2011年5月4日水曜日

「緑の党」ってどんな団体? ~「三橋辰雄提言集」を読む~


 エイト記者の記事でも紹介されている、大田区議会に議席を持っている「緑の党」。ヨーロッパの環境政党とは何の関係も無い新左翼の党派ですが、私は、実質的な指導者であった、故・三橋辰雄氏の著書を紹介させて頂くことで、彼らがどれほどユニークな集団なのかをお伝えしたいと思います。



 奥付の著者紹介によると、三橋辰雄氏の略歴は以下の通りです。

三橋辰雄提言集 著者紹介
1923年 青森県西津軽郡館岡村に生まれる
1944年 応召、盛岡工兵隊入隊
1945年 軍事捕虜としてカムチャッカに行く
1947年 召集解除
1950年 青森県越水中学校教諭
1957年 合同歌集”点”出版
1963年 読売全日本つづり方コンクール第1位
      文部大臣賞受賞「北風の歌」
      全日本リード合奏コンクール
      NHKテレビ全国放映
1966年 修道小いちょう学級NHKテレビ全国放映
1972年 日本テレビ全国放映 圭三訪問「オラの先生は日本一」
1973年 デーリー東北紙に「こころに夜はない」連載
1974年 日本版画協会最優秀賞受賞
      朔人社「私たちにとって原子力は」出版
1977年 全国へき地教育学校賞受賞
      TBSテレビ全国放映「ぼくらはチャンピオン」
   現在 文化研究所所長・芸術学院長

主要論文および著作
「わかりやすい実践論・矛盾論」「主観主義と客観主義」
「誤りのない行動をするにはどうしたらよいか」
「闇からの脱出」「文芸の生命」「北風の歌」「みい子さんは歌った」
「第三のヒューマニズム」「私達にとって原子力は」
「教育とは何か─母と子と教師と─」「ビヘイビア」
「こころに夜はない」


 この「三橋辰雄提言集」は1989年9月の初版本であり、発行者は対馬テツ子氏(緑の党党首)。発行所は「太陽への道社」ですが、発売元は「星雲社」となっています。

 「提言集」と銘打たれている通り、この本では三橋辰雄氏の提言と、それを受けての緑の党の党員と思われる人物の文章がセットとなっています。提言だけでなく、それを受けての文章が大変味わい深いものですので、両方セットで引用することとしました。提言を受けての文章については、斜体で示しています。
 緑の党機関紙「日本新聞」に連載された提言を編集したものですが、その数、なんと510。勿論、その全部を紹介することは不可能ですが、彼らのユニークさを体感して頂くため、なるべく多くの提言を引用することに致しました。
 この本一冊だけで30年ほど続いてきた党派を語れるわけではありませんが、こういう側面もあるということですし、それに、地方議会に議席を持っている緑の党の情報は、広く公開されるべき情報です。
 かなりの長文になりますが、どうかご了解をお願いします。

ブルジョアは敵!

 彼らは新左翼系の党派です。反資本主義であり、ブルジョアへの敵意が提言集のそこここににじみ出ています。
No.33
 人間は虚構で涙を流すこともある。
 涙は真実だと思う必要はひとつもない。

 “流した涙が美しい”とブルジョアは宣伝する。大事なことは、何に涙を流したかということである。大抵、人は自分のことだけで悲しんだり悔やしんで涙を流す。それではとても“美しい”という代物じゃない。自分に男がいないといっては泣き、顔の色が黒いからといっては泣いている人は、売春しなければ生きられない女性が何百万いようが涙はひとつもこぼれはしない。   清水夏子

No.83
 世の中にはたった二つの違った道よりないのである。天皇や資本家の為の道かそれとも働かなければ食えないプロレタリアートの為の道かだけである。中立とか常識とかいずれにも組しないとか超階級的などは立派な天皇や資本家の味方である。

 階級社会では階級の烙印の押されてないものはない、と毛沢東は教えている。下駄屋の息子でありながら下駄作りを卑しいと思い、中産階級をめざしていたとき、私のまわりには一人の友もなく、緑の歌を歌うよろこびもなかった。自分の出身階級を否定させて、虚構の中産階級、中立思想へと組織していくのが日本の支配者のねらいである。我々は反対に出身階級を誇る。   徳永 進

No.86
 ブルジョア社会の苦しみはプロレタリアでありながら自分は中産階級(ブルジョア)と思うところから起きているのである。
 ブルジョアになれないなら死んだ方がよいと死んでいくのである。
 彼らにとってプロレタリアは人間ではない。

 どんなに一生懸命お金を貯めたところで、テレビの女優に似せて顔に化粧を塗りたくっても、絶対ブルジョアになどなれないのです。もともと日本人だから黒い髪の毛なのに、白人にあこがれて髪を染めても、しばらくするとまた根元から黒い髪の毛が伸びてくるように、プロレタリアはどうしたってプロレタリアだ。そこがわかれば楽観的になる。   清水夏子

