2018年12月7日金曜日

【論評】スピリチュアル批判が分断を招くって?

現代ビジネスより
12月6日、ウェブメディア『現代ビジネス』に、フリーライターで漫画家の小池みき氏による〈「スピリチュアル女子」をあざ笑うすべての人に言いたいこと その揶揄の先に待ち受けるのは、分断だ〉と題する記事が掲載された。長崎県壱岐市におけるスピリチュアル問題を指摘したライターのツイートに端を発した騒動に、異を唱える内容だ。タイトルからわかるように、嘲笑による批判を「分断だ」として批判している。

しかし、「分断だ」などという理由で社会的な批判を否定してしまったら、社会的に問題があるものを批判できなくなってしまう。この記事の何がおかしいのか、改めて考えてみたい。


■スピリチュアル・ブロガーが観光大使として高額イベント

同記事は、発端となったツーとの所在や発言者を明示していない。それに当たると思われるのは、ライターのヨッピー氏による今年10月のツイートだ。



「happyちゃん」は、Happy氏なるスピリチュアル・ブロガーのこと。今年壱岐市の観光大使に任命された人物だ。それが壱岐島で参加費3万3000円~8万8000円という高額イベント「縄文祭」を開催した。最高額のチケットの場合、ステージ最前列エリアの席、寝袋、朝セミナー、朝食、「鳳凰御守」カードがつく。ステージでは太鼓演奏やミュージカル上演が行われたという。

この高額な料金設定に違和感を抱く人がいて当然だ。ましてや、それに行政が観光大使というお墨付きを与えている点も、輪をかけて危うい。

ヨッピー氏のツイートに呼応して、縄文祭などについて批判や嘲笑をするツイートやブログ記事などが登場した。現時点で、元のツイートは1453件リツートされている。

『現代ビジネス』に掲載された小池氏の記事は、この騒ぎを批判するものだ。

■小池氏の記事の問題点

記事の冒頭、小池氏は、Happy氏や「縄文祭」へのネット上での批判の中に、芸能人の国籍を云々するなどする〈ゴシップをまとめている典型的なトレンドブログ〉(記事より)へのリンクがあったと書いている。しかし、発端になったツイートにそのようなリンクがあったのか、呼応した人々のツイートを指しているのか、判然としない書き方だ。

上記のヨッピー氏のツイートには、そのようなものは含まれていなかった。

いずれにしても、この「トレンドブログ」の件は本題と関係ない。その「トレンドブログ」やそこへのリンクを張った人の個別の問題だ。また今回、Happy氏の国籍が云々されたわけではない。リンク先のブログが、別件で芸能人の国籍を云々するような記事も載せている類であるという話にすぎない(少なくとも小池氏の文章からはそう読める)。

無関係な情報を関係があるかのような装いで差し挟み、スピリチュアル・ビジネスを笑うことへの不合理なネガティブ・イメージを喚起しようとする記述。スピリチュアル批判を「差別である」と明言することは避けつつも、同様の問題であるかのような印象を読者に与える構成である。意図的ではなく、小池氏自身が問題の構造や因果関係を理解できていない可能性もあるが。

これに〈昨今、「スピ系女子」が揶揄の対象になる機会が、以前より増えてきたように感じている〉(記事より)という文章が続く。スピリチュアル・ビジネスやそれを煽る人々をあざ笑ったり敬遠したり人は昔から少なくなかった。それを知る身としては、初っ端から何を言ってるんだこのライターはとしか思えない。

たとえば、1992年から続く由緒ある「日本トンデモ本大賞」の受賞作品。多くはスピリチュアル系かニセ科学、もしくはその合体か陰謀論モノだ。2011年には幸福の科学教祖の大川隆法総裁が宗教指導者として初の受賞に輝いている。

