2010年8月26日木曜日

フロリダの教会がコーラン焼却イベント。極右武装民兵団まで集結

先週『イスラム教とキリスト教が同じ聖堂で祈りを捧げる試み』などというちょっとイイお話をお伝えしましたが、1000年を優に超えて対立を続ける彼らの和解はまだまだだと感じさせるニュースが飛び込んできました。

【CNN 2010.08.25】キリスト教会のコーラン焼却、極右武装団体が警備9月11日を「国際コーラン焼却デー」とし、犠牲者をしのんで反イスラム集会を開くと予告。インターネットでキリスト教徒に参加を呼び掛けている。

同教会のテリー・ジョーンズ牧師によると、「ライトウィング・エクストリーム」という団体から、この日のためにメンバー500~2000人を派遣したいとの申し出があり、受け入れることにしたという。ジョーンズ牧師はこの団体について、武装民兵組織と説明している。


このイベントは先月から企画されていたものですが、今月になってついに右派武装民兵団までもが参加を表明。その名も「ライトウィング・エクストリーム」(訳すなら『極右』)。あまりにそのまま過ぎるネーミングはもはや開き直りかとさえ感じさせます。
このイベントに対してはイスラム教徒はもちろんキリスト教徒からも反対意見が出ていますが、彼らにイベントを止める気配は一切ありません。そして現実には、過激な行動を取った者の方がより目立ちますから、結局は「キリスト教は他宗教の聖典を燃やした」という事実のみがクローズアップされて相手にも伝わることになるでしょう。
宗教紛争の解決はまだまだ遠そうです。

12 コメント:

匿名 さんのコメント...

イスラム教徒を敵に回したら怖いと思うが、
よくやるなあ。

遠い未来 さんのコメント...

憎しみは憎しみしか生み出さない。
負の連鎖を断ち切れる日はいつ訪れるのでしょうか?

オホーツク海岸の論客 さんのコメント...

この教会に嫌われたら日本仏教の折り本でも焼かれるんだな……

わくたま さんのコメント...

不思議な事に、仏教の本とかは焼かないんですよね。
イスラム教はキリスト教への批判から生まれ、キリスト教はユダヤ教への批判から生まれ、とそれぞれ源流の宗教を批判することから始まっていますから、この三者の仲の悪さは特別凄いようです。
今では憎しみの負の連鎖がどこから始まったのかも判然としません。

匿名 さんのコメント...

イスラームはキリスト教の批判から生まれたものではありませんが?
こういった誤解が相手の理解を妨げ、憎悪を増幅していくんでしょうか?

わくたま さんのコメント...

> イスラームはキリスト教の批判から生まれたものではありませんが?

さすがに『イスラームはキリスト教の批判から生まれた』は書きすぎでした。すみません。訂正してお詫びしておきます。
ただ、ムハンマドは布教中にそれぞれユダヤ教・キリスト教を批判し、キリスト教に対しては主に偶像崇拝性を批判していますから「要素としてあった」くらいなら間違っていないんじゃないでしょうか。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88#.E3.82.A4.E3.82.B9.E3.83.A9.E3.83.A0.E6.95.99.E3.81.AB.E3.81.8A.E3.81.91.E3.82.8B.E3.82.A4.E3.82.A8.E3.82.B9

また、ムハンマド存命から両宗教に対する批判を行っていたと言われていますから、モチベーションの一つとして「これまでの宗教は信心が足りない」というようなことはあったのだと思います。

あと、これはお願いですが「イスラームはキリスト教の批判から生まれたものではありませんが?」という事について、実際は堂であったのかなど、また何が「誤解」であったのかについて、具体的に指摘して頂けると、私以外にこの場所を見ている人にも勉強になります。いろいろご教示頂ければ幸いです。

匿名 さんのコメント...

