西光寺(石巻市)で |
■記者会見で言論統制
ダライ・ラマ法王は11月5日に石巻市の西光寺(浄土宗)で慰霊法要、仙台市の孝勝寺(日蓮宗)、6日に仙台市内の仏教系学校「聖和学園高等学校」で講演を行いました。いずれも主催は仙台仏教会です。前日の4日には、同じく仙台仏教会主催で記者会見が行われましたが、この時点で、同仏教会の閉鎖性が露呈しました。
会見には日本のフリージャーナリストのほか外国人ジャーナリストも取材に訪れていましたが、司会を務めた仙台仏教会の事務局長は、「質問は県政記者クラブの方を優先」「今回の来仙にちなんだ質問を」と、質問を厳しく制限。ダライ・ラマ法王が指名した外国人記者の質問を事務局長が制止する場面もあり、記者席からは「外国人に対して失礼だろ」という声も飛びました。
本紙藤倉は取材の前日、事務局長から電話で「会見の時は質問をしないでほしい。政治的な質問が出ると困る」と言われていました。もちろん、質問できないのでは何のための会見かわからないので、「記者クラブ優先でも構わないが、質問が必要だと思えばする」と答え、これに事務局長も了承していました。にもかかわらず事務局長は実際の記者会見で質問を厳しく制限。完全なウソツキです。
■檀家にあらずんば仏教徒にあらず?
講演のチラシ。「入場証は各仏教会にて発行」と記載されている |
事務局長「(法要や講演の会場に)入場される方を仏教徒に限定したことに対して、いろいろ批判も受けました。私ども仏教会としましてはもちろん、門戸を広げて様々な宗教関係の方にも考えていかなければならないところはあったわけですが、仙台と石巻に関してはお寺という場所で、それも限られた人数ということもございまして、仏教徒に限らせざるを得なかった苦渋の選択でありまして。入場料を頂戴してお席をご用意するような性格のものではございませんで、全ての方がご招待ということになっております」
─被災者の方を招待されたとか、仮設住宅にお住まいの方を招待されたということでしょうか。
事務局長「まさしくそうでございます」
─仏教は万人に教えを説くことを説かれているかと思いますが、今回、仏教徒に限ったということは、被災者のためではなく仏教会のために(法王を)招聘したと考えてよろしいでしょうか。
事務局長「そこは常務理事から」
常務理事「大変お答えにくいと言うと誤解をまねくかもしれませんが、仙台の会場も石巻の会場もそうなんですが、人数が限られているという限定がありまして、理事会や事務局で話し合いを行いました。たくさんの方に来ていただいて法王様にお会いして肉声を聞いていただきたいわけですが、いちおう仏教徒に限らせていただこうと」
─ラインはどこにあるんですか? 仏教徒とそうでないというラインは。
常務理事「えーとですね、まああの、住職が認めたお檀家の方、または信者の方ということで。フリーの方はほとんどいないはずなんです。そういう決め方を、あえてさせていただいたんです。たとえば、いま質問なさっているあなたが仏教徒かもしれませんが、どこどこのお寺の御檀家さんに、という枠を今回設けさせて頂きました」
事務局長「お檀家様の中で、被災された方を特に優先的に、と付け加えさせて頂きます」
質問を受けているうちに、「仏教徒限定」という説明が「檀家限定」という説明に変わっています。事務局長と常務理事は、記者会見の席ではじめウソのコメントをしていたということでしょうか。もしウソをついたのではないのなら、「檀家にあらずんば仏教徒にあらず」と言い放っているも同然です。
いずれにせよ、自団体の信者しか相手にしないというのでは、いくら歴史があろうと、そこらのマイナーな新興宗教と変わりません。
■入場できなかった被災者で人だかり
お堂の外の来場者に手を振るダライ・ラマ14世 |
5日の午前中、ダライ・ラマ法王は石巻市の西光寺のお堂の中で慰霊法要を行いました。お堂の中に入ることができたのは来賓や僧侶が中心で、来場者の半数近くは屋外のモニターを通して見ることしかできませんでした。
「兄弟姉妹の皆様、そして大切な家族や友人をなくされた皆様。私がここに来た主な目的は、皆さんの深い悲しみと苦しみを共有するためです」
法要後にそう語ったダライ・ラマ法王は、「多くの人が見える場所で話す」と言って、お堂の入り口まで出てきて講話を続けました。
このとき、寺の門前には、入場できなかった人々が100人近くはいようかという規模で人だかりを作っていました。倒壊した墓石がいまだそのままになっている墓地越しに、法王がいる方向に向かって手を合わせている人々もいました。
法王が会場から出てくるのを待っていた女性は、こう語ります。