冒頭の一連の文章だけで、無知と思い込みを前提とした、文章上の正確さも欠いた記事であることが一目瞭然だ。意見の内容以前にダメな記事である。

記事ではこれ以降、具体的事実の提示はほとんどなく、ぼんやりとした書き手の印象に基づいて、抽象的な主張が展開されている。その意見の主要部分は、「スピリチュアル系女子」をあざ笑う形での批判が、〈揶揄されている側を意固地にさせ、考えをより先鋭化させてしまう〉(記事より)ことを指摘するものと言えそうだ。

「スピリチュアル女子」に限らず、カルト集団をめぐる問題の現場では、のめり込んでいる真っ最中のメンバー(信者)に対して嘲笑ったり全否定したりしては、説得できない。家族からの相談を受けて脱会のための説得を行ったり、精神面や生活面などに実害がないあり方を模索しようとするカウンセラーなどは当然、彼らを嘲笑ったり全否定したりはしない。家族にも、そのようなことをしないように注意するのが通常だ。

しかしそれは個人に働きかける、広い意味での「カウンリング」的な場面の話だ。社会的な問題について公の場で是非を論じたり、是非がすでに明らかなものについて笑い飛ばしたりすることは、カウンセリングではない。カウンセリング的な成果を目指しているものでもない。個々のビリーバーに対してではなく、社会に向けての注意喚起の姿勢だ。社会に向けた注意喚起の見せ方として、笑いが有益であるケースは多々ある。

まさにこの点を、発端となったヨッピー氏自身が小池氏へ反論としてツイートしている。



ヨッピー氏が批判的に笑ったのは、スピリチュアル志向を煽ったり便乗したりしてビリーバーを集め商売をしているHappy氏や、それにお墨付きを与えてしまった壱岐市についてだ。個別のビリーバーをあざ笑っているわけではない。

小池氏の記事は、こうした区別が全くできていない。

■アジテーターとビリーバーの論理

記事には、こんな一説もある。

〈批判したい人物やメソッドの過激なところばかりをつまみ出したうえ、それが一部に過ぎないことは伏せてあたかもすべてが常軌を逸しているかのように語ってしまう、ということもまま起きる〉(記事より)

〈ただその認識は、スピリチュアルにハマることを必ずしも「予防」はしない、ということは言っておきたい〉(記事より)

これが正論に思えるという人はいるだろうか。もしいたら、立ち止まってよく考えてみてもらいたい。

「メソッドの一部が過激なだけなら、その人物や団体のスピリチュアル・ビジネスに問題はなく、その一部の問題を指摘するのは間違っている」

この命題は真だろうか。

具体例で考えるとわかりやすい。オウム真理教が、サリンを撒く以外に一切悪いことも過激なこともしていなかったとしたら、警戒する必要がない安心な存在だろうか。統一教会が霊感商法などで多数で多額の被害を出していても、震災被災地でのボランティアなどいいことをしていれば「いい団体」と言えるだろうか。

昔、ある偉い人がこう言った。

「いいことをしても所詮カルトはカルト」

問題が「一部」であるかどうかは関係がない。その「一部」が深刻な問題であるかどうかが重要だ。

逆にカルトの側は、問題の存在を「一部に過ぎない」かのように主張し矮小化する。

「一部」の問題を指摘する批判が予防に役立たない場面があるのは、その批判が間違っているからではない。カルトあるいはスピリチュアル・ビジネスの側が小池氏のような論理で自己正当化し、その論理にビリーバーを依存させるからだ。あるいはビリーバー自身が、自分の間違いに気づきたくないがためにその論理に自らしがみつく。

人は、特定のスピリチュアル集団にかかわらなくても生きていくことができる。スピリチュアルが好きなら、より問題のないスピリチュアル団体に行けばいい。特定の組織に所属する「いわゆる宗教」に比べて、この柔軟さはスピリチュアル文化のいい所とも言える。

しかし深刻な被害を受けずに関わるには、思考停止せずに判断するリテラシーが欠かせない。問題を「一部に過ぎない」とする論法は、むしろビリーバーのリテラシーをよりいっそう後退させ思考停止へと向かわせる。

