上祐氏がtwitterに出現した際、西村雅史氏がブログにこう書いています。
【オウマー日記 2010年08月18日】ひかりの輪(オウム真理教上祐派)、Twitterに大量発生!
(略)
フォロワーに誰かいるのかな、と思ってみたら、いるわいるわ。
ひかりの輪、Twitterに大量発生した模様です。
以下、分かってる範囲で。
今朝、朝起きてから慌てて作ったので、おそらく落としてるのがたくさんあると思います。見落とし・記入漏れ等ありましたら、教えていただけれな幸いです。まあ、そのうち「あちらさん」が勝手に作るでしょうから、価値があるのはここ数日かな?
在家・雑魚は省略。大物・中物のみ(ただし今回はね)。
さあ、みんなでフォローして、上祐さんの講演会を聞いて、人生を台無しにしよう!
・説明不要。上祐史浩さん
http://twitter.com/joyu_fumihiro
・広末晃敏さん
http://twitter.com/Hirosue_A
・水野愛子さん
http://twitter.com/ainohito1
Twilogもあります( http://twilog.org/ainohito1 )。
・吉田恵子さん
http://twitter.com/yoshidakeiko79
「~~8/29(日) の上祐代表による★福岡★代表勉強会のお知らせ第2弾~~詳しいお問い合わせは、以下までご連絡ください。担当:吉田惠子 080658358690 メールアドレス:fukuoka@hikarinowa.net 多くの方のご参加お待ちしています」
「★8/29(日) は上祐代表が福岡にやって来ます!★この日は一般の方々をご招待してお昼から座談会を行ないます!そこでは皆様のお役に立つ内容で講話をやってくれます。また希望される方には、上祐代表との個人的な面談も設定しています。この講話と面談は皆様に大変好評です。お見逃しなく!」
タントラウッピリーのおばけちゃま、座談会じゃ創価学会だぞ。
・小林由紀さん
http://twitter.com/kobayuki127
・山口雅彦さん
http://twitter.com/hikari_yama
・斎藤友希さん
http://twitter.com/benevolsaitou
「21日(土)18:30から長野支部で上祐代表の説法会があります。幸せになる智恵と、ヨーガによるリラックスで、心と体の健康のお手伝いをします。会員・一般の方問わずご参加いただけます。お問い合わせ先:nagano@hikarinowa.net 携帯:080-3521-4678(斎藤)」
尾崎豊はどう責任をとるのだ。
・田実えりこさん
http://twitter.com/tajitu
・ひかりの輪東京
http://twitter.com/hikarinowatokyo
「今、みんなでツィッターの勉強をしています」だって。
・ひかりの輪横浜
http://twitter.com/hikarinowayoko
・ひかりの輪千葉
http://twitter.com/hikarichiba
・ひかりの輪広報部
http://twitter.com/hikarinowa_koho
・ひかりの輪ライブ中継
http://twitter.com/HIKARINOWA_Live
(略)
で、当の上祐氏はどんなことをつぶやいているかというと、第一声はこんな感じ。
【twitter 2010年08月11日】joyu_fumihiro
上祐史浩です。ひかりの輪の代表をしています。今日から、ツィッターを始めることにしました。オウム真理教の反省に基づき、今までの宗教の問題を超えた、新しい宗教・思想の創造、宗教の革新を志しています。よろしくお願いします。
この原稿を書いている現在の最新のつぶやきはこれ。
【twitter 2010年08月23日】joyu_fumihiro
許し2 他を許せない人は、自分もなかなか許せないと思います。他への嫌悪が強い人は、自分が失敗した時、他に向けていた刃が自分に向く。他への嫌悪と、自己嫌悪は一体となり、心身を痛める原因になる。逆に他への愛は、自分が失敗した時に、自分への愛となり、挫折を乗り越える力となる