「昨日テレビで、法王様の記者会見のニュースが流れて、それで初めて、法王がいらっしゃっていることを知った。法王が仙台に来る予定があったことすら知りませんでした。それでインターネットで日時を調べて来たんです」
檀家以外を相手にする気がなかった仙台仏教会は、法王の来訪について一般告知すらまともにしていなかったようです。
主催者発表によると、会場の980席に対して来場者数は935人。会場内にはなんと45席も空席があったのに、一般の被災者は会場外で立ち見です。
これに対してダライ・ラマ法王自身は法要終了後、会場外の人々にも声をかけ、泣き崩れそうになる被災者を抱きしめるなど、午後の会場に向かう時間が迫る中でも被災者と触れ合っていました。
■来場者の顔写真の撮影も
同日午後、ダライ・ラマ法王は仙台市内の孝勝寺で講演を行いました。こちらの会場では、入場者全員に対して、ひとりひとりに入場パスを掲げさせて顔写真を撮影していました。本紙藤倉はいままで、ダライ・ラマ法王の国内での講演などを何度か取材してきましたが、入場者の顔写真まで撮影しているケースは初めてです。
「仏教会内部でも反対の声があったが、上層部が反対を押し切って実行してしまった。入場パスを持っていた仏教関係者ですら、これに怒って入り口で引き返して帰ってしまった人もいた」(関係者)
こんな扱いを受けて入場しても、本堂内で直接法王の話を聞くことができたのは来賓のみ。それ以外は、これまた屋外の大型モニターで見せられているだけです。
孝勝寺でも、会場に入ることができなかった人々が門の外で人だかりを作っていました。午前中の西光寺と違って、かなり広大な境内だったため、門の外からはモニターも見えずスピーカーからの声も聞き取れません。にもかかわらず、公演が終わるまで人だかりは増え続け、中には東京から来たというネパール人が親子三代で、講演終了までカタ(来訪者を歓迎する際に手渡すスカーフ)を手に立ったままずっと合掌している姿も。
この会場でも、1700席中150席の空席がありました(主催者発表)。実際に見た感じでは、空席はもっと多かったように思えました。
あまりに被災者をバカにしています。今回の東北訪問はダライ・ラマ法王たっての希望で実現したわけですが、地元主催者のこのような姿勢は、法王の意向すらも踏みにじっているのではないでしょうか。
■「記念撮影」「顔は撮ってない」
講演終了後、仙台仏教会の事務局長に、入場者の顔写真を撮影していた理由を電話で尋ねました。
─入場者の顔写真を撮っていましたが、何のためですか?
事務局長「写真ですか……? 記念撮影ですよ」
─入り口のところで入場者全員の顔写真を撮ってましたよね。あれが記念撮影?
事務局長「顔は撮っていません。IDカード(入場パス)を撮っていたんです」
これで記念撮影?顔は撮ってない? |
─顔の横にパスを掲げさせて撮影していましたよね。どう見ても顔写真を撮っているようにしか見えませんでしたが。
事務局長「(電話の向こうで誰かと会話しているような間も置かずに)あ、いま会場の担当者に確認したところ、顔写真も撮影していたそうです」
─なぜそんなことを?
事務局長「今回、IDを配布した方の名簿を提出するよう各団体に求めていたのですが、名簿を提出しない団体があった。そのため、宮城県警からセキュリティについて指導を受けまして、何か事件があったときのために顔写真を撮影することにしたんです。何も起きなかったので、講演が終了した今日のうちに(カメラの)SDカードは破棄しました」
関係者によると、仙台仏教会は、入場パスを割り当てた寺などに対して、パスを渡した相手の住所を記載した名簿を提出するよう求めていました。一部、提出を拒んだ担当者がいたようですが、入場者は名簿提出があろうがなかろうが全員顔写真を撮られています。多くの入場者は、氏名、住所、顔を全て仏教会に管理されているわけです。
本紙藤倉は、カルト宗教のイベントに潜入するときでさえ、ここまで厳重なチェックを受けたことはありません。
■ウソで始まりウソで終わる現地の僧侶
事務局長は4日の記者会見の際にも、入場者について実際には「檀家限定」なのに「仏教徒に限定」とウソをついていました。顔写真の撮影についても、「記念撮影だ」と言ってみたり、「顔は撮ってない」と言ってみたり、相変わらずのウソツキです。
また事務局長は、「担当者に確認したら顔も撮っていた」などと言っている割に、顔写真を撮ることに決めた経緯の説明は、誰かに確認するような間を置くこともなく、すらすら喋っていました。最初は顔写真の撮影について知らないかのように語っていたのに。事務局長は曹洞宗の寺の住職なのですが、曹洞宗の僧侶はウソツキでも務まるのでしょうか。