スピリチュアル商売をする人やビリーバーではなく、客観的な議論を装った人間がこういう論理を口走る点には、開いた口が塞がらない。

■分断を引き起こすのはどちらなのか

この記事の最も重大な問題点は、「分断」というキーワードと論理だ。

個人間の対話と社会的批判を混同し、後者を「分断」を理由に否定したら、どうなるか。社会的に問題があるものを批判してはならないということになってしまう。

当たり前のことだが、社会との分断を引き起こすのは、社会の法律やモラルと対立し摩擦を起こす側だ(もちろん、不当な法律を作る側が分断を生み出すこともある)。今回のケースで言うなら、壱岐市の観光大使に収まりビリーバーを煽って異常な金額のイベントを開催したHappy氏や、それにお墨付きを与えた壱岐市である。

結果論だが、実際にイベントが開催された後、地元紙がこんな記事を配信している。

【壱岐新報 2018年10月22日】縄文祭、約2000人が筒城浜に集結
(略)
来場者のほとんどは島外からの参加で、イベント開催前後のジェットフォイルやフェリーはほぼ満席。イベント終了後の深夜も、運営側の趣旨により会場内に朝まで寝袋で過ごす参加者であふれ、市内各所の民泊や各旅館などの宿泊施設利用は、当初の予定よりも下回ることになった。(略)
これまで本市で開催したイベントや祭りとは異色で、市民の来場もわずかだった。参加者はほとんどは島外者で、事前周知や住民説明不足など市民からは開催前から困惑の声が本紙に届いていた。
(略)
前日に行われたリハーサル段階から、巨大スピーカーから鳴り響く音響に不満の声をあげ「携帯電話で通話中に音が鳴ると、会話ができない」「重低音が響き気分が悪くなった」など訴えた。また畜産農家は「地面から響く低音で、牛の育成に影響がある」と頭を抱えた。住民の一部は壱岐署に「どうにかできないか」と問い合わせをし、壱岐署では「同様のクレームの電話が来ている。確認する」などと返答した。運営側は一旦音量を落とし対応したが、生活に支障がないレベルには至らなかったようだ。
(略)
一連の混乱は、運営側の告知や市民への配慮の足りなさが露呈した形だ。本市もイベント後援に名を連ねていながら、ほとんど市民に向けた情報発信や開催の詳細を伝えていなかったことも原因にあげられる。
(略)

観光大使によるイベントと住民との間に分断が起こっている。

記事では〈宗教法人ではなく、政教分離には触れない〉と書かれているが、政教分離原則を定める日本国憲法第20条の文面は「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」だ。対象は「宗教法人」ではない。「宗教」であり「いかなる宗教的活動も」である。

縄文祭終了後、Happy氏はブログにこう書いている。

【Happyオフィシャルブログ「世界は自分で創る」 2018年10月14日】縄文祭、終わり。
祭りが終わった
ステージの片付け作業の中、芝生に寝転がり土地と風と木と自然の神々に終わりの感謝を述べて帰路に着きました
(略)

神々に感謝するのだから、明らかに宗教だ。

「分断」があるのだとしたら、それを引き起こしているのが誰なのか。答えは明らかだろう。

■おかしなもの笑って何が悪い

風刺という文化があるように、嘲笑や揶揄的に見える笑いも批判のいち形態だ。ましてや、ビリーバー個人や属性への攻撃ではなく問題がある行為や人物そのものを笑うことには、何の問題もない。「自分は真面目な顔をして上品な言葉で批判するのが好きです」という人もいるだろうが、それは立場や好みの問題だ。どちらが正しいというものでもない。

今回の騒動のなかでの言論には、批判と笑いということについてさして真剣に考えていない人も含まれていた可能性はある。しかしそもそも、おかしなものを見たら笑ってしまうのは当然だ。おかしなものがまかり通って進んでいくのを見れば、どこまで突っ走るのか興味がわく。発端となったヨッピー氏のツイートのように、ある意味「ワクワク」もしてしまう。

