慰霊祭のチラシ |
この件について靖国神社広報は本紙の取材に対し「神社側としては関わっていないためコメントできない」と答えている。
また神社側は「借りに来たから貸しただけ」としており、慰霊祭主催者側からの『挨拶してくれ』との依頼を断っていたことも判明した。
慰霊祭を主催するのは宗教新聞社と平和大使協議会、共に統一教会の関連団体である。
【戦没者並びに東日本大震災犠牲者の追悼慰霊祭 2013年3月7日】
【ご案内】
間もなく東日本大震災から丸二年を迎えます。昨年同様、靖国神社において、宗教新聞社と平和大使協議会の共催で「戦没者並びに東日本大震災犠牲者追悼慰霊祭」を開催することになりました。国を守るために尊い生命を捧げられた戦没者の方々、並びに大震災で犠牲になられた方々の為に、宗派を超えて追悼の祈りを捧げてまいります。
皆様の祈りを束ねて、国家安泰を被災地の復興促進、平和世界の建設に向けて、力強く出発していくことができますように、皆様のご参加を心よりお待ちしております。
日時:2013年3月7日(木) 午後1時~午後4時半
場所:靖国神社 靖国会館・階行の間
〒102-8246 東京都千代田区九段下3-1-1
TEL 03(3261)8326代表
参加費:1,000円
主催:宗教新聞社/平和大使協議会
連絡先:慰霊祭事務局
電話:03-5363-5181
FAX:03-5363-5182
e-mail:religion@saga.ocn.ne.jp
申込先:参加希望の方は上記事務局にメールかファクスでその旨ご連絡ください
統一教会と云えば、震災に乗じて信者から多額の献金を集めたり、当時の総会長が津波被害について暴言を発するなどおおよそ慰霊祭を主催する側としては「ふさわしくない」ことを多々行なってきた教団だ。
そんな教団の関連団体が震災犠牲者の慰霊祭を行なうこと自体、不謹慎なことである。
靖国神社広報に問い合わせた。
慰霊祭チラシ |
貸し出しの受付けについては管理課が担当していて、階行の間の場所貸しの値段は2万円だという。
この件の経緯について、広報では把握も承知もしておらず、神社側としては関わっていないためコメントできないとのことだった。
また、情報提供者によると、靖国神社側は「借りに来たから貸しただけ」「『挨拶してくれ』と言われたが断った」と話していたそうだ。
広報担当者は「どちらにしても場所貸しですから」と話したが、この様に場所貸しするパターンが多いかどうかについては「ないと思います」と答え「こういったことはあまりないのでパイプがあったのかもしれませんね」と「担当者の判断」であることを付け加えた。
靖国神社 |
収入源となる大口の寄付も減少傾向にあるという靖国神社、財政難から職員のリストラも進められたとされる。昨年も貸し出しをしていることから統一教会の関連団体と判った上で場所貸しをしていると思われる。カルト教団の関連団体であっても会場賃貸の収入源として相手を択んではいられないということではないかとも思われたが、貸し出し代は僅か2万円である。貸し出し代目的で貸すというよりは、靖国神社側と統一教会関連団体の間に何らかのパイプがあると見るべきであろう。
宗教新聞関連では予てから統一教会に協力する他の宗教団体の聖職者の存在が問題視されてきた。慰霊祭当日、靖国会館に行けば、統一教会に協力する他宗教の聖職者が判るかもしれない。
463 コメント:
«最後 ‹次 201 – 400 / 463 前› 最新»2013年3月12日 23:52の食口行動解説の補足です
いわゆる韓国の悪名高き議論法、声闘(ソント)
> 議論の内容は関係なく、ただ大声で早口で居丈高に話し、相手が何も言い返せなくなれば勝ち、という考え方。
最も、ググってもネトウヨ関連のページばっかりヒットするんで本当にソントなんて言葉あるのかどうかは知らん。
ただ、韓国人にそういう傾向があるのは、個人的な経験からも確か
>と言われても、命捨てちゃったらネットできないんですわこれが(苦笑)
ですから、それが分かってるから、真意をオリゲネスさんに聞いたんですけど(笑)
ヌクヌクとネットうんぬんは、文字通りに解釈したらこうなっちゃうからという例え談義に決まってるでしょーが。
で、私もだいたいの意味のイメージはわかりますけど、オリゲネスさんって、そんなにすごいことしてるのかな~って。
「神さまのために命を捨てた稀有な人間」だなんてすごいじゃないですか。
オリゲネスさんが本当にそんな人なら、抱かれてもいいですよ。
しかも、誰も聞いてないのに、自分で言っちゃうところがすごいですよね(笑)
>まあ、ぶっちゃけそうなんだけど、正直弄るのが楽しすぎて(笑)
桂馬さん、ありがと。
でも、私はオリゲネスさんのほうがずっと興味あるんです。
to球根さん
そうですよね、人間が自分の吐いた言葉について、全て論理的に説明できたらかえってそのほうが異常って気がします。
ちょっと話はずれるけど、詩とか歌詞なんかは、言葉の意味がぶれて二重、三重の意味を持ち、言わんとする物が曖昧であれば良い詩だと言われるわけで、今のオリゲネスさんにとって「神に命を捨てる」の意味は、読んで感じたそのままだよ!としか言えないんじゃないかな、と
そうそう。
その「言葉」に酔ってる人って多いですからね。
中二病ってやつですかね。
統一教会は、「原理」なんて大層なもの掲げてるかし、協会はこの世の全てを知っているという実に傲慢な態度なんですわ。香車さんら信者もなんとなくそう思ってる
オリゲネスさんは実生活でも言ってるんでしょうかね。
ボクは神のために命を捨てた稀有な人間なんだぞー!って。
だとしたら相当ヤバイよね(笑)
あー!
桂馬さん、また信者だと断定したねー。
深い謝罪しなきゃね。
> オリゲネスさんが本当にそんな人なら、抱かれてもいいですよ。
同性愛は非生産的ですよ、と茶化してみたりして
原理掲げる人もどうかと思うけど、自分を神のために命を捨てた稀有な人間だとか聞かれてもないのに言っちゃう人も大概だよね。
それ、オリゲネスさんの場合、マジ悩んじゃうから。やめてあげて(笑)
オリゲネスさんの信仰の根幹に関わってくるから。
> 桂馬さん、また信者だと断定したねー。
チッ、気づかれたか。ヒートアップしてる今ならスルーするかもなーと思ったけどそこまでマヌケじゃないか。
香車様を信者と断定した事について再度謝罪致します。
よしよし。エライゾ。
あといちいち指摘するの面倒だから、今度やったら何も言わないけど許さないからね。
香車さん
ちょっとご無沙汰している間に、すみません。
「横槍」ありがたく思います。
香車さんも呼びやすいハンドルネームにしてくれたおかげで、どのコメントがあなたのものかよくわかるようになりました。
>オリゲネスさんは、物理的手段を用いている脱会カウンセラーの牧師は福音に仕えていないと言ったのではありませんか?
いえいえ、イエスさまならばそんなことをしないでしょうと言いました。
そして、目的のために手段を正当化するようであれば、それは統一協会とまるで変わりません。
統一協会は駄目ですが、それに対して福音の何たるかを失えばキリスト教会も同じく駄目です。
脱会カウンセラーの牧師については、いますぐにでも監禁などの物理的手段を用いることを辞めるべきです。
福音に仕えることが第一にあったら、そんな手段は用いません。
目的のために手段が正当化されるようなキリスト教会こそ、とんでもないものになります。
多くは語れませんが、私の参加している被害者の会にはある統一協会の信者脱会のために働く牧師の教会のカルト化被害の報告が挙がっています。
統一協会と戦うために福音を失った牧師のなれの果てかもしれません。
(おいおいこのカルト化教会にも調査をいれていきたいと思っています。)
>これは牧師さんへの侮辱的発言だと思いますよ。
侮辱だと思うならば、聖書のどこを開いて、人の自由を奪って説得してOKなどと書いてありますか?
そんなことをして、福音に仕えていると言えるのですか?
>イエス様も、時として物理的手段を行使されたのです。それは聖書に記されている通りです。
おもしろい。
どこでしょうか?
もし、イエスさまの宮清めの出来事を利用して、監禁を正当化しようとするならば、あなたのやっていることは聖書箇所を都合よく利用した統一協会のやっていることと同じになりますよ。
聖書で、人を拘束して自由を奪って自分の主張を強要することなど、書いていません。
それから、あなたの知っている牧師に監禁牧師がいるのであれば、聖書のどこにそんなことが書いてあるかをちゃんと説明してもらってください。説明できないから。無理です。聖書には書いてありません。
上のコメントでの横槍感謝は、tatoebakへでした。
あらためて、感謝!
このようなケースで人を非難する際に、中二病という言葉を使うのは明らかにふさわしくない。というより詭弁
今神と、神に対してどのように接していくか、というのが論点だ。つまり、家事や家計なんかに代表される日常と対極にある事について話している。その場合、誰がどのように神について説明しようと、中二病の要素は入ってくるからだ。
だから、オリゲネスさんが中二病というのは、間違ってはいないけれどもだからどうしたという話なんですよ
やっときたー。
だから、そういうところが甘いって言ってるの。
統一教会のマインドコントロールがどんなに強いか、オリゲネスさんは知らないでしょ。
どんなに保護したって、逃げちゃう人はたくさんいるんだよ?
イエス様だって、宮清めではムチ売って、売店ひっくり返したんだよ?
時には厳しさも必要ってこと。
文鮮明がメシヤを名乗るのもどうかと思うけど、
君が神のために命を捨てた稀有な人間だなんて、
そんなことを吹聴するのも正直どうかと思うよ。
ごめんね、待ってる間に飲んだから、言葉遣いは悪いけど許して。
>今神と、神に対してどのように接していくか、というのが論点だ。
でしょ?桂馬さん、いいこと言うじゃん。
そこを私は聴いてるんですよ。
私は統一教会から脱会させるためなら、監禁したっていいと思う。
てか、そうでもしないと脱会するわけないじゃん。
オリゲネス君は、統一教会のことにどれくらい関わったか知らないけど、全然甘いと思うよ。
そして、一番許せないのは、脱会カウンセラーの先生が神に仕えていないって言ったこと。
本人の前でも同じこと言えるの?
tatoebak = 桂馬です。WordPress のURLがそのままこのコメント欄に表示されると知らず、ややこしいことになりました。一応桂馬で統一してください。WordPressのアカウントは再度取り直すかもしれません。(といっても、正直WordPressアカウント持ってる意味殆ど無いのですが。オリゲネスさんみたいに青文字にしたかっただけだったり)
P.S.上の、同性愛云々は信者認定のカモフラージュで適当な文章書いただけなのでお気になさらず
ここしばらくロムってた。
オリゲネス君が書いてるのも知ってたし、ブログも見たよ。
でも、ほとんど相手にされてなかったよね。
自分では気づかなかったかもしれないけど、浮いてたよ?
イエス様を信じてることくらい知ってる。
でも、自分は正しくて、カウンセラーの先生が間違ってるって言うのは、おかしくない?
だいたい、そんなこと言える立場なの?
君のこと、誰だか分かってる人もいるんだよ?
>カモフラージュで適当な文章書いただけなのでお気になさらず
知らなかったから仕方ないと思うけど、そこは触れてあげない方が良いと思う。
>私の参加している被害者の会にはある統一協会の信者脱会のために働く牧師の教会のカルト化被害の報告が挙がっています。
その教会の何が問題なの???
統一教会の方がよっぽど問題でしょ?
どこだって、少し位は問題あるんだよ?
でも、霊感商法とか韓国結婚とか、そんなの統一教会だけでしょ?
脱会説得なんてすごく大変なんだから、教会だって留守になるのは仕方ないし、
でも、みんながんばってるんだよ?
偉そうなこと言って、一番何もしてないのがあなたじゃないの?
オリゲネスさん、
> 聖書のどこを開いて、人の自由を奪って説得してOKなどと書いてありますか?
> 聖書で、人を拘束して自由を奪って自分の主張を強要することなど、書いていません。
この考えは危険です。キリスト教において、聖書に「全て」が書かれているという考えはキリスト教の過ちの元となって来ました。具体例に言えば、アメリカの狂信的福音派の言う、黙示録通りに世の破滅が来る、地球が出来て6000年という主張など。又、聖書を字義通りに解釈した結果がエホバの証人のあのざまなのですよ
聖書にはたしかに何をすべき、何はするべきでないというのは書いてありますが、乱暴に言ってしまえばそれはあくまで参考程度であって、真にキリスト者が従うべきは、自分の中の「何か」ではないでしょうか
もう、頭痛くなってきたからこれくらいにするかも。
ほんとはここまで書くつもりなかった。
でも少しは伝わったと思うから。
私にとって「神のために命を捨てる」はテーマですし、それに私はそこに全存在をもって向かう必要がありますから。
もし、我が身のために働こうとするならば、きっとカルト問題で苦しむ被害者家族から高額の報酬を受け取るようになってしまうでしょうね。
何のためにカルト問題に関わるかという根本にあって、キリスト教会の牧師が本当に福音のために仕えるのであれば、やはり目的のために手段を正当化するなどということはできないのですよ。
まあ、毒をもって毒を制するという発想の牧師もいるでしょう。
不正に対して不正をもってと。
そういえば、思い出しました。
親を騙すことが目的でしたが、私の教会に通ってくれたのに合同結婚式に行ってしまった女の子は、私たちに監禁されることになると恐怖して夜親が寝ている間に窓から裸足で逃げたのでした。
もちろん、私たちは統一協会についてほとんど知らなかったし、監禁など考えてもいなかったのですが、彼女は監禁されることを怖れたのでした。
つまり、キリスト教会でそんなことをやっている人間がいるから、彼女は裸足で逃げる行為に及んだともいえますね。
この子の事件が私の心に刻まれていたから、私はこうしてカルト問題に関わることになりました。
この事件には、キリスト教会の問題も多くからんでいたということですね。
だからそうやってキリスト教会のせいにするのがおかしいってば。
本気で言ってる?
だったら牧師先生に直接言いなよ!
それと、キリストの時代には洗脳マインドコントロールという物がそもそも無かったという事をお忘れなく。洗脳のみならず、人間の思考そのものを人工的にコントロールする手法はせいぜいここ半世紀ほどの歴史しか無いのです。
例えば覚せい剤のような非常に強烈な依存性を持つ薬物もイエス様の時代にはありませんでしたが、それに対する対処法も聖書に求めるのでしょうか?