No.96
 一生を自分の心に嘘をついて生きることは、天皇やブルジョア以外に誰も出来ない。何故なら彼らは心の底まで他人を苦しめるのが楽しいからである。獣姦ショウがあっても何もしない人間にはなりたくない。

 「嘘は日本一の宝である」と言われるが、ブルジョアは徹底して人民にウソを言う。「働けば、末は松下幸之助になれる」そのウソをまともに受けて、疲れきるまで働く大衆。上司にイヤミを受けても、生き抜こうとする大衆。しかし、いつまでも馬鹿にされしぼり取られる世の中はいやだと人民は立ちあがる。立ちあがらせまいとブルジョアは獣姦ショーを用意する。   青柳一郎

No.246
 誰が敵なのかはっきりすれば自分の行為は味方にとって有利か不利かはっきりする。

 生きている限り矛盾はつきものである。プロレタリアとブルジョアは敵対矛盾であるから殺すか殺されるかの関係である。ところがプロレタリア同士は必ず統一できる。もし統一できないとしたらそれはブルジョアの価値観をもっているからである。あれよりも学歴がある、顔がいい、背が高い、いつまでもそれにしがみついていては仲間と団結ができない。   高島章子

No.304
 われわれはプロレタリアだからプロレタリアの為の新聞を出してプロレタリアに食わしてもらっている。それが当然だと思う人は街販が高いし、こんなプロレタリアに食わしてもらうことがないと思う人は街販が低い。プロレタリアに頭を下げるのは何も辛くない。

 街販でプロレタリアに頭を下げるのを乞食みたいだという人がいる。「働け」と罵声をあびせていく人もいる。しかし、売春反対、侵略反対の新聞が日本のどこにあるだろうか。我々は売春反対、侵略反対の新聞を出し続けている。巷では、ブルジョアの手の内で馬車馬のように働かされるだけである。売春反対、侵略反対の新聞を人民に手渡す。それは誇り高い仕事である。   千葉 明

No.310
 出世したいが、男、女がほしいが、外では食うこともできないからここにいるのがルンペンプロレタリアである。
 男は女の為に闘い抜いたとき女は心を寄せるのであって、何もしないで足の長さで女を釣ろうとするのはルンペンのやることである。

 本当は教頭になって出世して金がほしいがどうもできないから仕方なくここにいる…。実は女を買いたいけど、買いに行く金がないから我慢してここにいる…。
 売春反対も差別反対も利用するために口先だけで言っていたにすぎず、もはや利用できるものは何もないとわかると、口汚い悪罵を投げつけて逃亡する。ルンペンには心がない。   清水冬子

No.382
 巨大なブルジョア権力にわれわれは包囲されている。電話はすべて盗聴され行動はすべて監視されてる。そう思わなくてはならない。われわれにすこしでも法的不正があれば襲撃してくる。
 彼らの手によって棍棒がふりあげられている。同志よ。ボーとしていられるか。

 “やさしいお巡りさん”など一体どこにいるの。いたらこの目で見てみたいものだ。腰に下がっているピストル、あれは何のため?悪者をやっつけるためだって?とんでもない。あの銃口は我々に向けられているのです。天皇にカナヅチを投げた十六歳の少年は即時精神病院へ連行されました。警察は国家権力を守るためにある暴力装置なのである。   清水夏子

No.390
 われわれはわれわれの確固たる砦を東京に持った。ブルジョアは自分のところを持つとすぐお前には使わせない“出ていけ”となり、プロレタリアは“ここは俺のところだからお前も使ってくれ”となる。誰であっても組織の決定なくして追い出されることはない。

 我々は私有財産制の廃止を目指す。私有財産は今日の社会の根幹なのである。工場、土地といった生産手段はすべて資本家の支配下におかれ、世襲によって受けつがれる。プロレタリア所有の生産手段は全くない。わずかに我々の拠点だけがプロレタリアの所有物として存在するだけである。しかし、そこでは一人一人が共有者。組織が決定しない限り共有者の立場は不変である。   千葉 明

No.478
 『我々がわかるように敵もわかる』 我々はブルジョアの宣伝である、新聞、テレビ、週刊誌、相撲、プロレス、高校野球から離れて久しい。
 それは我慢しているのではなく、我々の心を何ひとつうたないからである。それを見ないからだけで迫害をうける。

 相撲の星取りが学校で大はやりである。職員室には星取りの成績表がはられ、星取り担当の教師が選出されう。星取り参加は当然とされ、不参加は白眼視される。酒を飲まなければ一人前でない、テレビを見ないと話ができない。ブルジョアは敵、味方の選別手段を縦横にはりめぐらしている。女を買いに行くのを拒否したために首を切られた仲間もいる。   千葉 明

 彼らはブルジョアと闘っているのですが、彼らの頭の中では、大衆が立ち上がるのを防ぐために「獣姦ショーを用意する」そうです。
 いやぁ、ブルジョアって怖いですね(笑)

