以前、
>そして友人がイスラム教徒と結婚するために、
>イスラム教へ帰依(もともと、私と同様、それ程
>特定の宗教への信仰を持っていなかった人なので、
>改宗とはいいずらい)するまで私個人が漠然と持っ
>ていた、イスラム教への偏見です。

と書いたように、私は今現在、イスラム教に対して(知らないことが理由の)偏見を持っていません。もちろん、知識の足りない部分もありますが。そしてオウム真理教の話題を引き合いにだしたのは、宗教上の理由によって殺人が行われた、ということを書きたいがゆえであります。そもそもオウム真理教の事件はテロだったのでしょうか?警備関係者の口からは「あれはテロだった」という言葉が出てきますが、そもそもテロとは政治上の要求を非合法な形で突きつけるために行うものだと私は思っていたので、いつも違和感を感じるのです。ですので、イスラム教徒=テロリスト、という意味合いははじめのコメントにはありません。そもそも、オウム信者をテロリストと表現するケースは社会において一般的なのでしょうか?もしそうならば、私の書き方は不適切だったのでしょう。

で、なんで宗教上の殺人の話をお墓の話でしなければならないか、というと、前回のエントリで、

>十二イマーム派をがちがちに信仰する人々ならば
>ともかく、スンニ派なんかは結構現実的な判断を
>下すわけで。
>http://www.tkfd.or.jp/blog/sasaki/2010/08/no_843.html
>そういった見解を日本のイスラム団体が出す方向は
>望めないのでしょうか?そもそも日本人のお墓だって
>足りないのですから。

と書きましたが、ファトワ、という形で火葬もよいというお達しがでれば、この問題は、結構な部分、解決するわけです。もちろん、個々人が火葬に対して違和感を持つケースについては解決できませんが。その解決できない問題も含めてめでたしめでたし、となるかというと、少し違和感が残るのです。それはなぜかと言うと、一番始めのコメントに挙げた http://ja.wikipedia.org/wiki/悪魔の詩訳者殺人事件 の事件。以前にも書いたように、犯人がイスラム教徒であるという確証は全くありません。けれども、他国民に対して宗教上の理由から死刑を宣言したのもファトワなわけで。

こういった(イランのそれ以後全くないレアケースですが)ファトワに対して、日本のイスラム団体にはなんらかの声名を出してほしいと思うのです。

もちろん、イスラム教は一枚岩ではありません。他の団体が出したファトワが全ての団体において有効だなんてことはまずありえないでしょう。そして他の団体に影響力をもつアズハル大学のファトワは穏健であるケースが多いようです。(例えば、 http://blog.livedoor.jp/abu_mustafa/archives/1702388.html )

けれどもイスラム教に対して理解のない人間にとってはどれも同じに見えることでしょう。

>しかし「ムスリム=テロリスト」という偏見は、
>「そうじゃないよ」という事実を知ったところで、
>偏見を持っている側にはとくだんメリットがありません。

私は、偏見とはその事象に対する無理解から生まれるのだと思います。多元化社会を目指すならば、こういった部分を含めて理解すべきだと思のです。もちろん、理解しても偏見を変えない人もいることでしょう。イスラム教徒に対してなんらかの抗議活動を行う人も現れるかもしれません。けれども私は抗議をしたいのであれば、イスラム教徒の方々に対して反論の機会を与える事を条件に、すればいいのだと思うんです。民主主義国家においては、そういった議論を踏まえながら社会や、その雰囲気を変えていくべきものだと考えているので。

森達也さんの、「放送禁止歌」という本を読んで思うのですが、今現在までひきずる問題の多くは、そういった議論にふたを閉めてしまったことに原因があるようにおもいます。『あるべき理想の社会』というものを持っているジャーナリストやライターの方は、自分とは反対の意見に対し、「バカには分からない」「醜い」といったレッテルを貼り、議論を拒否してしまう嫌いがある、あったのではないでしょうか?

アメリカを混淆という意味での多文化社会というのに対し、違和感を持ちます。が、ここでは多文化社会としておきましょう。その社会においては、イスラム教徒に批判的な団体もあれば、徹底的に権利を守るべきという団体も存在するようです。そして両者の間には議論が存在します。もし日本において多文化社会を目指すのであれば、こういった議論は必要なのではないでしょうか?そういった議論をしないままで蓋をしてしまうと、あとでより大きな問題となってしまうように思うのです。現在のフランスのイスラム教徒に対する政策のように。