又、確かに反対牧師の方にも問題のある行動をする方はいるでしょう。ですが、その問題がフルボリュームの拡声器を通った後雑音を混じらすように統一協会により極端に誇張されている事も注意する必要があります。
この新聞の過去の記事、統一協会が元拉致監禁被害者を自作自演でやせほそろえさせて、それを反対牧師のしわざにしたことは覚えておいででしょう。
以上の話とは別に、メジャーなURLも貼っておきます
http://www.asahi-net.or.jp/~am6K-kzhr/soudan/sou06598.htm
私はもうすぐ寝ます。
tatoebakさん
>真にキリスト者が従うべきは、自分の中の「何か」ではないでしょうか
おっしゃる通りです。
キリストにあってどうするかですから。
聖書には書かれていないことがたくさんあります。
「聖書に書いてあるからOK!」「聖書に書いてないからNO!」とやっているキリスト教原理主義のような独善的な物言いもできてしまいます。
ちなみに、私は原理主義者ではないのでご安心ください。
(あっ、でも最初の数年は原理主義者でした。)
統一教会だって麻薬とか使ってるかもしれないし、
普通の中毒者だって隔離するじゃん。
聖書は神様の言葉だけど、それを字義通りに現代に当てはめてたら合わないところだってあるでしょ?
現代のカルトってそんなに甘くないと思うし、
少なくともオリゲネス君が牧師さんのこと、不信仰だとか裁くのは違うと思う。
>私の教会に通ってくれたのに合同結婚式に行ってしまった女の子は、私たちに監禁されることになると恐怖して夜親が寝ている間に窓から裸足で逃げたのでした。
てか、それ窓から逃げれるような高さの階だったってことでしょ?
最初から全然話になってないし、そもそも素人が関わるからそうなるんじゃない?
勝手にそういうことするから、逆に逃げられる。
そんなやり方じゃ成功するわけないし、取り組んでる家族牧師みんなに迷惑でしかない。
神に命をすてる稀有なオリゲネス君だったら、どうやって脱会させるの?
言ってみなよ。
オリゲネス君は、ここであなたが書いてきたこと、牧師さんに面と向かって言えるのかな?
言ってごらんよ。
桂馬さん寝ちゃったし、私も限界。
早くこのスレ落ちて欲しい。
オリゲネス君なんかより、牧師さんの方がずっとがんばってる。
私が言いたいのはそれだけ。おやすみ
メールでやれ
眠いので最後に一言だけ
奪回牧師がカルト化した、原因は全て牧師側にあるとでもいいたげですが、庇護されている信者にも原因はあります。
過去統一協会の教えに従っていたということは、その人はカルトと親和性の強い人間であるという事で、そのような人と接するうちに牧師側もカルトじみてくるのはある意味当然です。人のコミュニケーションは常に双方向なのです。それは1対数万のコンサートでもそうですし、ましてや1対1で長くいれば牧師も信者の影響を受けます。牧師のほうが立場が強いですが、立場が強いものが弱いものに一方的に影響を与えるというのは完全な誤解です。
追記
先ほど自分の中の「何か」に従うべきと曖昧な表現をしましたが、私が思うに「何か」とはキリストです。人間の中にキリストが居るというのは東洋的な発想なので、よりキリスト教風に言い直すなら、キリストから、そしてキリストを、見つめる眼差しといった所でしょうか
折角なので補足を。これで最後です。
先ほどコミュニケーションは常に双方向と書きましたが、実は例外があります。テレビなどの現代マス・コミュニケーションです。私見ですが、アメリカのキリスト教が抱える問題の根の一つはテレビ伝道師です。視聴者からテレビ伝道師へほとんど情報が行きません。これは非人間的です。
カルトに持つ問題もそうです。カルトにおいて、教祖は信者から隔絶され不必要な神秘の(笑)ベールが覆われ、信者から教祖へのコミュニケーションはシャットダウンされます。眠いので途中の論理展開は省きますが、カルト宗教が教祖一代きりで終わるのはそれも大きいです
では、おやすみなさい
チラシの裏でやれ
牧師「信者が悪い」
香車さん
>その教会の何が問題なの???
>統一教会の方がよっぽど問題でしょ?
この前、話が出たばかりで詳しくは分からないのですが、統一協会とあんまり変わらないなあと思いましたよ。詳しくはいえないのですが、そういうキリスト教会の牧師もいるということで、これはこれで問題なのですよ。
>統一教会のマインドコントロールがどんなに強いか、オリゲネスさんは知らないでしょ。
T牧師に監禁された人からいろいろと聞きましたが、本人は統一協会から抜けられたことを感謝していました。しかし、監禁されたことをも含めて感謝してはいません。一方でやり過ぎの問題もたくさんでているようです。
(このT牧師は、報告に挙がっている先に書いたカルト化教会の牧師ではありません。)
そういったことを踏まえてですが、私は統一協会の人々の神へ対する想いを、そのまま否定せずに受け取りたいと思っています。
彼らは反対牧師から、「あなたは間違っている」と説得を受け、その信仰の多くが否定されました。
私にはそう思えないでいます。
私のイエスさまであれば、彼らが捧げた心と想いを、そのまま「私が受け取った」とおっしゃってくださるでしょう。
信仰は否定される必要などないです。
これとは別に、聖書は決して監禁を正当化していないです。
もし、監禁を正当化するために聖書を利用するならば、それは統一協会とやっていることと同じです。
反対牧師たちが監禁するのは、それが彼らのやり方であって、私の神と聖書と福音とは関係ありません。
>オリゲネス君は、ここであなたが書いてきたこと、牧師さんに面と向かって言えるのかな?
面と向かって言えるかな?って、言うにきまっているでしょ。
目的は手段を正当化できませんよって。
それから、聖書をつかって正当化することもやめなさいと。
>オリゲネス君なんかより、牧師さんの方がずっとがんばってる。
「がんばっている」のは、みんなそれぞれに労苦を負っているのさ。
一番がんばっているのは、自分の心を殺して「神のため」とやっている統一協会の信者さんですからね。
本当の意味で想いを受け取ってあげなくちゃならないのは、実は<彼ら>なのだと私は思っています。
「神のため」とやっているのですから、放っておけないかな。
<彼ら>が私を呼んでいるような気もするな。
tatoebakさん
>過去統一協会の教えに従っていたということは、その人はカルトと親和性の強い人間であるという事で、そのような人と接するうちに牧師側もカルトじみてくるのはある意味当然です。
私もそう思います。
しかし、一方で、そうであれば「福音」の意味がなくはありませんか?
牧師が牧師である意味も。
牧師はイエスさまとの交わりの中に自らの使命と位置を常に刷新されつづけていく必要があります。
信徒が牧師を育てるということはありますが、一方で牧師はイエスさまに育まれることなくして、やはり牧会はできません。
ミイラ取りがミイラになったら、教会に育まれるべき「福音」がすたれます。
香車さん
>神に命をすてる稀有なオリゲネス君だったら、どうやって脱会させるの?
何で脱会させるの?
私はあなたと違って、脱会させてやろうなどとは決して考えてないし、それをしたら「通ずる」ことができません。
以前、2人で話し合った統一協会の信者さんには、私は脱会なんて勧めませんでした。
ああ、分派をつくるようには勧めましたけどね。
きっと、彼ならば分派にならざるをえなくなるのではないかなと思ったので・・・
彼らが「神へ」と思って純粋に捧げたものを、否定せずにそのままイエスさまに捧げるというのが私のテーマですかね。
信仰者でない人には「神さまのために」という想いがチリに等しい価値しかないかもしれませんが、私にとってはそこは何よりも大切な部分です。
>統一協会とあんまり変わらないなあと思いましたよ。詳しくはいえないのですが、そういうキリスト教会の牧師もいるということで、これはこれで問題なのですよ。
脱会説得に尽力されてる牧師さんが統一教会と変わらないなんて、どうかしてるんじゃないの?
本当に、許せないことばかり言うよね。どうして?
>T牧師に監禁された人からいろいろと聞きましたが、本人は統一協会から抜けられたことを感謝していました。しかし、監禁されたことをも含めて感謝してはいません。一方でやり過ぎの問題もたくさんでているようです。
そこまでしなきゃ脱会できなかったんだと思うけど?
やり過ぎって何が?別に、暴力振るったりしたわけじゃないと思うし。
>彼らは反対牧師から、「あなたは間違っている」と説得を受け、その信仰の多くが否定されました。
統一教会の信仰はカルトの信仰だから間違ってる。そんなことも分からないで関わるのは迷惑。
>面と向かって言えるかな?って、言うにきまっているでしょ。
でも、オリゲネス君、面と向かっては言ってないじゃん。
>何で脱会させるの?
間違った信仰から救出するのは当たり前のことだと思うけど。
>私はあなたと違って、脱会させてやろうなどとは決して考えてないし、それをしたら「通ずる」ことができません。
じゃあ、関わる意味ないでしょ。家族は脱会を望んでいるんだよ。
だいたい、統一信者と通じて何がしたいの?何になるの?
相手はマインドコントロールされたカルト信者なんだよ?
tatoebakさん
>先ほど自分の中の「何か」に従うべきと曖昧な表現をしましたが、私が思うに「何か」とはキリストです。
キリストゆえに不自由であり、キリストゆえに監禁という有効な手段を用いることができない。
「キリストゆえに」その人が不自由な状態にとどまろうとしたり、重荷を負ったり、不幸を選んだりするとき、不思議と私は嬉しくなります。
「キリストゆえに」が無ければ、どんなに楽に生きられるでしょう。自分の自由にお金も労力も時間も使うことができます。
自分の思い通りに、自分の欲のある通りに選択することができます。
でも、「キリストゆえに」不自由があったり、重荷を負ったり、不幸を選んだりするとき、なぜかそこに喜びがあって、不思議とそのことによって私は生かされてきたことに気づかされてきました。
「キリストゆえに」がなければ、別に監禁でも高額報酬でも受ければいいです。
脱会屋さんだというのであれば、別にそれが普通だと思います。
強制的に人の考えや方向を変えさせるためには、相当手荒な手段を持たねばなりません。
かつて思想転向をさせるために特高が手荒くやったのは知っています。
小林 多喜二なんかは、ボッコボコにされました。
私の尊敬するオリゲネスもまた老齢の身でボッコボコにされて、そのときの拷問が原因で亡くなったと言われています。
でも、間違ってもイエスさまは監禁などしませんでした。
聖書でイエスが宮清めのとき縄で鞭をつくって両替人たちを追い出したことをもって、監禁を正当化し、イエスさまも手荒な事をしたなどというならば、とんでもない曲解であり、そんなことをいう牧師がいたら勘違いも甚だしいです。
イエスさまは人の心を変えるのにそんなことをしませんでした。
だから、聖書を利用して監禁を正当化などしてほしくありません。
監禁は神と聖書と福音には無関係です。
香車さん
>本当に、許せないことばかり言うよね。どうして?
香車さんが脱会牧師さんの誰かを尊敬していたとしても、やはり監禁はイエスさまのものではない。
その牧師さんの全てを良しとするわけにはいかないのです。
一部で有効であり、その場で効率が高かったとしても、後々そのことのシワ寄せとツケは必ずやってくるでしょう。
事実、私がカルト問題に向かうことになったきっかけの女の子は、統一協会に監禁ネタを利用されたようですし。
申し訳ないのですが、私は「神のために」と生きようとする統一協会の信者さんたちを、まず第一に尊敬しています。もちろん、その一点においてのみです。
もちろん霊感商法や募金詐欺はとんでもないことです。
脱会屋さんが脱会に手段を選ばなくなるのも、仕方ないものがあります。
だから、私は脱会屋さんを認めています。
福音のためではなく、脱会屋として働くのであれば何ら問題ではありません。
統一協会の信者は「神のために」と心を注いでいます。
この「神のために」が私と彼らの接点です。
だから、私は彼らと関わることを覚悟しているのだし、彼らを放っておけないのかもしれない。
球根さんへ
横槍は球根さんでしたね。
ありがとうございました。
オリゲネスさんのやりとりを拝見させていただきました。
二三、お聞きしたいのですが。
>T牧師に監禁された人からいろいろと聞きましたが、本人は統一協会から抜けられたことを感謝していました。
>しかし、監禁されたことをも含めて感謝してはいません。一方でやり過ぎの問題もたくさんでているようです。
>脱会カウンセラーの牧師については、いますぐにでも監禁などの物理的手段を用いることを辞めるべきです。
>福音に仕えることが第一にあったら、そんな手段は用いません。
>目的のために手段が正当化されるようなキリスト教会こそ、とんでもないものになります。
・脱会説得のやり過ぎの問題とは、具体的にどのようなことを指して言っているのでしょうか?
>多くは語れませんが、私の参加している被害者の会にはある統一協会の信者脱会のために働く牧師の教会のカルト化被害の報告が挙がっています。
>統一協会と戦うために福音を失った牧師のなれの果てかもしれません。
>(おいおいこのカルト化教会にも調査をいれていきたいと思っています。)
>この前、話が出たばかりで詳しくは分からないのですが、統一協会とあんまり変わらないなあと思いましたよ。
>詳しくはいえないのですが、そういうキリスト教会の牧師もいるということで、これはこれで問題なのですよ。
・脱会カウンセラーの牧師の教会がカルト化しているとのことですが、どのような点でカルト化しているということでしょうか?
>そういったことを踏まえてですが、私は統一協会の人々の神へ対する想いを、そのまま否定せずに受け取りたいと思っています。
>彼らは反対牧師から、「あなたは間違っている」と説得を受け、その信仰の多くが否定されました。
・統一教会の信仰は異端であり間違っているわけですから、否定されるべきものではないのでしょうか?
>何で脱会させるの?
>私はあなたと違って、脱会させてやろうなどとは決して考えてないし、それをしたら「通ずる」ことができません。
・入信している限り奴隷状態が続くわけですが、脱会させないでどのようにこの問題を解決するとおっしゃるのでしょうか?
>聖書のどこを開いて、人の自由を奪って説得してOKなどと書いてありますか?
>そんなことをして、福音に仕えていると言えるのですか?
>面と向かって言えるかな?って、言うにきまっているでしょ。
>目的は手段を正当化できませんよって。
>それから、聖書をつかって正当化することもやめなさいと。
・実際、脱会カウンセラーの諸先生に面と向かっておっしゃったことはおありでしょうか?
以上、よろしくお願い致します。
>脱会説得のやり過ぎの問題とは、具体的にどのようなことを指して言っているのでしょうか?
http://www.youtube.com/watch?v=MNyW_hIB3lw
監禁ノウハウにおいてかなりの高度化がみられます。
おそらく、統一協会への対抗上どんどん過剰になっていたったのかもしれませんね。
>脱会カウンセラーの牧師の教会がカルト化しているとのことですが、どのような点でカルト化しているということでしょうか?