こんな感じで、宗教の話をすでに380件つぶやいています。一方で、「大量発生」したほかのひかりの輪アカウントでは、説法会などの宣伝も行われています。完全な布教活動です。
オウム真理教の残党については、誰にどの程度の責任があるかという議論もあれば、刑期を終えて出所した人は刑事責任をすでに果たしているとか、一般信者は事件が教団によるものだということすら知らなかった人が多いといった意見も当然あります。しかしそれらを踏まえた上でも、あれほどの事件を起こした宗教団体の信者たちが現在も団体を維持し、こうして布教活動に勤しむという状況が、まともなこととは思えません。
いまの上祐氏やひかりの輪が悪いというより、むしろオウム事件直後に教団を解散に追い込めなかった日本社会の側の不手際のように思えてなりません。社会から禁じられなかったのだから、そりゃあ残党は集団を維持したがるでしょう。
たぶん、いまから改めて強制的に解散させるということは不可能だと思います。当時、解散させることができなかった以上、事件から時間がたつにつれて、残党がまるでふつうの宗教団体・宗教者のような装いで活動するようになっていくのは当然です。
オウム事件は、ただ単に人々の記憶から“風化”していっているのではありません。すっきりした“戦後処理”がなされないまま、だらだらと静かに継続しているのだと思います。
32 コメント:
ひかりの輪は麻原の教材を全部捨てて1から作り直しているし、
被害者への謝罪賠償もがんばっているし、
オウム事件を正面から検証して総括していますし、
麻原を崇拝するのは間違いだと常々明言しています。
ヨガやパワースポット巡りをしつつ上祐が仏教の解説をするだけの
なんてことないありふれた宗教団体ではないでしょうか。
生活基盤を持てない信者たちの互助組織にもなっているようだし、
解散させるよりも今のままのほうが社会的にも良いのではないかと思います。
潜入レポートで「浅原彰晃をグルと崇めていますから安心してください」などと信者が言っていた事実が、確か今年に報道されましたよね。内外で使い分けをしているということでしょう。
反省や総括の姿勢は、ぼくも理解はしてます。
ただ、実際問題として上祐氏は、複数のテロ・殺人事件を起こした教団の顔として教団の自己正当化を担ってきた人物で、ひかりの輪の信者も実行犯以外が多いとは言えオウムの信者だった人々です。そして2000年まで、一連の事件を教団によるものだとは認めず、謝罪も賠償もしてこなかった。つまり1995年以降、麻原が教団から消えた後でさえ「危険」であり続けた団体の「一部」が現在のひかりの輪です。
被害の大きさ、事件の影響力の大きさ、その後の歩み、被害者の現状を考えると、賠償や総括をしているという事実は、団体存続と釣り合うものとは思えないというのが、ぼくの考えです。
たとえば幸福の科学のフライデー事件であれば、20年も前のことで、それを理由にいま幸福の科学を解散させろとか存続を許さないというのは暴論だと思います(あの事件を反省していない教団は、いつまででも批判されたり怖がられるのが当然だと思いますが)。
でもオウム事件というのは、そういうレベルのものではないんです。フライデー事件と違い、教団と何の関係ない人まで無差別に殺され、いまも後遺症に苦しんでいる。そして教団は、信者の家族は、子どもを教団に取られただけではなく、無関係の人を巻き込む大事件を起こした教団に自分の子どもがいるという苦しみを、いまだに抱えながら過ごしている。
そういう状況で、当時のメンバーたちがまた「信仰だ」「新しい宗教だ」と言って組織を存続していることは、ぼくにはすさまじく理不尽に思えます。「オウムとは別団体」「麻原信仰は捨てた」「賠償や総括をしている」ということでチャラになるレベルの問題ではないと思うんです。
ましてやいま、単に団体を存続させているだけではなく、世間一般に向けて布教活動を行っているわけです。
> 生活基盤を持てない信者たちの互助組織にもなっているようだし、