全体を通してみると、仙台仏教会と事務局長は、被災者は蔑ろにするわ、カルト宗教以上の強烈さで信者を管理するわ、取材に対してウソをつくわ。宗教家としてどうかという以前に、もはや人としての倫理観が欠如しています。
ダライ・ラマ法王が被災者と触れ合い、慰め、励まそうとしてくれていた場面で、日本の仏教団体と僧侶の体たらくを見せつけられてしまったことが、残念でなりません。
西光寺(石巻市)で |
74 コメント:
よく取材されていますね。
中国という大国と対峙している世界的に有名な亡命者なんだから、警備を厳重にするに越したことはない。
欧米ではダライラマ法王の講演会を開くときは入場者全員を金属探知機でチェックするくらいだよ。
写真チェックは宮城県警の指導なんだから異議があるなら宮城県警に言うべきだね。
そうかな。写真撮影の是非以前に、被災者や檀家より警察との関係が大事という時点で、宗教組織としてどうかと思うけどね。
それに金属探知機使ったり手荷物検査したりするケースは日本国内でもあるし、インドのダラムサラでもやってた。でも住所を把握して顔写真まで撮るなんてのは、ぼくは初めて。仙台仏教会のケースは、従来と比べても過剰ですね。
まぁでもダライラマはやはり
立派な方である。
仙台仏教会ってどこぞの○価学会と体質が全然変わらないですね。こんなご都合主義の宗教に入信してなくてよかったですよ。
まあ、日本の葬式仏教はこんな程度なんじゃないでしょうか。
これがいわゆる新興宗教がはやる理由の一つでしょう。
ダライ・ラマさんももっと要望を相手に強く伝えればよかったのにね~
ダライ・ラマ法王に関して最も懸念されるのは中共支持者によるテロ行為。法王をお招きする場合にそこに神経をとがらせるのは当然である。その点において県警の指導も当然であり、それに沿ってきちんと対応ことは重要である。また、限られたスペースに入りきれない多くの来場が見込まれる場合、主催者が入場制限を考えるのは妥当であるし、参加者を檀家に限定することはテロ行為を防止する意味でも適切。空席があるのは当日欠席などを考えれば当然で、むしろ980席に対して空席45というのは一般の劇場、映画館等に照らせば超満員といえる。この記事からは、表面的なことを元に仙台仏教会を攻撃しようという記者の悪意ばかり感じられる。
今回の仙台仏教会の対応は、やむ得ぬ所もあると思いますが、外部に対する説明がまずかったように思います。
質問の制限も、政治的な話はNGと言うことは、日本に招聘するにあったて、指導があった可能性があると思うし、警備についても、
やむ得ぬ所はあると思う。
記者会見は、政治向きの話は、しないでくれと言っても、実際、話が出てしまえば止めようが無くなる可能性があるし、仕切る人もなれぬことで大変だったと思いますし、うまくできない部分もあったと思います。
入場者についても、仏教者なら誰でもどうぞとは、ダライ・ラマ法王がどう思っていようと、難しいでしょう。個々人の、どこで線を引くかと言うところで、自分の管轄であるところに絞ったのも、ある程度理解できます。
ただ、外部への対応、説明が良くなかったのでは?
顔写真の撮影については、警察か公安の要望でしょう。何かあった時のために。政治思想などが背景にある襲撃など起きる可能性も考慮してだと思います。(檀家になりすまして、入場使用としたりする可能性もあると思いますし)
ま、違う話ですけど、デモなんか警察か公安かわかりませんが、参加者の顔撮りまくっていますよね。小型のカメラで撮っていいる人もいれば、マンションの非常階段から望遠レンズで撮っている人もいたりしますね。
す、すごい主観的な新聞の書き方。w
事実は別にして、こんな偏った書き方すると信憑性が薄れる代表的な例だな。。。
たまにはいいこと書きますね。
旧仏教は檀家なくしては生活デキませんからね~。
檀家優先になるんでしょうか。
まぁ、霊も死後の世界も信じていない旧仏教がそもそも慰霊なんてできるはずもなし。
少なくとも宗教関連の最高指導者でここまで歓迎される人はあまり居ないですね
質問や入場者制限の方法が適切かどうか。
この記事には関係はありませんが、10月に出た収支報告書も記事にしたほうが何かまた言われなくていいと思いますよ。あと、広告費は使途は何ですか?サイトの執筆のためとしておくのでしょうか?
きっと閲覧数を表示するような機能つけたら良いと思います。
警察が出たら中国政府が何やるかわからないから仙台仏教会だけで全て仕切ったのかな?