これは前回被害者として報告が挙がった程度なので、次ぎ辺りに聞いてみます。
ただ、ここについては後々調査を入れていくことになるでしょうから、詳しくは言えません。
>統一教会の信仰は異端であり間違っているわけですから、否定されるべきものではないのでしょうか?
いえ、統一協会はカルトだから問題です。
バイブルバプテストの牧師が「リベラルは異端!」「カトリックは異端!」といいKGKまで異端だとメッセージしているのを聞いたことがあります。
否定されるべき?
教理の違いでやりあっても仕方ないです。
それに統一協会は「キリスト教の異端」という地位を上手く利用しています。
キリスト教において異端はそれなりの役割をもっているからです。
むしろ、統一協会を「キリスト教の異端」ととらえるよりも、ちゃんとキリスト教を利用したカルトであると認識した方が良いです。
>入信している限り奴隷状態が続くわけですが、脱会させないでどのようにこの問題を解決するとおっしゃるのでしょうか?
いつだって個別具体的に、その人の状況に合わせる必要があるでしょう。
まず、脱会させようと考えた時点で、相手を変形させようということでしかありません。
そんなに脱会させたいのであれば、井口さんあたりを監禁したらどうでしょう。
韓鶴子とかでもいいです。
>実際、脱会カウンセラーの諸先生に面と向かっておっしゃったことはおありでしょうか?
それが正直申しまして、脱会カウンセラーの部類に入る牧師さんと3人出会ったことがあります。
そのうちの2人が監禁反対なのです。
もう一人は、監禁するような牧師だとは思わずにいました。
監禁牧師のリストを見て、あらまあと思ったのでした。
ということで、私が今度は質問させて頂きます。
第一の質問です。
あなたは人を監禁してその思想を転向させたり、監禁して信仰を変えさせることを聖書から正当化できますか?
第二の質問です。
あなたはイエスさまが人を監禁して説得されたりすると思いますか?
第三の質問です。
目的のために手段が正当化されるといって、人を監禁してその信仰を変えさせて良いと思いますか。
第四の質問です。
特に、イエスさまの宮清めの箇所を用いて、イエスさまも物理的手段を用いているから、監禁も許されるという理論をどう思いますか。
ちなみに、イエスさまの宮清めは2回あったといわれますが、イエスさまも2回も大暴れしたのであれば自分もOKなんじゃないかと思う人がでてくる可能性があるので、ここら辺はしっかりと答えてもらいたいです。
ちなみに、私のハンドルネームであるオリゲネスは、その神学的思想自体はローマから異端宣告されています。
しかし、オリゲネスの精神自体は非常に尊ばれています。
私の好きな教父でテルトゥリアヌスはモンタヌス主義に傾倒したりもしています。
テルトゥリアヌスはモンタヌス主義の精神に思うところがあったのでしょう。
景教はネストリウス派ですが、現在、この景教の流れが浄土真宗に見られるのではないかといわれるようになってきました。そのとき、景教は異端だから否定されるべきと頭ごなしに否定したら話が進まないのです。
異端は否定されるべきという短絡的な発想が、どれほど統一協会の信者に対抗意識を書きたてさせ、うまく統一協会に利用されたか。
反対牧師がもらう謝礼はどれくらいなのだろう?
異端についてはもう一ついわせてください。
ある統一協会問題で闘っている弁護士さんが「私たちにとって統一協会が異端であるか異端でないかなんて関係ない」と言っていました。
弁護士さんは異端問題のために闘っているのではありません。
そこにキリスト教会の牧師が「あれは異端だ!」とやるから話がややこしくなる。
統一協会問題は、「異端問題」とは別個に考えた方がいいというのが、私の持論です。
>キリスト教において異端はそれなりの役割をもっているからです。
異端の役割とはなんでしょうか?
>そんなに脱会させたいのであれば、井口さんあたりを監禁したらどうでしょう。
>韓鶴子とかでもいいです。
それができればやっているでしょう。
しかし、一番は家族を救うことです。家族が一番願っているのはそれです。
>異端は否定されるべきという短絡的な発想
オリゲネスさんは統一教会は異端ではないとおっしゃるのですか?
それとも、異端であってもその信仰を認めるべきだとおっしゃりたいのですか?
>弁護士さんは異端問題のために闘っているのではありません。
>そこにキリスト教会の牧師が「あれは異端だ!」とやるから話がややこしくなる。
弁護士は教義の正当性などに大して興味ありませんよ。当たり前でしょう。
彼らは弁護士として仕事をしているのであり、ビジネスです。
逆にオリゲネスさんに聞きたいですね。
マインドコントロールを用いる異端カルト集団から救出するのに、なぜ監禁してはいけないのでしょうか?
監禁だなんて言葉が悪い。
保護と言ってください。
>逆にオリゲネスさんに聞きたいですね。
おーい、日本語間違えていませんかあ~
私の質問にまだ答えていないのに、逆に聞きたいって言われても・・・・
私の質問に答えた後で、そのセリフをお願いしますね。
再掲します。
第一の質問です。
あなたは人を監禁してその思想を転向させたり、監禁して信仰を変えさせることを聖書から正当化できますか?
第二の質問です。
あなたはイエスさまが人を監禁して説得されたりすると思いますか?
第三の質問です。
目的のために手段が正当化されるといって、人を監禁してその信仰を変えさせて良いと思いますか。
第四の質問です。
特に、イエスさまの宮清めの箇所を用いて、イエスさまも物理的手段を用いているから、監禁も許されるという理論をどう思いますか。
ちなみに、イエスさまの宮清めは2回あったといわれますが、イエスさまも2回も大暴れしたのであれば自分もOKなんじゃないかと思う人がでてくる可能性があるので、ここら辺はしっかりと答えてもらいたいです。
>異端の役割とはなんでしょうか?
これは少し教会史を学べばすぐに分かります。
まず新約聖書正典の編纂にあっては、マルキオン派が重要な役割を果たしています。彼らはパウロに関する新約諸文書を自分の都合の悪ところは削って利用しました。また反対にワレンティノス派は新約諸文書に付け足しをして利用しています。これに対して正統は新約諸文書正典の編纂をする必要となりました。
これについては荒井献著『新約諸文書正典の成立』がもっも優れた資料です。
また、アウグスティヌスが論駁したドナティストたちは、非常に敬虔な人々でアウグスティヌスも尊敬を隠していません。彼らは迫害時代にあって一度棄教した人たちを教会に受け入れることを拒んだのです。このときアウグスティヌスは教会の聖性は「キリストの聖性の保持」にあること、つまり聖なるものはキリストなのだということを語り「教会は病人である罪人の集まり」であることを語ります。
これについてはマクグラス著『キリスト教入門』に結構いい感じで書かれています。私はアウグスティヌスを少し研究した都合上アウグスティヌス著作集『ドナティスト論争』を読みました。異端であってもその精神は素晴らしいものがあるのです。
つづきです。
中世においては、カタリ派とならんで異端とされるワルドー派は、非常に敬虔に福音につかえんとする人々でした。今日では、ワルドーはをプロテスタント教会の先駆的存在と位置づける人々の方が多くなりました。これについては堀米庸三著『正統と異端』がお薦めで、これは良書です。
我らがマルティン・ルターもまた異端宣告されました。今日においてもその異端宣告はとりけされていません。ルターがカトリック教会に与えた影響は甚大なものです。
異端とされるものがキリスト教会においては非常に重要な役割を担っています。
ですから、キリスト教における異端は、歴史的にむげに否定できるものではないのです。
それを上手く利用しているのが、統一協会なのでしょう。
>>そんなに脱会させたいのであれば、井口さんあたりを監禁したらどうでしょう。
>>韓鶴子とかでもいいです。
>それができればやっているでしょう。
>しかし、一番は家族を救うことです。家族が一番願っているのはそれです。
>マインドコントロールを用いる異端カルト集団から救出するのに、なぜ監禁してはいけないのでしょうか?
信仰を変えさせるために監禁を良しとするのであれば、統一協会と言っていることがあまり変わりませんね。
「統一協会は故障した人間の修理工場」だとして「(故障した人間は)、修理工場に行かなければならない人間だ・・・曲がった者は無慈悲にヤスリですって、ナイフでくって、ハンマーで無慈悲に打ちつけてしまえ。きってしまえ。」などと『成約の鐘』には記してあるようです。これは和賀眞也著『統一協会と文鮮明』p245にあります。
統一協会もまさか本気で「ヤスリですって、ナイフでくって、ハンマーで無慈悲に打ちつけてしまえ」をやるとは思いませんが、人間をバンバン修理修正する気概は感じられますね。
脱会屋さんがすることに、私は特に何も言いたくはありません。
でも、牧師がそれをするのであれば、はっきりと「御心ではない」と言います。
>オリゲネスさんは統一教会は異端ではないとおっしゃるのですか?
>それとも、異端であってもその信仰を認めるべきだとおっしゃりたいのですか?
再掲します。
統一協会問題は、「異端問題」とは別個に考えた方がいいというのが、私の持論です。
ローマ教皇が統一協会を異端ですらないと言ったそうですが、卓見です。
統一協会は、キリスト教の異端の地位を利用しているということであれば、異端というカモフラージュをしているカルト集団です。
キリスト教の異端であるということであれば、世間の人々はキリスト教の内部の教理的な問題だとして、自分たちには関係ないとして関心をしめさない人は多いでしょう。
しかし、キリスト教の異端ではなく、一般の人々を巻き込むカルト集団であるということであれば、世間は警戒します。
上記と反対のことをいえば、統一協会の信者が自分たちの神は「聖書の神」と同じものであると考えているとするならば、たとえ統一協会という団体自体は異端の地位を利用したカルト集団でしかなくても、私は個々人の信徒らを異端の人々という括りで理解します。いや、異端というより、やはり信仰者として向かい合うでしょう。「神のために」が彼らと私の接点ですからね。
>>脱会説得のやり過ぎの問題とは、具体的にどのようなことを指して言っているのでしょうか?
>http://www.youtube.com/watch?v=MNyW_hIB3lw
>監禁ノウハウにおいてかなりの高度化がみられます。
家族が願っているのは信者の脱会に他なりません。
そして統一教会から脱会させるにはそれくらいの事は必要です。
・オリゲネスさんなら、どのように解決するのですか?
>牧師がそれをするのであれば、はっきりと「御心ではない」と言います。
・では、なぜ前出のリストの牧師さんに面と向かって言わないのですか?
私の質問に答えた後で、そのセリフをお願いしますね。
再再掲します。
第一の質問です。
あなたは人を監禁してその思想を転向させたり、監禁して信仰を変えさせることを聖書から正当化できますか?
第二の質問です。
あなたはイエスさまが人を監禁して説得されたりすると思いますか?
第三の質問です。
目的のために手段が正当化されるといって、人を監禁してその信仰を変えさせて良いと思いますか。
第四の質問です。
特に、イエスさまの宮清めの箇所を用いて、イエスさまも物理的手段を用いているから、監禁も許されるという理論をどう思いますか。
ちなみに、イエスさまの宮清めは2回あったといわれますが、イエスさまも2回も大暴れしたのであれば自分もOKなんじゃないかと思う人がでてくる可能性があるので、ここら辺はしっかりと答えてもらいたいです。
>オリゲネスさんなら、どのように解決するのですか?
その人によりますかね。
ただ、私の出会ったイエスさまを伝えます。
私は統一協会の人であれ、そうでない人であれ、私が受け継いだ福音の他に何も持ち合わせていません。
そもそも私は福音のためのみに彼らと接するのですから。
ちなみに、どのように解決するのですか?って、解決なんてあるの?
私は脱会させようなどという魂胆はありません。
むしろ彼らの純粋な信仰と神に対するその純粋な部分だけを受け取れたらいいです。
>では、なぜ前出のリストの牧師さんに面と向かって言わないのですか?
そりゃ、目の前に現れたら言うでしょうね。
でも、目の前に現れないのに何で「面と向かっていわないのか?」となるのでしょう。
それこそ物理的に無理な話です。
それとも、そのリストとやらの牧師さん全員にあって、一人一人に「ダメ!」と言って歩けとでも???
むしろ反対に、カルト脱会に関わる牧師さんからは「監禁はダメだ」と言われてしまったのですけどね、私は。
理不尽な質問を投げかけるのではなく、いい加減に私の質問にも答えてください。
私はちゃんと答えていますよ。
せめて誠意をみせて、私の質問にも答えてください。
あなたは私の質問には答えず、私だけがあなたの質問に誠意をもって答えています。
オリゲネスさん
>第一の質問です。
>あなたは人を監禁してその思想を転向させたり、監禁して信仰を変えさせることを聖書から正当化できますか?
聖書から正当化しなくても良いと思いますね。
>第二の質問です。
>あなたはイエスさまが人を監禁して説得されたりすると思いますか?
私はイエスさまではないので分かりませんね。
>第三の質問です。
>目的のために手段が正当化されるといって、人を監禁してその信仰を変えさせて良いと思いますか。
相手がカルト信者なら仕方ないんじゃないでしょうか。
>第四の質問です。
>特に、イエスさまの宮清めの箇所を用いて、イエスさまも物理的手段を用いているから、監禁も許されるという理論をどう思いますか。
相手がカルト信者なら良いんじゃないでしょうか。
>ただ、私の出会ったイエスさまを伝えます。
被害者家族は信者の脱会を何よりも願っていますし、それ以外に問題の解決法はありません。
・オリゲネスさんが「私の出会ったイエスさま」を信者に伝えたところで、何が解決するのでしょうか?
>むしろ彼らの純粋な信仰と神に対するその純粋な部分だけを受け取れたらいいです。
・カルト教団の信者に純粋な信仰があると思いますか?
>>目的のために手段が正当化されるといって、人を監禁してその信仰を変えさせて良いと思いますか。
>相手がカルト信者なら仕方ないんじゃないでしょうか。
そんな考えはダメですよ(^-^)
それでは、カルトと同じになってしまいます。
私たちはカルトと同じであったらダメです。
>カルト教団の信者に純粋な信仰があると思いますか?