上に書いたような理由から、信者たちの生活の事情が団体存続の口実になることは、ひかりの輪の存続理由の中でぼくが言語道断だと思っているポイントです。
しかし、脱会した「元」信者が生活できる環境を社会の側が備えていないという問題がかなり大きく、ひかりの輪や信者にとっては現実問題として仕方がないことでしょう。だから、ひかりの輪や個々の信者が悪いとは言いません。記事にも書いたように、日本社会の側の問題なんじゃないかと思っています。
机上の理想論ですが、信者たちが脱会しても住まいを得て仕事をできる(個々人で少しずつ賠償をすることもできるくらいのレベルで)、徒党を組まず人目に触れずに個人の心のうちで宗教とか悟りとか考えるくらいのことは各自が勝手にできる、というくらいが、ぼくにはいいように思えます。
でもこの問題、どう考えるかは、人によってものすごく違うと思います。どこに理不尽さを感じるかというツボも、立場によって全く違うかもしれません。
いろんな方の率直な意見を書き込んでいただきたいです。
ぼくは、書きこまれる意見に同意しなかったり反論したりするかもしれませんが、とにかく、議論すること自体が求められるテーマだと思っています。先日のネイキッドロフトで上祐氏らが出演したトークイベントでは、こういった辺りの話はほとんど深められませんでした。
ただ、絶対にオウム事件の被害者や信者の家族たちを傷つけず、できることなら被害者や家族の存在を無視・軽視しない視点で考えてもらいたいです。
しかし、解散してしまえば、被害者に損害賠償してくれる団体はなくなってしまいますね。そのあたり、被害者やその家族たちはどのように思ってるのでしょう。
初めまして、私もロフトに参加していたもので、ご指摘の内容にまで踏み込まず、
現状報告もしくは光の宣伝活動のようになっていた事を残念に思いました。
藤倉さんは、同じくパネラーで参加されていた、同じ罪を犯し現在では
ある意味対極と思われる野田氏の活動については、どう思われますか?
(本を出版する、サイト、みどり等の活動は”人目に触れず”にはあたりませんが・・・)
ひかりの輪が解散したところで、被害者が救われる訳ではありませんし、
ほとんどの信徒は仏教の学びやヨガの行法を続けるのではないでしょうか。
被害者への賠償の努力も続けることでしょう。
そうすると、結局今のひかりの輪と変わらないのではないでしょうか。
あれだけの事件を起した集団が未だに存続して、布教活動を続ける事が許される事だとはとても思えません。
仏教を学んだり、ヨガを続けたいのであれば、自分達で存続している団体ではない、日本のお寺やインドの寺院で学び直して、被害者の方達の冥福とご回復を祈り、懺悔を行なって日々過ごされる方がよろしいのではないかと思います。
過去に犯罪を犯した団体を母体としている団体が宗教法人として認可される事自体間違っていると思います。
ひかりの輪は宗教法人ではないと思いますが。
お忙しいでしょうから返信不用です。感想だけ書かせてください。こんな価値観の人間もいるんだぐらいに読み飛ばしていただいてかまいません。
興味深く読ませていただきました。地下鉄サリン事件でテレビに出てきた上祐の映像の場面で、もしも私の記憶がとまっていたら全面的に賛同してた内容だったかもしれません。
私も批判する材料を探して、ひかりの輪の動画や上祐の対談などの動画をいくつかみましたが、この団体が危険すぎると認定できるものをみつけられません。
上祐の説法はカルトの教祖の説法というより、「仏教学者」の講義のような内容で、一般人にとってはおそらく退屈きわまりない内容で、こんなものを聞いても影響はないと思います。
上座部仏教、初期仏教の知識を披露しているにすぎません。最近本が売れまくってるスマナサーラの説法にヨガをくっつけたようなそんな団体になっているのではないかとおもいます。
