元P師は一番初めの記事で、坂本堤弁護士一家殺害事件などに関わって死刑判決を受けている新実智光被告や死刑が確定している端本悟受刑者と接見したときのことを、こう書いています。
【『幻想の崩壊』 オウムとはなんだったのか? 2009年10月20日】ブログ開設にあたり
私と新実被告との間にはアクリル板がある。それだけが私と彼とを隔てている。しかし、アクリル板の向こうとこちらでは、物理的な距離はたいしたことがないが天と地ほどの差がある。
そして私は、アクリル板の向こう側に自分がいたかもしれないことを時々考える
死刑判決が下りた人で、もう一人接見した人がいる。それは端本死刑囚である。新実被告は死刑の判決が下りてから上告中だが、端本死刑囚は刑がすでに確定している。確定してからは身内しか接見できないため、確定する前に彼と接見した。私と彼とは仲がよかったのだが、彼が私に会いたいと言っているのを聞いて、接見しに行ったのである。
彼は武道をやっていて体格もよかったのだが、私が接見したときはかなりやせてしまっていた。新実被告は元気そうに見えたが、端本死刑囚はどことなく意気消沈しているようであった。彼とは昔をなつかしみ、以前と同じように話をしそして別れた。もう二度と会うこともないと思うと、胸の締め付けられるような思いだった。
そして一歩間違えれば、私もまた彼と同じ立場に立っていたかもしれなかったのだ。
オウム真理教が省庁制をとってから、私は新実被告や端本死刑囚と同じ自治省に所属していた。私はそこで警備や警備に携わる人たちの統括をしていたが、私の知らないところで自治省は非合法活動に何人かが携わっていた。そして自治省に所属していた幹部の中で、逮捕拘留されなかったのは私一人だけだった。私は当時新実被告や端本死刑囚が、何か特別なことをやっているということでうらやましく思っていたが、彼らが行っていたことに私も携わったら、私もまた塀の中ですごす羽目になっていたのだ。
オウム真理教では、一連のサリン事件や教祖・幹部逮捕後も、事件を反省していなかったり、オウム真理教による事件であることを認めようとしなかった信者もいたと聞いています。実際、教団が謝罪を表明し賠償の意向を示したのは1999年末でした。教祖・麻原彰晃こと松本智津夫受刑者が予言した1999年のハルマゲドンが起こらなかったことで、多くの信者の気持にも変化が生じたようです。
しかし常識的に考えれば、教祖の予言が当たろうが当たるまいが、その結論が出るより前に事件について反省すべきでした。謝罪と賠償を表明したとはいえ、そこに至るプロセスは依然としてカルト的でした。その後、上祐氏らがアレフから離脱してひかりの輪を設立し、オウム真理教の破産手続き終結後、ひかりの輪は被害者への賠償契約を結びました。しかしアレフはいまだ契約をしていないようで、逆に麻原回帰の路線をもちつつ、また団体規制法による監視対象から自分たちを外すよう、国に対して訴訟も起こしています。
上記のブログで元P師は、こう書いています。
【『幻想の崩壊』 オウムとはなんだったのか? 2009年10月20日】ブログ開設にあたり
15年もたつと、人々の記憶は薄らいでいくものです。そして事件も風化していってしまう。しかしそれでいいのか?と私はよく考えます。そうさせてはならないためにも、私は自分の体験してきたこと、そして今考えていることをきちんと残しておかなければならないと考えました。
しかしアレフの動向や、ひかりの輪も含めていまもなお教団に残っている信者がいることを考えると、オウム真理教に関する脱会者の総括は、決して過去についての記憶を風化させないためだけのものではなく、いま現在のオウム真理教問題を考える参考になるのではないかと思います。
1 コメント:
ブログの紹介ありがとうございます。
オウム事件を風化させないためにも、
ブログの意義があると思いますが、
現在のオウム関連の問題についても
何らかの意味が生じれば、とても嬉
しいことです。
今後も長丁場に渡り、記事をアップして
いくと思いますが、よろしくお願いします。
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