さあ、どうでしょう。
でも、彼らのその想いを私たちが受け取れずして、そこに救いはありません。
私の教会にカルト化教会で100万円をとられてしまったお婆ちゃんがいます。
最初は「お金を貸してくれ」ということだったのに、貸したお金の話に触れるとカルト化牧師さんは声を荒げてふて腐れるのだそうです。
そこでお婆ちゃんは100万円を「じゃあ、それもう献金にします。」とあきらめてしまったそうです。
もう10年以上も前の出来事ですけど、それをお婆ちゃんは私に話てくれました。
私はそのカルト化牧師に対して怒りを覚えたのですが、このお婆ちゃんが言うのです。
「あの100万円は神さまに捧げたんですよね?」
私は「その牧師に騙されたんじゃないか!」と喉まででかかってその言葉を止めました。
そして「安心して、ちゃんと神さまは受け取ってくださったから。」って答えました。
そうしたら、お婆ちゃんは安心した顔になって、「よかった」と。
私はこのお婆ちゃんだから、その方が良いと思って伝えました。
お婆ちゃんがもっと元気な若い人だったら、「そりゃ、騙しだよ!そんなの献金じゃない!」というかもしれません。
その人によります。
統一協会で一生懸命に活動してきた人たちは、もちろん文鮮明という人間のために非合法な活動や人を騙しての活動をしてきたかもしれません。
でもね、誰かが彼らの本当に「神のために」と思って捧げた部分をちゃんと受け取ってあげないといけません。
だから、私はむげに否定できないのです。
「あなたの信仰は間違いです!」で解決するとは思えません。
事は信仰の問題です。
私の主イエスであれば、「あなたは文鮮明という紛い者に捧げていたかもしれないけれど、ちゃんと私はあなたの『神に捧げたい』という心を受け取りましたよ。」といってくれるような
気がします。
信仰者って、大金を失ったとしても、ちゃんと「心」が受け取られれば結構それで満足できてしまうんです。
それなくして「あなたは騙された!」と否定され、脱会できたとしても何かを失ったままで終わる。
私は信仰者だからそこにこだわります。
脱会屋さんや信仰者でない方々には、理解できない部分でしょう。
>オリゲネスさんが「私の出会ったイエスさま」を信者に伝えたところで、何が解決するのでしょうか?
私はキリスト者ですから、福音以外に何も持ち合わせていません。
牧師だったらなおさら、脱会屋ではない。
牧師というのであれば、キリスト者としてまず福音に仕える者である必要があります。
だから監禁牧師に対して疑問なのです。
脱会屋と同じことをしてはダメです。
ちゃんとイエスさまを伝えてあげないと、彼らがかわいそうです。
「へえ、聖書の神さまって、そんなもの」としか思えないでしょうに。
>統一協会で一生懸命に活動してきた人たちは、もちろん文鮮明という人間のために非合法な活動や人を騙しての活動をしてきたかもしれません。
>でもね、誰かが彼らの本当に「神のために」と思って捧げた部分をちゃんと受け取ってあげないといけません。
>だから、私はむげに否定できないのです。
>「あなたの信仰は間違いです!」で解決するとは思えません。
・神のため?統一信者は文鮮明に捧げてきたのではありませんか?
>ちゃんとイエスさまを伝えてあげないと、彼らがかわいそうです。
>「へえ、聖書の神さまって、そんなもの」としか思えないでしょうに。
・オリゲネスさんがイエスを伝えて、統一信者は何か変わりましたか?
>・オリゲネスさんがイエスを伝えて、統一信者は何か変わりましたか?
変わる努力をしないなら、何を言っても無駄
オリゲネスが何を言っても無駄。
>神のため?統一信者は文鮮明に捧げてきたのではありませんか?
文鮮明を神だと思って「神のため」に捧げてきたのでしょう。しかし統一協会の信者さんは、その純粋な想いを踏みにじられてもきたわけです。しかし、私の主であれば、その踏みにじられたものを全て「私が全て受け取ろう」とおっしゃってくださるように思います。なぜなら、イエスさまもまた、無惨に踏みにじられたからです。イエスの十字架は文氏が言うような失敗などではなく、私たちの傷と痛みをその身に負ってくださったからで、私たちには十字架が必要だったということです。だから、私の主であるイエスは、踏みにじられ無惨に捨てられた「大切な想い」を「私が全て受け取った」と言って受け取ってくださる。本当の神さまは一味もふた味も違いますからね。
>オリゲネスさんがイエスを伝えて、統一信者は何か変わりましたか?
私自身の統一協会との出会いは、15年前です。当時の私の教会に問題を抱えて来た親子がいました。娘さんが統一協会に通っていることを心配した母親が私の教会に連れてきたのでした。ところが、当時の私たちは統一協会に対する認識がなく、牧師は少々ふざけた人間でもあって、事態を非常に軽く考えていました。娘さんは合同結婚式にいくための親に対するカモフラージュとして当時の私の教会に通ってきたのでした。まんまと騙されました。そのとき、私もまだ若く、統一協会について調べその実態を知ることになったときは後の祭りでした。母親の泣き崩れる姿が私の心に焼き付いています。私はどうすることもできませんでした。この嘘ハ百だけはどうすることもできません。当時もエホバの証人であれば、聖書を用いて言い負かすことはできたのですが、統一協会ばかりは今の私には無理だと考え、私は統一協会問題を後の私の課題として心の奥に封印することにしました。ただこの母親の姿だけは決して忘れないようにと魂に刻みつけました。それから15年が経ちました。私も紆余曲折を経て、人生の課題であるこの問題に向かい合う時が来たのだと思ったのです。それが2年ほど前です。
統一協会に関わる人との出会いは2人います。
私はその娘さんが残した資料を母親から頂きました。心情日誌やら講義ノートやらです。それを2年ほど前からパラパラと見るようになりました。
一人の統一協会の信者さんと知り合いになり、深く信仰について語り合うようになりました。彼は私の想像していた統一協会の信者のようではありませんでした。ある時、「なぜ、あなたは私に対して相対基準をずらさないのか」と尋ねると、「私にはその必要がないから」と言います。彼は本当の意味で「神のために」生きたいと願っていたのでしょう。
そんなことで、信仰の交流を始めていると、突然彼は暴挙に出ました。統一協会を告発したのでした。私はビックリしました。彼の告発した内容はその時の係争中の裁判にも資料として提出されました。もちろん彼に対して統一協会からの圧力がかかりました。その後、彼と会ったのですが、彼はやはり良い信仰者でした。私は尊敬しています。私は彼に分派をつくるように伝えました。もちろん彼には断られましたけど。これ以上は言えません。
もう一人の人は女性です。彼女は統一協会を脱会したばかりでした。「神さまへ」の信仰は風前の灯火というか、炭火の欠けらの残り火といった感じでしたが、私の話をよく聞いてくださって見事にキリスト教会に通うようになってくれました。現在も、ご主人さんの脱会を祈りつつ闘っています。彼女には信仰が生きています。
通るところを通った者でないと語れない福音というものがあります。統一協会でボロボロになった彼女でしか語れない福音があります。彼女の言葉にはたくさんの人が癒されています。
私の統一協会に関する知識の多くは、彼女から学んだことです。
ただ、今は私の方から連絡を断っています。
私自身が統一協会の問題に関わる資質があるか否か疑問に思える出来事があったからです。私自身が願っても、神さまが許さないのであれば私は関わるべきではないからです。特に、統一協会の問題は深刻ですから。
そんなこともあって、私は別のカルト問題に関わっています。統一協会の問題に現実に手を出すべきか否か、御心かどうかを祈っています。
自分自身の見極めが必要でもあります。
私はこの2人からたくさんのことを学びました。
どちらかというと私が何か教えたのではなく、私の方が学んだような感です。
オリゲネスさんはイエスが生き返ったとか信じてるんですか?
カルト信者と変わらないですね。
よくありますよね。ミイラになってるのに、まだ生きてる!とかw
言い方はキツイが一理あるわな。
キリスト教だって免罪符とか言って罪の救いを金で買わせてたし、無実の人間を魔女扱いして火炙りにしたり、地動説を主張した科学者を処刑したり、オウムにも引けを取らないカルト。
仏教も死んだ人間に名前つけるだけでウン十万取るしな。
新興宗教のこと言えないぞ。
>キリスト教だって免罪符とか言って罪の救いを金で買わせてたし、無実の人間を魔女扱いして火炙りにしたり、地動説を主張した科学者を処刑したり、オウムにも引けを取らないカルト。
キリスト教の暗黒の歴史については、目を塞いではなりませんね。
歴史の中で多くの過ちがあります。
今日でさえ、キリスト教原理主義者たちはイラク侵攻を支持しました。
とても恥かしいことです。
いまだに、プロテスタント教会の多くはカトリック教会に対して敵対意識をむき出しにしています。同じ神さまを信じる者同士であるのに、そんなことをしていたら者笑いの種でしかありません。
統一協会に若者たちが居場所を見出してしまうことの大きな原因の一つには、キリスト教会が福音をおろそかにしてきたことにあるのかもしれません。
こういったことについて、統一協会はごまかし続けてしまっているのですが、こんなことでいいはずがないのになあ。
http://www.youtube.com/watch?v=XzjX1t_k4S4
宗教の世界では、「確信の強さ」がそのまま「信仰の強さ」と見なされ、常に強固な信仰が奨励されます。
ですから、仲間が多くいればいるほどに、確信が増幅されるので、あえて自己検証をすることをしなくなってしまう傾向があります。
常に、自己批判、自己反省を持っている「信仰の強さ」とは反対に、仲間による「確信の強さ」で保たれている「信仰」は外部の批判に対しては非常に保守的となります。
そこに脱会を目的として介入して行くことは、妨害や迫害としか映りません。
本来の福音の持っている「解放」ではなく、結果は返って「信仰」を強化させる方向へと向かうことになります。
相手を変形させるためには力を加えねばなりません。力が加われば、そこに抵抗が生まれます。
脱会が目的であれば、相手は逃げるでしょう。
それをさせないためには、監禁する他ありません。
しかし、他者の意志に強制的に介入することは「御心ではない」です。
「神のために命を捨てる」気概で信仰生活を送っている人間に対して、「あなたは騙されているから、それを辞めて普通の生活に戻れ」と言っても、いちど普通の生活に見切りをつけている人たちですから、理想に向かって歩んでいる前進を辞めて一般のレベルで生きろといっているように聞こえ、もっといえば堕落せよと言っているように受け取られるでしょう。
彼らは「普通」の生き方に限界を感じて、理想を強く求めて歩んでいることは、やはり認めねばなりません。
統一協会の人々は目的のために手段は正当化されると考えているようですが、それは革命のためにとあらゆる非合法活動を正当化するテロ組織や革命家たちも同じようなことをしています。
本当に目的が正しければ手段もまた正しくなければならないはずです。
だから「神に生きる」ということが本当の意味で誠実に生きることである必要があるのです。
本当に理想に生きたいと願うならば、人を騙したりするずる賢さではなく、目的のために手段が正当化されるような汚さではなく、誠実さの中にある強さを持つ必要があります。
本当に「神のために命を捨てる」というのであれば、今ある理想をも突き抜けて、一点「本物」を見つめねばならなくなります。
>統一協会に若者たちが居場所を見出してしまうことの大きな原因の一つには、キリスト教会が福音をおろそかにしてきたことにあるのかもしれません。
・キリスト教会が若者にとって居場所になってないのでは?
>そこに脱会を目的として介入して行くことは、妨害や迫害としか映りません。
>脱会が目的であれば、相手は逃げるでしょう。
>それをさせないためには、監禁する他ありません。
>しかし、他者の意志に強制的に介入することは「御心ではない」です。
統一信者はマインドコントロールされた文鮮明の奴隷です。莫大な献金ノルマが課されます。家族の財産も奪います。
あるいは、韓国の田舎へ嫁がされ、死ぬまで奴隷生活を強いられます。
・脱会させないで、オリゲネスさんはそれらをどのように解決するのでしょうか?
>彼らは「普通」の生き方に限界を感じて、理想を強く求めて歩んでいることは、やはり認めねばなりません。
・では統一信者の信仰を認めるということですか?それでは何の解決にもならないのでは?
オリゲネスは女にもてないので、カルトに嵌った女を唆そうと必死ですな。自分のチンポのデカさを誇らしく思っているのだろう。でもそのチンポはションベン臭いんだよw。せめてしゃぶれるように綺麗にしな。チンカスだらけで汚いw
>キリスト教会が若者にとって居場所になってないのでは?
その通りだと思います。
その点において、統一協会はキリスト教会よりも何かが優れているのだと思います。
良い者がなくてただマインドコントロールされているから統一協会をやっていのではないはずです。
だから、「教理が間違っている」と頭に訴えても、それ以上に大切に思えるものがあるのかもしれません。
それに、そんな風に人を監禁するような人が語る言葉を信じようとは思わないでしょう。
>脱会させないで、オリゲネスさんはそれらをどのように解決するのでしょうか?
さて、どうしましょうか。
私だったらですが仲良くなりますかね。
まずあらかじめ監禁などしないことを約束してから、一緒に信仰について語り合います。
もちろん、相手は文氏のことをほめたたえるでしょうけど、きっと私はそれを聞いて、その人が文氏をどのように大切に思っているかを理解しようと努めます。
かつて出会った統一協会の信徒は、「文氏のメッセージは素晴らしい」と私に教えてくれました。
彼らは素晴らしい人だと思っているから、信仰しているのであって、彼らが思っている通りの人物であれば、彼らが信じてもおかしくはありませんからね。悪人だと思って信じているのであれば、本当の意味で語るべきものはないのですが、悪い人だと思って信じている食口は一人もいないはずです。
その意味において、私は彼らから文氏のことを聞いて納得します。
そして信仰にあって友達になれたらいいかもしれない。
少なくとも、彼が統一協会を出たときに、ちゃんと頼れる場所を用意しておきます。
>もちろん、相手は文氏のことをほめたたえるでしょうけど、きっと私はそれを聞いて、その人が文氏をどのように大切に思っているかを理解しようと努めます。
>私は彼らから文氏のことを聞いて納得します。
>そして信仰にあって友達になれたらいいかもしれない。
・それでは苦しんでいる家族の問題は全く解決しませんよね?オリゲネスさん。
私と語るべきを語ったら、あと脱会するしないは本人にゆだねます。
福音とは解放です。
私は福音以外にはもっていないので、福音に仕えるのみです。
その本人が福音に触れるのであれば、それが脱会という形であれ、統一協会に残る形になったとしても、私に不正がなかったこと、真実に話し合ったことの記憶は残りますからね。
すぐにであれ、1年後、5年後、10年後であっても、ちゃんと頼るべき所を用意しておきます。
>それでは苦しんでいる家族の問題は全く解決しませんよね?オリゲネスさん。
すべての問題を解決はできないし、この問題には解決などありません。
>すぐにであれ、1年後、5年後、10年後であっても、ちゃんと頼るべき所を用意しておきます。
・若者の居場所のないキリスト教が頼られるものでしょうかね?