何よりも日共(日本共産党)が嫌い

 左翼系の党派には、日本共産党を蛇蝎の如く嫌っている党派がみられますが、この緑の党も「日共(日本共産党の略称)」を嫌っています。発行当時(1989年)に政権与党であった自由民主党よりも、日本共産党を批判する提言のほうが圧倒的に多いのです。
No.157
 理論は理論だ、理論はそうでも現実はそうでない。
 これがブルジョア教育の目標である。現実にマッチしない理論は空論であり、本屋に売られている本のほとんどは空論や虚論だけである。
 理論は現実に密着するものである。

 ブルジョア教育を最も推進しているのは、日本共産党である。「七十年代の遅くない時期に、民主連合政府をつくる」と、一九七七年に私は聞いた。そして、十年が経った。今、何もそれは達成されていない。全くの空論、デマである。これに対し、我々は民主カンボジアを九年間支援しつづけている。反侵略戦争の闘いは、前進している。   大沢義雄

No.182
 『逆転の論理』 民主カンボジア三百万虐殺に反対するためにベトナムのカンボジア侵略に賛成する。
 これが今日の最大の逆転の論理である。
 結局これは“なんだかんだ”論であり、理解することは出来ない。

 “侵略戦争に反対なのかどうか”この点が最も重要なことである。にもかかわらず、日共は民主カンボジアで三百万虐殺(断じてありえない)があったから、ベトナムのカンボジア侵略に賛成するという。そして、民青元事務所床下より女性幹部の白骨死体発見という事件を引き起こした。実際を直視せよ。日共・民青にヒューマニズムはない。   大沢義雄

No.197
 われわれの組織がつぶれれば良いと日共や権力が願望をもっても今のところ手を下す方法がない。ところが幹部が組織の中でタダメシ食いをすると組織はつぶれる。
 実際は日共よりおとらないようになろう。

 「わが党の組織は全国に発展しなければならず、何万という幹部を意識的に養成していかなければならず、何百人もの最も優秀な大衆の指導者がいなければならない」と毛沢東は述べている。“心の泉”“いとしき人”と言って、その心の泉やいとしき人を残して去っていく者を何人そろえても何のたしにもならない。「幹部が全てを決定する」とスターリンは言っている。   本田純一郎

No.223
 あるものをただあると認識しても大して役に立たない。ブルジョアのディスカバージャパンとか外国旅行がそうだ。“あるものをどう自分の変革に役立て今よりどう高い組織をつくるか”この一点こそ物を認識する根拠としなくてはならない。

 ブルジョアの大新聞がこれでもかこれでもかと大量に色気違いの新聞をまく。その量といい速さといい実に感嘆すべきものである。ところが、我々はそこから人民の新聞を作ることを決定した。売春反対・侵略反対の新聞を人民の元に送り届けようと。印刷機も写植機もカメラもみんな初めてだった。今では龍王号を手に入れた。我々は日共「赤旗」のウソをこの新聞で暴く。   高島章子

No.306
 “階級に目覚めさせる”これがわれわれの尊い任務であり、“階級を眠りこませる”これが「赤旗」がブルジョアから与えられた最大の任務である。
 そしてこの二つの闘いは、実際に日本に階級があるのかで決着がつく。

 レーニンは「議会はイチジクの葉」であると言っている。すべては舞台裏で決定される。平和的にプロレタリア権力が樹立されることはない。だが、日共「赤旗」は、選挙で宮本と書けば世の中が変わると宣伝する。ボロ儲けのボロを取ると。だが、どんなに日共が宣伝しようと人民は必ず革命にたち上がる。人民の社会が実現されていくのである。   千葉 明

No.417
 われわれにゲバルト(暴力)をかけて来てまだ生き残ってるのは日共ぐらいのものである。この平和の手本みたいな化物は、今なおポル・ポト三百万虐殺のデマでわれわれを死に追いこもうとしている。南進六年いかなる困難に直面しても、暴力のかわりにマルクス主義の理論で立ち向おう。

 「カンボジア三百万人大量虐殺をほめたたえ、カンパ集める」(一九八三年四月・日共「赤旗」)ベトナムによる民主カンボジア侵略を「解放」と宣伝し、われわれを抹殺しようとした。
 だが、毛沢東はこう言っている。「内部対立に対して武闘でなく文闘を」 権力に抵抗しながら生きながらえる理論とは“対立物を統一できる能力”を身につけることである。   堤 大介

 彼らの主張によると、日本共産党の機関紙「赤旗」は、ブルジョアから「階級を眠りこませる」ことを任務として与えられてるようです。
 「日共」批判がそこかしこにあるというのに、自由民主党や社会党(当時)に対する批判は見当たりませんでした。まあ、彼らにとって「日共」が不倶戴天の最大の敵ということなんでしょう。

ポル・ポト派を支持していた

 今まで紹介した提言の中にも出ていますが、彼らは「民主カンボジア」を支持していたようです。
 民主カンボジア──そう、ポル・ポト派のことです。
No.36
 真実は語らなくてわかるというのはまやかしである。
 それは真実を見つけると同じようにむずかしいものである。

