2011年1月23日日曜日

新潮社側に賠償命令、でも創価学会副会長の脅迫は“事実”=東京地裁

創価学会幹部に脅迫されたと
主張している矢野絢也氏
  谷川佳樹・創価学会副会長が矢野絢也・元公明党委員長を脅迫したとの記事を『週刊新潮』が掲載したとして、谷川氏が矢野氏と新潮社に計1100万円の損害賠償を請求していた訴訟で、1月20日、東京地裁が33万円の支払いを新潮社側に命じる判決を言い渡しました。しかし判決では、谷川氏から矢野氏に対して「息子がどうなってもいいのか」とする脅迫があったことは事実であると認定しました。


 訴状によると、この訴訟は、『週刊新潮』2008年5月22号(同5月15日発売)が掲載した<『矢野絢也』を窮鼠にした『創価学会』の脅迫と誹請中傷>にかんするもの。記事は、1993年に矢野氏が『文藝春秋』で発表した手記について創価学会関係者から謝罪を要求された際、当時創価学会の総東京長で現・副会長である谷川氏らから「人命に関わるかもしれない」「息子さんは外国で立派な活動をしている。あなたは息子がどうなってもいいのか」と脅迫された、と報じていました。これは、2008年に創価学会を退会した矢野氏が創価学会と7人の幹部を訴えた訴訟の訴状をもとにした記述でした。

 これに対して谷川氏は、訴状で「原告が、被告矢野やその家族に危害を加える旨の脅迫を行ったことなど一切なく、本件記事は全くの虚偽である」と主張。谷川氏に対する名誉棄損にあたるとして、矢野氏と新潮社を相手に、計1100万円の損害賠償の支払いと週刊新潮への謝罪広告の掲載を求め提訴していました。

 時事通信の報道によると、1月20日の判決で東京地裁の浜秀樹裁判長は「記述の重要部分が真実と証明できていない」とし、谷川氏の「人命に関わるかもしれない」との発言が、証拠とされる録音テープから確認できないとして、「殺人さえ想起しかねない印象的な表現で、この点について真実との証明がない」と判断。計33万円の損害賠償の支払いを命じました。

 一見、新潮社の敗訴に見えますが、近年、メディアによる〝報道被害”の賠償金額が高額化傾向にある中、今回はずいぶんと安い金額です。しかも判決では、「息子がどうなってもいいのか」という谷川氏の発言があったことは事実であると認定しています。たとえ直接的に殺人を想起させる発言ではなかったとしても、脅迫的で暴力的な発言であることには変わりありません。創価学会のカルト性が垣間見える判決です。

14 コメント:

匿名 さんのコメント...

 新潮は創価学会批判に於いては有害無益です。ろくな根拠もない記事を書いては裁判で敗れ、電車の中吊り広告で公開処刑されている。裁判で負けることで信者のマインド・コントロールを強化する結果しか招いていない困った存在です。
 ただ新潮に限らずいわゆる反創価学会の主張は昔やっていた政治的主張が気に入らないというものばかりで、マインド・コントロールの技術を悪用して財産を献納させるカルト集団として批判しているのは「マインド・コントロールの恐怖」ぐらいです。こちらこそ問題だと思われます、島田裕己が学会批判本を出すに至っては何をかいわんやですが、それが日本のカルト対策の現状でもあります。

匿名 さんのコメント...

  ↑
アホなコメントするな。
創価学会は有害な邪宗教。

匿名 さんのコメント...

鏡に映った自分の姿を見てキレているようなコメントですね。

TY さんのコメント...

解釈の仕方でどちらが認められたかわかり難い内容ですね。
内容をよく知りませんが、信仰の上での脅迫的で暴力的な発言は
一般的な脅しとは精神的な負担が想像以上に重いことをわかり
やすく世間に訴えかけることもメディアには必要かと思います。

匿名 さんのコメント...

訴訟が多い団体が『平和団体』であり(池田大作が言うところの)『慈悲の団体』なのだから理解出来ないです。
法曹界に創価学会員が多く入り込んでいるとすら聞く事もあります。

思うに、創価学会の言うところの平和というのは、
『世界が創価学会の思想に染まれば平和になる』
という事なんでしょうか。
志が低いようで(教義によって)は宗教の持つ存在意義にも
関わってきますものね。
でもこの思想はちょっと危険なものにもなり得ますね。

それと、裁判で被告側にお金を求めるのは相手方にダメージを与えて同じ事を二度とすまいと思わせる為、という考え方があるようですが、これらの請求額にはそれ以上の意図が見えるんです。
宗教の絡む裁判ってこんなものなのでしょうか。

どちらも偏見の一つなのは自分で分かってるつもりなんですが、そう見えるんです。
実際はどんな意図があるんでしょうか。

匿名 さんのコメント...

何の意図もなくただ感情的な話でしょう。
脅迫云々はともかく矢野氏の賄賂事件によって
当時の公明党は議席を大幅に減らしてしまいましたからね。
支持者や落選した議員、そして社会からも叩かれた苦い経験があり、
しかもその原因となった張本人が手記を発表してまた
公明党と創価学会を批判した。
これでは怒らない方が難しいでしょう。
単なる感情的な喧嘩で、それがやり過ぎたというのが私の見解です。

匿名 さんのコメント...