耳学問ですが、、、
ムハンマドは徹底して偶像崇拝を否定しており、これは当時のアラブ世界(サウジのメッカ周辺)で一般的であった土着宗教の偶像崇拝へ向けられたものです。(ちなみに巡礼で訪れるカアバ神殿はイスラーム以前は偶像崇拝の本拠地みたいな所で、年に一度皆がそれぞれの神様を連れてきていたらしいです。)
コーラン(クルアーン)ではユダヤ教・キリスト教も同じ神を信じる者といった扱いです。もちろん勢力拡大によりいざこざはあったようですが。
その後既存宗教(キリスト教・土着宗教など)をイスラームに取り込みながら急速に勢力を拡大していったようです。

あくまで個人的な理解ですが。
しかし他宗教・価値観に寛容でない宗教が、時代・地域・民族をを超えて世界宗教成りうるか?そしてなぜ今なお強い信仰を持ち続ける多くの普通の人間がいるのか?といったところでしょうか。(私自身はイスラム教徒でもありませんし、その道の学問者でもありません。一般人です)

せい さんのコメント...

イスラームがキリスト教への批判によって生まれたのなら、ムハンマドやアラブ社会が元キリスト教徒であったかのような語弊があります。当時のアラブ社会は多神教の世界です。
イスラームはキリスト教ではなく、「それまでのアラブ世界への批判」から生まれたものです(アラブ世界と言っても、今よりもっと狭い意味です)。ムハンマドは「啓示」という形でユダヤ教やキリスト教を取り入れつつ、それらの「アブラハムの宗教」の「最終的な預言者」としてイスラームを開いたのです。
イスラーム世界においては旧約・新約聖書も重要ですから、キリスト教・ユダヤ教ともに『啓典の民』として、イスラム教徒に準ずる扱いがされていて、本来のイスラームの側からはキリスト教徒に別に憎悪はなく、イスラーム優位の元でですが、共存はされていましたし、領土を接するキリスト教国のビザンツ帝国でも同じようなもののでした。

憎悪の出発点はやはり歴史的には十字軍であって、別に「どこから始まったのかも判然としません」というわけではないです。ですから、先代のローマ教皇が十字軍への謝罪を行ったのです。

近代以前は、逆にイスラムより西欧キリスト教の方が遥かに共存を許さない不寛容な世界でしたよ。ここから近代以降の西欧勢力の進出やオスマン帝国の崩壊、パレスティナ問題などの複数の歴史的要因が絡んで、負の連鎖が続いてしまっているのです。
「元から三者の仲が悪い」などという誤解は最初から三者が共存できないような印象を与えて、余計な偏見を助長しかねません。

キリスト教の偶像崇拝を批判したのは、本来キリスト教もユダヤ・イスラームと同じく偶像を否定しているゆえに、「同じ系列の宗教」としての批判とも言えるものです。

オホーツク海岸の論客 さんのコメント...

あ~あ、世界が騒いで喜んでるのかな?
アフガニスタンにいる自分の国の軍隊が抗議の対象になってもいいのかな?

どうせやるなら、会場をインドネシアのジャカルタ市街かサウジアラビアのメッカ・カーバ神殿に変えたらどうだい・・・・・・と文句をぶつけたくなります。

とりあえず、井の中の蛙から成長する事を祈りましょか。

せい さんのコメント...

本人の意識はともかく、無意識ではもう売名とヒロイズムに酔っ払ってるんでしょうね。自分は安全な場所にいてヒーローになれるんだから楽な話です。
藪元大統領が無用な聖戦意識を煽ってくれたせいで、ただでさえ多い米国のファンダメンタリストが余計な元気をつけてしまったのもあるんでしょう。
無知と偏見に安住してる人間が成長する可能性はゼロでしょうねえ。自国の自由と憲法を隠れ蓑にしてる卑劣さにさえ気づいていないんですから。

匿名 さんのコメント...

ニューヨーク・タイムズの記事をご参考までにご覧下さい。

http://www.nytimes.com/2010/09/10/us/10media.html?_r=1&hp

わくたま さんのコメント...

皆様

いろいろ、勉強になりました。ありがとうございます。
宗教については一般的な歴史の範囲では勉強していたつもりなのですが、なるほど中世に至るまでの歴史でもだいぶ影響があったんですね。
コーラン焼却の方はこのコメントを書いている段階ではまだどうなるか予断を許さないという状況ですが
http://content.usatoday.com/communities/ondeadline/post/2010/09/fla-pastor-tells-today-show-we-will-not-burn-quran/1

どうやらこの企画者がそもそもカルトっぽい人のようです。
http://mainichi.jp/select/world/news/20100911dde001030024000c.html
この人をキリスト教徒というと、キリスト教の関係者に怒られてしまうかもしれませんね。。。。