不当でもなんでもないごく当然の気持ちやその表現を、なぜ「分断」という理屈で否定されなければならないのか。

■「分断」という論理を乱用するな

「分断」は、社会的・政治的な主張や運動をめぐって、ときおり目にするキーワードだ。社会に分断をもたらす勢力に対して、その勢力との分断を覚悟で叩くべき場面も当然ある。一方で、問題指摘のやり方などについて、不要な「分断」を避ける意識を持ちながら考える姿勢が必要な場面も確かにある。

小池氏の記事は冒頭で、今回の問題と関係がない民族差別問題の要素を匂わせて、「分断」というキーワードを示した。民族差別、分断。なんとなくまともな社会派論評のような印象を受けそうな装いだ。しかし記事の内容は、民族問題とも差別問題とも全く関係がなく、記事で示されている問題の構図も「分断」の論理で評論できる類のものでもなかった。この点では、釣り記事と言ってもいいのかもしれない。

「分断」というキーワードは、批判を避けるための免罪符ではないし、そうであってはならない。個人攻撃と社会的議論の区別もできないまま「分断」などという言葉で批判を否定する意見は、「問題を起こす連中の顔色をうかがって物を言え」と言うに等しい。

■「陣営化と分断」に飲み込まれる言論

小池氏の考えやものの見方の全てがおかしいわけではない。記事中の次の一節で、彼女の問題意識がなんとなくうかがえる。

〈たとえばSNS上にいる過激保守派は「パヨク」を、過激リベラル派は「ネトウヨ」を揶揄する。「クソフェミ」を煽る人々がいて、「自然派ママ」を笑う人々がいる。“我々”にとっての異物、“笑われて当然の荒唐無稽な主義主張”を掲げる人々を、「批判」や「注意喚起」という体裁で、今日も誰かが笑っている〉(記事より)

政治や思想上の陣営対立の上に立った嘲笑。まさに分断だ。この傾向に対する危機感は、筆者自身も日頃から抱いている。

たとえば右翼と左翼はイデオロギー上、融和はできないだろう。人間同士の対話として「思想は違えど敬意を持って語らう」ことは決して不可能ではないが、現実にはなかなか難しい。

それはおそらく、敵対する陣営を叩いているのだという感覚が、相手の個人としてのスタンスやパーソナリティや相手陣営内にある各論の差異といったものに対して、あまり注意を払わないようにさせてしまうからではないだろうか。相手を陣営として単純化して決めつけてしまえば、批判するのは楽ちんだ。批判する相手が実際には主張していないことまで、主張しているかのように決めつけて叩くこともできる。

こうした状況を踏まえれば、小池氏がSNSでのスピリチュアル・ビジネスをめぐる是非論が陣営対立となり分断につばがると懸念するのも、わからなくはない。

しかし、陣営化と分断の構図を上記のようなものと捉えるなら、「スピリチュアルを嘲笑する人」をひとつの陣営として捉え評論する姿勢もまた、分断を後押しするものだ。

小池氏の記事でいうなら、発端となった「ライター」氏その他の具体的な発言も論理も明示せず〈あざ笑うすべての人〉などと十把一絡げにしている点、関係がない民族差別的な要素を加味することで差別的な陣営の存在を示唆するこじつけ、書き手が漠然とイメージする批判者像のみを前提とした評価をしている点。これらは全て、個別の具体的な言論を無視する姿勢であり、陣営化による分断が深められていく典型例とすら言える。そもそも、こんな乱暴な「陣営化」規定が果たして妥当なのかすら疑問だ。

本当に分断を憂うなら、批評対象を陣営化して捉えるという、雑な姿勢をまず避けるべきだろう。

発端となったヨッピー氏のツイートは、「happyちゃん」やそのイベントという、具体的な相手や出来事に言及したものだ。これ自体は、「スピリチュアル女子」という陣営への非難ですらない。それを大雑把な陣営対立の構造ということにしてしまったのは、「分断」という言葉でこの騒動を評した小池氏自身だろう。