ですので、私はジャーナリストの方には、異文化間の摩擦を扱う場合、きちんとその偏見の根底にある部分と、その解消するための方法、あるいはその模索の仕方、までを書いて欲しいと思っています。そしてその摩擦によって議論が生じるのならば、どんな意見であっても、「醜い」やら「哀れ」という言葉を使って欲しくない。そういった(どちらの意見をとわず)レッテル貼りを行う報道を行うことによって、かえって問題を悪化させる、あるいは悪化させてきた部分があると思うからです。

私にはイスラム教徒の友人がいます。他にも日本に住む外国人の友人がいます。そういった友人の権利を守るためにも、多文化が共生する社会を目指したいと思います。だからこそ、比較的新しい部類にはいるイスラム教について、「本当に共生できるの?」という問題から議論して欲しいと思います。アカデミックな世界には井筒俊彦を始め、数多くの学者がいますが、一般社会への浸透はまだだと思うので。



私の意見が醜い日本人のそれ、と捉えられるのならば、それは仕方のないことでしょう。ただ、異文化コミュニケーションの方法はいくつもある、ということだけは主張したいと思います。他人のコメント欄で長々と失礼しました。そもそも今回の記事は報道ではなく、藤倉さんの感想だったわけで。場違いなコメントをしてしまったこと、お詫びします。

Sie さんのコメント...

藤倉さま、こんにちは。Sieと申します。いつも勉強させていただいておりますことに感謝します。

上記の議論を見ていて、「2010年8月20日19:59 匿名」氏の知的レベルの低さに呆れてしまいました。まずは、イスラーム教徒とテロリストを十把一絡げにすることがそうですね。
 そもそも、「土葬に対するイメージもよくありません(衛生面に問題があると思うので)」というのが理解不能です。日本において土葬は縄文時代以来ずっとおこなわれてきました。この方は、現在の日本ではすべて火葬だと単純に認識されているようですが、無知というものです。日本では現在も、国の法律では土葬も火葬も可能ですし、事実、今も土葬をおこなっている地域はたくさんあります。ただし、東京都、大阪府、名古屋市等では条例で規制されており、土葬は許されていません。
 自分の回りは火葬ばかりだからそれが日本全国の常識だ、と短絡的に信じ込んで疑わない「匿名」氏の思考方法こそ、恐ろしいものに感じます。 
 あ、ついでに言いますと、明治以来、天皇・皇后は土葬ですよ。これも匿名氏にとっては「イメージがよくない」のですかね?

わくたま さんのコメント...

2010年8月22日16:21
> そもそも、「土葬に対するイメージもよくありません(衛生面に問題があると思うので)」というのが理解不能です。

読売の記事中にも
『墓地の管理者らから「土葬はイメージが良くない」などと拒まれたりした。』なんて一文がありましたが、実のところ合理的な理由というのはないんだと思います。

現在、土葬率は1%を切っているようで、
http://www.naito-kantei.jp/blog/page.php?_id=224
結局のところそのイメージを形成している最大の理由は「他人と違うことをしている」が主な理由なのかと思います。
今では日本人が土葬をしたいと望んでもかなりの困難が伴いそうです。
こういうときに、様々な理由をつけて違うことをする人を拒絶するか、あるいは「実害がないから好きに出来るように配慮しましょう」と出来るか、要は日本人の度量が問われているのだと私は思います。度量の狭さを恥ずかしいとも思わないような人があふれかえるような状況では、国に誇りを持つことは難しいでしょう。
ナショナリズムが高まれば高まるほど、日本という国の程度が下がっていくというのは、皮肉な話です。

Sie さんのコメント...

 わくたまさん、データありがとうございます。
 1%を切っているというのは確かに以前と比べると少なくなったといえると思いますが、それでも、日本人のうちで100万人を越える人々が今も土葬を「是」としている、ということになりますね。これは決して無視してよい数ではないと思います。「2010年8月20日19:59 匿名」氏は、この100万を越す日本国民に対しても「土葬はイメージがよくないから止めるべきだ」という無神経な発言をされるのでしょうね。こわいことです。

>度量の狭さを恥ずかしいとも思わないような人があふれかえるような状況では、国に誇りを持つことは難しい
まったく、同感です。

藤倉善郎 さんのコメント...

Sie さん、わくたまさん

 補足情報ありがとうございます。匿名さんの意見は、埋葬方法を議論する際にムスリムの思想チェックをせよという、もはや度量とかナショナリズムというレベルではなく、単なる危険思想でしたね。

Sie さん
> あ、ついでに言いますと、明治以来、天皇・皇后は土葬ですよ。これも匿名氏にとっては「イメージがよくない」のですかね?