上祐は既に刑期を終えてしまった犯罪者で、いまから犯罪者同等に扱うのは法律が禁止をしている私刑になります。上祐とその仲間、弟子たちが仏道を極めようと独自に研究と行動をするのを妨げることはできないと思います。彼らの仏教知識やヨガの知識や、仏道に対する研究姿勢にひかれて新たな人が集まってしまったとしてもそれは社会問題ではないと思います。また彼らが自分たちの活動を知って欲しい、社会に仏道を広げたいとおもうのも仕方がないのではないでしょうか。元犯罪者だから仏教を研究してはいけないというわけにはいかないでしょう。仏教では過去の罪を後悔することよりも今をしっかり生きることのほうが大事にされます。
社会にどんな実害があるか、それを考えるべきです。この宗教が仮に広がったとして社会にどんな害悪があるのでしょうか。
私も批判をする材料を探すつもりで動画をみてしまっていましたが、上祐はオウムをなぞる気など全くなく、ただ解脱をめざしてるだけの仏教オタクになってるようにおもえます。上祐の投稿してる説法動画の中にも学ぶべき内容はいくつもあります。犯罪者の戯言動画ではなく一般教養として、あるいは哲学のひとつとして受け入れれるものもあるはずです。
ただし、アレフに対しての私の感想は違います。アレフに関しては新しい聖者をつくりあげたり、どんな悩みでも解決するなどの効能をうたったりしていてこの団体はきわめて危険です。この文章がアレフに対してかかれてたのなら全面的に同意です。
上記の方へ
ひかりが危険な団体だと多くの人が考えていませんし、
今後もオウムの様な事件を起こす集団になるとも思えません
また教えとする仏道に関しても問題は無いものと思います。
但し、問題であるのは松本死刑囚と同等に上祐氏は団体の顔であり、
男の一番弟子であり数々の殺人事件を先頭に立ち誤魔化した張本人でもあります。
間違った帰依、洗脳から来たものと理解しても
別件逮捕の刑期を終えたから、罪を償った事になるのでしょうか?
他の無名の元サマナでもなく、その上祐氏が代表となる団体なのです、
サリン事件はもとより、坂本弁護士事件等の被害者、関係者の方々に贖罪を尽くした、
賠償金を払い続ければ問題は無いとお考えでしょうか?
おっしゃる通り、ひかりの輪の教えは問題ないものでしょう。
刑期を終えた人物が、ヨガをやってはいけないのでしょうか?
パワースポットめぐりをしてはいけないのでしょうか?
そんな規則は日本には存在しないと思いますが。
通常の生活をしていらっしゃる元サマナの方は大勢いらっしゃいます
大手仏門に入り、ヨガを修行していらっしゃる方もいます
個人として
僅かですが賠償金を払いに来てくださる方もいます。
彼の刑期、罪状をご存知でしょうか?
具体的な大罪に対してのものでなく、あくまで公安の苦し紛れの策にしか思えませんでした
信教の自由を盾に取り「何でもアリ」を説くのは
まるでオウム原理、松本死刑囚の論理にも思えます
上祐氏が贖罪の為と(含んで) 今の団体活動を自ら公然とされるのに違和感は少しも持たないのなら残念でなりません。
現在ひかりの信者中には某信者基金と称して、公安との取材の体で飲み食い、金銭を授受までもあります
これも私達の税金であり、少なくとも私は悲しく思います
上祐氏個人に対しては(何人かの幹部の方)何度かお話をさして頂き、恨みは元より、弾圧、人格否定したい等とも思った事が一度もありません(蛇足ですが初期のオウムに対してもK福辺りに比べまともにも感じました)
私は違和感があるのです
TWにおける多くの人の上祐氏に対する賛同や彼らの団体としての今のあり方に。
その違和感を解決する事がサリン事件、オウムと云うカルトを生み出した我々世代の課題だとも思います。
ひかりの方で不快に思われたのなら謝罪いたします
オウムの時も思いましたが、面白がったり、他所の事と放置した我々の責 長々と申し訳ありませんでした。
>潜入レポートで「浅原彰晃をグルと崇めていますから安心してください」などと信者が言っていた事実が、確か今年に報道されましたよね。内外で使い分けをしているということでしょう。
↑
これは上祐が脱会した後のアレフについての報道ですよ。
そうです。アレフとひかりの輪は180度違うものです。
念を押さなくとも少し調べれば判ることではないでしょうか、ひかりの方ですか?