まあ、「警備にご協力をお願いします」の一言をポスターに入れて、チラシにはチケットの配付場所と枚数に限りがある事と警備が厳重になる事についての説明を入れて・・・・・・一般客向けの広報活動を入念にしておくべきでしたね。
で、マスコミについては、総理大臣以上に安全と秩序が保たれている記者会見ができると一番良いのですよね・・・・・・県庁とかの記者クラブから知恵を借りると良い方法が見つけられたのではないでしょうか。
慣れない事が多かったかもしれませんが、広報とマスコミ対策は反省するべきところが多いかも知れませんね。仙台の和尚様方。
藤倉
じゃあ、警察の言うことを無視しすれば良かったと言うんやな。なるほどな。
どんな宗教もダメですね。
現世利益のことしか考えてない。
改めて再認識しましたわ。
最後の1枚、構図はよく考えてあるけどもっといい表情撮れなかったの?宗教者の撮影に限らないけど、真摯な気持ちでその人となりを掴むようにしないといいポートレートは撮れないと思うよ。こういう記事では渾身の1枚をどこかに入れて欲しいね。
というか、この記事の写真、他のニュースサイトで見たのと同じのがある。
藤倉は盗用してるんじゃないのか?
藤倉さんはカメラマンから写真買ってるだけでしょ。
いい写真、使ってるよね。
守られるべきは何なのか、教えるべき事は何なのか、仏教会に良く考えて欲しいですね。
>曹洞宗の僧侶はウソツキでも務まるのでしょうか。
千葉のほうの曹洞宗本部にでも聞いてみてください。
藤倉主筆~
こんな記事かいてないで、
仰木の里をお願いしマス!
ダライラマや仙台仏教会よりカルト情報価値は高いです!
お願いしますよ~
入場口で顔写真撮ってるカットが同行の写真家からもらったもので、他はすべて藤倉による撮影です。
本当に他のニュースサイトで同一の写真が使われているなら、そのサイトこそ盗用の可能性が高いです。藤倉を盗用呼ばわりする前に、ぜひサイト名を教えて下さい。
匿名 さん(2011年11月14日11:45)
仰木の里の記事も書くつもりでいますが、「こんな記事かいてないで」なんて指図されるいわれはありません。
仰木の里がいま重要な局面なのはわかるけど、仰木の里の問題に興味がある人にとっては「こんな記事」でも、そうではない人にとってはまた違う価値があったりするんです。
藤倉ちゃん
あっち、こっちに喧嘩売っているようで
元気だね。
卓何某のようにならないよう気をつけな。
とあるお祭りで、地震体験車で東海地震震度七を体験させるコーナーで、子供はともかく大人までもがはしゃぎながら何度も揺れを楽しんでいた。お祭りの時まで被災者の気持ちになれとは言いませんが、大人として何の為の体験コーナーかだけは、子供達体験者達にしっかり教えて欲しいと思った。消防隊員にしても事務的に仕事をこなし、整列だけは守らせたのは良かった。まったく関係ない話ですみません。
ダライ・ラマ法王の安全を守りつつ、もう少し(少しでもあったのか知りませんが)被災者たちがふれ合える時間(移動の最中でも)を取る事が出来なかったのは残念ですね。
それ以前に一般の被災者が独自に情報を入手しなければ、講演自体知らなかったという事は本当に、何の為の被災地訪問だったのかと思ってしまいます。
どっちが喧嘩売ってんだか。
・・・喧嘩では無いですね。
ダライラマの情報は、世界的に有名な人なので、あんまりカルトっぽくないと思ったので、カルト新聞の題材としてはどうかなと思ってしまって・・・
つもりというかはやくかいてほしいという気持ちが強くあります
状況わかっていらっしゃらないのでは。緊迫してます
ほかの問題について書くことを否定しないで欲しいと言っているだけです。仰木の里の問題は日本で唯一の問題ではなく、仰木の里の人々が特権的な存在というわけではありません。
書いてもらいという気持わかりますし、まだ書けていないのは申し訳ないと思います。
しかし、書いて欲しいという要望ならともかく、他の記事を書くなという要望を受け入れる気は一切ありません。「自分たちさえよければ世の中の他のことなどどうでもいい」という、わがままで独善的な暴言ですよ。