> 2011年1月25日17:56の匿名さん

感情的な話、と。
なるほど、そういう視点もありましたね。
勉強になりました、ありがとうございます。

創価学会はあまりにカルト的側面が多い風評で、社会に対する貢献が薄いようなイメージがありますもので、今はちょっと批判的な考えを持ってます。
それを鑑みるに第一印象って大事ですね、個人単位でも、組織単位でも。

創価学会の人の主張を重んずるなら、創価学会はあくまでも
『公明党の支持団体』のようですね。
するってと、公明党の政策はあくまで公明党独自のもので、どれだけ素晴らしい政策・法案があっても創価学会はその立案の場に加わってないという事になるのでしょうか。
でも創価学会の会員さんは公明党をアピールする時、創価学会もまた話に絡めて同時にアピールしている。
なんだか難しいですね、ここら辺の関わり。
政教分離という言葉について創価学会に限らず色々思うところはあるのですが、ここのところに少し疑問を感じる今日この頃です。

匿名部長 さんのコメント...

創価学会が公明党の政策立案に加わっていても、
憲法20条(政教分離原則)には反しないのだよ。

匿名 さんのコメント...

2011年1月25日17:56 の匿名です。
>でも創価学会の会員さんは公明党をアピールする時、創価学会もまた話に絡めて同時にアピールしている。

理論派のあなたはからすればこの解釈は難しいでしょう。
これはかなり俗物的な考えですが、必死で応援したのですからその見返りとして学会の功績として一緒に宣伝してもあってもいいのではないかと考えます。
私は利己主義ですのでどんなに些細なことであろうともノーリターンならばやる気が起きませんし、しかも公明党の選挙頼みは下手すれば友人を失ってしまうほどリスクが高いです。
何か謝礼が出るなら別ですがそれは選挙法違反です。
ならばどうするか。それは必死で応援した見返りに自分の思いを政治で生かしてもらう以外にありません。

「一緒に宣伝してもいいじゃないか、あれだけ苦労したんだから」
おそらくこの一言に集約されると思います。

後、匿名部長さんの仰る通りに創価学会が公明党の政策立案に加わっても法的に問題ありません。
逆に政教分離違反に当たるのは治安維持法のように国家権力を使って特定の宗教の狙い撃ちが目的で法を立案・執行することです。

匿名 さんのコメント...

> 2011年1月26日19:14の匿名さん
> 匿名部長さん

なるほど、つまり細かめに言うと
その効果(立案の効果)が宗教に対する目的効果基準に照らし合わせた上で大丈夫。
という事ですね。

宗教に対する目的効果基準ってのはその効果が宗教に対する
援助・助長・促進・圧迫・干渉になるか否か、でしたっけ。
…難しいですね。

理論派なのかなぁ、私。
いえね、ちょっとモヤモヤ残るんです。
これを上手く説明出来ないので、自分を理論派ですらないと思い、頭が悪い事を自覚してる身でまた発生してしまった他の疑問をぶつけるのは無謀かなぁと。
あ、でも先ほどの件はちゃんと自分なりに噛み砕いて理解したつもりです。
御両名、ありがとうございました。

微妙に分からないのは関係性を否定する辺りなんですよね、どちらかと言うと。
もっとオープンに構えてもいいと思うのに、やってる事は悪い事じゃないんだからと。
あくまでもものごつ個人的な観念でモノを語ってますです、スルーで大丈夫ですよ。

匿名部長さんにレス頂けて光栄です。

匿名 さんのコメント...

矢野さんへの組織的付きまといは以下に記事があります。
http://www.gangstalker.info/40.html

「息子がどうなってもいいのか」みたいな脅迫は、
http://www.gangstalker.info/26.html
に書かれており、システム化されている工作なわけです。

匿名 さんのコメント...

皆さんの飲んでいる精神安定剤と睡眠薬の種類は?

匿名 さんのコメント...

やはり、宗教や信仰についての理解がなさ過ぎる人が日本には多く、「自分が良いと思うものを他人に勧めて何が悪い?」と真面目に言う学会員も多いし、他の人も「信教の自由だ」などと(宗教と名が付けば)何を信じても良い、つまり何を指導しても良いと思っている人がとても多いのが現実です。

創価学会は、「右か左かだ」「勝つか負けるかだ」などの偏った考え方や「この信仰でしか幸せになれない」などという排他的な信仰、そして「これが絶対に正しい」「この信仰は素晴らしい」などと、信者に強い価値観を植えつけます。宗教(または指導者)が、信者に教団独自の価値観を教えるなどということは本来ならあり得ません。
宗教の指導者(つまり心を指導する人)は誰がなっても良いというものではありません。凡夫が「これが正しい信仰だ」と信者を騙し(意図的にではないとは思いますが)、ここまで大きな組織にしてしまったことは日本にとっては非常に残念なことであり、日本の恥とも言えるでしょう。

どなたかが「友人を失ってしまうほどリスクが高い」と仰っていましたが、信仰(創価学会の場合は拘りを他人に押し付けているだけ)により人間関係を壊すのなら、それは狂信、盲信であって、人が生きるたためにある、心を学ぶ「信仰」とは全く違うというこを学会員は理解するべきでしょう。

信仰に勧誘など必要ありません。しかも末端の信者が勧誘に夢中になるなど、明らかにカルトであり、危険な信仰です。

匿名 さんのコメント...

>信仰に勧誘など必要ありません。しかも末端の信者が勧誘に夢中になるなど、
>明らかにカルトであり、危険な信仰です。

なるほど敗戦まで日本にはカルトしかなかったわけだな。だから日本会議や神社本庁は危険な集団な訳だ、納得。