 権力者は、われわれの新聞が大衆の手に渡るのを何よりも恐れる。それは、われわれの新聞が真実を伝えるからだ。「ポル・ポト三百万虐殺」はウソだ。日共支配の教育会館ストリップ糾弾、と真実を訴え続けてきたから今なお闘っていける。何もしなければ、「ポル・ポト三百万虐殺」のウソがまかり通り。日共支配の教育会館でストリップをやってないことになってしまう。   木田 純

No.128
 『モラルに最も階級性があらわれる』 何に向って服従するのか。これによって、階級性は決定する。人民に対して組織に対して服従することは人民と組織と自分を一体化することで主体思想のことであり、天皇、社長、家長に服従するのは奴隷思想のことである。

 「カンボジア難民に愛の手を」と街で呼びかけると、「お前が働け」「私こそ難民よ」と返ってくる。それでも、くり返しくり返し、人民に侵略反対を訴え続けて十年がたった。今では人民に支えられ四千万のカンボジアカンパを届けようとしている。もし、我々が誰かの奴隷であったらできるだろうか。誰かの為だとしたら、それは人民の為、組織の為以外ない。   徳沢紅子

No.281
 長いものには巻かれろ
 という言葉がある。
 それでいて自分はヒューマニストだと信じている。
 ファシズムはここからも生まれる。

 何もあたりさわりなく生きていこうとしている人はいないだろうか。実際には、上役にはペコペコして、家に帰ってから妻や子供に八ツ当りする姿をよく見かける。これは、表向きカッコがいい。いかにもヒューマニストらしく見えてしまう。しかし、九年間侵略者ベトナムに反対して闘い続けている民主カンボジアを支援して闘い続ける緑の仲間にヒューマニズムがある。   堤 大介

No.453
 ポル・ポトが三百万人殺した(嘘)からベトナムはカンボジアを侵略してよいというのが日共の主張である。
 これは立派な侵略賛成の論である。“争いは時間をかけろ”と毛沢東が言った。今時間は確実に我々に味方している。

 民主カンボジアは、緑の党に物心両面の援助をしてくれた。ランちゃんが、カンボジアにも、ラン少年がいることを教えてくれた。「今そのラン少年はどうしているのかなあ」ベトナム兵に母を、妹を殺されたラン少年。彼の脳裡には、何が浮かぶのか。彼は、決して侵略者ベトナムを許すことはない。十九歳の少年兵ランよ。殺されるなよ。生き続けるのが侵略反対さ。   青柳一郎

 どうやら、九年間ポル・ポト派を支援してきたようで、4000万円のカンパを届けようとしていたようですが、「カンボジア難民に愛の手を」と呼び掛けられて、募金をした人は、その金がポル・ポト派に届くと思っていたのでしょうか?

「売春反対」がメインテーマ?

 彼らはやたらと売春を敵視しているようです。この記事で引用した提言以外にも、売春反対の文言はいくらでもあります。恐らく、「売春反対、侵略反対」が緑の党の(少なくとも当時の)メインテーマなんでしょう。
No.98
 自分が売春しなくても食っていけるから今の日本はいい日本と思う奴ほど非人間な考えはない。しかもそう思いながら自分は優しい人間などと思っているのだから尚更である。
 女を金で買うことはそれ一度で人間の心を失うことである。まして性病にされた人間など人間らしい心などひとかけらもないのだから悲惨のきわみである。

 自分は売春して生きてなんかいないから、日本はいい国で、千円札一枚あれば女が買えるのだから日本はいい国だという考え方は一致している。どちらも売春しなければ食っていけない女性がどんな思いで生きているのかなど、これっぽっちも頭にない非人間の考えである。
 だが、そんな者など自分くらい優しい人間はないと思っている。心がないんだ。   清水夏子

No.155
 実際を見ない者は一時は有利であり、時にはエネルギーさえあり余っているように見える。だが決して長つづきはしない。彼らは酒を飲むか女を買いに行かない限り、肉体的にあるいは精神的に倒れる。実際から思考する者は一時は不利でも倒れることはない。

 “上司にはしかられるし、毎日残業じゃやりきれない。だけど仕事やめたら、女を買いにいけないしな”といって、過酷な労働条件の中でも働いている。酒を飲んで、女を買ってホルモンが出たと思っている。でも実際は疲れてしまう。その次には違う店にいけばホルモンがでると思う。それは擬似ホルモンという。擬似ホルモンは必ず身体をむしばむ。本当に楽しいものは疲れない。   江村結

No.169
 客観主義に対抗するために客観主義を対置しても、結局同じ穴のむじなであり、社会の情勢は進展しない。キリスト教に仏教を対置しても同じことである。
 客観主義に対置するには主観しかない。自分の主観は何か、あくまでも原点にさかのぼって主観をつかめ。

