2012年1月18日水曜日

【まいんど】無間地獄への恐怖感が支配/オウム・杉本繁郎受刑者(3)=藤田庄市

修行するオウム真理教の信徒たち(1991年秋。富士総合本部道場=当時=撮影・藤田庄市)
前回からの続き)杉本が非合法活動に従事し始めたのは1990年4月からである。すでに前年、麻原らは田口氏殺害事件(信徒リンチ殺人)、坂本弁護士一家殺害事件(無差別殺人への入り口)を起こしていた。90年2月の総選挙に惨敗したオウム真理教は、「これからヴァジラヤーナによる救済の実践を行う」との麻原レトリックのもと、コアメンバーを中心に無差別テロに突き進むことになる。杉本もその一人だった。

■殺人教義と神秘体験

「現代人は普通に生活してるだけでも悪業を積み三悪趣(地獄、餓鬼、畜生)に至ってしまう。従って、これ以上悪業を積ませないためにもその命をたたねばならず、命を断つことによって現代人を救済できる」

麻原はそう説いた。荒唐無稽なこの理屈がなぜ弟子たちに説得力を持ったのか。杉本の軌跡を振り返ってみよう。まず実在としての輪廻転生と悪業=カルマの力動がある。だが、それを信じたからといってもポア=殺人にはまだ行き着かない。キーは麻原の存在だ。神に等しい麻原は人々のカルマを見切り、死ぬべき時を知る超能力者である。そのため麻原が縁を結び、ポアにより高い世界へ転生させることができる。よってここに救済殺人が成立する。しかし教義を信じても実行できるだろうか。ことは殺人である。ここで決定的なのは麻原に因ると信じられた神秘体験だ。

杉本の身体に刻印されてきたクンダリニー上昇の実感、光りをみたこと、前世の自分を覚った夢見など数々の体験。わけてもグル麻原とは前世どころかアストラル界で繋がっていることの実証体験。社会との断絶のなかで、杉本にとって麻原の説く世界こそが現実そのものであり、娑婆はリアリティがすでに失われた世界だった。この心身感覚の理解なしにはオウム犯罪の核心に迫ることはできない。また薬物イニシエーションの実効的意味もわからないだろう。

■打ち消された疑念

ヴァジラヤーナの実践の最初はボツリヌス菌散布だった。が、失敗。しかし、注意せねばならぬのは、この後も武装化と無差別テロの試みは執拗に追求され、後のサリン散布に至ることである。

コアメンバーに選ばれた杉本だったが、やがてグルへの疑念が幾つか生じた。そのひとつが92年2月の麻原と密会していた女性幹部の流産だった。麻原の運転手だった杉本はその事実を知る。彼は二人の密会を、麻原が天界から霊性の高い魂を意図的に招請し、女性に生ませ、救済計画を早く達成させるためと考えていた。しかし結果は死産。麻原は神通力はあるはずなのにそれを見抜けなかったのである。疑念は徐々に膨らんだ。

ところが同年7月、バンコク空港でシーク教徒の老婆が麻原を礼拝するのに杉本は遭遇する。彼は自分の心の目が開いてないため麻原の本質が見えていないのだと反省した。こうした疑念が生じ、それを打ち消す出来事が繰り返されたが、「(当時)麻原を否定することを考え始めますと、その途端にうまく思考できなくなる」、つまり思考停止に陥ったという杉本の回想はカルト信者の思考状態を示しているようで興味深い。

■脱走、そして帰還

93年に入ると杉本はまた麻原が別の女性出家者を妊娠させたことを知り不信感をつのらせた。そこへ蓮華座の極限修行に入ることを指示される。ところがその修行は膝に怪我の後遺症のある杉本に対して、強制的に足を縛りあげるというものだった。彼は怒りを感じ、麻原の説明もでたらめに思え、ついに不信感を爆発させた。

杉本は脱走。「俺は解放されたんだ」と「歓喜」につつまれた。ところが一方、「グルへの裏切り行為をなした私は来世、無間地獄へ落ちる」という「大変な恐怖感」が日増しに大きくなり、杉本を「圧迫」。彼を「怯え」させた。カルトのなかにいる限り気づくことのないスピリチュアル・アビュース(霊性虐待)が一挙に表出したのである。結局、実家に帰ったところを杉本は幹部らによって教団に連れ戻されてしまった。なお教団に戻った理由には、彼らによる杉本の両親への嫌がらせもあった。