>すべての問題を解決はできないし、この問題には解決などありません。
・被害家族が求めているのは現実的な解決への道筋ですが?
>若者の居場所のないキリスト教が頼られるものでしょうかね?
本当に教会にキリストがおられるならば、人はそこに平安をえるでしょう。
だから、いかなる福音に仕えているか、いつも考えさせられます。
>被害家族が求めているのは現実的な解決への道筋ですが?
ご家族の考える解決と本当の意味での解決は違うかもしれませんね。
たいてい親の言う通りに歩めないもので。
何が本当の解決か、それはわかりませんよ。
脱会屋さんはお金をもらって親の要求を遂行すれば解決かもしれませんが。
オリゲネスはカルトにトチ狂った姉ちゃんのマンコにデッケェテメーのチンポ を入れたいんやろうな。
普通のねえちゃんにはもてんからカルトにしぼったんだな。
どうせなら、憑依された姉ちゃんがええやろw
目がいっちゃってやりながら、真のお父様ていわれたいんやろw
俺ならチンポ縮むぜ!!
さすが、毎日オナニーでチンポ鍛えてあるからチンポ立ったまんまやろww
姉ちゃん気をつけなはれwww
統一協会の人たちは理想のために戦っているのでしょう。
しかし、戦う中で何かに囚われ、そう献身したその日から神のために生き、死ぬときは神の喜びのためと信じて死のうと考えているのかもしれません。
理想のために戦うという彼らの考え自体は間違ってはいません。
ただ統一協会で生きる限り、いつかは身ぐるみ剥がされ、協会からは切り捨てられ独りあわれに野たれ死ぬことになります。
それでも死を覚悟してわが身を捨てて自分は理想のためにと戦っていきたいと願っている人々に何をどう伝えたらいいのでしょうか。
私たちキリスト者にあっても、時代の中で自らが信じるところの理想のために死んだ者もいます。
わたしの教会の本日の礼拝メッセージは、ステパノの殉教の箇所からでした。
キリスト教最初の殉教者とされる人です。
彼は群衆から石を投げられるなかでも、その信仰を貫きました。
彼の目は天が開かれるのを見たそうです。
わたしの尊敬する初期キリスト教教父オリゲネスもまた、迫害時代に拷問を受けて見事にその試練に耐え抜いた人物です。
彼らと統一協会の人々と、何が違うのでしょうか・・・
といっても、私にはまるで違って見えるのですけどね(^-^)
統一協会の人々の多くは、中途半端です。
もし本当に「真理のために命を捨てる」「神のために命を捨てる」というのであれば、もっと考えるでしょう。
もっと真剣に、何が本当で、何が間違っているか。
信仰とは何か?
人を本当に生かすものは何か?
人を騙して本当に神の国などつくることができるのか?
本気であれば、もっと真剣に考えるはずです。
だからマインドコントロールされているとかいわれてしまうのです。
私がいまだにしっくりこない問題、解けない疑問があります。
こんな話からですが、マレーシアの独立のために戦った人たちの中に日本人がいたそうです。彼は日本兵としてマレーシア独立の大義名分の元に進駐したのですが、日本が戦争に負けると仲間はみな引き揚げていきます。彼はマレーシアに残り独立のために共産軍にまざってゲリラ戦に加わったそうです。思惑とはまるで反対に、共産ゲリラが排除される形でマレーシアが独立すると、彼は日本に返ってきました。その時、彼は共産党員として帰国したそうです。
私はこの話を聞いて、本気で考えたらそうなるだろうなと思いました。本気でマレーシアの独立のために命をかけると考えたら、日本が負けたくらいでなぜ止めねばならないのか。独立させるためにはどうしたらいいのか?彼がすぐに帰国せず共産軍のゲリラに加わったのも、彼が本気で考えたからではないか。
パウロも本気で考えたのだと思います。ステパノの殉教を見て、本物の神であれば「目的のために手段を正当化する」だろうか?目的が正しければ手段もまた正しくあるべきではないだろうか?人の心を散々踏みにじって、人を騙して建て上げられた王国が天国になるだろうか?
本気で考えたらやはり人は変わらねばなりません。
本気で考えたら、人は変わります。
変わらないのは、中途半端だからだし、本気じゃないからなのではないか。
本気で「神のために命を捨てる」とやってきたのであれば、脱会牧師がその信仰を「間違っている!」と否定しようとも、本当の神に生きるはずです。本気で考えたら、同じようであっても本物か偽物か、その違いがはっきりと見えてくるはずです。
本気で考えたら、統一協会でやっていることがおかしなことであることはわかります。
私と語り合った統一協会の信徒さんもそうでした。
彼が突然にして統一協会を告発をしはじめたように、本気で神のためにとやろうとしたら、大きく人は変わらなければなりません。
オリゲネス本気で変わらないといけないのはお前だよ!思っている事とここに書いている事180度違うww
本気でもない奴がネットでは本気の振りをするw
胆力がないのがその証拠!!
>本気で考えたら、統一協会でやっていることがおかしなことであることはわかります。
>私と語り合った統一協会の信徒さんもそうでした。
>彼が突然にして統一協会を告発をしはじめたように、本気で神のためにとやろうとしたら、大きく人は変わらなければなりません。
・ではオリゲネスさんは、統一教会がどのように変わるべきだと言うのですか?
>ではオリゲネスさんは、統一教会がどのように変わるべきだと言うのですか?
「統一教会がどのように変わるべき?」
なぜそのような質問をされるのでしょうか?
私が何か言って変わることはないのでは・・・
言ってい良いのであれば、もう人を騙すことはやめるのがいいです。
人を騙して良しとする神さまは、果たして本当の神でしょうか?
おそらく、入信する前はみんな、そのようなことは悪いことだし、そのようなことを許可する者は神ではなく、その反対の性質のものであると分かっていたはず。
入信する前はそんなつもりではなかったし、人を騙してお金をとるなんてことをするような人間になりたくはなかったはず。
もっと誠実に生きることができるようになるべきですね。
ただ、どう変わって行くかといえば、キリスト教の教理からますます離れていくでしょうね。
献金要請も増えるでしょうし。
韓鶴子体制がうまく立ち回れるようには思えないので。
文氏がダメだったらまた再臨主が来られるまでに400年はかかる」と言われた人がいたそうで、さてそこら辺はどういう事情かわからないのですが、文氏が死んだ時点でもうダメですよ。
基元節なんて、あれだけ献金要請をする口実にしていたのに、過ぎてしまえばもう用済みで、新しい献金目標へと向かうでしょう。
ただ衰退に向かうことは間違いないです。
できましたら、固定ハンドルにしていただけると呼びやすいし、返信しやすいのですが、ぜひお願いします。
オリゲネス口説いてやっちまう気満々だなww
姉ちゃん気をつけな!!
スタンガン用意した方が良いよwww
>言ってい良いのであれば、もう人を騙すことはやめるのがいいです。
>人を騙して良しとする神さまは、果たして本当の神でしょうか?
>おそらく、入信する前はみんな、そのようなことは悪いことだし、そのようなことを許可する者は神ではなく、その反対の性質のものであると分かっていたはず。
>入信する前はそんなつもりではなかったし、人を騙してお金をとるなんてことをするような人間になりたくはなかったはず。
>もっと誠実に生きることができるようになるべきですね。
オリゲネスさんの言う、統一教会が人を「騙している」というのは具体的にどういう行為を指していますか?
>オリゲネスさんの言う、統一教会が人を「騙している」というのは具体的にどういう行為を指していますか?
https://www.youtube.com/watch?v=vFlmv_Ynobg
https://www.youtube.com/watch?v=XzjX1t_k4S4
以上のようなものです。
監禁なくして大切なことを伝えること、また本当の解決を見いださなくてはならない。
そのとき、やはりもっと考えなければなりません。
監禁の手段を選び、その技法を精錬化させるよりも、それを避けて別のあり方を探るためにはどうすべきか。
オリゲネスお前、カルト女に興味持っても不幸になるだけだぞww
なんか、お前見てると女性専用車両に愚だ愚だ文句たれてる、おっちゃんと同じやないけ、注目してみい!絶対無くなりゃせんから。
胆力もねえ、幸せでもねえ、人生に価値を見出せていねえ、お前がまず変わる努力をせんと!!
>以上のようなものです。
では、統一教会を名乗って活動すればOKということですか?オリゲネスさん。
あなた、統一協会だなんて、名乗れるわけないでしょうが!
霊感商法で印鑑を売った新世の時、統一協会はトカゲの尻尾切りのようなことをしたんではなかった!?
それを今さら統一協会でーすと霊感商法をやったら、やっぱりおまえらがやってんじゃねーかとなるでしょ。
悪いことをするのに、堂々と名乗りをあげられるわけないでしょ!!
何を言い出すのやら…
オリゲネス
女性専用車両に愚だ愚だ文句たれてる、おっちゃんと同じやないけ、煙たがる女性客に文句言っても何も始まらない!
霊感商法や脱会だとか分派だとか無駄だよ。
例え統一協会が存在しなくてもそれに準じたカルトに入る事になる。
それが必然だと言う事だ。
その本人が断ち切る以外方法はない。
だから、お前はこんなところで無駄な時間を使うよりお前自身を変える努力をする進める。
カルトと共に地獄に落ちる人生をお前が望むなら話は別だがな。
沖縄のKJさんっていまどうしてるんですか?
>女性専用車両に愚だ愚だ文句たれてる、おっちゃんと同じやないけ、煙たがる女性客に文句言っても何も始まらない!
こんなくだらない事しか言い返せないのかねぇ~
>>女性専用車両に愚だ愚だ文句たれてる>おっちゃんと同じやないけ、煙たがる>女性客に文句言っても何も始まらない!
>こんなくだらない事しか言い返せないのかねぇ~
なるほど!綺麗な景色を見てあまり感動したことがないらしい
それでは憑依されてもおかしくないな。
https://pbs.twimg.com/media/BA3URt7CAAAHOTj.jpg:large
>綺麗な景色を見てあまり感動したことがないらしい
偽装勧誘がキレイなケシキに見えるらしい・・・
>綺麗な景色を見てあまり感動したことがないらしい
偽装勧誘がキレイなケシキに見えるらしい・・・
2013年3月22日 11:48
↑
https://pbs.twimg.com/media/BA3URt7CAAAHOTj.jpg:large
このURLを確認せずに書いたのか?
意味そのもの違うのに感性が鈍い!
恥ずかしい奴だww
>このURLを確認せずに書いたのか?
なんで?すり替えに乗らんといけんの?
カルトの詭弁に乗らない、対話の鉄則だよw
>このURLを確認せずに書いたのか?
なんで?すり替えに乗らんといけんの?
カルトの詭弁に乗らない、対話の鉄則だよw
2013年3月22日 23:25
↑
あんたの人生ですからww
どうでも良いんですけどね。
自己責任で他人に頼らない人生を送って下さいね。
>女性専用車両に愚だ愚だ文句たれてる、おっちゃんと同じやないけ、煙たがる女性客に文句言っても何も始まらない!
偽装勧誘を批判する事=女性専用車両に愚だ愚だ文句たれてるおっちゃん
どう同じなんだろ?
カルトの思考はわからんな~
どう同じなんだろ?
カルトの思考はわからんな~
↑
カルトに嵌った人には
そりゃわからんでしょうww
言わせないで下さい
恥ずかしいですよww
>どう同じなんだろ?
>カルトの思考はわからんな~
まさか!自分がカルトの思考の人間じゃないとでも思っているのではwww
偽装勧誘を批判する事=女性専用車両に愚だ愚だ文句たれてるおっちゃん
が、同じく見えたらおしまいだねw
りっぱなカルト思考
偽装勧誘を批判と女性専用車両に愚だ愚だ文句たれてるおっちゃんは同じレベルですよ。
申し訳ないですけど。
では
統一協会そのもを批判しないで偽装勧誘の批判しているわけですね?
そうではないでしょ!
下らない事で自分の人生を潰すなと言っているんですよ!!!
アンタはカルトと戦っているのではなく中毒になっているだけでしょうが!
憑依された人にいろいろ言っても仕方ないけどね。
「文鮮明が死んじゃったので、再臨主はあと400年くらいしない」と来ないと言う人は統一協会にいないのでしょうか?
かつて文氏がまだ元気なときは、そんなことが言われていて、「また再臨主が現れるためにはもう400年待たねばならなくなるから、今しかない!」と献金をあおっていたと聞いたことがあるのですが・・・
ところで、この靖国神社での統一協会の活動はどうなったのでしょう?
それにしても、久保木さんを日本の天皇陛下の身代わりにして、文鮮明を礼拝させたりしたりしているのだから、これは止めてほしい。
幸福の科学ですら昭和天皇の霊言なんてことはしないでしょうに。
ちなみに、大川隆法さんは文鮮明氏の霊言を語っているそうなので、統一協会は金孝南さんという霊媒師ではなく、大川隆法さんを迎えて文鮮明の霊言を語ってもらえばいいのに。
>かつて文氏がまだ元気なときは、そんなことが言われていて、「また再臨主が現れるためにはもう400年待たねばならなくなるから、今しかない!」と献金をあおっていたと聞いたことがあるのですが・・・
どこのデタラメ情報だよオリゲネスw
>ところで、この靖国神社での統一協会の活動はどうなったのでしょう?
基元節といい、そんなに興味あるなら自分で調べりゃいいだろ。
そもそもオリゲネス自身は天皇陛下のことをどう思ってんだよって話。
>統一協会そのもを批判しないで偽装勧誘の批判しているわけですね?
’統一教会そのも’批判を、自らガンバレ~
>そもそもオリゲネス自身は天皇陛下のことをどう思ってんだよって話。
私の天皇論はここで披露するつもりないです。
ただ、久保木さんを身代わりにした天皇に文鮮明を礼拝させるなんて、とんでもないことです。
そんな団体が靖国神社に食指を伸ばしているのであれば、おそろしいことです。
カルト新聞のこの記事なければ、危ないところでした。
ぜひ、靖国神社側は警戒して頂きたい。
>ただ、久保木さんを身代わりにした天皇に文鮮明を礼拝させるなんて、とんでもないことです。
まず、そのデマの出処は?
