■「もっともっと油を注ぎたいぐらい」
『A3』については、本紙既報の通り、JSCPRのほか、滝本太郎弁護士、ジャーナリストの青沼陽一郎氏と藤田庄市氏の3者連名で講談社に対して抗議を送っています(森達也氏『A3』の講談社ノンフィクション賞に弁護士らが抗議)。「講談社ノンフィクション賞」の贈呈式の挨拶で、以下のように語りました。
「いろいろ批判が来てますが、基本的には全部反論できます。ぼく自身は、これによってAmazonの順位が500位くらい上がったんでね、ありがたいことで。もっともっと油を注ぎたいぐらいなんですが、あまり良質な火じゃないんでね、どう扱えばいいのかなというところですが、全く動じていません。問題にしてませんので、逆に講談社の皆さんに、審査員の皆さんにご迷惑をおかけして申し訳ないとも思いつつ、でも結構みなさんもね、『ご迷惑をおかけして』というと『や、や』と、なんかワクワクはしてるんで、やっぱりみんなメディアにいる人はみんなそうだろうなと。内心はね。結構おもしろがってくれてるんじゃないかなと。ぼくも結構ワクワクしてるんで、今日もこのあと何か来てくれればいいなと」(森達也氏)
けっこうワクワクしているんだそうです。
■「もっともっと油を注ぎたいぐらい」
また森氏は、贈呈式の前日の9月4日付で、自らのサイトに以下のような文章を掲載しました。
【森達也オフィシャルウェブサイト 2011年09月04日】巻頭コラム No.139
日本脱カルト協会が記者会見で「A3」への抗議声明を発表したと知ったときには、実のところ少しばかりわくわくした。 これでようやく論争ができるかもしれないと思ったのだ。
でも抗議声明全文http://sky.ap.teacup.com/takitaro/を 読み終えた感想を一言にすれば、やっぱり反論する気が失せた。
麻原無罪を主張しているとか水俣病説を分析しないまま引用しているとか、これらの指摘に対して言えることは、 「批判するのなら、ちゃんと『A3』を読んでください」しかない。
僕が『A3』で展開した“弟子の暴走”論は、麻原と側近たちとの相互作用を前提に置いている。無罪だなどと主張するつもりもないし、 そもそもそんなことは書いていない。他にも確定した判決文を一部しか紹介していないとか、「A」についての基本的な情報を提供していないとか、 サイゾーの記事はどうだとか、ちゃんと「A3」を読んでいないのか、あるいは恣意的に誤読しているのかはわからないけれど、 このレベルでは反論する気にもなれない(補足するがすべて反論できる。ただ反論するレベルが哀しいだけ)。
最も重要な論点である麻原の精神状態に対する認識の相違を議論することができるのでは、と期待したけれど、そんな論点は抗議書のどこにもない。
それに彼らは講談社に対しては抗議しても、森達也に対しては抗議してこない。公開討論を求めてもリアクションはない。 とにかくうんざりだ。基本的には黙殺する。本音としてはこの火に油を注ぎたいけれど。
2011.09.04 森達也
森氏の中には「黙殺する」か「火に油を注ぐ」の両極端な発想しかないようです。しかも「講談社ノンフィクション賞」贈呈式の挨拶での彼の発言を見ると、「火に油を注ぐ」という発想すらも、それによって売れるから嬉しいというような意図の発言でしかないようです。「互いに議論して、わかってもらいたい」とか「議論をすることで真相に近づきたい」という態度は見えません。本紙が<森達也氏『A3』の講談社ノンフィクション賞に弁護士らが抗議>において森氏にコメントを求めた際にも、そういった発言はありませんでした。
JSCPRは抗議書で、森氏について<取材の意欲と取材力、何より真摯な態度が圧倒的に不足していることを示している。>としていました。抗議を受けても、議論の質を高めていく姿勢を見せず、本が売れるか売れないかでしか物事を捉えない。確かに、取材姿勢以外の部分でも、真摯な態度が不足しているように見えます。
■「公開討論を求めた」とアリバイ作り?