匿名のあなたの個人的な暴言にすぎないと思うので、仰木の里の問題について取り上げたいというぼくの姿勢は変わりません。しかし仮にこういう言い分が仰木の里の多数の意見になるようなら、正直、活動を応援する気はなくなります。
>状況わかっていらっしゃらないのでは。緊迫してます
大津市のことでしょうか。
過去の記事やコメント欄で、部外者でもその地区の方々の大変さが想像できます。
それでも、藤倉さんはかなり協力していると思いますよ。力が及ばないという事はあっても状況が分からないという事はないと思いますので、やや日が世の中を動かすまでに皆さんで協力していければ良いと思います。
匿名さん(2011年11月14日13:07)
ダライ・ラマやチベット仏教は、カルトじゃないでしょう。ぼくはむしろ、インドやチベットでの取材でチベット仏教に触れたことで、「ここまで信仰熱心なのにカルト臭がしない」という宗教のあり方があるんだということを思い知らされました。
この記事は、ダライ・ラマを問題視したものではなく、仙台仏教会を問題視したものです。
カルトか否かというのは機械的に線引きできるものでもないので、「やや日刊カルト新聞」では、一般的にカルトと言われている集団だけではなく、ほかの宗教団体やスピリチュアル集団の社会的な問題に関わることを記事にするという方針をとっています。伝統の有無や有名無名の違いによって差別することはありません。
伝統仏教組織の対外的な社会性のなさや、震災大きな問題に関わる局面での体たらくは、充分に「社会的な問題」だと思います。
実際問題、我々は見るからにカルトっぽい集団を中心にウォッチしていて、伝統宗教の問題にはあまり手は回っていません。たまたま記者が目にしたときにこうやって記事になるので、ちょっと違和感あるかもしれませんが、上のような方針に基づいてテーマを選んでいるということをご理解いただければと思います。
理想としては、カルトだと断言できる団体以外についても取り上げることで、全体として「カルトって何なのか」「カルトかどうかはともかく、宗教やスピリチュアリティに必要な社会性って何なのか」というイメージがなんとなく見えてくるメディアにしたいと思っています。
仰木の里の幸福の科学学園問題でも、幸福の科学の社会性のなさがどんどん露呈しています。そしてそんなんでも行政手続が勧められてしまったりしている。ここでは、宗教としていいかどうかという問題に加えて、こんな宗教団体のやることをなぜ行政が止められないのかという、社会の仕組み(あるいは地元の不動産関係者や行政の体質)の問題も露呈しています。
確かに仙台仏教会の件より問題の範囲が広く被害も深刻で、宗教と社会のかかわりを示すという意味でも、仰木の里の問題の方が大きな問題だろうと思います。
ただ、幸福の科学のことだけを書いていれば、宗教と社会の関わり方の問題が全て語れるというわけではない。だから、より大きな問題を記事にする必要があるからと言って、ほかの問題について書くことをやめるということはありえないんです。
いろいろ手が回ってないのは事実なので、それは本当に申し訳ないです。
謝っていただかなくても、書いていただければ結構デスよ!
藤倉さんもたいへんやね~
仰木の里の反対住民はそういう常識が全くない方の集まりです。
>こんな記事かいてないで、
>仰木の里をお願いしマス!
ですからね。
よくわかるでしょ。
ダライラマの記事をバカにすな!ですよね。
反対住民への藤倉さんの貢献度をまったく感謝もせずに、早く仰木の里の記事書けですからね。
やってられないと思いますよ。
仰木の里が世界の中心と勘違いしているのではないでしょうがか?
今度は反対住民のめちゃくちゃさも書いたりするとちょっとスッキリするかもしれませんね。
2011年11月14日11:45
2011年11月14日13:17
2011年11月14日18:40
の匿名さん。
あなたは、本当に仰木の里の住民でしょうか?
私は、そうですが。
あなたのように、思ったことはありません。
藤倉さんに対して、ずいぶんと失礼だと思います。
特に最後のコメント、あれはないでしょう?