まさかウィキペディアとか言うなよw
デマではなく「副島手記」です。
このために副島さんは「勝共の空手使い」らしき人にめった刺しにされました。
古株の井口さんあたりは、この「空手使い」を知っているのではないかと思っているので、こんど聞いてみてください。
井口さんとは↓ここでは断食屋として知られている人のようです。
http://saikasou.nobody.jp/shokyo-rengo/touitu.moe-nifty.com/blog/2008/08/post_8278.html
結局、副島の手記が事実だとは限らんよね。
デタラメを事実であるかのように書いたから激昂した人がいたのかもしれんし。
事実をデタラメというところが、統一協会の技ですから。
霊感商法も統一協会は無関係だと主張して、事実をデタラメだとしましたね。
嘘ばっかりついてさ。
もっと誠実に生きればいいのに。
小さい頃、そんな人間になんて成りたくなかったはず。
統一協会に入信して以来、事実をデタラメというようになってしまったことは、ここでもう一度確認しておこう。
本当に神にあって生きたいと願うならば、偽りと本物を見抜くことができるはず。
そして、決して偽りに身をゆだねない勇気と決断を必要とします。
弱い人間が踏みにじられ、切り捨てられ、人を騙し、自己の正義のみを成し遂げようとする信仰は、神のものではありません。
本当に神を信じたいならば、決して悪に身をゆだねない勇気と決断をしてください。
統一協会はいろいろな宗教に信者を侵入させると聞きますが、そうなのでしょうか?
たとえばどこだよオリゲネス。
>本当に神にあって生きたいと願うならば、偽りと本物を見抜くことができるはず。
だったらオリゲネスはどうしてキリスト教なんか信じてるの?
>>本当に神にあって生きたいと願うならば、偽りと本物を見抜くことができるはず。
>だったらオリゲネスはどうしてキリスト教なんか信じてるの?
それはどういう意味?
「だったら」と「オリゲネスはどうしてキリスト教なんか信じてるの?」のつながりが分からないのだけれども、「どうしてキリスト教なんか信じているの?」という部分について、答えますね。
私の場合は、イエスさまならば従えると心から思えたからです。
とても謙遜でね。
十字架に至るまで偽りがなかったでしょ。
たいていの神は、人間の犠牲をもとめるけれども、この神は自らが犠牲になりましたから。
心から拝することができるのですよ。
イエスの宣教活動や十字架の処刑は事実だとしても、水をワインに変えたとか、水の上を歩いたとか、死んだけどすぐ生き返って空に飛んでいったとかは後世の創作でしょう。
創世記などに至っては、よくある神話・おとぎ話の類に過ぎません。
そんなトンデモをわざわざなぜ信じるのかと言うことです。
霊感商法やって社会に被害を与えてるわけでも
偽造勧誘で世間を騙してるわけでもないし
どっかのトンデモカルトと違うし他人がとやかく言う必要もない
カルトに騙されたからって責任転嫁してもあさましいだけ
無実の人々を魔女呼ばわりして火炙りにしてきたのは他でもないキリスト教なんですけどね。
殺人ですよ。
で、私のオリゲネスさんへの質問に他人のあなたが割って入ってとやかく言う必要はありませんね。
こうしてちゃんと応答してくださること、ありがとうございます。
できましたら、私との対話の間は固定ハンドルでお願いしたいです。
応答しやすいのです。
>そんなトンデモをわざわざなぜ信じるのかと言うことです。
さて、「水をワインに変えたとか、水の上を歩いたとか、死んだけどすぐ生き返って空に飛んでいったとか」このようなことを、私たちは「奇蹟」と言っています。
奇蹟を信じられないということは、それは仕方ないことだと思います。
神さまであればできるということは、理性でははかれないということですから。
>無実の人々を魔女呼ばわりして火炙りにしてきたのは他でもないキリスト教なんですけどね。
>殺人ですよ。
この答えを利用させていただき、私の意見を述べる機会させていただきます。
キリスト教とは、イエス・キリストという一点にすべてがかかっています。
そんなものが「宗教」という定義にあてはまるか、宗教といえるだけの構成要件を満たすか、キリスト教とは実のところそのように危ういものです。
さて、中世における魔女裁判を見るとき、はたしてイエスさまだったらそのようなことをするだろうか?
決してそんなことを喜びはしないはずです。
むしろ、私の好きなポリュカルポスという教父はローマに火あぶりにされた信仰者です。
つまり、キリスト教では火あぶりを正当化できないのです。
そんなものは、イエスさまにあって当然です。
ですから、イエスにあってそれはキリスト教ではない!といえなくもないのです。
しかし、その時代の常識や世界観という問題もあって時代考証は必要だとはいえ、キリスト教徒たちが犯した罪の責任を問われることもまた、キリスト教は受容すべきです。
キリスト教の暗黒の歴史もまたキリスト教として向かい合う必要を忘れてはなりません。
現代では、キリスト教原理主義者たちが戦争を煽りました。彼らもまたキリスト教徒です。
しかし、改めてもう一度確認することは、キリスト教はそのようなことを正当化しないということです。そして、むしろキリスト教徒の罪の歴史を見るとき、やはりそこに「人間の罪深さ」という根本問題に行きあたるのです。
ここに人間である我が身の問題が普遍化され、我が身の自己批判を通して、人間の罪の問題への視野が開かれます。
キリスト教の本質は、イエスという一点にかかっています。
簡単に分かりやすくいってしまえば、「イエスさまがそれを望むか?」です。
なぜこれを明確にするかといえば、霊感商法や偽装勧誘、募金詐欺などのさまざまな悪行について、神の視点から問いたいからです。
それらのことは、キリスト教が魔女裁判の火あぶりを正当化できないように、決して「正当化できない」行為であって、むしろ「サタン的」行為であって、「神が嫌う」行為です。
霊感商法など、そんなことをしてはなりません。
霊感商法や偽装勧誘、募金詐欺などを、文鮮明さんは「良し」とするでしょうか?
イエスさまは「良し」としません。
それを「良し」としたら、イエスさまが泣きます。
では、文鮮明は「良し」とするのでしょうか?
もし、それを「人情では許されなくても、天情では許される」などというのであれば、この文鮮明とはいかなる者でしょう。
たとえ、統一協会が「良し」としても、文鮮明さんの意志とは反対であれば、すぐにでも止めて、統一協会に対して「そんなことはお父さまの御心ではない。お父さまの御心でないことを私はできません!」と堅く立つ必要があります。
>で、私のオリゲネスさんへの質問に他人のあなたが割って入ってとやかく言う必要はありませんね。
あんたとオリゲネスさんは他人じゃないの~?
だいたい、そんなにもんく垂れるなら公開掲示板は止めとけ
キリスト教会では、たとえ牧師であってもキリストにあって間違っているものは「間違い」です。
信徒がキリストに立っているのに、牧師が「オレは牧師だからキリストに従うようにオレにも従え」と言って、自分の野心に利用しようとするならば、キリスト者はその牧師に逆らいます。
なぜなら、それがキリストに従うということだからです。
では、もしある人間が「私はキリストだ」と言って、霊感商法や偽装勧誘、募金詐欺などを「人情では許されなくても、天情では許される」といって正当化した場合、私たちはそのようなキリストに従うべきでしょうか?
決して従うべきではありません。
たとえそのような者が神業を見せたとしても、彼に従うべきではありません。
たとえ絶対的な権力や栄光を見せても、彼に従うべきではありません。
なぜ?
イエスさまがそうされなかったからです。
イエスさまは、むしろそのような者たちに殺されたのでした。
だから「イエスさまはそれを望むか?」がキリスト教の本質だということなのです。
この「イエスさまはそれを望むか?」は、十字架において問われているのです。
イエスの十字架は私たちの心に刻まれるべき出来事である意味はそこにもあります。
人が神のために十字架にかかるのではなく、神が人間のために十字架にかかったという人類史上最大級の逆説的事件として、キリスト者は受け取るのです。
キリスト教の本質です。
統一協会がキリスト教を名乗れないのは、この十字架の出来事が受け取れないことも大きな理由でしょう。
そういうクリスチャン的な言い回しの羅列は、原理用語を羅列する統一信者と大差ないですよ。
キリスト教の内部でしか通用しない狭い価値観に縛られ、囚われ、酔っている印象を与えるだけで、言いたいことは伝わりません。
ノンクリにも分かる言葉で説明できませんか?オリゲネスさん。
オリゲネスさん、霊感商法や偽装勧誘を文鮮明が指示していたという証拠はありますか?
キリスト教徒が拠って立つのが聖書であるように、統一信者が拠って立つのは原理講論であるわけですが、
その原理講論のどこに霊感商法や偽装勧誘の指示が書かれているのでしょうか?
>>そんなトンデモをわざわざなぜ信じるのかと言うことです。
>さて、「水をワインに変えたとか、水の上を歩いたとか、死んだけどすぐ生き返って空に飛んでいったとか」このようなことを、私たちは「奇蹟」と言っています。
ですから、なぜそんなものをわざわざ奇蹟などと言って信じるのかと質問しているのですが?
なんでもかんでも信じ込んで霊感商法の片棒担いでるカルト信者はどうすんだろw
>オリゲネスさん、霊感商法や偽装勧誘を文鮮明が指示していたという証拠はありますか?
これについては、はっきりさせた方がいいと思いますよ。
私の知り合いの統一協会現役信者さんは、文鮮明さんはそんなことを言っていないといって、霊感商法や偽装勧誘なんてダメだと言っていました。
それを聞いていたので私は2013年3月28日 2:33のコメントにおいて以下のように記載したのです。
以下、再掲します。
<霊感商法や偽装勧誘、募金詐欺などを、文鮮明さんは「良し」とするでしょうか?
イエスさまは「良し」としません。
それを「良し」としたら、イエスさまが泣きます。
では、文鮮明は「良し」とするのでしょうか?
もし、それを「人情では許されなくても、天情では許される」などというのであれば、この文鮮明とはいかなる者でしょう。
たとえ、統一協会が「良し」としても、文鮮明さんの意志とは反対であれば、すぐにでも止めて、統一協会に対して「そんなことはお父さまの御心ではない。お父さまの御心でないことを私はできません!」と堅く立つ必要があります。>
文鮮明さんの意志ではないのであれば、即刻止めるのがいい。
ロドリゲスさん
>ですから、なぜそんなものをわざわざ奇蹟などと言って信じるのかと質問しているのですが?
おそらく順序が逆です。
イエスさまは、カナの婚礼での酒や癒しの奇蹟など、信じることの証として「奇蹟」をなしたのであって、「奇蹟などといって信じている」というのでは単なる一面的な焦点において信仰をとらえる理論となってしまします。
まず、おさえるべきは、キリスト教の本質はイエスであること。
そして、キリスト教という教えの中核は、「贖い」であるということです。
福音書にはイエスさまの公生涯におけるさまざまな働きがあります。
そこにはカナの婚礼の出来事もあれば、病の人を癒す奇蹟、十字架、復活などがあります。
しかしそれらは、極端なことを言えば、表面的な活動です。
一つ一つの活動や動きを採りあげて、あれこれと批評することも時に必要でしょう。
でも、やはりそれは一面での出来事であり、イエスさまは福音書に書かれていない事をもっとたくさんしていたでしょう。
だから、一つ一つの断片を拾い上げて、キリスト教全体を展望できるとは限りません。
そうではなく、イエスさまの表面的な諸活動において、私たちは「贖い」を見ていく必要があります。
キリスト教の場合、「贖い」というのが十字架において象徴的に示されています。
オリゲネスさん、それではちょっと答えになっていませんよ。
まず、オリゲネスさんはそれらの奇蹟を信じていますか?いませんか?
信じているなら、なぜそんなものを信じるのかと聞いているのです。
また、キリスト教の中核は「贖い」であるとのことですが、イエスの十字架の死が「贖い」であるとなぜ信じるのですか?
聖書にそう書いてあるから信じるのですか?では、古事記やギルガメッシュ叙事詩なども信じるのですか?
そのあたりを含めてお尋ねしたいです。
>聖書にそう書いてあるから信じるのですか?では、古事記やギルガメッシュ叙事詩なども信じるのですか?
>そのあたりを含めてお尋ねしたいです。
良い質問ですね。
私とイエスさまとの出会いを語らねばなりませんね。
たくさんあるのですよ。
また夜にでも、これから出かけますので。
キリスト者は、なぜ自分が信じたか?
なぜ自分が聖書と向かい合うのか?
それがなぜキルガメシュ叙事詩ではないか、等々。
ロドリゲスさんと語れることを本当に嬉しく思います。
感謝!