 あなたの主観は何か、心を動かしたものは何か。ウーン。忘却の彼方。さかのぼっても思い出せないというのは何と悲しいことか。だから、足の長い男がいいの、大学出た男がいいのと走り回る。
 心よよみがえれ。今、日本の社会に性を売って生きる女性が数百万もいるという実際に心を動かさないなら、あなたは生きたままのされこうべ。   丘 民子

No.233
 生きていくことは美しいことだといつも思う。生きてなかまに役立つことは本当に尊いことだと思う。
 それは放尿ショウを見て楽しむこととまるっきり反対のことである。
 顔におしろいを塗って男を釣るのと全然反対のことである。

 放尿ショウを楽しんだり、男を釣って歩くのと対極の喜びが、我々の人生を支えている。それは生きてなかまに役立つことである。若い同志がよく闘う様になった。仲間が広がっている。砦を守りきった。荒野座公演に来た人が感動していった。そこに喜びを持つ同志の死闘があなたに見えるか。その喜びと、闘いとを共有して生きるのが同志である。   東 二郎

No.237
 悲観的になるとは、階級的意識がないことであるが、本来敵であるものを味方と思った時、その失望が悲観的にさせる。

 この仕事を投げ出していった者は、その瞬間までウソをついていただけで、その後も一生ウソつきで生きるしかない。誰かが仕事をやめたからといって元気がないのは、実は、仕事をやめた者に自分が好意的だからであって、自分も女を買いにいきたい、あるいは、売春婦のように生きたいと思っているからである。プロレタリアらしく生きていくさ、それが楽観性をうみ出す。   木田弘志

No.324
 一点突破という言葉がある。これは絶対本物だということを頭と身体でしっかりわかるということである。
 馬と女のセックスショウを見ても何だか興奮したようだがすっきりしないと思うだろうし、女に浣腸をかけてもそのあとで口笛を吹く気になれない。一点突破したものがあなたにあるか。

 獣姦ショーを見て興奮した、女を買ってよかった。これはもはや感性ではなく、色気違いである。女性は感性が鋭いと言われる。自分の前にいる男が女を買う男か、そうでない男かを見分けることである。ところが、男にほれたいと思っていいというのは感性ではない。次にその男とどんな仕事をするかである。売春反対、侵略反対を貫く時統一できるとわかった人間は不屈である。   高島章子

No.374
 提言がよいから読者になるというたよりがあった。本当に涙の出る程うれしい。“日本新聞の足しになりたい”その一心で提言を書く。それが結果的に賞められるのであって、賞められたいから書くでは、新聞社の足しにならない。書きたいものだけ書けばよい。

 “思ったことを書けば大変なことになる”とモサは言った。売春反対も侵略反対も思っていることではなく“女を買う”が本音だということであり、それを隠そうと思って書くものは嘘偽りであり人民に見抜かれる。提言の〆切近いよともう何年も主幹は言い続けてきた。よしきたともう何年も原稿を仲間は書いてきた。思ったことを書けばいいのよと又読者に提言が届けられる。   藤本直子

No.409
 『我々は外部の攻撃で屈することはない。だが尊敬しないがセックスするのは恐ろしい』売春婦を買いに行く男は一日に数百万というのが日本の現状である。女が化粧して何かサービスして金を得ることをすべてわれわれは売春行為と見る。ありのままの姿でいる女こそ、女らしい女であり、化粧づくめの女こそ売春婦向きの女である。

 女を買いに行く男はいつもこう思っている。“あんな汚い女とこの俺とは全然違う”と。汚い女と思うなら寄りつかなければいいのに、汚い汚いと言いながら金で買うとはどういうことか。“こんな男、給料も安いし最低だわ”と女が思えば男の方もまた“こんな女と結婚するんじゃなかった。一生の不覚だ”と思う。そうでない結婚生活をしている人を私は見たことはない。   清水夏子

No.423
 ギブアンドテイク、何かしたら必ずその見返りを要求する人間は債務奴隷の典型的タイプである。“これをやったからあれをよこせ”では、何もとれないと何もしないことになる。緑の仕事はそれと反対にこの仕事をやっても何も見返りはないが、婦人解放の仕事をやり抜くことに大きな意味がある。売春反対!

 ベトナムの侵略と闘い抜いている民主カンボジア軍兵士は、全て志願兵。祖国を侵略者ベトナムから解放するその一点で闘う少年兵、少女兵の笑顔にまさるものはない。何の報いも期待しないからこそ、今も尚不屈に闘い抜く民主カンボジア軍。売春反対、侵略戦争反対の緑の仕事も同じである。何一つ自分の得にならないけれど、緑の戦士よ、自分の国は自分で解放しような。   木田 純

No.441
 目的のために手段を選ぶことはない。
 資本家は資本主義を守るために手段を選ばない。

 巷にあふれる獣姦ショーの宣伝、我々に向けられる“連合赤軍”“勝共連合”のレッテル張り。資本家はありとあらゆる方法で資本主義を守ろうとする。法にしてもモラルにしてもすべてが、資本主義永続のために用いられている。我々にとってもまた売春反対の実現だけが全てに優先する。何をやってもよい、売春反対に向かいさえすれば。売春反対が実現すればそれでよい。   千葉伸明