あなたが、本当にこの地域の住民であって
反対運動に積極的に参加されているとは思えません。
人任せなそんな言葉が出てくることが残念です。
藤倉さん、すみません。
仰木の里の住民の大部分が、このような考えをしているとは思わないで下さい。
つもりというかはやくかいてほしいという気持ちが強くあります
状況わかっていらっしゃらないのでは。緊迫してます
2011年11月14日13:17
住民の一人です。この記事と関係のないコメントで申し訳ありません。仰木の里で幸福の科学学園建設工事が始まって、大きなダンプが行き来しているのを見れば、このコメントを書かれた方の気持ちもよく理解できます。また、特に、やや日新聞の記事が、幸福の科学にとって大きな影響を与えて下さっていることも事実であり、このようなコメントになったと思います。私たち住民にとって大事な学園問題ですが、勉強して見ますと、幸福の科学が、いかに杜撰で、とんでもない人達(教祖や支配者である職員たち、一部の妄信者)の団体であるかが、分かります。私は、仰木の里での幸福の科学の反社会的行動や発言、一部の行政の不当な行動などを、私達住民でしっかりとこまめに正しく発信する事で、やや日を始め、多くの人達が私達を支えて下さるように努力を続け、幸福の科学の活動を防ぐ事に繋がれば、必然的に学園問題も良い方向に解決すると思います。藤倉主筆様、やや日読者の皆さん、これからも、仰木の里の事、よろしくお願い申し上げます。
2011年11月14日23:53の者です。2011年11月14日23:38
の方のコメントを読み、2011年11月14日13:17等の方が、本当に仰木の里の住民であるならと、私のコメントを訂正させて頂きます。申し訳ございません。
いろんな人がいてはるからね。
曹洞宗に倫理性を期待するのは無駄です
彼らは理解を絶して独善的なあの風塵主義に徹していますからね
あの人たちは座禅による三昧というトレーニングに依ってか ある種の脳内代謝の変質を起しており その結果としてなんというか 一種の昆虫じみた非人間的な無感情に陥っているのです
そうした彼らの非人間的価値観によれば 被災者だろうが檀家だろうが どうせいつかは死んで無の塵に還るだけの存在です その時その時の都合によってどんな風に扱おうがそれはそれで一時の方便 色即是空~てなもんでしょう
無邪気に笑いかける幼児をいきなり鎌で斬り殺しておいて ふと爽やかな笑みを浮かべて得心するような行為を 何百年にも渡って賞賛し これを範とするような人たちを宗教家と呼ぶことはできません
彼らこそ最も悪質かつ凶悪なテロリストであり 曹洞宗はその統括訓練組織に過ぎない
彼らに批判など無駄です 反省など決してしないのですから…
一部の曹洞宗の僧籍の無い僧呂がオカシイ人間かと思ったら、もう曹洞宗自体そうなのでしょうか。
>ダライ・ラマやチベット仏教は...「ここまで信仰熱心なのにカルト臭がしない」という宗教のあり方があるんだということを思い知らされました。<
数年前にダライ・ラマの講演会に行くと、坂本龍一がお忍びでボランティアとして参加していました。講演会の最後に「いじめにあって人が信じられない。どうしたらよいか」とある学生が質問したら、ダライ・ラマはその学生をステージに呼び寄せて、ただ抱擁していました。ダライ・ラマの人気はチベット仏教が中国から政治的迫害にあっていることへの同情もあると思います。けれど、あの抱擁を見ると、信仰するひとの気持ちもわかるような気がします。檀家をもつ日本のお寺も信者に真の抱擁をしているのか? いいお寺もあると思いますが、この記事を読むと、仏教界は官僚化しているのではないかとちょっと疑問に思います。
>呼び寄せて、ただ抱擁していました。
オウムの麻原も同じような感じで人気を取ってたけどな。
オレの知ってる寺の住職は
曹洞宗の上納金制度にだいぶ腹を立ててるぜ。
仰木の里の方
ここはダライラマの記事ですよ。
要望とかはメールで直接されたらいかがですか?
別の記事に強引に入ってくるあたりは
とても非常識かと思います。
それも藤倉さんの記事を「こんな記事かいてないで」と愚弄しています。
それに対する謝罪もありません。
困ったものです。
>オウムの麻原も同じような感じで人気を取ってたけどな。<
そうですか。麻原もやっていたんですね。カリスマ性のある宗教のリーダーがやると効果があるのかもしれません。
麻原とダライ・ラマと明らかな違いはヨガ教室とか言って偽って勧誘しないこと、犯罪や反社会的活動のために教団組織を利用しないこと、でしょうか。
えらそうなこというなよマキシマス
>えらそうなこというなよマキシマス<
チベット仏教とオウム真理教の教義の違いについてはよく知りません。
そういう意味ではえらそうなコメントかもしれませんね。
あなたが解説してください。
チベット仏教が、輪廻や生まれ変わりを主張しているのであれば、本来の仏教にはない教えですから、カルトに近いでしょうね。ちなみに、霊魂だの死後の世界だのと言うのも、仏教ではあり得ません。
ダライ・ラマが、オウム真理教の麻原に利用されたのには、理由があるのでしょう。
最近藤倉はカリカリしてるよな
女にでも振られたんかw
藤倉のコメント
「いろいろ手が回ってないのは事実なので、それは本当に申し訳ないです。」
ほんとにそう思ってるならもっと
まともな記事書けよ!ボケ
中途半端ならやんなくていいんだよ
>チベット仏教が、輪廻や生まれ変わりを主張しているのであれば、本来の仏教にはない教えですから、カルトに近いでしょうね。ちなみに、霊魂だの死後の世界だのと言うのも、仏教ではあり得ません。
ダライ・ラマが、オウム真理教の麻原に利用されたのには、理由があるのでしょう。
追加で書きますが、政教一致であることでも、チベット仏教がカルト的だと言えるでしょう。
中国政府の弾圧は、暴力的で確かに許せないものですが、それまで住民を抑圧してきたチベット仏教側が偉そうなことを言う筋合いも無いのではと、考えます。どちらが権力を掌握するにせよ、もの言えぬ住民に救いは無いようです。
どう言ったってしょうがない。
「いろいろ手が回ってないのは事実なので、それは本当に申し訳ないです。」
ほんとにそう思ってるならもっと
まともな記事書けよ!ボケ
↑
ボケボケボケ!