これに関連して、森氏の授賞に抗議した一人である滝本太郎弁護士が、ブログ「日常生活を愛する人は?」で、言及しています。これによると、月刊誌『創』の篠田博之編集長から、森達也氏との対談企画を打診されたとのこと。滝本弁護士は拒否したようですが、ここにちょっと興味深いことが書かれています。
【日常生活を愛する人は? 2011年09月06日】「対談企画を申し込んできた「創」への返信ファックス」
(略)
なお、9月6日午前中までには、森氏にあって「このレベルでは反論する気にもなれない(補足するがすべて反論できる。ただ反論するレベルが哀しいだけ)」「公開討論を求めてもリアクションはない。 とにかくうんざりだ。基本的には黙殺する。本音としてはこの火に油を注ぎたいけれど。」なぞと、そのブログにアップしています(http://moriweb.web.fc2.com/mori_t/index.html)。ここでいう「公開討論を求めたが」というのは、貴「創出版」からの標題ファックス以外はないようです。
このことからすると、森氏にあっては、ここに翌日である本日午後に出す本返答であるのに、「公開討論を求めてもリアクションはない」などと既に記載してあり、つまりはアリバイ証明のために、かかる申し込みをしてきたとしか考えられないものです。まして、抗議内容について釈明などする気がないと予め述べておられ、実のある討論なぞにはなりようがないことが予測され、むしろ同書籍の宣伝材料にしようとする意図がうかがわれます。
(略)
滝本弁護士は9月5日に討論の打診を受けたのに、森氏はその返事も待たずに翌日には「公開討論を求めてもリアクションはない」などと書いたと、滝本弁護士は主張しています。森氏は「反論する気になれない」「基本的には黙殺する」と書いておきながら、一方では雑誌経由で討論を打診し、返事も待たずに「リアクションはない」と相手を非難する。これが事実なら、天下の講談社から賞をもらった人間にしては、ずいぶんセコいやり口ではないでしょうか。
(取材協力:西牟田靖)
14 コメント:
おそらく別の原理がこの人には働いているのでしょう。
被害者の痛みや悲しみというようなものではなく、「順位」であったり「売り上げ部数」であったり。
真実の議論が起こることが目的ではなく、議論が起こることで話題になることが目的だということですね。
一つの作品を書き上げた執筆者は、その作品が話題を呼ぶことを誇りとする傾向があります。
統一原理用語でいえば「相対基準が合っていない」ということですかね。
森さんはそこまでのものだということで。
これから先も拍車をかけるでしょうが、そこまでのもの以上にはなれないでしょう。
彼に何をいっても、違う原理で動いているので、伝わらないのではないかと。
森氏のインタビューの引用から「真摯さが足りない」までの理論展開が伝わってきません。
御紙としては、森氏がどういった態度を取って欲しかったと考えておられるから、期待と違ってがっかりなのか。
期待と違うことを責めるあまりに「本が売れてうれしいとは金の亡者か」とまで表現しておられるのでしょうが、同じ期待をあらかじめ共有していないと文脈が通じません。
森氏はどうあるべきだと考えておられるのか、部外者にもわかるように表現していただけるとうれしいです。
やや日刊カルト新聞も、幸福の科学や統一教会の信者たちの書き込みのおかげでアクセス数が伸びている面もあるわけで、それと同じですね。
pipe drinker さん
> 期待と違うことを責めるあまりに「本が売れてうれしいとは金の亡者か」と
> まで表現しておられるのでしょうが、同じ期待をあらかじめ共有していない
> と文脈が通じません。
ぼくは森氏に何も期待していません。なので、期待と違うことを責めるつもりはありませんし、そのような内容の記事も書いていません。また「本が売れてうれしいとは金の亡者か」などという表現は用いていません。
記事に書かかれていない表現が存在するかのように思い込んでいる方とは、文脈どころか、事実関係すら共有できません。
> 森氏はどうあるべきだと考えておられるのか、部外者にもわかるように
> 表現していただけるとうれしいです。
部外者だろうが部内者だろうが、存在しない表現が存在するかのように見えてしまっているような方に通用する言葉を、ぼくは持ち合わせていません。幻覚が消えた後で、また質問してください。
「A」や「A2」も読みましたが結局ドキュメンタリーではなく映像をつなぎ合わせて自分の主張をしているだけであり、オウムの信者に近い観点で社会を見ているのでオウム信者がどのように社会を見ているのかを知るためには参考になりますが、結局オウム信者を始め社会全体に対し誤解を与えるだけの最低な作品だと思います。
>JSCPRは抗議書で、森氏について<取材の意欲と取材力、何より真摯な態度が圧倒的に不足していることを示している。>としていました。抗議を受けても、議論の質を高めていく姿勢を見せず、本が売れるか売れないかでしか物事を捉えない。確かに、取材姿勢以外の部分でも、真摯な態度が不足しているように見えます。
抗議を受けたのは講談社だったはずですが。それを森氏が抗議を受けたにも関わらず議論を避けているかのような書き方は恣意的ではないでしょうか。