No.469
 生きるということはプロレタリアとブルジョアの凄烈な闘いである。
 奴隷になって生きるよりは立って闘う、これがわれわれの生き方である。
 一人が一人を組織せよ。それでわれわれはすぐ二倍の力となる。

 売春王国のこの日本で、売春反対・女性解放の闘いに立つ女性も男性もたいしたものである。
 共産主義を語り、夜になれば売春街に行くのでは、結局売春讃美・天皇万歳である。
 女性を商品としてではなく、一人の人格をもった人間として語り合う時、新しい人間関係が生まれる。たとえ今は小さな火でも、その力は大きな野火となっていく。   高島章子

No.491
 『馬と女のセックスショーに反対することは体制に反対することで革命につながる』 “緑の党”は女と馬をセックスさせることに断固反対する。それを日共や権力は弾圧出来ないから暴力集団、爆弾製造などとデマッて大衆と緑の党を切り離し、緑の党が大衆から離れた瞬間に暴力で襲ってくる。ヒットラーのやり口である。

 馬と女の獣姦ショーに反対したら、日共が出て来て“暴力集団、ワイセツ集団”と機関紙「赤旗」をつかって大謀略宣伝を開始した。女性を売り物にして売春で統治している売春国家・日本で、権力と一緒になって日共は売春反対を叫ぶ者に襲い掛かる。これが「唯一の革新」日共の実際。
 売春しなければ生きられない女性が数百万もいる日本に民主主義のひとかけらもない。   葉山夏子

 「女が化粧して何かサービスして金を得ることをすべてわれわれは売春行為と見る」と提言では書かれているわけですが、もしかしたら、街頭で募金活動している緑の党の活動員の独特の容貌も、その教義から来ているのかもしれません。

プロレタリアにとって「組織」が全て?

 ブルジョアと敵対している緑の党においては、組織が何よりも大事なようです。
 この提言集の中にも、組織が第一だと唱え、出て行った人を攻撃する文章が沢山あります。
No.245
 思想が違えば、組織を離脱したら、すっかり状況が変わってしまう。
 夫婦が何十年いっしょにいたとしても、死の少し前に敵味方であったことがわかったりする。

 組織を離脱するということは、“ここに男がいない”“ここに女がいない”と思うからである。
 我々の外は、心で人間をつかむということがないから、金で女を買う。夫婦だって金のつながりである。そんな外の思想を変えない人間は、得があるうちはいるが、男や女がつかないとやめていく。心のない世界にいって何があるというのか。ここにこそ、いい男が、いい女がいる。   江村 結

No.253
 この世でわれわれの仲間が許せないものが二つある。
 一つは思想的裏切りと、もう一つは組織の分裂をあおる者である。

 “売春反対といくら言っても、死ぬ間際に女を買いにいったら売春反対は嘘になる”とよく集会の度に演説していたモサという男がいた。そのモサは今何をしているか。売春反対の旗を投げてせっせと女を買いに行っている。本当はそれがモサのやりたいことだったのだ。
 どんな時でも仲間が、組織があるから生きていけるのだ。   葉山夏子

No.272
 組織の仕事をするときはすこしの誤りも許されない。だがみんな誤りはやる。ひとつ誤ったらその原因を総括し、一つのあやまりで一つ賢くならないと五〇になって口紅をつけて歩く結果となる。

 人は誤る。しかし、何故誤ったのかということを総括し学んでいけばそれが文化・カルチャーとなる。今の日本の社会にはカルチャーが全くない。「文化国家」といってもエロ・グロ・ナンセンスしかないのが実情である。だから、顔のしわを隠すために化粧をしている。化粧してもしわがなくなることはないのである。仕事で失敗したら総括し賢くなっていくことが大事である。   清水夏子

No.350
 飢えない程度の食事と眠るところがあったら革命家にとって何の不服があろうか。これは正しい原則である。だが“革命家だからシーツはいらない”“革命家だから時計はいらない”と言った奴は今どうしているか。新車に乗ってパチンコをやっている。

 “革命家だからシーツはいらない”と言っていたサスケは、真新しいシーツをしいて寝ていた。“時計もいらない”はずのサスケは随分と高価な腕時計をしていた。
 言うことだけは随分と正しいが、自分のやっていることはまるっきり反革命家じゃないの。その証拠に、今サスケは、モサは新車に乗ってステレオ聞いてテレビ狂いのパチンコ通いだ。   清水夏子

No.355
 幹部であるということは、十分に考えてから行動できるということである。止めるといった者をすべえて“やめないで頑張ろう”と言う必要はない。止めると言った根拠によって違ってくる。“ここを止めて売春をやろう”と言う奴を止めても何の役にも立たない。