もしかしたら、一連の騒ぎの中でビリーバーへの個人攻撃や属性攻撃もあったかもしれない。「スピリチュアル女子」などというくくりで分断を煽るような言動をした人がいたかもしれない。仮にそうなら、それを具体的に抜き出して問題提起すべきだった。そうすれば、批判的に笑うこと自体を全否定するような乱暴な記事にはならない。

しかし小池氏の記事は、小池氏自身が陣営化と分断というネットの文化を実践したに過ぎないものだった。

彼女の問題意識に賛同はするが、それは決して褒めているわけではない。しっかりした問題意識があったのであればなおのこと、それを正確に反映した文章を作れないということは、物書きとして致命的だ。

そもそも彼女の問題意識と意見の因果関係は、文章に記されているわけではない。こちらで勝手に忖度しただけだ。もしかしたら、小池氏は何も考えずにそれっぽい文章を入れただけの可能性もある。

いずれにせよ、パヨクもネトウヨもクソフェミも自然派ママもスピリチュアル女子も、あるいはそれに対抗する各アンチも、全ては便宜上のカテゴライズにすぎない。ものを語る上で便利な場面があるからそうするだけのことだ。そうではない場面でまで、こんな大雑把な枠組みでしか物事を捉えることができなくなってしまったら、人間、おしまいだ。

分断とは、そういう人間が作り出す悲劇ではないだろうか。

15 コメント:

匿名 さんのコメント...

>「スピ系女子」が揶揄の対象になる機会が、以前より増えてきたように感じている
こういう「最近~するようになってきた」という社会論は十中八九的外れ。
「以前からそういう現象は存在していたけれど、ずっと看過していた」というのが殆ど。
ウェブやSNSの発達で昔よりも可視化されやすくなっただけの話。

匿名 さんのコメント...

転載記事のコメントは挿し控えます

やや日刊カルト新聞社へ
そろそろ
新人記者を一般公募しませんか!

匿名 さんのコメント...

批判してはいけない社会は
はたして健全な社会と言えるのだろうか?

匿名 さんのコメント...

よくこんなクッソつまんねえ記事書けるもんだわ

匿名 さんのコメント...

あんたの人生よりマシだと思うよ。^_^

匿名 さんのコメント...

小池みきさんの記事は考えさせられ、そして納得できた。
良い記事を紹介してくれてありがとう。




「メソッドの一部が過激なだけなら、その人物や団体のスピリチュアル・ビジネスに問題はなく、その一部の問題を指摘するのは間違っている」

誰もこんなこと言ってないのに、そう読めるなら、そいつの頭がおかしいのだろうな。

匿名 さんのコメント...

Q えらてんさんが、藤倉善郎氏にtwitter上で言及された後、ただちに藤倉氏にカンパを行ったことには、どういったお考えがあったのでしょう?

A 近い商売だし金がないのでカンパくれと書いてあったので送ったまでですが、いろいろな文脈を読み取って怒り出して愉快なひとだなという印象を受けました

https://twitter.com/eraitencho/status/1072010454740791296

藤倉善郎 さんのコメント...

> こういう「最近~するようになってきた」という社会論は十中八九的外れ。

この手の表現は、「いまこれを話題にすることを正当化するためにとりあえず入れておく」程度のノリで用いられることが多いですね。ちょっと賢い書き手なら、「いまSNSでこんなふうに話題になってる」「最近、どこどこでこういう記事が載った」というふうに具体例を引いたりして体裁を整えるのですが、小池さんのこの記事はそういう文章構成スキルの片鱗もないですね。

> そろそろ
> 新人記者を一般公募しませんか!