では、また、後ほど。
ロドリゲスさん
家庭崩壊やら何やらで、教会に行く前の三年間、私は引き籠り状態でした。
精神は混沌としていました。
当時は特にニーチェを好んで読んでいました。
ご存じだと思いますが、ニーチェは最も反キリスト的な思想家です。
そんな折に、ワケあって教会に行くことになりました。
ニーチェを読んでいたせいか、キリスト教に関心がありました。
しかし、教会へ行ってみるとそこはニーチェが語っているようなものではなく、生き生きとしていました。
そこで賛美に触れたのです。
そのとき衝撃が起こりました。
礼拝が終わり、教会を出ると、笑いが絶えません。
3日、4日笑いが続いていた後、ふと自分の精神的な病が癒されていることに気づき、薬を飲む必要もなくなってしまいました。
そこから教会に通って聖書を学ぶようになりました。
まず教会に行くきっかけは、病が癒されたことなのですが、病が癒されるほどに私にとって衝撃だったということですかね。
つづき
私は教会に行くようになって、家の者から反対されるようになりました。
家を出されるかっこうとなり、私はある人の元に身を寄せることになるのですが、そのある人というのがクリスチャンではいのですが私にとって問題ありの人で、私は行き詰まりました。
電車を乗り継ぎ、その人の家の近くまで重い足取りで来たとき、私は天に向かって両手を広げて「主にゆだねます!」と言ったのです。
その瞬間に聖霊に包まれました。ドボンと温かいお湯の中に入れられた感じです。
そのお湯の中を40秒ほど泳ぐようにして歩きました。
それが終わると私には希望しななく、その人の家の門を叩くことができました。
そこで自分の生活の場所が与えられ、すぐに聖書を開くと、先ほど私を包んでくださった方のことが書かれていることがはっきりと分かりました。
開いたのはルカの福音書でイエスさまが癒しの奇蹟を行っている箇所でした。
私はビックリしまた。あの時、私のことを包んでくださった方がそこに書かれていること、先ほど私の身に起こったことと同じことが、そこにそのまま書かれていることが分かりました。
これは「霊的に分かった」としか言いようがありません。
今ではそのような読み方をすることができませんが、そのときは不思議と「分かった」のです。
その後にも、実は同じように聖書に書かれていることがリアルなものとして「霊的に分かる」体験が一度だけありました。
だから、私は良く証しします。
聖書は「霊的な書」です。
ロドリゲスさんの理性では分からないでしょうが、聖書がどれだけ多くの人々の心をとらえ、その人々を救いに導いてきたか。
あんなことが書かれているだけにしか思えないのに、本当に不思議なものですよね。
多くの人々が聖書から希望と癒し、力を受けていますから。
つづく
さらに、二度目に同じような聖霊体験が起こりました。
私の人生の大きな節目にあったときです。
夏の夜に寝ようと思って布団に入ると、すぐに左ひじの下が熱いのに気づきました。
ホッカイロでも誰かがいたずらして入れたのかと一瞬疑ったのですが、すぐにもしかしたらと思い、そのままそっと両手を組んで次のように祈りました。
「主なら来てください!」
すると、その左腕の下の熱がそこからサッと体全体に順々に伝わりました。全体にどんどん伝わって行く感じで、その間3秒ほどでしょうか。全体が聖霊に包まれると、寝ながらにしてドボンとお湯につかったような感じで、とにかく涙があふれてしかたありませんでした。聖霊に包まれていた時間は1分ほどだったでしょうか・・・
このとき、私は人生の大きな節目にあって、大変な出来事があったのですが、大いに慰められたのです。なぜこのことが起こったか、神さまが何を言わんとしているのか、神さまのメッセージがはっきりと具体的に分かりました。
そのメッセージとは、天の父なる神が「私の父」となったということです。
そう言ってもロドリゲスさんには唐突でわからないかもしれませんが、これは私個人にとって本当に必要なものであったことが良く分かりました。
つづく
私は教会へ行くことが楽しくて仕方ありませんでした。
当時、私は司法試験の勉強をしていたのですが、聖書を読みたくて仕方なくて、まるで身に入らなくなってしまったのです。
そんなときに、私は司法試験に受からせてくださいと礼拝堂の講壇の前で祈ったら、初めて幻を見ました。
これは目を閉じていたとき、瞼の裏にまるで起こったことのない形ではっきりと神さまの答えが示されたのです。
これは私にとって初めての幻という体験でした。
実は、目を開けての幻も見た事が一度あります。これは教会が危機的な状況に置かれたときに見たもので、その幻のゆえに教会が建て直されたのですが、幻というのはあるんですよ。私は2回だけの体験ですけど。
第1回目の幻のために、私は全く法律の勉強ができなくなってしまいました。
司法試験のために膨大な時間を費やしていたのですが、それがすべて聖書に向かう時間として与えられました。
そのとき、この幻のゆえに私は献身表明をしたのです。
第1回目の幻ですが、これに対して私は本当に心から不満でした。
こんなものを見せられたら、もう司法試験の勉強ができなくなってしまいます。
そこで、再び講壇の前に行って、同じように祈りました。
しかし、何も起こりません。
そこでとにかく神さまに訴えて祈っていたら、疲れてしまったので、半分ふてくされて、講壇の前でふてくされて寝てたのです。
すると、ある力強い無形の圧力で私は目が覚めました。
しかし、目を開ける気になりません。
その無形の圧力は私の内に浸透し、私を作り変えてしまうことがわかりました。
しかし、その無形の圧力は絶対的な力で、私にのしかかりました。
それは絶対でした。
この無形の圧力は一つの言葉としてのしかかったのでした。
これは本当に不思議です。
聴覚を刺激しているのではなく、視覚を刺激する文字でもなく、やはり「ことば」としか言いようがない知覚をもって私にのしかかりました。
この「ことば」がどんな言葉であるかは、今は教えません。
そのうちに私の活動と私の事は、キリスト教会およびカルト団体などに知れるようになるやもしれません。
そのときには教えましょう。
この「ことば」がきたとき、私は今までの思考をささえてきた事柄が覆されて、支えを失って、1週間ほどノイローゼ状態になったのでした。
それまで、私は哲学にはまっていて、偉人の言葉や理念、信条といったものが私の行動を規制していました。それが一気に取られることとなり、非常に不安定になったのです。しかし、おかげで自由な思考を持つことができるようになりました。
つづく
こんなことがあったので、翌日に私はまた講壇の前で寝ることにしました。
すると今度は何も起こりませんでした。
そこで、その次の日も講壇の前で寝ました。
すると、今度は夢でずっと聖書の1か所だけをみさせられる変な夢を見たのです。
ずっとです。
おそらく1時間ほどずっと1か所だけを見ているのです。
もちろん苦痛でした。
しかし、その夢は覚めず、起きないのです。
苦痛ゆえに脂汗がでていました。
1時間ほどしてやっと1か所だけを見つめる苦痛な夢から無理やり抜け出るかのように覚めて起きることができました。
その1か所というのもここでは言えませんが・・・
私はこの聖書箇所を見せた意味がそれから10年間ほど分かりませんでした。
今はよく分かります。
この聖書箇所は今となっては私の人生の指針とならざるをえないものですから。
他にもあるのですが、今日はこれくらいにします。
まだあります。
私が聖書の御言葉をなぜ受け入れるか、これでだいたいはおわかりでしょう。
しかし、先ほど書いたことは、私の中でも本当に明確な神さまからの介入があったときのことばかりです。
そうでなく普通の日常においても、聖書の御言葉を通してたくさんのことを教えられます。
私は神さまの御心が分かれば、奇蹟はさほど必要ないと思っています。
まだ、「十字架の贖い」と「キリストの復活」について書きたいことがあるのですが、今日はここまでにします。
エイト記者によると、そのような神体験はLSDやケタミンやMDMAなどの違法薬物による可能性が非常に高いのだそうです。
>ドンピシャのタイミングで神体験を起こさせるというのは、何らかの刺激薬物の作用が想定されます。
>ある薬物を飲み物に混ぜて人に飲ませれば、その人に神を見せることができるわけです。もうお分かりでしょう。
>前述の現役信者も、飲み物に一服盛られた可能性が非常に高いと思われます。
>薬物(マリファナ、LSD、アヘン、ケタミンなど)、アルコール、毒キノコ、など。
オリゲネスさん、それらはカルト信者の信仰体験談と何も変わらないと思いますよ。
キリスト教教会がビデオセンターに通わせるなんて話聞いたことないなぁ
キリスト教関連のビデオを見せる教会はいくらでもありますが?
>キリスト教関連のビデオを見せる教会はいくらでもありますが?
そのビデオセンターはどこにあんの?
オリゲネスさん、お答えありがとうございます。
オリゲネスさんがそのような主観的体験をされたことは信じます。
精神的な病が癒されたことも本当に良かったと思います。
その点を否定するつもりはありません。
ですが、ここではあえて率直な感想を書かせていただきます。
お気に触りましたらすみません。
>教会へ行ってみるとそこはニーチェが語っているようなものではなく、生き生きとしていました。
カルト教会も見た目は生き生きしているようですね。
>礼拝が終わり、教会を出ると、笑いが絶えません。
ラブシャワーは気持ちよかったですか?
>私は教会に行くようになって、家の者から反対されるようになりました。
>家を出されるかっこうとなり
家族を裏切ったわけですね。
>電車を乗り継ぎ、その人の家の近くまで重い足取りで来たとき、私は天に向かって両手を広げて「主にゆだねます!」と言ったのです。
。。。 かなりアレですね。
>その瞬間に聖霊に包まれました。ドボンと温かいお湯の中に入れられた感じです。
既にかなりアレな状態ですからね。
神体験は側頭葉の刺激によって起こります。体が温かくなるのは自律神経系による作用です。
>それが終わると~~~これは「霊的に分かった」としか言いようがありません。
>今ではそのような読み方をすることができませんが、そのときは不思議と「分かった」のです。
カルト信者もそれよく言いますよね。
>聖書は「霊的な書」です。
>ロドリゲスさんの理性では分からないでしょうが、聖書がどれだけ多くの人々の心をとらえ、その人々を救いに導いてきたか。
>あんなことが書かれているだけにしか思えないのに、本当に不思議なものですよね。
>多くの人々が聖書から希望と癒し、力を受けていますから。
イスラム教、ものみの塔、創価学会、幸福の科学等も、多くの人々が希望と癒し、力を受けているそうですよ。
>すると、その左腕の下の熱がそこからサッと体全体に順々に伝わりました。全体にどんどん伝わって行く感じで、その間3秒ほどでしょうか。
>全体が聖霊に包まれると、寝ながらにしてドボンとお湯につかったような感じで、とにかく涙があふれてしかたありませんでした。
>聖霊に包まれていた時間は1分ほどだったでしょうか・・・
自律神経系が(以下略
>このとき、私は人生の大きな節目にあって、大変な出来事があったのですが、大いに慰められたのです。
「転換期」だったのですね()
悩み、迷いなど、大きなストレスのかかっている状態だったのでしょう。
夜もよく眠れていなかったのではないでしょうか。
>そんなときに、私は司法試験に受からせてくださいと礼拝堂の講壇の前で祈ったら、初めて幻を見ました。
>これは目を閉じていたとき、瞼の裏にまるで起こったことのない形ではっきりと神さまの答えが示されたのです。
司法試験に落ちる幻でも見たのですか?
>これは私にとって初めての幻という体験でした。
>実は、目を開けての幻も見た事が一度あります。これは教会が危機的な状況に置かれたときに見たもので、その幻のゆえに教会が建て直されたのですが、幻というのはあ>るんですよ。私は2回だけの体験ですけど。
幻はありふれた現象です。側頭葉の刺激で起こります。
>この無形の圧力は一つの言葉としてのしかかったのでした。
>これは本当に不思議です。
>聴覚を刺激しているのではなく、視覚を刺激する文字でもなく、やはり「ことば」としか言いようがない知覚をもって私にのしかかりました。
幻は視覚・聴覚に限りません。言語の形で生じることもごくありふれた現象です。
>この「ことば」がどんな言葉であるかは、今は教えません。
「哲学に真理は無い」とでも浮かんできたのでしょうか?
>私が聖書の御言葉をなぜ受け入れるか、これでだいたいはおわかりでしょう。
はい。それに関してはカルト信者と大差ないことがよく分かりました。
>そんなときに、私は司法試験に受からせてくださいと礼拝堂の講壇の前で祈ったら、初めて幻を見ました。
祈って司法試験に受かったら苦労しねーわw
キリスト教教会でも、ビデオセンターで関連ビデオを見せてます・・・な~んてテキトーこくのはどうなんだろw
誰もビデオセンターで見せてるなんて言ってないよね。
教会や家でビデオを見ることなんていくらでもある。
テキトーなことこいてるのは12:15。
キリスト教教会にはビデオセンターはないんだね?
で、どこのキリスト教教会がビデオを見せるの?
普通に日本基督教団の教会だけどビデオあるよ。
>普通に日本基督教団の教会だけどビデオあるよ。
で、どこの教会?
そのビデオは正体を偽ってんの?
教団名をかくしてんの?
小さい教会だし、普通に自分の家の近所だからここで晒すつもりは無いよ。
キリスト教書店に行ってみな。普通にビデオたくさん売ってるから。
正体を偽っても教団名を隠してもないなら問題ないだろw
そもそも日基ってわかってんだし
ロドリゲスさん
>>礼拝が終わり、教会を出ると、笑いが絶えません。
>ラブシャワーは気持ちよかったですか?
いえ、そのようなものではありません。
私が笑いが止まらなかったのは、まず最初は彼らの姿が「宗教的、あまりに宗教的」であったからです。手を挙げて賛美しているのです。私のように暗く引き籠っていた人間には滑稽でしかたありませんでした。
最初はそれで笑っていたのですが、ずっと笑っていたら、私の内にある「喜び」というものの出所が別のところにあることに気づかされたでした。
でもね、最初、とにかく滑稽でね。バカにしているつもりだったのですよ。
>家族を裏切ったわけですね。
裏切るも何も、私の家庭はすでに崩壊した崩壊していたのです。
私は典型的な崩壊家庭の育ちです。
私が身を寄せねばならなかった「ある人物」とは、私の母親ですから。
家を追い出されることで、離れていた母と関係を回復できたので結果的に良かったのです。
>>それが終わると~~~これは「霊的に分かった」としか言いようがありません。
>>今ではそのような読み方をすることができませんが、そのときは不思議と「分かった」のです。
>カルト信者もそれよく言いますよね。
カルト信者というより、アウグスティヌス以降の西方教会の伝統はそのような言い方をするようです。
これは、アウグスティヌスの照明説といわれるものの影響です。
中世神学においては、「自然的理性は神を認識できるか」というようなことがロンバルトゥスの命題集にあって、よく考えられました。
神の真理は、神自身からの照明においてしか明らかにならないので、私のように「分かった」というのは、神に対する絶対的な信仰をもつものにしかわからない内的な証明基準なのです。
トマス・アクィナスが「恩寵による助力」とよく言うものもそれに関係しています。
カルト信者の場合は盲信という意味合いがあるかもしれませんが、ただ、私自身は「信仰者」として語り合える接点を持つことができます。
信仰者でないと、信仰者が大切にしている「信仰的なことがら」を理解することができないでしょう。その意味で、「通ずる」ことができるのは、カルト信者と接するときに相手の守りたいと思っている部分を理解できるから、私のような信仰者の特権ですかね。理解できるといっても、ある程度ですけどね。まるで理解できないよりマシでしょう。
ロドリゲスさんは、カルトの定義はちゃんとしておくといいです。
宗教心とカルトをごっちゃにしてはなりませんから。
私は統一協会の信者さんについて、そのカルト性を問題にはしても、信仰の中にある輝きは拾いたいと思っています。
>イスラム教、ものみの塔、創価学会、幸福の科学等も、多くの人々が希望と癒し、力を受けているそうですよ。
私はキリスト教における真理問題について、主に語っていましたが、異教における真理問題については、キリスト教における真理探究とはまた別の態度を必要としていると考えています。
特に仏教についていえば、彼らの思想的な背景はキリスト教とは大きくことなっています。
私たちキリスト者は、仏教徒の思想的背景からくる感覚や緊張感を知らないことが多いのでしょう。
そうであれば、互いの違いをよく理解し、相手から学ぶことが大切だと思っています。彼らが真理とするものは、キリスト教とどのように違うのか、また共通するのかです。
次に、キリスト教的真理においては、一つはっきりとさせることがあります。
ニーチェはその著書『善悪の彼岸』において、「真理などない。あるとすればそれは無限にある。それは強者が『真理だ』と打ち立てるのだ。」というようなことを言っています。いわゆる強者の理論です。
しかし、キリスト教的真理は、一人の人格にあります。イエス・キリストです。私たちが真理と言っているものは、真理体系として示されるような教理ではないということです。
前回も書きましたが、キリスト教というのはイエス・キリストという一点に全てが集中しており、その一点にかかかっています。
それゆえに、受肉論が中心テーマであるし、また受肉論が神論に至るところに面白いものがあります。
>「哲学に真理は無い」とでも浮かんできたのでしょうか?