 “本当は女を買いに行きたいが、買いにいく金がないから仕方なくここにいる”のでは、そんな人がいるために組織は発展しない。女を買いたいと思っている奴に“やめないで”と言ったって、何の力になるだろうか。いるだけ組織に損害と打撃を与えているのである。幹部でも、自分で女を買いに行きたいと思っている者は、ただ“やめないで”としか言うことができない。   清水夏子

No.400
 一人は未知数あるいは可能性であり、二は埋没である。三から未来を切り開く最小条件である。二人が一番、つまり二人で決定するのが一番であれば組織で決定するのは二番になる。組織が最上でない者は必ず馬と女のセックスに興味をもつようになる。組織第一その人間だけがここに残る。

 “二人のため世界はあるの”という流行歌があったが、まさに資本主義社会の日本に「二人の世界」は絶対になっている。それが資本家のねらいなのだ。ベタ惚れか殺人か、そこに未来はない。組織第一でないと、“私たち二人だけで幸せ”と言ったかと思うと“おまえなんか出て行け”となる。組織第一であれば、二人でいても必ず仕事でみるから組織に守られていく。   葉山夏子

No.402
 プロレタリアの最高のモラルはプロレタリアの団結である。
 ブルジョアの最高のモラルはプロレタリアの分裂である。
 団結さえあれば何でも出来ていくし、分裂があればどんなものでもこわれる。日共岩見沢の白骨が教えている。

 ペナルティー(罰)で団結をつくれるように思うが人に罰を加えても決して団結ではない。
 だが敵であれば別問題である。モサはわれわれの一番大事な印刷機をこわしても罰をあたえなかった。だが彼は組織にさんざん損をかけて組織を去っていった。そして新車をのりまわしているそうである。彼は敵か味方か。   草加太郎

No.403
 階級的組織の決定より上まわる愛や人情や義理があると思う限り、階級意識は育たない。

 「労働者にとって組織がすべてである」これは組織に勝るものは何一つないということである。もともと生き方の異なる者の愛や恋など存在しえない。一宿一飯の恩義などと言ってみたところでギブアンドテイクの関係でしかない。ブルジョア思想の中で愛、人情、義理が至上のものとして宣伝されているのであり、プロレタリアは組織がなければ死ぬだけである。   千葉 明

No.509
 龍王号はまことに偉大な機械である。商業新聞と全く同じ大きさのものを一秒間に十四枚も刷りあげるのである。われわれの売春反対の闘いが飛躍的に拡大する。
 ベトナムの侵略と戦う民主カンボジャ勝利の日まで、龍王号の果たす役割は大きい。

 “まだ見ぬ恋人”といわれた「龍王号」が、長い闘いを経て、いよいよ我々の手中にはいった。“すごく大きくて、軍艦のようだ”と皆びっくりしている。“ペンは剣よりも強し”というが、我々には、売春反対、侵略反対を堂々と訴える日本新聞がある。荒廃した日本に、緑の息吹を与えんと、龍王号はうねりをあげてまわる。   江村 結

 最後の提言で出てくる「龍王号」とは、輪転機のことですが、これを買うお金は、どこから手に入れたのでしょうか?


繰り返しますが、緑の党は東京都大田区の区議会に議席を持っています。
のろけいこ区議は今年4月の区議選でも当選し、現在4期目です。
4回連続で当選したということは、彼女がそれなりに地域にも根付いて、地域住民の信頼を得てきたということなのでしょう。
それでも、彼女が属している政党がどのような政党なのか、区民はもっと知るべきであると、私は考えます。

13 コメント:

匿名 さんのコメント...

長い…

それで、カルトと何の関係が?

某H さんのコメント...

長くてすみません。

これを見て、緑の党がカルトだと考えるのか、カルトではないと考えるのかは、それぞれの主観ですので、その点はご了解願います。

匿名 さんのコメント...

ヤマギシみたいな左翼カルトという事ですか

匿名 さんのコメント...

いつも有益な情報有り難うございます。

流れ者D さんのコメント...

ごめんなすって。
あっしが緑の党を脱会したのは25年前です。
それまでの高校~大学時代にかけて2年間、ポル・ポト派支援の街頭募金に関わっていました。
当時のあっしは、学校にも家庭にも居場所がなく、友達は皆無で、おまけに凄まじいイジメに遭っていました。
フラフラと関わってしまった緑の組織の中で、彼らはあっしに、「学校はブルジョア社会の奴隷を養成する場所、組織の外の世界(我々が生きているこの世界)は醜く、虚構に満ち溢れている」ことを繰り返し教えました。
しかし、緑の組織もまた、「外の世界」となんら変わりは無い、いや選択肢が無いだけ息苦しい世界であることを知り、同時に慕っていた幹部が組織を離脱したのを機に、逃亡しました。
その後も紆余曲折ありましたが、今はこの世界の片隅で、静かに生き続けています。もう緑の党を必要とはしていません。
しかし現在もなお、緑の党にフラフラと関わってしまう若者が後を絶たないのを見るに忍びず、組織のウォッチを続けています。
2ch共産板には、緑を脱会した者が書き込むスレッドがありますが、脱会した後もこの社会でやっていくしんどさから、
気持ちの揺れが見られる元会員・専従者も多いです。
ホームレスになった者、精神を病んだ者、自殺した者も居ます。
緑の党は、三橋辰雄流の共産主義?を装った政治カルトと、断言します。長々と申し訳ござんせんでしたm(__)m
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/kyousan/1302129738/l50

匿名 さんのコメント...