ひかりを脱会された人からお話を聞くと
事あるごとに何度も麻原への批判、果は「来世で麻原に騙されるぞ」らしいですから、上祐氏の麻原からの脱却には疑いは無いでしょう。
(裏切り者は魔境に落ちた者と罵っていた麻原を優しくした心理的脅しにも少し感じましたがw)
その上でブログの記事にある
>あれほどの事件を起こした宗教団体の信者たちが現在も団体を維持し、こうして布教活動に勤しむという状況が、まともなこととは思えません。
についての多様なご意見が欲しいと思いました
自分で調べないでコメントを鵜呑みにする人もいますからね。
誤解のないように訂正しておくことは悪くないでしょう。
おっしゃる通り、ひかりの輪は事あるごとに麻原批判をしていますから、
麻原崇拝の心配はまったくないと言えるでしょう。
布教活動と言っても、上祐は教団を大きくする気はないと常々言っています。
藤倉氏は思い込みの激しいストーカーのような人です
2010年8月25日19:23
> 藤倉氏は思い込みの激しいストーカーのような人です
根拠を示してください。
「反論に困って、最後は人格攻撃。レッテル貼り」というのは、匿名掲示板などで理性的な会話が出来ない人などがやる黄金パターンですが、何か反論したいことでもあったんですか?あるいは反論しなければならない事でもあったんですか?
会話が成立するとは期待していませんが、念のためにきいておきます。
オウム真理教の顔ともいえる方が代表をつとめ、かつての団体を母体として維持されているという事は、あるべき事ではないと思います。無差別殺人を行なった団体が存続しているという印象をぬぐい去ることは出来ません。
新団体は「仏教・ヨーガ・密教・神道・自然信仰といったさまざまな伝統的な宗教的方法や、心理学や哲学、物理学、社会科学、芸術などを含めた、幅広い分野からたゆまず学び、研究し、盲信を超えた修行を実践しています」とHPに記載されていますが、これは何でもありであり、核となるものが何もない教団という印象を持ちます。
>無差別殺人を行なった団体が存続しているという印象をぬぐい去ることは出来ません。
どうしてそんな印象を持つんですか?
その印象が間違っているだけなのですが。
>どうしてそんな印象を持つんですか?
>その印象が間違っているだけなのですが。
かつて、オウム真理教の顔ともいえる方が代表をつとめ、かつての団体を母体として維持されている上に、核となる教義をお持ちでないように拝察したからです。
> その印象が間違っているだけなのですが。
間違っていることを理解してもらうことはなかなか難しい道のりだと思います。人が抱いた印象というのは簡単に変えることはできません。
例えば選挙などでもそうですが、実際の具体的な事実よりもその人の人となりに対する印象で評価するという風潮が日本にはあります。個別具体的なことはいちいち問わないが、その人の人柄を承認するというようなことですね。
その観点からすると、オウム真理教の顔ともいえる方が代表をつとめているということからくるマイナス印象は簡単には覆りません。
上祐代表がよほど積極的に反省をアピールしたり、あるいは社会貢献的な実績を上げて印象を改善していかない限り、ここのコメント欄で指摘されているような『印象』『イメージ』を変えることは出来ないと思います。
マイナスからの出発であることを念頭に、そのマイナスを取り返す事を積極的に社会に対して行わない限り、社会の承認は得られないのではないでしょうか。
このコメント欄をみて分かることは「問題ない」だけでは、人々の印象を覆すことは出来ないということだと思います。かくいう私も「法的には問題ない以上、許容するしかない」という考えです。即ち積極的に排斥もしないが、擁護することもしないということです。
まずは擁護してくれる人が出てくるほどの努力が必要でしょうね。
光とかアレフとか…そちらに走る前に伝統仏教や伝統密教の門を叩いてはいかがですか?