申し訳ありません。弊紙では記者の公募を行っておりません。紙面のクオリティの維持・向上も含めた観点から、その人の活動実績や方向性、人間性などを判断して個人的にスカウトしております。もちろん、寄稿希望などは個別に適宜対応させていただきます。

> よくこんなクッソつまんねえ記事書けるもんだわ

そんなクッソつまんねえ記事を読んでくださったあなたも、なかなかのものだと思います。

> あんたの人生よりマシだと思うよ。^_^

人様の人生を決めつけて云々してはいけません。

> 誰もこんなこと言ってないのに、そう読めるなら、そいつの頭がおかしいのだろうな。

「スピリチュアル女子」をあざ笑うすべての人に言いたいこと
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58774?page=2
-------------------
その理由はひとつだ。そうした語り口は、読み手を面白がらせること、読み手に批判対象を軽んじさせることが目的になりやすい。そこでは、批判対象についての情報を正しく伝えることは二の次になりがちだ。

その結果、批判したい人物やメソッドの過激なところばかりをつまみ出したうえ、それが一部に過ぎないことは伏せてあたかもすべてが常軌を逸しているかのように語ってしまう、ということもまま起きる。
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> A 近い商売だし金がないのでカンパくれと書いてあったので送ったまでですが、
> いろいろな文脈を読み取って怒り出して愉快なひとだなという印象を受けました

自分がなぜ批判されたのかをスルーして、「愉快な人だな」と相手のありようのせいにするあたり、スピリチュアル野郎にありがちだ誤魔化しと責任転嫁だなと思いました。これこそあざ笑っていい類ですね。ちなみにえらてんとぼくは近い商売でも何でもありません。

匿名 さんのコメント...


> あんたの人生よりマシだと思うよ。^_^

>人様の人生を決めつけて云々してはいけません。

良いんですよ。
クッソつまんねえ人生を送っているのは事実のようですので。
本当に有意義な人生を送っているなら、
少なくともこんなコメントしないでしょう。

匿名 さんのコメント...

ぶったぎってスマソ
タレコミなんだけど、ワールドメイトと仲良しみたいでワロス
http://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/seijishikin/contents/SS20181130/0000400047.pdf?fbclid=IwAR3dhLg7eNPhFzGUPyqPBy4mFQ38UZENEfYG83pfuRW-JAmoe4AtgwkQa_s

匿名 さんのコメント...

大川隆法、高橋信次、谷口正春、麻原彰晃、深見東州、牧口常三郎、庭野日敬ほか
「おい「スピ系男子」はどうした?」

匿名 さんのコメント...

↑×1 谷口正春→谷口雅春

匿名 さんのコメント...

>「おい「スピ系男子」はどうした?」


「スピ系男子」えらてんで良いじゃねぇの。

匿名 さんのコメント...

後、喫煙の権利だとわけわからん事を言っている藤倉も反社会系のスピ系に入れて良いよ。

匿名 さんのコメント...

>2018年12月11日 15:30 藤倉善郎


あのー、その引用部分を読んでそういう意味に捉えているならやはり頭がおかしいとしか。



実際、小池さんは、こう書いています。

「実際スピリチュアルは、個々の主張を見ていくと、危うい面を持っていることが珍しくない。おかしなビジネスもしばしば見かける。だから、批判はあって当然である。」

「実際に「ヤバい」ビジネスが行われているスピリチュアル現場もあるので、「注意喚起」自体が無駄だ、よくないことだとは思わない。中にはまっとうな批判もある。」

「重ね重ね強調しておくが、スピリチュアルが内包する危うさ自体を軽視する気はない。スピリチュアルをめぐる分析や批評、社会に向けたある種の注意喚起は、むしろ今後さらに必要になると感じている。」



これらを一体どう読めば、

「その人物や団体のスピリチュアル・ビジネスに問題はなく、一部の問題を指摘するのは間違っている」

になるんですかねえ???





ま、小池さんは、

「ごちゃごちゃうるさいな、笑えるんだから笑いたいんだよ、と割り切っている人に対して、私から言うことはない。」

とも書いておられ、あなたは鼻から相手にされてなかったようですから、
何も顔真っ赤にして、見当はずれの長文論評記事を書き、自らのリテラシーの無さを改めて世間に知らしめなくても良かったのですよ(笑)