辞めた方か現役の方にお伺いしたいのですが、
「元専従」と「モトセンジュウ」の意味の違い分かる方いらっしゃいますか?
専従が言うモトセンジュウという響きに、ものすごい敵意・憎悪を感じております

流れ者D さんのコメント...

「元専従」も「モトセンジュウ」もニュアンスは同じです。
緑の党は、組織を離れた者への侮蔑や敵対意識はひどいです。
あっしも組織を離れてから20年以上経ちますが、2000年に、緑の党をウォッチしている知人たちを連れて荒野座の公演に行った際、会場に居た、当時存命だった三橋辰雄に睨まれた
ことがありました。

緑の党でいう「専従」とは、いわばオウムでいう「出家信者」のことで、ひとたび専従になると、拠点で共同生活を送りながら、事実上生涯に渡って組織の活動に従事することになります。
当時のあっしは学生でしたが、拠点に泊まりこんで募金活動を手伝う熱心な党員でした。ただ、幹部が「専従になれ」としつこく勧誘するのがうざくて、徐々に距離をおきはじめました。
専従になると、こんな生活が待っています。
http://hatarakitakunainoyo.blog83.fc2.com/blog-entry-3.html
http://hatarakitakunainoyo.blog83.fc2.com/blog-entry-5.html

某H さんのコメント...

流れ者Dさん>
お久しぶりです。
あれからもう10年以上経ちましたよね。
その10年以上の間、緑の党はずっと活動を続けていて、荒野座のポスターとかも時々見掛けるし、のろけいこは当選し続けるし、正直どうにかならんのかと思います。

流れ者D さんのコメント...

某H様>
これはこれはm(__)m。
スバラシイ「三橋提言」のアップ、有難うござんす。
元緑の党党員を代表して、御礼申し上げやすm(__)m
三橋氏が亡くなったのは9・11の起こった2001年、今から10年前で、その後すぐ某民放局の報道番組で大々的に取り上げられ、一般にも大いに知られるようになりました。
しかし、以降も三橋を知らない若者が緑の組織に迷い込むケースが多いですね。
緑の場合、思想的にどうとかいう以前に
「他に行き場所が無い、自分の居場所が無い」とか
「ここなら(私の気持ちを)分ってもらえる」
という入会動機が多く、それでズルズルと入り浸ってしまい、気が付けばもう手遅れ、というケースになりがちです。
これは、三橋氏存命のころと全く変わっていませんね~。
ですから何かの原因で組織から離れた場合、隔離社会である緑の中の世界と、一般社会とのギャップの埋め合わせに、苦労するようです。
緑の党と、一般の左右政治団体との違いはここにあります。

匿名 さんのコメント...

緑の党的には獣姦が人民が心奪われて社会矛盾に目を閉ざしてしまうほど魅力的で素晴らしいものなんだろうかw

匿名 さんのコメント...

ニック君が亡くなったって本当?
その時の拠点長は誰?

ウソだと思いたいけれど・・・

神亀雖寿
猶有竟時
騰蛇乗霧
終為土灰
老麒伏(木歴)
志在千里
烈士暮年
壮心不已
盈縮之期
不但在天
養怡之福
可得永年
辛甚至哉
歌以詠志

ネオサイクロン>ドラゴンキング さんのコメント...

プロレタリアの善意を搾取し、異性やショーが頭ん中の大部分を占めてるような低劣抱えといて何ぬかしてやがる。レッテル脳で論理飛躍して十分自己満足しただろ?専従を自殺に追い込みどんなホルモンが出たのかトンデモ科学で解説してくれよ。
竜王号より多くの人に真実の息吹きを吹き込み、唸りをあげておこう。
http://blog.goo.ne.jp/midori-bora-kouya

匿名 さんのコメント...

どうも、根っからの鍵っ子な1読者です。緑の党についていくつか情報があったので投稿させていただきます。緑の党は毛沢東思想と日本原住民論(東アジア反日武装戦線などがかかげていた)をかかげるグループが日本労働党の青森県委員会に加入し、その後分離して誕生した組織らしいです。この日本労働党ですがこの前身組織は日共革命左派という団体です。この団体はなんとあの連合赤軍の母体でもあります。今でも労働党との蜜月は続いているらしいです。文革が終わったあと中国からの資金は途絶え、その際反代々木による左派押さえ込みに役立つと考えた資本家からの資金を受け取っていたとの情報もあります。この党派は左派としても断固解体する必要があると私は考えます。

                 水瀬郁未