上祐氏の言葉がかなり幼稚に感じられるほど伝統仏教は深いですよ、そしてその修行もきっちりとしていて迷いがありません。
伝統仏教のお寺の方々、若者がカルトに走らないようにどうか門を広く開けてください。
お寺が閉鎖的なのも若者がカルトに走る大きな要因ではないでしょうか?
伝統仏教の方々も批判してるだけでなく、自分たちがカルトに走る方々を自分の方に振り向かせる事が出来なかった事を真剣に考えては如何でしょうか?
伝統仏教の寺が閉鎖的というのはありますよね。
だから若者がカルトに走るんです。
ひかりの輪も最近は認めている方も多いですよ。
鈴木邦男さんとか(笑)
まあ、私はひかりの輪が社会的に許容されなくとも、
その安全性は分かっていますから、認める立場です。
ヨガやったりパワースポット巡ったりしてればいいと思います。
匿名さん(2010年8月24日14:06)
> 藤倉さんは、同じくパネラーで参加されていた、同じ罪を犯し現在では
> ある意味対極と思われる野田氏の活動については、どう思われますか?
> (本を出版する、サイト、みどり等の活動は”人目に触れず”にはあた
> りませんが・・・)
まず大前提としては、野田氏のホームレス支援活動は、宗教活動でもなければ、宗教活動のオプションとしての活動でもなさそうです。その点で、「オウム残党の団体存続」ではないと思っています。もちろん、彼個人の判断を中心とした小さな活動なので、いつでもどんな方向転換もできますから、今後もずっと「オウム残党の団体存続」たりえないとまで断定はしませんが。
とりあえず「オウム残党の団体存続」ではないという前提であれば、本を書こうが社会活動をしようが、内容的にオウム事件の被害者を傷つけるようなものでない限り、オウムと関連する現実的な問題として批判する必要は感じていません。
現実的な問題としてではなく、野田氏の人間性というか発想の部分では、「なんかオウム出身者らしいなあ」と感じる面はあります。彼の著書のうち、グローバル資本主義の破綻がどうこうみたいな話の部分に。この辺りは、野田氏と個人的に話しているときにもちょっと言った気がする。
スケールの大きな社会変革への意識・願望って、別にそれ自体悪いことではないんですよ。でも、そういうものを持っていながらオウムなんかに入っちゃったり、そのご長い期間抜けなかったりしたというのは、社会変革への意識・願望をどう実現するかという所で大失敗した(あるいは実現手段を選ぶ能力が著しく低かった)ということだと思うんです。「オウムによる洗脳」という要素があったとしても、そこから抜け出して自らを省みるなら、オウムを否定するだけではなく自分の社会変革への意識・願望自体も慎重に見つめ直した方がいいと思うんです。でも野田氏は、アレフを「除名」されてすぐ、グローバル資本主義がどうこうという話に行っちゃった。
そこにちょっと違和感を感じます。でもまあ、宗教作ったわけではないし、苫米地英人氏みたいにスケールのでかい話して高額なセミナー開いたりグッズ売ったりしてるってわけでもなく、現時点では野田氏は「論じているだけ」なので、現実的にさほど大きな問題じゃないと思っています。
“人目に触れず”というのは、かなりの部分は藤倉の個人的価値観であって、あんまり客観性はないかもしれません。ぼくがもし野田氏の立場だったら、もう人前に出てカッコイイこと言える立場じゃないだろうと考えるだろうという、ぼくの感覚から来るもの。より客観的に考えるなら、“人目につく”こと自体をすべきじゃないとまでは言いにくいかなと。