 想像ですが、土葬のイメージの悪さって、「自分の家の墓と同じ土地に(あるいは自分の家の近所に)、焼かれていない遺体がそのまま埋まっていると思うとキモチワルイ」というレベルの感情も含まれると思うんです。その場合、天皇・皇后については、どのみち自分の生活圏に埋葬されるわけではないから、天皇への尊敬の度合いを問わず感情的には完全に別枠だろうと。

わくたまさん
> ナショナリズムが高まれば高まるほど、日本という国の程度が下がっていく
> というのは、皮肉な話です。

 ナショナリズムも、思考停止的でさえなければ、本来それ自体は国の程度を下げるものではない気がするんですが、現実はどうもそういう感じじゃないのが情けないですね。むしろ、度量の狭さやヒステリーを正当化する口実として、「日本」が使われて、ナショナリズムっぽい装いになってる(そういう人自身が、それを日本人の誇りだと勘違いしている)みたいな状況があるように思えます。

 ぼくも、わくたまさんが言うように、度量の狭い国に誇りなんか持てないけどなあ。

 たとえば対韓国・朝鮮については歴史的わだかまりもあるからややこしかったりしそうだけど(相手も敵対心持ってたりするし)、イスラム教徒なんか、別に日本人との間にそういうややこしい歴史ないと思うんですよ。そのくらい受け入れられなくて、何が「日本の文化」「日本人の誇り」なのか、と。



 っていうことを考えていたら、オウム真理教の元幹部とかが死んだときって、かつて全国で住民票不受理問題とかが盛り上がったみたいに、埋葬反対運動とか起きるかなあとか考えてしまいました。これはややこしいだろうなあ。

匿名 さんのコメント...

この話しに登場した「匿名」さんとは別人の「匿名」です。ハンドル名をつける方法がわからなかったので。..ハンドル名=旅行好き とでもしておいてください。

> 想像ですが、土葬のイメージの悪さって、「自分の家の墓と同じ土地に(あるいは自分の家の近所に)、
> 焼かれていない遺体がそのまま埋まっていると思うとキモチワルイ」というレベルの感情も含まれると思うんです。

と言う発言がありましたが、これも、所変われば変わります。2年ぐらい前、ベトナム中部を旅したのですが、土葬の土まんじゅうがたくさん、田んぼの中に点在していました。現地ガイドさんの話し(2年も経つと寄る年波で記憶が怪しいが)によれば故人の近くにいたいので自分の田んぼや自宅に葬るとのことでした。

葬送儀礼は各種様々でかつ文化の中核で、しかも時代ですぐに変わります。火葬だって、日本で主流派になったのは戦後ではないでしょうか。

いろんなやり方を認めて(現在の自分のやり方以外に)寛容になることが、いろんな人が住んで新しいものを作っていけるやり方ではないでしょうか。

わくたま さんのコメント...

ちなみに参考までに
http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2240454/1698664

世界的に見ると日本の火葬率高さの方が異常でして、イスラム教、キリスト教がそれぞれ『復活』への信仰から土葬を好むようです。

一般国民 さんのコメント...

土葬の臭いのものすごさ、ほとんどの方知らないと思います
死臭そのものです、完全に密封された棺桶でならいいかもされませんが
住宅のすぐそばに墓地が点在してる現状では
ありえない話です
腐敗ガスでヒトダマも嫌ですね
宗教いかんにかかわらず火葬されてください
土に戻りませんが骨を除き大気に戻りますよ

匿名 さんのコメント...

砂漠の国とは異なり湿気の高い日本で,土葬は本当に衛生面を管理できるのか?新しい墓地をつくり,もし短期間で沢山の人が土葬された場合,地下水汚染はないのか?地震や豪雨が起こったとき,死体が出てくる恐れはないのか?土を掘り返すのが好きなイノシシなどの大型哺乳類も居ます。
など,簡単には許可できない問題もあると思います。また,地域住民の心的ストレスを考えると,宗教観だけでは済まされない問題です。日本の無人島に墓地をつくるのであれば,理解が得やすいかもしれません。まぁ,ムスリムの島が出来て,無法地帯になってしまえば国政として困ってしまうわけですが・・。ムスリム国家ではバイブル>憲法ですよね。

匿名 さんのコメント...

宗教全否定みたいなノリの記事もあるしキリスト教徒がコーラン燃やす記事もあるのにイスラムにはずいぶんと下手に出るんだな。
土葬の自由は俺も認めてほしいが
伝統だろうがなんだろうが女性の人権を徹底的に否定し先進国に異常な逆恨みをし首切りをする残虐カルトイスラムは存在してはならないよ
結局カルト宗教自体じゃなくてカルト宗教右翼を否定したいだけのブサヨなのか
韓国に下手に出るのはロシアや中共やイスラムと対峙するために当たり前のことだし