これについてのコメントが、この前のコメントの「次に、キリスト教的真理においては、一つはっきりとさせることがあります。」です。
>はい。それに関してはカルト信者と大差ないことがよく分かりました。
カルトの定義をロドリゲスさん自身がしっかりされるのがいいというのは、このコメントをもってですかね。
マーガレット・シンガー著『カルト』においては「カルト」という言葉の変遷において「反社会的」および「破壊的」という意味を持つようになったといっていたと思います。シンガーは「洗脳を手段とすることが多い」と書いていた記憶があります。
スティーブン・ハッサン著『マインドコントロールの恐怖』などを読むと、「洗脳」という暴力的な方法よりもその人自身の意志決定をうまく利用し、いかにも自ら選択したかのように行動する「マインドコントロール」という手法を見事に紹介しています。
西田先生の『マインドコントロール』を最近読んだのですが、有名なスタンフォード実験やらなにやらをよくまとめて紹介してくださっている専門的な書です。
ただ、私が関わった教会のカルト化問題についていろいろと考え、教えられることからすると、近年、この「マインドコントロール」という言葉があまりにも支配的に過ぎるようにも思えるのです。
この「マインドコントロール」という用語ゆえに見失われている視点があるように感じています。
それでも、今日においては「マインド魂ロール」という用語を用いなければ、不便だし、また不自由であるし、それに意見も交わせないでしょうから私もバンバン利用しますけどね。
横レスですが・・・
>小さい教会だし、普通に自分の家の近所だからここで晒すつもりは無いよ。
>キリスト教書店に行ってみな。普通にビデオたくさん売ってるから。
その小さい教会はすごいです。
私の知っているかぎりで、学びのビデオ(DVD)を揃えている教会は一つもありません。
神学校に併設されている教会であればあるでしょうけど、キリスト教書店におっても学びのDVDはほとんどないはずです。
手に入れようと思えば、JTJ宣教神学校やら福音主義神学会に注文すれば手にはいりますけどね。
ちなみに私はどちらも活用していた時期がありますが、教会の人たちには見せたりしないです。
牧師によって考え方がまちまちで、トンデモナイことを言うひともいますから、あまり教会には外部機関の学びのDVDは置かないのかもしれません。
ロドリゲスさん
今回、少々、私自身の聖霊体験といった霊的な体験をいくつか書きましたが、これらは私の信仰生活における比較的初期のころに起こったできごとです。
神の介入は非常に意味のあるもので、信仰を持てばこれらの出来事が頻繁に起るというわけではないと思います。
事実、私の場合は、私自身の危機的な状況において明らかな霊的体験は多かったように思います。
ちなみに、私はオカルト体質ではないので、その意味での霊感はほとんどありません。
ですから、この数年は比較的衝撃的な霊的体験はなく、自分のやるべき使命と導きが何であるか分かっている分で、むしろそのような体験の必要を感じていません。
だから、「しるし」や「不思議」を求めるようなペンテコスタリズム、いわゆる聖霊派と言われる人たちや超教派で受け入れられるようになったオカルト体質には疑問です。
私自身は現在、堅苦しい神学の研究をしていて、キリスト教のオカルト的なものとは距離をとっていますが、そうはいっても「神は霊」(ヨハネ4:24)ですから目で見ることも手で触れることもできません。
ですから形而上学的なものです。
しかし、それを私たちに理解できる出来事を通して存在の類比的に理解するしかないです。
では自然界といった被造物全体を見て神を理解できるかといえば、それに失敗したことがローマ書1章20節以降にしるされています。
そのとき、何よりもやはり神が神ご自身を示されるという啓示神学が主軸とならざるをえないいでしょう。
神の啓示とは聖書ということになります。
普通に説教のビデオとか、イエスキリストにまつわる番組や映画のビデオが置いてあります。
それが問題だなんて最初から言ってませんよ。
ラブシャワーは冗談ですが、その「滑稽」で「バカ」な人間にオリゲネスさんはなってしまったということですね。
>アウグスティヌス以降の西方教会の伝統はそのような言い方をするようです。
ですから、カルト信者「も」そういう言い方しますねと言ったのですが。事実ですから。
オリゲネスさんの言う「盲信」と「信仰」の違いは何でしょうか?
>カルトの定義はちゃんとしておくといいです。
あなたに言われる筋合いはありませんね。
カルトという言葉の意味は歴史的に変遷してきましたが、マーガレット・シンガーの著作など引き合いに出すまでも無く、昨今の日本では反社会的行為を行う宗教団体といった意味合いで用いられることが多いです。
この定義が気に入らなければ、どうぞオリゲネスさんのカルトの定義をご提示ください。
>異教における真理問題については、キリスト教における真理探究とはまた別の態度を必要としていると考えています。
当たり前ですね。
そして、話がそらされていますが、オリゲネスさんが信じているキリスト教と同様に、異教や新宗教やカルトにおいても、多く人々が希望と癒し、力を受けていると言っているということです。
>マインド魂ロール
面白いですね。
それで、オリゲネスさんは聖書に書かれているイエスの行った奇蹟を信じているのでしょうか?信じていないのでしょうか?なぜこの質問をスルーするのでしょう。
幻が見えたから信じるのですか?
体が温かくなり涙が出たから信じるのですか?
それらはまさに異教や新宗教やカルトの信者が語ることと同じなわけですが、
その事実を認識し受け入れることはオリゲネスさんのプライドが許しませんか?
>カルトという言葉の意味は歴史的に変遷してきましたが、マーガレット・シンガーの著作など引き合いに出すまでも無く、昨今の日本では反社会的行為を行う宗教団体といった意味合いで用いられることが多いです。
統一協会はまんまだねw
ロドリゲスさん
>ラブシャワーは冗談ですが、その「滑稽」で「バカ」な人間にオリゲネスさんはなってしまったということですね。
「滑稽」「バカ」というのは、当時の私の状態のほうがよっぽど滑稽でバカです。
若いのに引き籠って、それでいて怖ろしいほど傲慢でした。基本的にすべての人間をバカにしていたのです。身の程知らずにも。
>>カルトの定義はちゃんとしておくといいです。
>あなたに言われる筋合いはありませんね。
そうであれば、ぜひ「言われる筋合い」がないというくらいの程度でいいので、宗教心とカルトの違いくらいは区別できている程度の論述をお願いしたいです。
>そして、話がそらされていますが、オリゲネスさんが信じているキリスト教と同様に、異教や新宗教やカルトにおいても、多く人々が希望と癒し、力を受けていると言っているということです。
まったく逸らしていませんよ。
私が逸らしてくれるような相手であれば良かったと思えるのかもしれませんが、私はそういったことを考えるのが好きです。
その問題は、ハンス・キュンクが「真理問題」として扱っています。
実は、私自身はあるところで進められているキュンクプロジェクトに片足を突っ込んでいるので、他宗教における「真理」とキリスト教の「絶対性」についての洞察は一つのテーマとなっています。
ロドリゲスさん、つづき
キュンクは他宗教間における「真理」の境界線の違いについて問い、重なる部分が十分にあることをいっており、宗教として仏教徒でありつつキリスト教徒であることができるかという問いに「できる」と答えるのです。なかなか面白いことをいいます。しかし、信仰対象における真理においては「できない」とします。そこら辺は関心があったら、調べてみてくださいね。
そんな感じで、他宗教における「真理」とキリスト教の「絶対性」の問題は、私自身も関心があるところです。
私なりの切り口でいえば、奇蹟といったものの基礎が何かを問う必要があるでしょう。基礎が違えばその本質も意味作用も異なるのです。とくにキュンクではありませんが、「信仰対象における真理」という点について、私はその宗教の教祖の人格に注目します。彼の宗教性の内的動機がその真理性を基礎づけていますからね。
「癒し」「希望」「力」などがあれば、それは「神」と認められるかといえば、そうではありません。神が神であるところは、その人格にいかに現れるかどうかを見る必要があります。
だから私は統一協会の信者さんが文鮮明をいかに理解しているのかを知りたいのです。
>それで、オリゲネスさんは聖書に書かれているイエスの行った奇蹟を信じているのでしょうか?信じていないのでしょうか?なぜこの質問をスルーするのでしょう。
あれ、これまで、私はどうして私が聖書を信じるているかを説明してきたのですが・・・
思わぬところで躓いていたのですね、盲点。
では、改めて(^-^)イエスさまの行った奇蹟は当然信じていますよ。
>それらはまさに異教や新宗教やカルトの信者が語ることと同じなわけですが、
>その事実を認識し受け入れることはオリゲネスさんのプライドが許しませんか?
そんなものであれば私にとってお粗末な信仰でしかありません。
そのようなことで信じたり、騒いだりするのは、オカルティズムと大差ありません。
私が証しした私の身に起こった出来事はすべて、私の心の奥深くの根本の癒しや問題に対して神さまが介入された出来事です。
ヨハネ20:28で「わが主、わが神。」と告白しています。
使徒ペテロは三度「私はあなたを愛します。」と告白しています。
これらは、「この方でしかない」という個人の問題であり、「私の主」と受け入れざるをえない心からの訴えと願い、想いといったものからくる信仰告白です。
つまり、神を神であるがゆえに神として受け入れざるを得ないところからの告白です。
私自身もイエスさまを神として受け入れざるをえないし、告白せざるをえないのです。
なぜ、私がイエスさまを「わが主、わが神」と告白するかといえば、イエスさまという一人の人格に全てがかかっています。この方がいかなる方か?という問題です。
癒しの奇蹟もやはりこの一点にかかっています。
イエスさまが行った奇蹟だから私にとって問題になるのです。
たとえば、いくら悪の主導者が霊能力よろしく何か奇跡のようなものを起こしても、私はそれに敵対するのです。なぜならその主導者の人格からその奇蹟は生まれているからです。私はたとえ彼が偉大なるワザを行ったとしても、彼を信じないでしょう。
ということで、何度も繰り返しいいますが、キリスト教とは、その本質は一人の人格、イエスさまにかかっているのです。
神体験や奇跡的な体験を今もされているそうですが、それは『宇宙の波動と同調』などということではなく、ただの側頭葉刺激によるものです。
これは、薬物でも容易に起こせますし(→統一協会の手口のひとつです)、烈しい肉体的追い込み(睡眠不足・低血糖・修行や悟りなど)でも起こります。
悟りや解脱は脳が、極端な抑制または極端な興奮状態になったときの防衛反応として脳が外部からの情報を強制遮断するようになり、
その結果、宇宙との一体感やら光のトンネルやらといった、どの宗教にもありがちな神秘体験をします。
そしてそれらはどの宗教でも似通った普遍的なもので、脳の構造に由来しています。
カルトに限らず多くの宗教団体では、強烈な神秘・心霊体験をすることがあります。
大きな愛に包まれたあの感覚が忘れられない。あの体験があったからこそ『これは本物だ』と信用した。
このような宗教体験は実をいうと、人為的にごく簡単な手法で起こすことができるのです。
LSDやマジック・マッシュルームなどの幻覚誘発剤に含まれる化学物質も側頭葉のいろいろな部分を活発化させて幻覚を引きおこします。
脳を基準にすると、幻覚も、想像も、(ほんとうに)見ている状態も基本的には同じことです。
強烈な体験であったことでしょう。すべては自分の脳の中(側頭葉)で起こったことだと知ってもなお認めたくない至高の経験であったからこそ。
(エイト記者)
>そうであれば、ぜひ「言われる筋合い」がないというくらいの程度でいいので、宗教心とカルトの違いくらいは区別できている程度の論述をお願いしたいです。
あのですね、「カルト=反社会的な宗教団体」という定義に異議があるならば、どうぞオリゲネスさんのカルトの定義をご提示くださいと言っているのです。
そもそも、私は「カルト=宗教心」などとは一言も言っていません。まず、オリゲネスさんが落ち着いて正確にコメントを読まれることを願います。
>イエスさまの行った奇蹟は当然信じていますよ。
水の上を歩いただの、水をワインに変えただのを信じるのですね。なぜそんなトンデモを信じるのですか?
幻が見えたり体が温かくなって涙が出たりが信じる理由でないなら、なぜそれらの話を私の質問に対して長々と書いたのでしょうか(笑)
>そんなものであれば私にとってお粗末な信仰でしかありません。
異教や新宗教やカルトの信仰がお粗末であり、オリゲネスさんの信仰がそうではないという理由をご説明願えますか?
>ということで、何度も繰り返しいいますが、キリスト教とは、その本質は一人の人格、イエスさまにかかっているのです。
同じことを何度も繰り返さなくていいです。私の質問にお答え願えますか?
・オリゲネスさんの言う「盲信」と「信仰」の違いは何でしょうか?
なんだかこの質問もスルーされておりますが、お答え願えますか?
名前を入力し忘れました。
>これらは、「この方でしかない」という個人の問題であり、「私の主」と受け入れざるをえない心からの訴えと願い、想いといったものからくる信仰告白です。
異教や新宗教やカルトの信者も「この方でしかない」という個人の問題であり、「私の主」と受け入れざるをえない心からの訴えと願い、想いといったものから信仰を持っているのではありませんか?
魔女狩りなどの反社会的行為はともかく、個人の信仰においてそれを認めることはオリゲネスさんのプライドが許しませんか?
>その本質は一人の人格、イエスさまにかかっているのです。
あえて客観的に表現するならば、古代の書物に書かれた主人公の人格が素晴らしいから、その書物のトンデモな内容までをも信じるということに他なりませんが、異論ありますか?
>イスラム教、ものみの塔、創価学会、幸福の科学等も、多くの人々が希望と癒し、力を受けているそうですよ。
おい、1800年の伝統を持つ伝統宗教のイスラム教を後者3つと一緒にするんじゃねえよ
ま、ひとつ確かなことがある。
オリゲネスさんの経験は、神の啓示かもしれないし、エイト記者の言うとおり、脳の錯覚かもしれない。しかし、統一教会信者の神に関する経験はニセモノであるという事だ。
統一教会信者は、自分らの信じている教義が文鮮明が1946年にイスラエル修道院で6ヶ月の勉強をしている時に教えられた教義の丸パクリだってことしってんのか?
大体チョンコに自分だけの教義を創造することなんて出来るわけねえだろ。連中に出来るのはパクリだけ
☓パクリだけ
◯パクリと起源主張だけ
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