たとえばオウムの元信者が、オウムとの宗教とも縁を切って何か商売とかを始めて、それで成功して事件の被害者に賠償をしたり、ほかの信者が教団を離れても生活できるように支援していけるようになったとしたら、いいことだと思うんです。商売に限らず、ミュージシャンでもお笑い芸人でもサッカー選手でも(さすがにそれはないか)、何かそういった目立つ仕事であっても構わないと思います。飽くまでも問題は、それによって「オウム事件の後始末」にどう向き合うか、だと思うので。どうせ目立つなら、オウムや宗教と無関係なジャンルであればあるほどいいと思います。
野田氏についても、スケールの大きいことを言おうが本を書こうが、「ホームレス支援」を看板にしている分にはさほど心配しません(活動実態に何かおかしな点があれば、話は別ですが)。でも社会変革に関する彼の持論の方を看板にして、それを広めたりすること自体を商売にし始めたら、違和感がかなり強くなりますね。
みなさん
コメントありがとうございます。
ひかりの輪の安全性がけっこう大きな論点になっているように見えますが、ひかりの輪の現状の是非を語る際の論点って、それだけじゃないと思うんです。ぼく自身も、他の方も書いていることですが、いま危険かどうかでもなく、また法的に罪を償った(あるいはもともと法的には罪がない)人々であるかという問題でもなく、
「あれだけの事件を越した団体の“顔”だった人物と、そこの信者だった人々が、いまも団体を存続させ、『新しい宗教』とか言って布教活動している状況を、道義的に受け入れていいものなのか」
という議論がなきゃおかしいと思います。
いま危険かどうかという論点というのは、極端に言えば「私にとって何か害があるのか。いまの社会にとって何か害があるのか」という、ちょっと利己的・刹那的な視点だと思います。道義的問題というのは、すでに被害にあった人、その家族、いまも信者でい続ける人、その家族といった、被害を受けていない我々とは違う立場の人のことも考えて、なおかつ「かつて社会に向けて攻撃を行った人々」に対して社会としてどう捉えるべきなのか、ということも考えての話。
もっとも、社会として許さないから強制的に団体を潰させろとか、信者の転入を許すなとかって話がいいかどうかは別問題で、社会として許さないのであれば、どういう形で問題を解決していくのがいいのかという、さらに困難な議論が必要になっちゃうわけですが。
実行犯たちは極刑を受けているわけだし、
上祐は事件当時ロシアにいて何も知らなかったわけだし、
むしろ麻原崇拝を続けているアーレフから、
多数の信者を救出して麻原崇拝をやめさせた上祐の功績は
大きいと思う。
上祐がひかりの輪を立ち上げなかったら、
そこにいる信者のうち大半は今もアーレフで
麻原崇拝を続けていたはずだ。
実際は遺族への賠償から逃げるために、責任から逃げるために新団体作ったんだろ。自分が役員まで成った会社がやばいことなったから新しい会社作ればOKって。本来支払うべきべき額は桁が違う。
上のコメント見ると麻原崇拝から、上祐崇拝に換わっただけなのがよく解る。途轍もない被害を与えた社会、被害者なんかどうでもいい。自分たち信者を救った上祐。自分たち信者を麻原崇拝から救出してくれた上祐。自分たち大好き。
ひかりの輪は上祐崇拝をしないようにかなり気をつかっているよ。
>実際は遺族への賠償から逃げるために、責任から逃げるために新団体作ったんだろ。
賠償はずっと支払ってるよ。
もちろん額はちゃんと決められたものに従って。
この点はアレフも同じだね。
>2010年8月27日 22:55
公安がひかりの輪をマークしたことがあるのはご存知ですか? 旧オウム教団の監査じゃないですか?
ヨガやパワースポットより法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱えてください
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