「本が売れるか売れないかでしか物事を捉えない」も誇張でしょう。森氏は麻原無罪につながるようなことは書いていないとか、水俣病もしっかり取材源等を明らかにして書いている旨を示唆しています。そこを抗議側が更に反論すべきでしょう。Amazon発言をかなりフィーチャーしていますが、そこってジョーク、または「議論がまた起きてくれるだろうから嬉しい」ということではないのですか?その場に居たわけではないので分かりませんが、冒頭の「わくわく」発言から考えても後者が妥当ではないでしょうか。「金の亡者」批判と解釈する人が居ても不思議ではないでしょう。
本サイトがそれでも真摯な態度の不足として捉えるならば構いませんが、これについて見解があれば聞いてみたいです。
結論。
やや日がA3の売り上げに貢献した。
以上。
森氏は「僕が『A3』で展開した“弟子の暴走”論は、麻原と側近たちとの相互作用を前提に置いている。」と話をはぐらかして逃げているが、「主犯格・麻原」という認識に一石を投じる姿勢であるのは変わらない。
「弟子の暴走」などという表題を掲げたわりに逃げ腰とも捉えられる。
森氏の発言について「わくわく」だか「ジョーク」だか固執する人間もいるようだが、悲劇の裏にある知られざる現実を語る人間として、いずれも不謹慎な発言だと思う。
単なる研究の討論と勘違いしているように思う。
「最も重要な論点である麻原の精神状態に対する認識の相違を議論することができるのでは」という発言も、いかに森氏が自分の研究に埋没していて人間性を見失っているかを示唆している。
重要なのは数々の犯罪を指示され、指示通りに行わざるを得なくなった信者側の心理だろう。
他人を意のままに動かせる支配者の弁護をして何の意味があるのか。
「実は麻原も弟子の顔色を伺っていた」とでもいうのか。
牢獄で半狂乱に陥っている麻原に感化されて論点を履き違えたのではないか。
森氏は「批判もない」などと勝ち誇っているが、批判できない人間もいると森氏なら想像できるはずだ。
信者の家族は口を閉ざす以外ないことだろう。
この本は現実に森氏の妄想を加えた著作という扱いで十分な気がする。
センセーショナルな表題で話題をさらうだけならまだしも、ここまで評価を得る理由が分からない。
面白ければそれでいいのだろうか。
オウム事件はもう過去の産物なのだろうか。
森達也は人前に出るなら床屋行けよ。むさ苦しい。
>「主犯格・麻原」という認識に一石を投じる姿勢であるのは変わらない。
「弟子の暴走」などという表題を掲げたわりに逃げ腰とも捉えられる。
一石を投じる姿勢であるのはその通りですし(何を批判する点があるのか不明です)、森氏自身は「弟子の暴走」という表題を掲げてもいません(彼が””をつけている点に注目)。藤倉氏も述べているように、本を読んでから批判することをお勧めします。
>森氏の発言について「わくわく」だか「ジョーク」だか固執する人間もいるようだが、悲劇の裏にある知られざる現実を語る人間として、いずれも不謹慎な発言だと思う。
単なる研究の討論と勘違いしているように思う。
「不謹慎」の内容、理由が不明です。「研究の討論」との関連も不明です。研究の討論であれば不謹慎でも良い、ということですか?
>重要なのは数々の犯罪を指示され、指示通りに行わざるを得なくなった信者側の心理だろう。他人を意のままに動かせる支配者の弁護をして何の意味があるのか。「実は麻原も弟子の顔色を伺っていた」とでもいうのか。
牢獄で半狂乱に陥っている麻原に感化されて論点を履き違えたのではないか。
あなたが重要であると思うかどうかはそれこそ重要ではないと思います。森氏が重要だと思ったことがあなたと異なるからといって批判される理由になるのですか? また、これも本を読めば分かりますが、信者の心理も詳述されていますので読んでみてください。
>信者の家族は口を閉ざす以外ないことだろう。
なぜですか?
>面白ければそれでいいのだろうか。オウム事件はもう過去の産物なのだろうか。
面白ければそれでいい、とかオウムは過去の産物、と主張している人が居ますか?
やや日さんのことは知りませんが、森氏のAやA2は見ています。なかなか普通見ることのできない視点からの情報はとても興味がもてるものでした。
教祖と弟子たちの関係など、実際に見てはいないので想像ですが、集団の、しかもある程度閉じた集団で起きうる異常な心理状態などは、「カルト」とつく新聞を名乗っておられるなら、よほどご存じだと思います。
批判が的外れかどうかとか、どうもあまり重要でない部分はこだわっても益少なしですので。
抗議文は読みましたが、私に読解力がないのか、今一つ何を問題としているのかわかりませんでした。ひょっとしたら、抗議文を送ることそのものが、売名行為なのでは?と感じました。きっと真剣に抗議の気持ちがあって抗議されたんでしょうから、大変失礼で済みません。
A3は実はまだ読んでいません。よほど大きな書店でないと置いていないようでした。これを機に、いろいろな本屋で売られることを期待しています。
森達也氏のオフィシャルサイトの巻頭コラム No.139が別のものに変わっています。
http://moriweb.web.fc2.com/mori_t/index.html
どうしてでしょうか。
そういえば、『A3』の最後に中川智正さんとの会話がありますが、あれは中川さんの手紙や会話をもとに、森さんが創作したものだと耳にしました。
Lovely post
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