藤倉氏は、ボケではないよ。
失礼やね。
匿名 さんは書きました...
最近藤倉はカリカリしてるよな
女にでも振られたんかw
2011年11月16日22:12
彼女は、どうしてんですか?
>「いろいろ手が回ってないのは事実なの
>で、それは本当に申し訳ないです。」
>ほんとにそう思ってるならもっと
>まともな記事書けよ!ボケ
記事に関しても、コメント欄の意見の流れに関しても内容を読み取る事の出来ない人が、なんだかんだ言ってもゴミにしか見えませんよ。
何にどう手が回っていないのか、なぜそこまで出来ないのか、捉え方はどうあれ色々考える事は出来ますが、手が回らなくて「まともな記事」になっていないとは、記事を読んでもなかなかそうは捉えないと思いますがね。
>「いろいろ手が回ってないのは事実なの
>で、それは本当に申し訳ないです。」
>ほんとにそう思ってるならもっと
>まともな記事書けよ!ボケ
記事に関しても、コメント欄の意見の流れに関しても内容を読み取る事の出来ない人が、なんだかんだ言ってもゴミにしか見えませんよ。
何にどう手が回っていないのか、なぜそこまで出来ないのか、捉え方はどうあれ色々考える事は出来ますが、手が回らなくて「まともな記事」になっていないとは、記事を読んでもなかなかそうは捉えないと思いますがね。
しまった!真似してしつこく送ってしまった。
藤倉くんの仰木の里の人への気持ち
「文句言うならカネをくれ!」
>チベット仏教が、輪廻や生まれ変わりを主張しているのであれば、本来の仏教にはない教えですから、カルトに近いでしょうね。<
>政教一致であることでも、チベット仏教がカルト的だと言えるでしょう。<
これらのコメントとても考えさせられました。
チベット仏教の転生輪廻の考え方は不思議に思います。しかし、アジアのあちこちでこういう考え方の地域があるのも事実ですね。私には否定も肯定もできません。科学とは相容れない考え方だとは思いますが、証明のしようがありませんから。
1951年の中華人民共和国の侵攻以前からチベットは中国とインドの間で政治的に主権を侵されていました。ダライ・ラマが国王であり、宗教のリーダーであるという姿は、確かに奇異に見えますが、この国の歴史を考えると国民を不幸にしているのかどうか難しい問題なのではないでしょうか。
マキシマス! さんへ
「弾圧」と言う意味では、中国政府の方が酷いでしょうね。(但し、反中国政府的な行動を行う勢力相手では、という留保はつきそうですが。)チベット仏教側も弾圧をしていなかったわけではないですけど。
住民の豊かさと言う面では、かつてのチベット政府の方がかなり酷い状況だったので、現時点で、反中国政府的な行動を行っていない人たちにとっては、中国政府の方が、はるかにましだと考えているでしょう。(少なくとも、インドではそう報じられています。)
>藤倉のコメント
>「いろいろ手が回ってないのは事実なので、それは本当に申し訳ないです。」
>ほんとにそう思ってるならもっと
>まともな記事書けよ!ボケ
>中途半端ならやんなくていいんだよ
2011年11月16日22:19
>藤倉くんの仰木の里の人への気持ち
>「文句言うならカネをくれ!」
2011年11月17日15:55
見苦しいね、この匿名さん。
まともな人たちには悠然と無視されてますね。
>マキシマス! さんへ、「弾圧」と言う意味では、中国政府の方が酷いでしょうね。...少なくとも、インドではそう報じられています。<
コメントありがとうございます。
この問題、難しいですね。
ついついダライ・ラマの人気に押されて、チベットの人々が本当はどうなのか見落としがちになります。教義の奇異さも深く考えることを怠ってしまいます。
でもチベット仏教がカルト宗教かどうかというのはよくわかりません。この宗教が本来の仏教とは違った形でチベット文化に浸透したことにも意味があるように思います。アジアの政治と宗教は、ヨーロッパで問題になるカルト(セクト)と宗教の非政治化とはまた状況が違うように思います。
カンボジアで大虐殺を行ったポルポト政権が倒れた後、国連が統治し、シアヌークの王政が復活しました。シアヌークも仏教を擁護した国王・殿下でしたが、政争にまみれた後も国民はカンボジアの統合の象徴としてシアヌークを選んだのでしょう。チベットも主権が認められれば、国民はダライ・ラマを選ぶのではないでしょうか。
この問題、あまり詳しくないので、私も私なりに調べてみます。とても勉強になりました。
ボケボケボケ!