■「いっしょに死んでほしかったんだが…」

再び教団に戻った杉本に、「このままだとお前は気が狂うことになる」と麻原は言い、オウム真理教付属医院に入院させた。信者である医師は簡易精神鑑定を施し、「あまり良い結果は得られなかった」と麻原に報告した。杉本は再度、麻原に会うのだが、彼は教団をさるつもりだと告げた。

「いっしょに死んでほしかったんだが…」

それが麻原の応答だった。その言葉を聞いた瞬間、「(杉本の)意識の中で何かが弾け飛んだ」。杉本自身、その状態をうまく説明できないという。しかし、「麻原に従わなければ大変なことになる」との「最大限レベルでの警告」が意識に生じたことは確かであった。麻原に殺されるという意味に解してよいだろう。杉本は教団に残ることを選んだ。

■信仰は恐怖感の裏返し

この後の杉本は精神的葛藤を抱え込む日々を送ることとなる。麻原への「疑念疑問には目を瞑り」、それでも疑念が生じれば、麻原が行うことは「(杉本の)理解できない何らかの深遠な意味がある」と疑いを「無理やり抑え込ん」で心の平衡を保った。

だが杉本の(というかカルト信者の)深刻さはさらに複雑である。「尊師の慈悲により私は来世無間地獄へ落ちずにすんだ」という「大変な喜び」が湧いてきたからだ。強烈な恐怖感の裏返しの信仰作用が主観的には心の高揚をもたらす。

「無間地獄へ落ちるなどという仮想現実でしかない仏教思想およびそれを悪用した麻原の教義が、私にとって私自身の現実的な死よりもはるかに現実感を伴ったものとして認識されていたのです」

こうした杉本の自己分析を情動面からも押さえなければ、カルト信者の反社会的行為にまで到る信仰活動を理解することはできない。

葛藤の中にありながら教団を脱出できなかった杉本は翌94年、麻原暴発の怒涛に揉まれ、取り返しのつかない犯罪に手を染めることになる。(この項つづく。文中、カギカッコ内は杉本手記の表現)

(『仏教タイムス』2009年7月9日付紙面より・小見出しは本紙作成)

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ふじた・しょういち/1947年東京生まれ。大正大学卒(宗教学専攻)。フォトジャーナリスト、日本写真家協会会員。現代宗教、カルト、山岳信仰、民俗宗教、宗教と政治など宗教取材に従事している。著書に『行とは何か』『熊野、修験の道を往く』『宗教事件の内側』など多数。

本連載は「週刊仏教タイムス」に連載中の「まいんど マインド Mind」を、同紙と筆者の藤田庄市氏のご好意により再掲載させていただいているものです。本紙での再掲載にかんする責任はすべて本紙にあります。問合せ・意見・苦情等は、「やや日刊カルト新聞」編集部(daily.cult@gmail.com)までお寄せ下さい。

4 コメント:

匿名 さんのコメント...

カルト信者が精神的に呪縛されていく過程が本当に怖い。
この過程はとても興味深い。
だけど、ここで疑問がいくつかあって
麻原は、最初から宗教的権力を獲得するために宗教活動をしていたのか、それとも崇高な信仰から行っていたものが、カルト化したのかということ。
麻原の事件を起こすまでの心理過程はどのようなものだったのか?
中沢さんは「聖なる狂気」という言葉にこれほど反応した宗教家はいなかったというようなことを言っていたらしいし、かなりオーソドキシー(偉ぶらずに普通の人というのが聖人の特徴)だと評していた知識人もいたと思う。
麻原は宗教的思想といえるようなものを持っていたのか?
麻原は、霊能力を持っていたのか。
藤田さんは麻原については、どのように考えているんでしょう?

匿名 さんのコメント...

何とか協会でも、形は違っても、ほぼ同じような経験をしている"人達"がいるはずです。
そして、他者から見れば全く理解できない。
当事者がこの記事を読んでも、こんなものとは違う、自分達は真理を求めていると思うのでしょうね。

仰木の婆さん さんのコメント...

ほんま怖いわ…。
事が重過ぎて軽々しいコメントはできません…。

匿名 さんのコメント...

こんな記事をみつけますたっゞ
http://benjaminfulford.typepad.com/benjaminfulford/2012/01/%E3%82%AA%E3%82%A6%E3%83%A0%E7%9C%9F%E7%90%86%E6%95%99%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E9%9D%9E%E5%B8%B8%E3%81%AB%E8%88%88%E5%91%B3%E6%B7%B1%E3%81%84%E8%A8%98%E4%BA%8B%E3%81%B8%E3%81%AE%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%AF.html