藤倉氏は、ボケではないよ。
失礼やね。
2011年11月17日0:54
そう、ボケではないでしょう。
失礼です。
ダライラマねっ!
ダライラマはええ人でっせ。
さすが「奴隷を駆使してつくったチベットのポタラ宮はきれいな信仰心の結晶、鎮護国家を祈念して、公共事業として作った日本の大仏は金まみれの悪の象徴」と言い放つカルト新聞らしい記事だね。
入場者チェックしないで、ダライラマが吹っ飛ばされたら「危機管理をしない仏教界のせいで聖者が死んだ」とかいうんだろ?
いいスタンスだよな(嘲笑
「顔写真の撮影についても、「記念撮影だ」と言ってみたり、「顔は撮ってない」と言ってみたり、相変わらずのウソツキです。」
そこに関しては何か意見はありますか?
今は日本も殺略に対しての危機管理が必要になってしまったのですね。
ちょっとダライ・ラマの考え方とチベット史を調べました。
チベット仏教は、原始仏教、小乗仏教、大乗仏教、密教の展開の流れにあり、仏教以前のボン教(多神教)の影響も受けているようです。だから本来の仏教との比較より、チベットの仏教と呼ぶべきかもしれません。
ダライ・ラマが生まれ変わる輪廻思想は、1470年代からこの国の安定のために信じられてからのようです。
例えば、幸福の科学のような、教祖を権付けするための都合のいい輪廻思想とはまったく違うと思います。
チベット仏教における輪廻思想とは?
無明(無知)が輪廻の根本原因。無知は捨てるべき煩悩の中でも根本のもの。輪廻の主体である私の意識。私は独立して存在するのではなく世界に依拠しているということを知ること。それが輪廻から逃れ、解脱につながる。こんな感じでしょうか? 仏教の専門家から見れば間違っているかもしれませんが。
それからダライ・ラマがチベットの宗教と政治の盟主であることをどう理解するか?
政教分離がなされていないことがカルト性をあらわすのかという問題についてもチベット特有の問題があると思います。
過去から中国やモンゴル、インドなど近隣の大国との戦争と和解の関係、内部の宗派対立のなかで宗教と政治が一体であることが国を統治しやすかったのでしょう。イデオロギーとしてのチベットにおけるチベット仏教は、中世イタリアにおけるカトリック教会のように国の勢力拡大と一体だったと思います。
もしチベットが独立国になり、近代議会ができれば政教一致もやがて変わるように思います。
真実の話の中に、上手にウソを織り交ぜる。
そして人々の判断を狂わせていく。
唯物論・無神論者は、そういう「洗脳」手法を使います。
だから、情報は、キッチリ裏づけをとらなくては、
知らないうちに、騙されて、
知らないうちに、憎まなくていい人を憎むように仕向けられていたりします。
匿名性の高いインターネットの書き込みは、
いま「いじめの温床」となってきており、
学校現場でもかなりの問題になってきています。
>真実の話の中に、上手にウソを織り交ぜる。そして人々の判断を狂わせていく。唯物論・無神論者は、そういう「洗脳」手法を使います。だから、情報は、キッチリ裏づけをとらなくては、<
これはカルト教団の手法の解説ですね。
私のコメントの根拠は『ダライ・ラマの仏教入門』(光文社)と『チベット史ものがたり』(日中出版)によるものです。
カルトの手法だけやおまへんで。
左翼・唯物論勢力の『洗脳』の手法です。
また、匿名コメント欄は、
裏づけのない中傷を、
書き手が特定されずに、
書き込まれて衆目にさらされてしまうから、
学校現場で問題になってる「いじめ」の温床にもなっていて、子供たちを傷つけているんやで。
そして、そういう悪い奴らの手口を明るみに出して、警鐘を鳴らしているのが幸福の科学です。
ええ事してますんやで。
>そして、そういう悪い奴らの手口を明るみに出して、警鐘を鳴らしているのが幸福の科学です。ええ事してますんやで。<
霊言という方法で、言ってもいないことをさも本人が言ったことのようにする手口は何ですか?
あれはどうして大川隆法総裁先生の読書感想からの推測って言わないんですか?
警鐘鳴らすべきは自分の教団に対してです。
仙台市の女性市長はパンダ欲しさにダライ・ラマと会いませんでした。その後孫が生まれますがひと月でなくなりました。仏罰だと噂になっております。
合掌
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